異世界転生オブザーバー
ここは、聖ヶ丘市立萌葱高等学校の旧校舎にある「神話研究会」
わたし、神依木みらいは、この変な名前の部活じみた、その実同好会としても認められてないものに所属している。それもこれも幼馴染の陰キャの厨二病の柊樹が、入学以来二年間もわたし以外とロクにコミュニケーションが取れない不甲斐なさと、それをどうとも思っていない究極の鈍感キャラのせいなの。だって、そもそも樹は小学生の頃からホントに変な事ばっかりいって他人を寄せ付けなくて、そのくせなんか妙に自信過剰で自意識も過剰。だから友達もあんまりいなくて、わたしが構ってやらないと一生孤独の淵を彷徨うだけの人生になっちゃうから、仕方なく、しかたなくスポーツ万能で成績優秀で友達も沢山いるわたしがそばにいてあげてるってわけ。
で、神話研究会は何をするところかっていうと、実際何もしていない。いつも樹が他愛もない話題を見つけてきて、それをあーでもないこーでもないと語り合う。ただそれだけ。でも、わたしはそれが案外楽しい。だって、樹ったら本当にそれを楽しそうに、そしてさもそれが偉大な発見であるかのように語るんだもの。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうくらい。普通の高校二年生だったらこうはいかない。だってそうでしょ。地球の内側は空洞になっていて、誰にも知られていない世界が広がってるだとか、古代の遺跡は宇宙人が作ったもので、地球人類も猿を遺伝子改良して奴隷にするために彼らが作ったものなんだーとか、一万二千年前から地球の軌道上に人類を監視するための人工衛星が周回しているんだーとか、鳩は人類を監視するために宇宙人が作ったドローンなんだーとか、わたし以外が聞いたら狂人だとしか思えないし、やっぱり誰も近づかなくなっちゃう。てなわけで、このわたし神依木みらいさんがこの狂人の話を聞いてあげてるのでした。えらい。そんなこんなで、今日も樹の変な話を夕方になるまで聞いてあげるべく、旧校舎の、いまでは使われなくなった古い理科室へと向かうわたしなのでした。
「なあみらい、唐突だけど聞いてくれ」
立て付けの悪くなった旧理科室のドアを閉めるやいなや、樹が口を開いた。だるそうに椅子の背もたれに行儀悪く両手をもたれかけている。全くもって通常営業の樹だ。でも、今日は少し真面目そうな顔をしてる。
「俺、異世界に転生しようと思うんだ」
あ、全然真面目じゃなかった。やっぱりいつもの樹だわ。
「樹… あんたホントに突然何いってんの…?」
そこは普通『異世界に転生したいと思ってる』とかいうところでしょ。なんで出来るのを前提に話しちゃうかな樹は。だから友達できないんだよ〜と、心の中で思いつつも、優しいわたしは樹を傷つけないようにあえて普通に突っ込んであげるのでした。でも、樹はまだ真面目なしかめっ面で続ける。
「みらいが馬鹿にするのも無理ないさ。俺だって最初は信じられなかったよ」
そういって、樹は今日初めてわたしの顔をまっすぐ見つめてきた。
「高木先輩の話を聞くまではね」
高木先輩… 苗字しか知らないけど、でも今の萌葱高校の在校生なら皆が知っている名前だ。だって…
「た、高木先輩って、こないだひき逃げにあったっていうあの高木先輩のこと?」
わたしはひどく説明的なセリフで樹に聞き返してしまった。あの事件はその高木先輩のことなんにも知らなかったわたしだってちょっと衝撃だったから。なんでも、街はずれにある須弥山公園で、どういうわけか夜中にトラックに轢かれて亡くなったって話だった。夜中はともかく公園でトラックだよ? 新聞の記事によればトラックっていうのは遺体の損傷から推定したもので目撃者はいないらしい。
「知ってるか?日本の交通死亡事故の検挙率って九十四%とかなんだぜ。なのに、高木先輩のひき逃げ犯は手がかりの一つも見つからない。みらいにはこれが何故だかわかるか?」
樹が意味ありげな言い回しでわたしに聞いてくる。これはあれだ、なにか知ってる、あるいは知っていることをいいたい時の樹のいつもの言い回しだ。でも、同じ学校の人が亡くなった話だけに、なんだか嫌な予感がした。とりあえず話を合わせておこう。
「そ、そんなのただの運… としか…」
ありきたりな答え。でも、それしか言いようがないから仕方ない。樹はなにをいうつもりなんだろう。だんだん不安になってきた。樹はわたしを見ながら口角をあげる。
「あれはひき逃げ事件なんかじゃない。明確な手引きがあったんだよ」
それを聞いてぽかんとしちゃった。手引きってどういうこと? それじゃまるで殺人事件じゃない。
「いっておくけど、だからと言って高木先輩は誰かに殺されたってわけでもないよ。先輩は自ら望んでトラックに轢かれたんだからね」
そういって樹は椅子から立ち上がった。気のせいかわたしににじり寄ってきている気がする。
「全ては異世界に転生するための『手続き』なんだ」
そこまでを聞いて、これはまずいと思った。だってそうでしょ。なんで樹がそんなこと知ってるの? 百歩譲ってこれが全部冗談だったとしても不謹慎すぎるし、でも樹は少なくとも他人の死を小馬鹿にするようなダメダメ人間ではさすがにない。だったら…
「あのう、なんか聞いちゃいけない系の疑問がどうしても浮かんじゃうんだけどさ…」
わたしは思い切って口にした。
「なんで樹がそんな事にやたら詳しいのかな…?」
そして樹は今日初めての笑顔を浮かべた。楽しいっていうより、ニンマリって感じ。多分他の女子なら気持ち悪がってると思う。
「もちろん、俺が先輩を手引きしたからさ、彼の助力を得てね…」
樹がそういうと、いつの間にか樹の後ろに誰かが立っていた。ハリウッド映画に出てきそうなマフィアが被っているハットと、長いトレンチコートを着込み、マフラーでほとんど顔を隠して目のあたりしか見えない身長百八十センチくらいの、多分男性。どう考えても公立高校にいちゃいけない、一瞬で通報されるタイプの変態紳士だ。
「異世界転生オブザーバー。彼が俺を異世界に導いてくれるんだ」
そういって樹は横目で後ろの男を見た。
いやいや、どう考えても怪しいでしょ。どこの誰かもしれない変態紳士に異世界に導いてもらう?ていうか、さっき樹がいったことが正しいんなら…
「待って!? じゃあ樹も『トラックに轢かれる手続き』をするってこと?」
その言葉を待ってましたとばかりに樹は再びわたしを見る。そして目を閉じたかと思うとこういったの。
「その通り。そして、その手引きをみらいに引き受けて欲しいんだ」
さすがに面食らった。樹が馬鹿なことやあり得ないことをいうのには慣れているつもりだったけど、ちょっとまだわたしの理解が足りなかったみたい。
「じょ、冗談じゃないわよ! わたしに自殺幇助しろっての!?」
いつもは軽く流せるわたしでも今回はそうはいかない。なんの確証もない上に、わたしにも罪がかかっちゃうかもしれない危険極まりない橋を渡って来いと樹はいっている。でも、樹はいつもそうなんだけど自信満々で微塵もこの話を疑ってはいないみたい。その証拠に樹は話を続ける。
「別に自殺するわけじゃないさ、異世界に転生するんだから。さらにいえば、異世界では勇者になるような人材が不足して困っているんだ。むしろこれは人道支援とさえいえる」
なんとか話を変えないと。とりあえず異世界に転生することを前提として話を進めて、それでいて樹が心変わりするようにトークデッキを組んで行こうそうしよう。
「でも、異世界なんて言っても、もっと辛い道が待ってるかもしれないじゃない?」
その刹那、珍しく樹がわたしのセリフに被せるように言葉を発した。
「みらいにはわからないよ」
え? わたしの言葉を遮った? 樹が? 今までこんなことあったっけ?
「みらいは頭もいいし、スポーツも万能だし、友達だって引く手数多だ。でも俺はそのどれも持ち合わせちゃいない。このまま誰の役に立つわけでもなく、単なる社会の歯車として生きるのか、それともここではないとはいえ世界を救う勇者になるチャンスを掴むかと問われれば、俺は喜んで後者を選ぶよ」
樹って、わたしのことそんな風に思ってたの? ひょっとしてコンプレックスを感じていた? わたしが樹のそばにいて憎まれ口叩いていたのを、本当は心底嫌っていたの? 突然の独白を聞いてしまって、わたしはちょっとパニック状態だった。あれ? わたしって樹をずっと傷つけていたの…?
「だからって… 異世界に行っただけで、突然世界を救う勇者になれるわけでもないんじゃない…?」
わたしの声はすっかり元気をなくしていた。樹の前ではいつも明るく可愛いみらいちゃんでいたかったけれど、ちょっとそんな余裕は今はなかったんだ。だけど、樹は次の瞬間には満面の笑みでこう答えた。
「特典があるのさ。『この』異世界転生には」
とく… てん…?
「形式的とはいえ、現世での命という代償を払うんだ。その代わりに望みうる中で最も偉大な力を手に出来る」
樹の顔がみるみるうちに黒い影に覆われていく。ああ、いつもの樹だ。さっきは思わず樹の本音を聞いてしまったような気がして不安でならなかったけど、わたしは樹がこういう闇の笑みを浮かべているのを見るほうが安心する。
「な、なによその… 偉大な力って…?」
樹がさらに楽しそうに微笑む。そして、こういう時の樹は大抵勿体ぶった言い方をしてわたしをはぐらかす。樹のこういうところが友達の出来ない原因で、そしてわたしが樹のそばにいる理由なの。案の定樹は…
「それを明かすことは出来ない。自ら口にすれば力は効力を失ってしまう」
やっぱりね。結局いつもの樹だった。他愛もない噂や都市伝説をわたしにいって聞かせる。そうやって悦に入る。それが柊樹という男なのよ。
あれ? でも、さっき現れた異世界転生オブザーバーは一体誰?もう樹の後ろには誰もいない。いなくなったことに樹も気づいていないのかな?
「みらい、言霊は大切なんだ。そして、いまの話でみらいにも言霊が宿った」
なんか話がまたおかしな方向にいってる気がする。
「異世界転生オブザーバーは、特殊な事例を除いて普通の人間に接触することができない。だから、言霊を乗り継いで、転生する人間を集めているんだ。俺が転生した後、この言霊をどうするかはみらいの自由だ。俺みたいに言霊を誰かに託して異世界に転生してもいいし、そのまま放棄したって構わない」
樹が空を見つめる。表情は見えない。ただ、樹の言葉が本心から出たものだってことはわかる。
「ただ、俺のことは行かせて欲しい。みらいの手で」
今夜九時に須弥山公園で待ってる…
樹はそういった。須弥山公園って、例の高木先輩がひき逃げにあったところじゃない。本気なの樹? でも、あの一瞬現れた異世界転生オブザーバーは夢でも幻でもなかった。わたしにはわかる。あいつは確かにあそこにいたんだ。
その夜、もうすぐ九時になろうかという時に須弥山公園に行くと、ホントに樹が待っていた。わたしはそっと近づいて行ったつもりだったけど、樹には気配を感じ取られちゃったみたい。木陰にいるわたしの方を振り向いて樹はいった。
「やあ、来てくれると信じてたよ、みらい」
正直、本当は行くのやめようかと思った。けど、それでも樹が死んじゃうかと思うとやっぱり無視はできなかった。だから途中から走ってきた。おかげで息が切れていて余計にわかりやすかったんだと思う。
「い、樹、やめよ? やっぱりこんなの変だよ…」
引き止めるための言葉はあんまりいいのが出てこなかった。さすがにこういう時には勉強なんてあんまり役に立たない。
「感謝するよ。これで俺の願いは成就する」
樹は話を聞いてない。いつもそうだ。樹が話すのをわたしが聞く。それがわたしたちの関係性だった。わたしには面白い話を振ることなんて出来ない。
「実をいうと、俺は三つのプランを立てていた」
樹が意味わかんない話をするのが面白かった。そしてそれにツッコミを入れるのが楽しかった。
「一つ目はみらいが来ないパターン。これは結構可能性高いと思ってたけどそうはならなかった」
樹の話は意味がわからないしオチもないことが殆どだけど、それでもそれを嬉々として語る樹の顔は輝いてた。わたし以外誰も知らない樹のいいところ。
「二つ目はみらいが来てくれて俺を送り出してくれる。まあ、今回はこれな訳だけど、実はさらなるパターンを模索していた」
樹は誰にも理解されてくても自分を曲げようとしなかった。わたしはそれを理解していたつもりだったけど、まさかこんな…
「そして最後は」
わたしは樹に死んで欲しくはない。だから止めるためにここに来たんだけど、樹のことをどうやって止めればいいかなにも思いつかない。だって、樹は信じる心だけは他の誰にも負けない強さがある。わたしの言葉でもきっと樹の心は変えられない。どうすれば…
「みらいと一緒に異世界に行く」
…えっ
いまなんていったの?
「俺はこの与えられた偉大な力で、必ず異世界を救ってみせる。転生の輪廻が途切れても構わない。俺は、異世界でもみらいと一緒にいたいと思ってるんだ」
樹の顔は今までに見たことないくらい本気だった。世界の陰謀を語るときよりも、宇宙の真実を話すときよりも、全てを呪う言葉を発するときよりも、ずっとずっと真剣な顔をしていた。これが、本当の本気の樹の顔つきなんだ。
「みらい、俺と一緒に異世界に…」
その次の瞬間、目の前を大きな影が横切ったかと思うと、樹の体は耳を塞ぎたくなるような破壊音とともに吹き飛ばされていた。トラック? ちょっとよくわからなかった。とにかく直方体の何かが音も立てずに近づいてきて、樹を『轢いた』
宙を舞った樹の体がドサッと音を立てて落下したのを聞いてわたしは我に帰った。そして音のした方を見るとそこには当然樹が横たわっていた。慌てて走り寄って樹の名前を叫びながら体を揺すってみたけれど、もう樹は息をしていなかった。
「ご心配には及びません。彼の魂は確かにギムレーへと送り届けられました」
人のものとも獣のものともしれない声がした方を振り向くと、昼間神話研究会の部室にいた異世界転生オブザーバーが姿を現した。トラックのように見えた物体が煙のように姿を消し、トレンチコートの男に変身したのをわたしはこの目でしっかりと見た。
ギムレー? ギムレーですって? あそこは死後の人間が神々と永遠に幸せに暮らすための広間。世界を救う勇者が行くところでは決してない。
「ギムレー? 樹はどう考えてもヴァルハラに行きたがっていたみたいだけど?」
わたしは冷静に言葉を返す。
「彼には戦士の素養はない」
異世界転生オブザーバーがわたしに近づいてくる。
「それは、世界樹のもとで運命の糸を紡ぐ女神の一柱であり、未来を司る黄昏のヴァルキューレである貴女様が一番ご存知でしょう」
そう。この男は異世界転生オブザーバーなどではない。世界樹ユグドラシルの上にとまり、ラグナロクが来たときにその到来を神々に告げ、ヴァルハラの英雄たちを目覚めさせる役割を担う鶏だ。
「グリンカンピ… わたしに辿り着くまでに、どれだけの言霊を乗り継いで、いったい何人の人間を犠牲にしてきたの?」
わたしの怒りを滲ませた声を聞いてグリンカンピは少し怯んだようで、被っていたハットをさらに深くして目を合わせないようにしている。
「犠牲などではありません。ギムレーは全てが叶う場所。その少年も己が望む『人生』を享受できるでしょう。それに、私が『転生』させた人間の中にも、戦士として正式にヴァルハラに迎え入れられた者がおりました。黄昏の時を告げるただの鶏でしかない私にしては上出来です」
そういうと、グリンカンピはハットを取り、わたしを見つめて続けた。
「ですが、私にも私の務めがあります故。ほんのひと時、人の運命に触れただけではありますが、わかった気がいたします。貴女様がなぜこの人間界に身を窶したのか…」
潮時だった。わたしは、人があまりにその勇を忘れてしまったことを憂いでいた。わたしには未来が見える。いずれ必ずやってくる最終戦争ラグナロク。あれに立ち向かうためには数少ない神々だけでは到底太刀打ちできない。人はあの死と滅びの運命に抗うことの出来る数少ない存在だ。予言による運命に縛られてしまう神々とは違い、人には自由がある。だからこそ、わたしは人に可能性を見出しヴァルハラへと導いていた。だが、人間は時に愚かで救いようがないことをする。戦いならヴァルハラに来てからいくらでも出来るというのに、現世ですら戦うことをやめない。しかも同じ人間相手にだ。わたしはその理由が知りたかった。
「この鶏は思うのです。だからこそこのお役目は、本来託された貴女様がなさるべきであると…」
この人間、神依木みらいとしての姿を捨てる時がきた。本来の未来を司る神、そして黄昏の戦乙女としての姿に戻るのだ。
「グリンカンピ。黄昏の日はもう近いの?」
神としての姿に戻り、畳んでいた羽を広げる。翼には自由が戻ったというのに、わたし自身は自由を失ってしまった気分だ。
「はい。とはいえ、人間たちからすればまだまだ遠い『未来』の話ですが…」
わたしは横たわっている樹を見下ろす。彼はギムレーで偽りの英雄譚にその身を投じているのだろうか。ギムレーは訪れたものの願いに応えていかようにも姿を変える。樹がその虚像に気がつくことはないだろう。わたしはある意味安心し、そして哀れんでいた。
「樹はいい人だったわ。でも確かに戦士ではなかった。運命の糸を編む女神であるわたしであっても、人間界では己の未来を見通すことすら出来ない」
帰るべき場所へと帰る時がきた。わたしは自らの輝く翼を羽ばたかせて空へと舞う。
「黄昏が全ての終わりをもたらすという巫女ヴォルヴァの予言も、案外移ろいやすい物なのかもしれないわね」
久しぶりに飛ぶ空は、暗く淀んでいる。現世での未来視のように。
「そのようなお話、この鶏めには難しゅうございます」
いつかきっとラグナロクは訪れる。そのためにわたしは再び戦士を集めなければならない。グリンカンピがやったように、時代に合わせてその方法を変えてみるのもいいかもしれない。
異世界転生オブザーバー。
悪くない。




