幼馴染が泣きついてきたので、警邏隊を呼びました。
ベッドに一人の女性が寝かされている。
その顔色は紙のように白く、頬はこけ、手足は枯れ木のように細い。運ばれてきた時の服は着替えさせたものの、まだ生乾きの髪がその白い頬に流れているのが、何とも痛々しかった。
まだ雨は降り止まない。それどころか、一層激しさを増したようだ。
あと少しでも発見が遅れていたら、この女性は危なかっただろう。
「ん……」
その目蓋がゆっくりと開かれた。青い瞳が露わになる。
「お目覚めですか?」
侍女がそう尋ねると、女性はうろうろと目線を動かし、その唇を開いた。
「こ、ここ、は……」
「エーデルハイム伯爵邸でございます」
淀みなく侍女が答えれば、女性は「あ……」と目を見開く。
そして。
「エリアスを、呼んでくれない……?」
「ですがお身体の方は」
「わたくしなら、大丈夫よ」
だからお願い、と縋られるように見つめられ、根負けしたのか侍女は「承知いたしました」と礼をして、部屋を後にした。
そしてしばらく後、ノックの音が静かに響き、ドアが開かれる。
「ああ、エリアス……!」
感激したように名を呼ばれ、エリアスは僅かに目を見開いた。
「……やあ、ルシア嬢。もう身体は大丈夫なのかい?」
僅かな沈黙の後、エリアスはそう言いながらベッドの傍らにある椅子へ静かに座る。
続けて先程の侍女と新たに執事が室内へ入り、ドアが静かに閉められた。
「ええ、大丈夫よ」
ベッド上の女性……ルシア・グランフォードは上体を起こしながらそう答える。侍女がすかさずティーカップを差し出すと、ルシアは震える手で受け取って、口を付けた。
ほう、と安堵したような息がその唇から零れ、手の震えが多少収まったように見られる。暖かいものを飲んだおかげか、顔の血色も僅かによくなったようだ。
ティーカップをサイドボードに置いたルシアは、静かに口を開く。
「……その、実は」
そのまま彼女はぽつ、ぽつ、と語り出す。
義理の妹を苛めていた、という冤罪を着せられ、婚約を破棄されたこと。
実の父からも見放され、家を追い出されてしまったこと。
話すにつれ、その声は震えを帯び、瞳からは涙が零れ落ちる。
「わたくしが悪いのだと分かっているの……家に……グランフォード家に相応しくないと判断されても、仕方のないことだと」
はらはらと涙を零すルシア。
それをしばらく黙って聞いていたエリアスだったが、静かに口を開いた。
「それはお気の毒に」
その言葉に、ルシアは目を見開いた。
思っていた反応と違う、と言わんばかりに。
だがそのようなことを気にする必要はないとばかりに、エリアスは淡々とした口調で述べた。
「まず、君の生家であるグランフォード家が不正をしている可能性を鑑みて、監察院に連絡を取っておくよ。そして君を保護してもらうよう、教会が運営している庇護院にも連絡をしておこう。警邏隊には通報済みだから、もうすぐ来る筈だ。君の口から先程のことを伝えれば」
「え、ねえ、待って」
弱弱しい声だがハッキリとしたそれに、エリアスは一旦口を閉じた。
「わたくしと貴方は、幼馴染でしょう?」
頬に残る涙もそのままにそう訴えるその姿の、なんと可憐なことか。
何も知らなければ手を差し伸べたくなるだろうが、エリアスの表情は変わらない。
「そうだね」
「それなら……!」
「それなら? これ以上、私に何を望んでいるんだい?」
心底不思議そうな表情をするエリアスに、ルシアは唇を結んだ。
「こうして『一時的』に保護をし、君の窮状を訴える術も用意したじゃないか」
「それは感謝しているわ。でも、わたくし心細くて……」
目を伏せて声を震わせるルシア。
「庇護院には医者もいるから、大丈夫だ」
「そういうことではなくて……」
焦れたような響きに、エリアスは眉を寄せる。
「私は君にとって最適な道を示したつもりなんだけど、不満があるのかな?」
「不満はないけれど……」
もじもじと手元のシーツを弄るルシア。
エリアスは静かに目を細めてみせる。
「ではそれで良いじゃないか。それにしても、おかしいな」
「え?」
怪訝そうな声に構うことなく、言葉を続ける。
「君はグランフォード家から追い出されて、我が家の門の前で倒れていた」
「……ええ、その通りよ」
ルシアはぶるり、と身体を震わせた。
「この雨の中を、よく歩いてこれたね。かなりの距離があるというのに」
「……っ」
びく、と細い肩が跳ね上がる。
「それからここに来る道中に警邏隊の詰所があるけど、何故そちらに頼らなかったの?」
「き、気付かなくて」
「大通りにあるから気付かない筈はないんだけどね。もしかして君は大通りを避けて、此処に来たのかい? 何故わざわざそのようなことを?」
質問を重ねる声音に、重みが混じり始める。
これは詰問だ。
自身の生活へ強制的に混ざろうとした邪魔者への。
「……」
ルシアは押し黙る他はなかった。
血の気が戻ったかと思われた顔色は、また白くなっている。
「虐げられていたのは気の毒だとは思うけれど、君は助けを求める術を沢山学んでいる筈だ。そして、『常識』も」
シーツを握り締める手に力が込められた。
「私には婚約者がいる。幼馴染とはいえ異性を家に長く留めておくなど、『非常識』なことは出来ない」
何故それが分からないのか、と言外に含ませれば、ルシアの手にまた力が込められたのが分かった。
コンコン、と静かなノックが聞こえた。
入室の許可を出せば、ドアが静かに開かれ「失礼いたします」と侍女が頭を下げ、警邏隊の来訪を告げる。
「ああ、お通ししてくれ」
許可を出せば、侍女は頷いて部屋を後にした。
「失礼します」
入って来た警邏隊の面々の中には、女性の姿もあった。
これなら安心だ、とエリアスは思いながら口を開く。
「こちらの方です」
「承知いたしました。あとは我々が保護いたします」
立てますか? と女性の警邏がルシアに優しく声をかけている。ルシアはうろうろと目線を彷徨わせながらも、ベッドから降りた。そこをすかさず女性が肩を貸す。
「よろしくお願いします」
「はい、お任せください」
力強い返事が頼もしい。
そうして警邏隊とルシアが部屋を出て、ドアが静かに閉められたのを確認し、エリアスは静かに息を吐いた。
「片付けを。痕跡も残さないように」
「かしこまりました」
侍女が深々と頭を下げたのに頷いてみせてから、エリアスもまた部屋を後にする。
全く、もうすぐ結婚式を控えているというのに厄介なことだ。
最初にしなければいけないのは、婚約者……アナベル・ヴァルモントへの説明。さらにヴァルモント伯爵への説明もしなければいけないだろう。
それから他家への根回し等々、考えれば考える程に山積みになっていくそれに、エリアスは溜息を吐いた。
(アレは優柔不断なフリをして周りを『悪者』に仕立て上げ、自身を『悲劇のヒロイン』に見せることが上手い)
それに見事に引っかかったのが、グランフォード家の面々だ。
父親が引っかかってしまったのは、領地経営に力を注ぎ家庭を省みなかったせいだろう。
(グランフォード家への対応は監察院が、アレの対応は警邏と庇護院に任せる)
警邏は事情を聞くだけに留まるかもしれないが、庇護院は『そういった女性』の対応には慣れている。引っかかることはないだろう。
(私はアナベルと家を守るために全力を注ぐ)
それだけに集中すれば良い。
エリアスは気を引き締め、長い廊下を静かに歩いていった。
(終)




