26 話 四人の絆(仲間がいた、ただそれだけで……)
陽が傾く頃、砂に埋もれた集落が見えてきた。
やがて雨雲が湧き立ち、荒涼とした大地に恵みの雨をもたらそうとしていた。
ぽつぽつと雨が降り始めた頃、一行は馬車ごと廃屋に身を寄せた。
日干し煉瓦と木で作られたその廃屋はところどころ雨漏りはしたが、濡れずに一晩は過ごせそうだった。
焚き火がぱちっと爆ぜる。
火にくべられたグリフォンの肉が焼ける匂いが漂う。
「明日には、村にはつきそうですね」
多喜二の隣にはぺぺちゃんが寄り添っていた。
「アシタ、ムラ、カガミ、シンデン……」
ぺぺちゃんは、スミレがいなくなってからも、多喜二から日本語を教わっていた。
「マスタア、ダイジョブ?」
二人は、多喜を見る。
「マスター、グリフォンの肉焼けましたよ?」
「……ありがと」
肉が刺さった矢を受け取る。
三人の優しさが身に沁みた。
こんな風に優しくされたのは、いつ以来だったか。
記憶の底を辿っても、面倒くさそうな母親の顔しか浮かんでこなかった。
父親は、小学生の頃に東京に職を求めに行ったきり音信不通になっていた。
「まずい……」
硬く臭い肉を噛みちぎる。
「マスター、まずいからってそんな泣かなくても……」
鼻水の塩気が混じった肉は、温かくそれでいて哀しい味がした。
「スミレさんがいても、ここじゃ、どうにもならんか……」
顔をしかめて多喜彦も、肉を頬張った。
「三人で、スミレさんに会いに行って美味しいもの作ってもらいましょう」
「……ぺぺたんも来られればいいな」
その多喜の声に多喜二は、ぺぺちゃんの横顔を見た。
その顔は憂いに沈んでいる。彫りの深いくっきりとした顔立ちが焚き火の炎にゆらぐ。
「……」
こちらの人間が、鏡を通して東京に来られるかは分からない。
ぺぺちゃんにあった右上腕の痣。
少なくとも一度は鏡で老婆に呪われている。
多喜二は、強い恐怖心を示したあの丘でのぺぺちゃんの表情を思い出していた。
あの祠の鏡。
呪いは解けたが「追い払っただけの老婆」がまたいつ復活しないとは限らない。
「ぺぺちゃんが鏡を見た時——たとえ、ギリシャマッチョマンが出てきたとしても、果たして東京に連れてきてくれるだろうか?」
その言葉は口に出ることなく、多喜二は飲み込んだ。
もし二人で鏡を見たら、一緒に連れ帰ってくれる?
「なんか、暗いぞ!」
多喜彦が力こぶを作る。
「また三人揃った! 三人だったら四本ツノだろうが、ドラゴンだろうが、クソキモババアだろうが打ち勝てる!」
「そうっすね」
多喜二が遠い目をした。
「この三人。日本だったら絶対出会わなかったはずなのに……」
「なんか、かけがえのない仲間ができたような気がします」
「マスター? 覚えてます? 多喜彦さんのプロテイン」
「……あれは……なんの罰ゲームかと思った」
「あんなねえドロドロ。喉カピカピで飲めるもんじゃないっすよ」
「ゆっくり飲んでも変わんないっつうの」
多喜が思わずツッコミを入れ、かすかに笑った。
「多喜二くんだって『出たーっ』て、ババアばっかりで、しょげてた癖に」
多喜彦が村に踏み入れた時のことを突っ込む。
多喜二が苦笑する。
「祠の前での猟奇殺人現場も、ヤバかったっす」
「スミレさんが鏡を割った時のきっかけも、俺もどうなるか興味あったしな」
笑い声が、廃屋に響く。
「……」
だが、多喜の顔が急に曇った。
「……割れた鏡の破片。実は一つ……俺、盗んで、隠してた」
ためらいながらも、多喜は口を開く。
老婆が夢に出てきて、割れた鏡を持ってくるように言われたこと。
チカラをくれると言ったこと。
それを、ずっと隠していた罪悪感と後悔があったこと。
鏡の破片が足りなくなって、老婆がいつでも呪えると言ったこと。
子どもを笑わせた時に、老婆はすぐに復活するかもと言っていたこと。
「……」
雨が天井を叩く音だけが響く。
「……マスターらしいっすね」
多喜二は、焚き火の火を見つめながら小さく笑った。
「マスター、よく話してくれた!」
「そうっすね。でもその鏡の破片がなかったら、老婆に会えなかった……」
「そうなりゃ、呪いは解けずに、みんなあのグリフォンに食われてた」
「マスターが帰る時に子どもが出てきた理由は、きっとその罪悪感と後悔が引き金だったんすよ」
「……」
「結果良ければ、全て良しだな」
「……」
二人の優しさが身に沁みる。
雨はまだ降り続いていた。
どこからか雨漏りが滴る音が聞こえる。
焚き火が小さく爆ぜた。
「あの子どもの絵、もう一つあるんです……」
多喜二が口を開く。
疫病だろうか、病に苦しむ人々と亡くなった人々の山。
うなだれている子どもと手を差し伸べる老婆……
「……そうか、あいつも元々は被害者で、老婆に救われたのかもしれないな」
「でも、歪んでしまった。同情はできるけど、悪魔は悪魔だ」
「明日、全員で鏡を見るぞ!」
「でも、またあのクソキモババアが出てくるかも……」
「まあ、帰るためには鏡は見ないと……三人だったら何とかなりますよ」
多喜二が、多喜の不安に応えるが、楽観的な言葉とは裏腹に表情は物憂げだった。
「三人いれば大丈夫!」
多喜彦が力強く締めた。
食事を終えると、毛布をかぶり横になる一行。
雨は小降りになっていた。
——本当に、今度こそ帰れる?
また子どもが出てきて騙すんじゃないか?
今度こそ、俺一人だけ取り残される?
そうしたら、俺は……
多喜二も眠れなかった。
——ぺぺちゃんを、置いていけるのか?
ぺぺちゃんの横顔をちらりと見る。
東京の雑踏に、その顔が浮かぶのを想像した瞬間、胸が締め付けられた。
だいたい、ギリシャマッチョマンはぺぺちゃんも連れてきてくれるかは分からない。
ため息をつく。
……もう今年度の論文提出は諦めた。
大学に残れるかは分からないが、やるだけやってみよう。
その横で寝返りを打つ多喜彦もまた思索に沈んでいた。
——ジムは、どうなってる?
あれから何日たった?
ジムはもうどうしようもない。
覚悟は決めた。
だが、大会には間に合いたい。
明日、帰れれば何とかなるだろうか……
ぺぺちゃんは胸元のペンダントを握りしめていた。
——バンダナ……
異界からの救世主の伝説……本当だった……
あなたは私の呪いを解いてくれた……
呪われた右腕……もう弓も放てる。
でも、あなたは帰ってしまう……
私は、神殿を、みんなを捨ててあなたと一緒に行けない……
夜は更けていくが、眠れぬ夜は過ぎていく。
多喜は、寝返りをうつ。
——形而上学的には、偶然など存在しない。
カラスの糞も鏡に映った老婆もバンダナとマッチョに出会ったことも、全てに原因がある。
なら、俺がここにいる理由は?
それは——
「お前は一人じゃない」
そう言ってくれる仲間がいるから。
俺はここに存在できる。
多喜の口元にかすかな笑みが浮かんだ。
——明日、鏡を見よう。三人で。
どんな結果になろうとも、俺たちなら受け入れられるはずだ。
焚き火の最後の火が、静かに消えた。
だが、三人の内の火は、まだ熱く燃えていた。




