洞窟の少年
暗闇の中で、二人分の足音が反響する。松明を片手に、少年と少女は奥へ奥へと進んでいった。
【洞窟の少年】
白い肌、白い髪、白い服、少年と少女はどちらもこれらを携えているというのに、今はすっかり闇色に染まっていた。松明の灯りで浮き上がる白がどことなく不気味な雰囲気を醸し出し、畏怖すら感じさせる。
「やっぱり、こういう所は人の姿だと不便だな」
少女は湿り気を帯びた岩に躓きそうになりながら、そこか不満げな口調でそう言った。少年は微苦笑を浮かべて、そっと少女の体を支える。
「ファテは鳥の姿になっても良いよ?」
「……嫌だ。トランプとしての役目を、お前に任せてるみたいだから」
「そう? 鳥の姿も、神様がくれたトランプとしての立派な姿だよ」
少女は沈黙して、少年の腕を掴んだ。足場が悪い。暗い上に濡れて滑る。少女は眉を顰めると、ふっと長い溜め息を吐いた。
「鳥の姿は、足場の悪い道を行くときや、鳥と話すときには便利だが、それだけだ」
「充分だよ」
「トランプの片割れのみが姿を変えられるというのも、不便だ」
少女に背を向けて歩いていた少年は振り返り、少女を見た。
「神様がやることには、全て意味がある、でしょ?」
なぜか苦笑いを浮かべる。結局のところ、少年にも理解出来ないのだ、神様の意図など知る由もない。
「――ああ」
頷いた少女も、同じように苦笑いを浮かべていて。所詮自分たちは、神様にとっては使い捨てのカードなのだと思い知る。
「……少し休憩でもする?」
少年は大きな岩をそっと指差して「座れそうだし」と続けた。湿り気を帯びた岩に少女は顔を顰め、それに気付いた少年は小さく笑う。
「仕方ないよ」
「分かってる」
「でもファテ、すごく嫌そうな顔してる」
少女は唇を尖らせると、無言で岩に腰掛ける。とても控えめな座り方だった。少年は笑いを堪えながら、少女の隣に寄り添うようにして座る。そして、ぼんやりと松明を見つめた。松明の灯りがゆらゆらと揺れ、風の流れがあることを示している。少女もまたその灯りを見つめ、甘えるようにして少年の肩に自分の頭を預けた。
「いつだかお前は言ったな。『ファテ』という存在を殺してしまうかもしれない、と」
少女の言葉に、少年は肩をびくりと震わせた。それは喫驚か、動揺か、はたまた恐怖か。少女には分からなかったが、それでも少年を安心させるように、自分の手を彼の手にそっと重ねた。
「それを聞いたとき、おかしいと思った。トランプは生きている存在じゃないんだ。殺す、というのは有り得ない」
「――うん」
少年は、喉から声を絞り出すようにして相槌を打つ。そんな少年に、少女は小さく首を横に振った。そして、何かを祈るようにその瞳を閉じる。
「でも、そうなんだ、とも思った。有り得ないけど、そうなんだろ?」
「……うん」
声を発する少年の唇が震える。泣きそうに顔を歪め、ぎゅっと唇を噛み締める。少女はそっと少年の顔を覗き込むと、彼の頬に自分の手を添えた。
「いいぞ」
「え?」
「お前が望むなら、ファテという存在を殺しても」
「でも、僕は……っ」
ファテを殺したくない。存在を失いたくない。そう、この願いは自分だけの望みで、ファテという名のトランプの、片割れだけが望んでいることで。巻き込んではならないのだ、大切な片割れを。
少年は不安げに視線を彷徨わせる。そんな少年に、少女はふわりと微笑んだ。
「知ってるか? お前も私も『ファテ』なんだ」
少女の言葉に、少年は目を丸くする。知らなかったわけではない、今更何を言っているのかという驚き。少年には少女の言葉の真意が理解出来なかった。
「私とお前は二つで一つ。だからこそ、お前の願いは私の願いで、同じことを望み、欲する」
「そ、んな、理論は……」
「成り立たないとは言わせない」
少女の真剣な瞳に、少年は息を呑んだ。胸が震える。目の奥がじんわりと熱くなる。その理由が少年には分からない。
「私だって、本当は探したいんだ。でも、それは神様が望まないことだ。きっと……赦されない」
「うん。だから――」
少年の言葉が不自然に途切れる。彼の唇の前に持ってこられた、人差し指を立てた少女の手が少年の言葉を止めたのだ。
「ああ。そうかもしれない。そう、だって、愛に溢れた無慈悲な神様だから」
そこで少女は笑い、囁くように「でも」と続ける。少年はじっと少女を見つめていた。ふらりと松明の灯りが揺らぐ。
「私達の望む先にあるのがそれなら、仕方ない。神様に逆らうんだ、仕方ないだろう」
そっと浮かべられた少女の微笑みは、少し哀しげで、切なくて。少年は縋るように少女の肩に顔を埋めた。
「ごめん、ファテ。ごめんね」
「馬鹿。私も見つけたいと言っているだろう」
「うん。でも……ごめん」
少年の掠れた声。それを聞いたら少女はどうにも泣きたくなってきて。けれども松明の灯りを見つめて、ぐっと堪えた。そして、少年の肩を掴み、顔を突き合わせる。
「まだ、分からないだろ」
半ば、叫ぶような声だった。相手を無理やりにでも説得しようとするような声音。少女の言葉に、少年は泣きそうな顔で、それでも笑顔で頷いた。
「うん。まだ分からない」
少年と少女は微笑み合う。胸が痛くて、泣きたくて、だけれど少年は、何故かとても温かな安心感を覚えていた。
「探そう。見つけようね」
「ああ、一緒に」
「うん、一緒に」
少年はそっと少女の手を握り、少女もまた、そっと握り返した。松明の灯りは儚くも力強く、希望に満ちているように見える。
「僕、やっぱりファテのこと、好きだなぁ」
どこか切なさを感じさせる声色で、少年は言う。少女は小さく笑い、「多分、私もだ」と応えた。
「……どうしてだろう」
少年はふと呟く。少女は小さく首を傾げ、無言で次の言葉を待った。
「探し物、すごく近くにある気がする」
松明の灯りがゆらゆらと揺らいだ。