28 話 最後の試練(老婆と子ども)
多喜は暗闇の中にいた。
ぺぺちゃんの気配は感じない。
吸い込まれる時、確かにぺぺちゃんが傍らにいた。
「ぺぺたん?」
「キャハハ! また遊ぼうよ!」
子どもの声が響く。
「かっこいいでしょ! バアサンが呼んだドラゴンだよ!」
子どもがキラキラした目で叫んだ。
「そんな暇はない! あのドラゴン何とかしろ!!」
多喜が叫んだ。
「もうバアサン、怒り狂ってるからどうしようもないよ!」
その目は一転冷酷そのものに変化する。
「だから、もう遊ぶしかないよ!」
「お前とは、もう遊ばない!」
多喜はきっぱりと言った。
「ぺぺちゃんはどこにやった?」
「えぇ? 遊んでくれないと教えないよ!」
「もういい! ここから出せ! お前とはもう”約束”はしない!」
「残念でした!この術はバアサンのだもんね!」
子どもは舌を出してあざけるように笑う。
多喜はため息をついて、目を閉じた。
その場に胡座をかいて座り込む。
「お前なあ、こんなところにいて幸せか?」
「タキさんよりかはね」
多喜は首を振った。
——こいつは、何にも変わらない。
何を話しても無駄だ。
だが、
「俺はなあ……」
多喜が静かに言った。
「この世界に連れて来られて感謝してる」
家族に愛されず、街を歩けば死にそうな目に遭う。
友人もいない、年に数度は鳥の糞が落ちてくる。
「バンダナ、マッチョ、ぺぺちゃん、ピレさん」
多喜が一人ずつ名前を呼び上げる。
「こんな俺でも『仲間』だと言ってくれた。」
「かけがえのない仲間だ」
多喜の目が優しく細まる。
「それだけで、この旅には意味があった」
「感謝ねえ?」
子どもが、目を細めて疑う顔をする。
「お前は、俺と一緒だ」
多喜が子どもを見つめた。
この世界に来て、ありえないような試練にさんざん襲われてきた。
だけど、今まで成長してこれなかった——
誰かに助けられ、なんとなくやりすごしてきただけだ。
今までの人生のように。
——そうか……
「お前は俺と同じなんだ」
全く成長しないまま、永遠に不幸を集める子ども。
全く成長しないまま、不幸を積み上げて行く自分。
「おんなじだ」
目を開けて、子どもを見つめながら言った。
「このままでいいの? みんなドラゴンに殺されちゃうよ」
子どもの顔が曇った。
「だって、怒り狂って殺しに来たんだろ?」
多喜は小さく笑った。
「あんなん、どうしようもない、天災だと思うしかない」
多喜の目には恐怖も怯えもなかった。
「仲間が死んじゃうよ? いいの?」
「こんな自分にも……」
多喜が静かに言った。
「人生の最後に、かけがえのない仲間ができた」
「お前には、いるか?」
多喜が子どもを見つめる。
「いたことがあるか?」
子どもの顔が、凍りついた。
永遠の時を鏡の中で過ごしても、この子どもには一度も「仲間」がいなかったのだ。
「バアサン! どうしよう! チカラ取れないよ!」
子どもは初めて、本当の孤独を知った。
多喜の「感謝」という光が、
子どもの「不幸を笑う闇」を打ち消していく。
「バアサン!! 助けて!!」
子どもの顔が歪んだ。その悲鳴は、鏡の闇の奥底へと吸い込まれていった。
一方、その闇の向こうでは——
『マスター! どこにいるの?』
ぺぺちゃんも、暗闇の中にいた。
『キヒヒヒヒ、小娘、久しいのお……』
老婆の姿が朧げに浮かぶ。
『また、呪ってやろうかえ?』
老婆の手がぺぺちゃんの両腕を掴む。
掴まれた両腕が黒く痣となり、
みるみる広がっていく。
「バンダナ……」
いや、
「タキジ」
恐怖に打ちひしがれながらも、ぺぺちゃんは想い人の顔を思い浮かべる。
私の直感は、正しかった。
あなただったら、こんな老婆に、もう呪われることはない。
『タキジ……あなたから、たくさん勇気をもらった』
ぺぺちゃんは、老婆を正面から見据えた。
——最初、槍を持つあなたは頼りなく見えた……
また若人があの四本ツノの獣に殺されてしまう。
だけど、あなたは槍を必死に繰り出して——
あの獣を倒した。
あの夜
神殿の奥の扉から戦うあなたを見ていた。
勇気をもらった。
今度は、私の番!
『私があなたを救う!』
ぺぺちゃんは胸元のペンダントを握りしめると聖典の言霊を唱え始める。
『……ルーメン・イン・テネブリス……』
唱えながらも、その胸には多喜二への思いが詰まっていた。
多喜二が教えてくれた。
仲間がいれば、あの獣もグリフォンも倒せる。
村のみんなは、私も含めて、今まで、怯えてばかりで逃げて隠れるだけ。
教えてもらった祈りの言葉をただ紡いでいただけだった。
それだけでは足りなかった。
何度、駄目かと思ったか知れないこの旅を思い出す。
私は一人じゃない。
神殿も村も、そしてタキジも——
みんなが私を信じてくれている。
ぺぺちゃんの胸に、温かな光が灯る。
それは父から受け継いだ聖職者の血。
母から学んだ祈りの言葉。
祖母から、貰った魔除けのペンダント。
そして、タキジから貰った勇気——
ぺぺちゃんの体の内側から光が湧き起こる。
『キエエエエ!!』
その光はぺぺちゃんに刻まれた呪いの影を薄くしていった。
生まれつき持っている従兄弟のピレと違って、私には魔力がないと思っていた。
しかし、その光は闇を祓っていく。
私に足りなかったものは、勇気と自分を信じる心だった。
その時、子どもの悲痛な叫びが耳に届いた。
暗闇をぺぺちゃんの光がかき消していく。
その先に人影が浮かんだ。
「ぺぺたん!」
「マスタア!」
二人は目を合わせた。
信頼、絆、仲間。
その目はまっすぐに互いを捉えていた。
そして、その光の中からたくましい腕が姿を現した。
*
ドラゴンの頭が、神殿の奥に迫っていた。
鼻息と強烈な硫黄の匂いが濃くなって来ている。
巨獣の体熱が神殿内の温度を一気に上げた。
大粒の汗をかいた多喜二と多喜彦、ピレさんが視線を交わす。
ピレさんが別の柱の影で詠唱を始める。
「くそだらあ!! こっちだ!!!」
その声に反応したドラゴンの顔がそちらに向く。
多喜彦が、多喜のメイスを振りかぶり柱から躍り出る。
「マスターの分だ! 喰らえ!」
渾身の力でメイスをドラゴンの顔に向かって投げつけた。
ガン!
ドラゴンの眉間に当たり、鱗が凹む。
そこにピレさんの閃光が走る。
ドドーン!!
炎と煙が広がった。
ドラゴンは叫びを上げると、頭を起こした。
勢いのままに頭が神殿の高い天井に当たり、轟音とともに柱、石屋根が崩れ落ちる。
それは、神殿の崩壊の予兆だった。
石屋根が床に落ち、轟音と共に埃が舞う。
それは豪雨によってたちまちのうちにかき消された。
暴風と強い雨が横殴りに神殿内を駆け巡る。
「今度こそ、終わりか……」
多喜二の目に倒れてくる柱がスローモーションのように見えていた。
「ぺぺちゃん……」
多喜二は目を見開き、最後の瞬間をぺぺちゃんとの思い出を焼き付けようとした。
ドラゴンは、その岩のような腕と体で石屋根を吹き飛ばし立ち上がった。
「危ねえ!!」
多喜二が死を覚悟したその時、強い力で横から突き飛ばされた。
多喜彦がタックルしたまま二人は倒れた柱から間一髪逃げ延びる。
しかし、再び柱が崩れ二人を襲う。
神官がいる祭壇はつっかえの役目をはたし、倒れた柱との間に隙間ができていた。
「うわあああ!!」
そこに多喜彦は多喜二の体を抱き上げると滑り込むように身を寄せる。
すでに、槍も斧も手から離れていた。
災害級の災厄に人の身ではなすすべがなかった。
ドラゴンは咆哮を上げ、神殿を破壊していく。
「ピレさん!!」
多喜二が叫ぶが、豪雨と豪風にかき消された。
ピレさんの姿はすでに確認できない。
落雷の光と轟音が三人を襲った。
稲光がドラゴンの体を白黒に染め上げる。
「鏡! 鏡の中に逃げ込める?」
多喜二は神官が胸に抱く鏡を指差す。
多喜二と神官は目が合った。
ドォン!!!
落雷が三人の耳をつんざき、聴覚を狂わせる。
神官が震える手で布を取った時——
祭壇上に倒れていた柱がミシミシと音を立てて砕け、三人の頭上に落ちかかった。
それに気付いた多喜彦が二人を突き飛ばし——
その衝撃で、神官の手から離れた鏡が滑り落ちた。
「あっ……」
多喜二の目が、宙を舞う鏡を捉える。
パリン……
乾いた音が、轟音の中に虚しく響いた。
「嘘だろ……」
多喜彦の声が震える。
帰還の希望が——
文字通り粉々になった。
多喜二は、呆然と割れた鏡を見つめた。
——もう帰れない……
ドラゴンの咆哮が、再び響く。
神殿の崩壊は、止まらない。
絶望が二人を包み込んだ。




