3話 多喜さんと仲間たち(三人揃って全員ポンコツ)
一睡もできぬまま夜が明けた。翌朝も鉛色の雲が空を覆っていた。
朝を迎えた二人は、身も心もボロボロだった。
「マスターさん。あんな強風が吹くって知ってたら、火起こしなんかしなかったのに」
バンダナは火おこしで痛めた手に息を吹きかけ、恨めしそうに言った。そう言いつつ、残りのお茶を分けてくれた。
「ありがとう、大事に飲む」
「歩けそうですか?」
バンダナが右頬を押さえて立ち上がる。
「なんとか……」
慣れない革靴で擦りむけた足を引きずり、朦朧とした視界でバンダナを追う。
黙々と歩く二人。痩せ型のバンダナは痛む虫歯に加え、欠食が続き、体力の限界を迎えていた。
先にバンダナが座り込む。
次いで山田多喜が膝から崩れ落ち、二人して大の字に倒れこんだ。
死ぬ、という考えすら浮かばない。一瞬で気絶する。
どのくらい倒れていたのだろう。
寝ていたのだろうか、まどろみの中で呼ぶ声がする。
「ぉーい! おーい!」
はっと目が覚めると、元気な声が耳元に響く。
頭上に日焼けした筋肉質の男が浮かんだ。白さが輝くタンクトップが眩しかった。
「あっ! 気づいた! 良かったあ」
場違いなほど、明るく響く声だった。バンダナも上半身を起こしている。
「今さっき! トレーニング前にジムのトイレでポージングしてたら、鏡の中に引っ張られてさっ!」
どこかで聞いた話だった。
「……やっぱり、流行ってんすね」
バンダナが掠れた声で言った。青白い顔をしている。
バンダナは、ろくに食べず飲まず眠れずで二人とも死にかけていることを、かろうじて伝えた。
タンクトップの顔が曇る。
「プロテインしかないけど」
リュックの中からシェーカーを出す。濃厚な液体がトプンと音を立てた。
「こっちがトレーニング後」
もう一つ出てきた。
水はなかった。
どろりとした液体がペットボトルに注がれる。口をつけて上に向けると、ゆっくりとプロテインが口の中に流れ込んできた。
バニラの重く甘い味が干からびた舌にまとわりつき、喉にへばりつく。
多喜は思わず顔をしかめた。
「うげぇ……ごぼっごぼっ!」
バンダナは呻き、次いでむせた。
感謝をしつつも重い液体を必死に飲み込む。食道から降りて行かない気がした。
「ダメダメッ! ゆっくり飲まなきゃ! 消化に良くないよッ!」
バンダナに話しかけるタンクトップ。
多喜は心の中でつっこみを入れた。そこじゃない。
甘いバニラの不快感がいつまでも喉もとに残った。
その一方で、栄養が取れた体はかすかに元気を取り戻していた。
バンダナも少しは眠れたようだ。ゆっくりとプロテインを飲み、顔に生気を取り戻しつつあった。
「……こちらは、マスターさん」
座ったままバンダナは声を絞り出すように山田多喜を紹介した。
「あっ……この人はバンダナくん」
朦朧とした頭で話を合わせる。本名を名乗る気力もなかった。
流れを察したタンクトップは言った。
「じゃあ俺のことは、マッチョで良いぜ!」
笑った顔に白い歯がこぼれる。
——それしかないだろう。
ジムの場所を聞くと、バンダナと同じ路線の西の駅だった。
「なるほど、遭難みたいなもの?」
経緯を説明するとマッチョは言った。
「そしてあの山の麓に向かうと」
「それしかないだろうなあ、ここにいても」
つぶやくマッチョ。
「……もしかしたら、こっちでも鏡を見れば……元の世界に帰れるんじゃないかって、思うんすよ」
バンダナが言った。
「……鏡があればな」
見渡す限りの荒野がその可能性を閉ざしているように感じた。
「困ったなあ」
マッチョが頭をかいて言った。
「来月、大会なんだよなあ、今が追い込み仕上げの時期で、トレーニングできないと困る。ジムの生徒も俺を待ってるし」
ポージングしてみせる。
「こっちも大学院で、……論文の締め切りが来月いっぱいなんすよ」
バンダナが口を挟んだ。
「こんなことに巻き込まれて、帰れなかったら……」
二人は、多喜を見た。
「……なんで俺を見る?」
「なんとなく」
「俺のせいじゃない!」
なぜか慌てて否定してしまう。
多喜が立ち上がると、マッチョも立ち上がった。マッチョは思いのほか小さかった。多喜の胸の辺りまでしかない。百五十センチ前半くらいだろう。筋肉の迫力で大きく見えていたらしい。白いタンクトップと黒の短パン姿だった。
マッチョを先頭にバンダナ、そして多喜が続く。しかし多喜はすぐに遅れる。
プロテインで補給しつつ休みながら、二時間ほど歩いた。
斜面を登り切った先で、立ち止まっていた二人に多喜は追いついた。
二人は前方を横切る、幅の広い浅い谷を見ていた。
水が流れていた跡がある。
——川? この先に水があるかもしれない。
三人の目が輝いた。
三人は枯れた川の上流を目指して土手に沿って歩いていく。
しばらく歩くと土手から壊れた納屋のような建物が見えた。
その先に道がある。
三人は視線を交わし、道へと足を踏み入れた。
低く垂れ込めた雲が雷鳴を轟かせる中、次第に集落のような建物が見えてくる。
高い木が目立ち始めるが、そのすべてが枯れ木だった。
「……村?」
「人、いるかな……」
壊れた柵。荒れ果てた畑。焼け落ちた民家。視界に映る全てが灰色と茶色に褪せており、遠くから獣の咆哮が聞こえた。
三人は思わず立ち止まった。
——いつゾンビが土の中から這い出してきてもおかしくない。
バンダナがしがみついてくる。
「怖い……マジで怖いんですけど……」
マッチョの方に行けと思ったが、体格差的に無理そうだった。
「で、出たあ!」
バンダナがしゃがみ込んだ。
木陰から杖をつきボロ布をまとった老婆が、よろよろと現れた。そして白く輝くタンクトップを着たマッチョに手を伸ばし、何かを訴えながらしがみついた。
「ちょ、ちょっと……洗ったばかりなのに……」
老婆は、何かを小声で訴えているが、明らかに異国の言葉だった。白いタンクトップが老婆の手で薄茶色に汚れていく。
バンダナはこわごわ周囲を見渡していたが、視界に入るのは痩せこけた老人ばかりだった。
「はぁ……」
バンダナがあからさまにため息をつき、隠れるように多喜の後ろに一歩下がった。
皆が一様に手を組み、必死に祈るような眼差しで何かを訴えていた。
三人は戸惑ったように互いの反応を見比べた。
人がいた——しかし安堵とは程遠かった。村人の必死な様子に、不安が強くなる。
程なくして、頭を剃った神官風の若者が現れた。元は白かったであろうローブは、灰色と茶色で汚れていた。
その若い神官は村人を制し、三人に向かって頭を下げた。そしてついて来いと手招きをする。
「……どうする?」
マッチョが二人を見た。
「行くしか……ないよな」
多喜はうなずいた。
黒く枯れた枝が、渦巻く真紅と濃紺の雲へ向かって伸びていた。遠くから不穏な咆哮が響く。生ぬるい風に枯れたススキが揺れる。
小高い丘の上に、神殿はあった。
道中、その若い神官が何かを必死に訴えていた。
しかし、それどころではなかった。不安と空腹、喉の渇きで歩くのもやっとだった。
太い柱が立ち並ぶ神殿の奥に祭壇があった。
祭壇の上には何かを守るようにビロード風の分厚い布がかけられている。
その隣には四本ツノの頭蓋骨が置かれていた。
昨日見たものより一回りは大きい。
頭蓋骨の額には、赤い字で文字のようなものが描かれていた。
その祭壇の前で、三人に食事のようなものが提供された。
木のコップには灰色の泥水のような液体が入っている。木椀には薄い茶色のスープのようなものが、かすかに湯気を立てていた。
生ぬるい風がその空間を吹き抜け、松明の炎をゆらした。
三人は車座になって座り、おそるおそる食事のようなものを眺める。
喉の渇きはひどかったが、誰も手をつけようとしなかった。
「バンダナくん? 味見してみて」
「無理っす。見た目が……」
ヒソヒソ声で返すバンダナ。
確かに、食欲をそそる見た目ではなかった。
多喜は同意して、じっとマッチョを見る。
村人が祈るような目で見ている。
「無理……成分がわかんないもの、体に入れられない……」
マッチョが小声で言った。
「ダメだ、俺たち……」
多喜が呟いたその時、、入り口方面で興奮した声が幾度も上がった。
何事かと入り口を見る三人。
集まった村人の中心に、逆光の中、背の高い男が立っていた。
まるで後光が差すように光り輝いて見えた。
神殿の空気が、明らかに変わった。
三人は顔を見合わせた。




