教室の少年
夕陽の赤が教室を照らす。少女は眉間に皺を寄せ、少し思い詰めたような表情をしてから、机に突っ伏した。
【教室の少年】
教室には少女一人を除いて、誰もいなかった。そのはずだった。けれど、ふいに小さな物音が響く。少女が顔を上げると、窓のすぐ傍に見知らぬ少年が立っていた。穏やかな赤い光を静かに受け続ける、白いニット帽を被った少年。
「誰……?」
窓の外を覗き込むようにしていた少年はその声に振り向き、少女の姿を瞳に映した。少女は怪訝そうに目を見張っている。
「ごめんなさい。起こしちゃいましたか」
少年は申し訳なさそうに眉をハの字にし、けれども柔らかく微笑んだ。
「学校の人、じゃないよね。貴方、誰?」
少女は椅子から立ち上がると、少年を睨んだ。セーラー服の赤いスカーフが、少しだけ揺れる。少年は困ったように、大きな黒い瞳を細めた。
「僕は危ない者じゃないので、お気になさらず」
少女は眉を顰めると、ゆっくりと少年へ歩み寄った。ぎゅっと握り締められた手は、微かに震えている。
「充分怪しいじゃない」
「いや、怪しいけど危なくないんで」
少年は俯きながらそう言うと、ニット帽を引っ張り、深く被った。少女がその言葉に納得するわけもなく、ぐいと少年の顔を覗き込む。そして、ぱちくりと瞬きを繰り返した。
「見間違いかと思ってたんだけど……それ、染めてるの?」
少女は、ニット帽の下から覗く少年の髪を指差した。少年の幼い容姿とは釣り合わない真っ白な髪。少年は無言で、緩やかに首を横に振った。少女は躊躇うように視線を彷徨わせる。そして「アルビノ、とか?」と問う声は小さかった。
「いえ、病気ではないんです。ただ、白いだけで」
少年は小さく笑って「神様が塗り忘れたのかもしれません」と言った。少女は困惑した表情で沈黙する。
「――じゃあ、僕は行きます」
少年が出入口に向かって歩き始めようとすると、ふいに腕が引かれた。少女が少年の白いコートの袖を掴んでいる。
「誰だか知らないけど、何で此処にいたの?」
少女の言葉に、少年は押し黙る。それから、少女に気付かれないよう、小さく溜め息を吐いた。
なんて答えようか。全部を話す必要もない、本当なら、ここで立ち止まる必要さえなかった。
「探し物があるんです。でも、僕がここにいる理由より、君がここにいる理由の方が大事でしょう?」
「……どういう意味?」
少女は少年の瞳を真っ直ぐに見つめる。吸い込まれそうな錯覚に陥りながらも、黒い瞳から目を逸らさなかった。少年はそっと少女の手を振り解く。
「君の方が、探し物をしている顔をしているってことです」
少女は眉を寄せ、小さく俯いた。そんな少女の頭を、少年の優しい掌がそっと撫でる。
「別に、私は……ちょっと帰りたくなかっただけ」
少女の声は震えていた。
そんな顔をしているつもりはなかったのに。驚きと不安と、少しの安堵。
不思議な感覚に、少女は足元がふらつくような気がした。
少年は「うん」とだけ応える。少年の白い掌は、もう少女の頭から離れていた。
「君は、大丈夫。君なら、ね」
ふわりと包み込むような口調だった。少年の言葉を理解出来ず、少女は首を傾げる。少年は静かに微笑むと、立ち止まっていた足を再び歩ませ始めた。少女はその場に立ち尽くしたまま、茫然と少年の背中を見送る。
やがて足音が聞こえなくなり、少女はハッとしたように窓の外を見た。校庭には白い影、先ほどの少年の姿。その周りをくるくると、白い小鳥が飛んでいる。少女はそのまま、少年の姿を見つめ続けていた。学校の外に出るまで、見つめていた。
そして、少女は自分の鞄を持つと、自分も教室から出ていった。
少年が少女の前に姿を現すことは、もう二度となかった。