20 話 三人の多喜さんと絶望の神殿(結局騙されました)
最後の登りを終えると、広場に出た。
山田多喜は、荒い息を整えながら神殿を見上げた。
村の神殿を二倍にした巨大な建造物。
広場には石畳が敷かれている。
——やっと着いた……
だが、その安堵は一瞬で消えた。
神殿の前に、巨大な影が立ち塞がっていた。
グリフォン……
前に戦ったグリフォンの、二倍の大きさはある。
圧倒的な存在感。
多喜は瞬間的に悟った。
——こいつを倒さなきゃ、神殿に入れない。
そして、最初から「力を与える」なんて嘘だったんだ!
胸の奥で、何かが崩れた。
リュックの底の破片が、重く感じる。
——騙された。完全に、騙されていた。
あの老婆の笑い声が、耳の奥で反響する。
『けけけけ……』
怒りと絶望が、入り混じる。
——俺は、何をしてしまったんだ……
「ギャース!!!」
咆哮が衝撃波となり、石畳が軋み森の木々が揺らいだ。
「ひいっ!」
スミレが小さく悲鳴を上げた。
お玉が小さくなると同時に、腰が抜けたように座り込む。
その顔は、恐怖に青ざめる。
多喜彦と多喜二も息を飲む。
武器を構える手は、震えている。
その迫力は、四本ツノの比ではなかった。
ちっぽけな人間なんて、その足で踏み潰されるか、その嘴で一飲みにされてしまいそうだった。
まるで巨人に立ち向かうような——絶望的な状況だった。
しかし、ぺぺちゃんとピレさんは違った。
ピレさんは杖を構え、目を閉じる。
その口から、呪文のような言葉が紡ぎ出される。
杖の先が赤く光り、徐々に膨張する。
ぺぺちゃんも、静かに矢を番えた。
二人の呼吸が、ぴたりと重なった。
グリフォンが翼を広げ、石畳を蹴った瞬間——
その鼻先に、ピレさんの閃光が走った。
ドォーン!!
爆発だった。
衝撃波が起こり、顔面が炎に包まれる。
そこに、ぺぺちゃんの矢が飛び、顔に突き立った。
怒り狂った咆哮。
羽ばたきの旋風が、六人を襲う。
経験したことのない風圧。
軽いぺぺちゃんの体が、宙を舞った。
吹き飛ばされたぺぺちゃんに、多喜二が駆け寄る。
砂埃が、視界を奪った。
その瞬間、多喜の脳裏に考えが閃いた。
——今なら、神殿に入れるかもしれない!
——鏡があるはずだ。
あの老婆を、直接——
「出てこーい! クソババア!」
多喜はメイスを握り締め、駆け出した。
みんなを裏切った自分に、できることは——
せめて、あの老婆と直接対決することだけだ。
砂埃が収まり、視界が開ける。
叫びながら神殿に向かう多喜の目の前に、グリフォンの足があった。
「ヒッ?」
上から見下ろすグリフォンと、目が合う。
「ぶべッ!」
前脚ではたかれ、吹き飛ばされる多喜。
石畳の上を跳ね飛んで転がる。
左肩に激痛が走り、メイスは後方に吹き飛んだ。
「うわあ!!」
左腕が動かせなかった。指先にも力が入らない。
膝立ちになって、左腕を押さえる。
傷だらけになった顔、破れたスーツ。
靴は片方が脱げている。
リュックが弾け、
鏡の破片が、転がり出た。
破片を右手で掴んだ瞬間——
鏡の破片から、黒い影が湧き立った。
影は、多喜を包み込む。
同時に、グリフォンの大きく開けた嘴が迫る。
——食われる!
だが、次の瞬間、視界が暗転した。
グリフォンの嘴が、空を噛んだ。
そこに、多喜の姿はなかった。
鏡の世界に、引きずり込まれたのだ。
一瞬の出来事だった。
「うそだろ……」
多喜彦が掠れた声を出す。
「マスター!!」
多喜二が叫ぶ。
「く、……喰われた?」
絶望が一行を包み込んだ。
胸が締め付けられる。
——冷たく当たってばかりだった。
——疑ってばかりだった。
もっと、優しくすれば良かった。
後悔が、多喜二の胸を突き刺した。
巨獣の目が、次の獲物を捉えた。
絶望だった。
——四本ツノ戦でも、先のグリフォン戦でも勝機を作ったのは……マスターだった。
次の瞬間、多喜彦が斧を落とした。
多喜二の歯の奥が、激痛となって襲う。
「こんな時に、呪いなんて……」
再度、ピレさんの閃光が顔に炸裂したが、グリフォンは揺るがない。
「スミレさん! お玉巨大化して!」
多喜二が叫ぶが、スミレは恐怖のあまり気を失っていた。
「スミレさん!」
多喜彦が叫び、多喜二とぺぺちゃんとスミレを守るように前に立つ。
その顔は、恐怖に引きつっていた。
「終わりだ……」
多喜二は痛む歯に顔を歪めながら、倒れたぺぺちゃんを抱き寄せて目を閉じた。
*
『おう……情けないのう』
老婆の声が響く。
自分の手も見えない虚空。
声だけが、脳裏に突き刺さる。
『死なれては困るでな。お前からはまだまだ負の力が搾り取れるでな……』
——騙しやがったな! 力をくれると言ったくせに!
『けけけッ』
老婆は愉快そうに笑う。
『そうさなあ、お前を四本ツノにしてやろうか? それともグリフォンの方がええかの?』
——嘘つきッ! 力だけをくれッ! そんなのにはならないッ!
聞き分けのない子どものように、多喜は絶叫した。
——鏡も持ってきたッ! 約束だッ!
『おうおうおう、そのちっぽけな破片で、お前をこっちに引き摺りこんだのよ』
老婆はにんまり笑った。
『おかげであの鏡は、いかなる再生をしようとも、いつでも呪えるぞえ』
多喜は、その言葉に愕然としてうなだれた。
——俺のせいだ……
鏡の破片を盗んだことが、取り返しのつかない結果になってしまった。
左腕も動かない。
力をもらって戻ったとしても、もう助けられない。
あんな化け物を倒すなんて、もともと無理な話だった……
『おうおうおう! いいぞえ、いいぞえ、力が沸いてくるぞえ』
『あの不憫な女の、子どもよ。よくぞ立派に育ってくれたものよ』
『ほんに不憫じゃのう』
にんまり笑っているのが、手に取るように伝わってくる。
『ヒーヒヒヒ』
愉快そうに笑う老婆。
多喜は、どうして良いのか分からなかった。
絶望感と諦観が、頭を占める。
——もういい……死なせてくれ。左腕も、多分折れてる。
力をもらっても助けられない……
——それとも……ずっとこのまま、鏡に閉じ込めておく気か?
『それも困るでなあ』
老婆は憐れむように多喜を見つめた。
『あやつらは死んで呪いの元となり、お前には外の世界で生きてもらって、負の力をたーんと貰わなければのう』
——それはあんまりだ!
多喜がさらに絶望した時、老婆の過去の記憶が海馬に流れ込んできた。
『恨め! もっとわしを母親を恨め! それこそがわしの力になる!』
永劫なる時の流れ。
永遠の鏡の牢獄。
老婆の絶望と狂気。
弱まる力への苦悩。
幾多の世界に災厄を撒き散らしてきた過去——
絶望が、多喜の心を染めていく。
老婆の口元が、嘲笑の形を作る。
「すべての存在には原因がある」
その時、その形而上学的命題の答えのようなものが多喜の脳裏に閃いた気がした。
「すべての存在には原因がある」
自分でも気づかぬうちに、涙が流れ出ていた。
その言葉が脳裏をよぎった瞬間、多喜は悟った。
多喜の絶望的な状況が、初めて老婆の視点と重なった。
老婆も、ただの「怪物」ではない。
長い時間に押し潰され、運命に弄ばれ、積み重なった「原因」が彼女をこんな姿にしたのだ。
——そうか……
頬を伝う涙を拭うこともせず、多喜は心の底から思った。
母親も、同じだったんだな。
四十三日間、毎日この顔を見させ続けられたら、誰でもああなってしまう。
自分と同じ、被害者なのだ。
だけど……
一番不憫なのは……
——不憫すぎるッ!!!
俺の不運なんて、この老婆に比べたら……
老婆の嘲笑しようとした口が、歪んだ。
『な、なんじゃ、この力は……!?』
キエエエエッ!!
老婆が苦しむように叫んだ。
『あははははッ! おじちゃんって本当に面白いね!』
突然、子どもの声が暗闇にこだました。
神殿の本にあった子どもの姿が、ぼんやりと目の前に浮かんだ。




