17 話 多喜さんと闘いの余韻(俺だけ戦力外、肉への執着)
スミレのお玉は更なる脅威となって、一行に襲いかかった。
スミレが焦れば焦るほどお玉は遠心力で柄がしなり、無秩序な軌道を描く。
逃げ損ねる山田多喜。
「いたッ!」
お玉が後頭部をかすめ、薄くなった髪の毛が数本舞った。
「小さくなってー!!」
スミレが叫ぶが、お玉はさらに膨れ上がる。
「スミレさん! 落ち着いて!」
マッチョが声をかける。
「『小さくなれ』じゃなくて、『小さくなる』って思ってください!」
バンダナが叫ぶ。
「え? あ……」
はっとするスミレ。深呼吸をして——
「小さくなーる……小さくなーる……」
その声に呼応するように、お玉が震えた。
みるみるうちに縮んでいき、元の大きさに戻った。
ハアハアと息をつくスミレ。
そして手に持つお玉を見る。
「どう言うこと?」
バンダナを見る多喜とマッチョ。
バンダナは推測した。
「……デバフにデバフが掛けられてプラスになった?」
「ん?」
理解できない多喜。
「キモババアの呪い、三人同時に呪いはかからなかった……」
バンダナは、メガネに手をやり考えながら話し始める。
「最初マッチョさんに呪いがかかって、マスターにタッチして呪いが移った」
推理するバンダナ。
「で、常時呪いが発動しているスミレさんに、さらに上乗せされて……」
「それで暴走した?」
マッチョが腕組みをした。
「暴走、というより……」
バンダナのメガネが光った。
「おそらくスミレさんの強い意志が呪いに打ち勝ったことで、お玉がスミレさんの声で制御できるようになった」
推測ですけどねと付け加えた。
「……持てないくらい重くなったり、十メートルくらい大きくなったりしたら、生活もできなくなる……か」
マッチョがつぶやいた。
——恐ろしい呪いだ……
改めて多喜は、かすめた頭を押さえて戦慄した。
「そうっすね。おそらくスミレさんがネガティブなままだったら、そうなってた可能性はあります」
「スミレさんは誰にも触ったらダメっす」
と言ったバンダナの頭はお玉で叩かれる。
ゴツン!
「いたっ!」
「なーにわけわかんないこと話してんの!」
スミレはご立腹だった。
さらにお玉を振り上げる。
「ちょっ! 触ったら呪いが移るっ……てお玉だったら大丈夫みたいですね」
ほっとしたのも束の間、それぞれ頭にお玉攻撃を喰らう三人だった。
ごつん! ごつん! ごつん!
「イテッ!」「痛いっ!」「なんでもう一度!?」
「お玉で大丈夫って言ったの! あんたでしょ!!」
スミレは、お玉を握りしめたまま倒れたグリフォンを見上げる。
「……バンダナくんが言ってたのとは、少し違うと思う」
マッチョが顎に手をやる。
「最初に呪いが俺にかかったのは、俺の弱い心が呪いを引き寄せたんだ」
「……マッチョ?」
「……そうっすね、マッチョさん。みんな同じです。結局、ネガティブな心が引き寄せたってことですね」
——あのマッチョもネガティブになることなんてあるのか?
多喜は少し安心するとともに手でお腹をさする。
俺なんて、もっと……
不安がさらに募る。
グリフォンは、どうにか打ち倒すことができた。
ぺぺちゃんの鋭い弓矢。ピレさんの圧倒的な魔法。マッチョの斧の破壊力。バンダナも、ぺぺちゃんを立派に守った。
そしてスミレのお玉攻撃が、止めを刺した。
しかし自分は——何もできなかった。
多喜は、自分の手を見た。
武器を握る力もなく、ただ腹を押さえて呪いに翻弄されただけの自分。
呪いのせいだ、と言い訳したくなる。
だが本当は、呪いがなくても同じだったのではないか?
——俺は、弱い。
認めたくない事実が、心の奥底から湧き上がってくる。
少し痩せた体は、以前より動きやすくはなった。しかし慢性的な空腹で力が入らない。メイスを振るう腕は、日に日に細くなっているような気がした。
このグリフォンの肉を食ったら、また強くなれるかもしれない——
そう期待して、ピレさんに食べる動作をした。
しかしピレさんは、悲しげに首を振った。
大きすぎる。解体も容易ではない。血を洗い流す水もない。それに、時間もなかった。
無理な注文だ。
それは、多喜にも分かっていた。
早く自分の神殿に戻りたそうにこの場を移動しようとするピレさんを見て、多喜は立ち尽くし、名残惜しそうにグリフォンを見た。
あの、呪いの肉を食べた後の快感が、忘れられなかった。
力がみなぎる感覚。
呪いすらも受け入れてしまいたいほどの、何でもできるような万能感。
初めて、自分が「強い」と感じられた、あの瞬間——
「こんなとこ、早く行きましょう」
バンダナが歩き出す。
確かに、不気味な場所だった。老婆の呪いがかかったグリフォンの死体と一晩を明かすのは、気が引ける。祠の前の、四本ツノのゾンビを思い出す。
「マスター、肉のことは忘れましょう」
バンダナが、多喜の心を読み取ったかのように続けた。
「いつまでも肉の力に未練があったら、あのクソキモババアに取り込まれますよ」
力が手に入るなら、それでもいいか——?
そんなことを思ってしまった自分に、多喜は驚く。
顔に出たのだろう。バンダナが、鋭い目で睨んでいた。
「分かってないですね。永遠に彷徨い続けるんですよ、鏡の中で」
バンダナは両手を広げ、幽霊のようなポーズをした。
多喜は、慌てて視線を逸らした。
「そんなことより! ピレさんの魔法すごくなかった?!」
スミレがお玉を振り上げ、ピレさんとぺぺちゃんに駆け寄っていく。多喜も続いた。
確かに魔法を覚えたら、そっちの方が良さそうだと都合の良いことを考えていた。
はー、と首を振るバンダナ。
スミレはオーバーなジェスチャーで魔法を表現し「教えてー」とピレさんにせがんでいた。ぺぺちゃんが首を振っているのが見える。
「まあ、スミレさんのお玉の攻撃力はバカにできないな」
マッチョは言った。
二人は「イター!」と叫んだグリフォンを思い出して笑った。
「さっきのが最後じゃないよな、きっと」
絵で見たグリフォンと人のサイズ比は、あんなものではなかった。
「神殿にいるでしょうね、デカいのが」
*
その日は、山を降りたところで日が暮れた。
岩陰で火を起こし、毛布にくるまって夜を明かす。
目の前でバンダナとぺぺちゃんが、楽しそうに話している。
言葉は通じないはずなのに、二人は笑い合っている。
マッチョは、スミレに筋トレを教えている。
スミレは嫌がりながらも、お玉を振り回して笑っている。
——みんな、役割がある。
ぺぺちゃんは弓で戦える。
バンダナは槍を使える。
マッチョは斧を振るえる。
スミレでさえ、あの巨大なお玉で——
俺だけが、何もできない。
腹痛で逃げ出すだけの、情けない男。
母親の言葉が、脳裏に蘇る。
「お前は何をやってもダメだね」
「生まれてこなければ良かったのに」
——違う。
頭を振って、その声を追い払おうとする。
——俺だって、やれる。
力さえあれば——
焚き火の向こうで、マッチョが笑っている。
頼もしい背中。鍛え抜かれた筋肉。
——ずるい。
そんな感情が、心の奥から湧き上がってくる。
——みんな、何かを持っている。
俺だけが、何も持っていない——
その晩、多喜は眠れなかった。
翌日も、ひたすら歩いた。
老婆による獣の襲撃や呪いはなかった。
道は不気味なほど平穏だった。
まるで「早く来い」と急かされているかのように。
その夜も、岩陰で野宿をした。
焚き火が消えかけた頃、多喜は夢を見た。
母親の夢だった。
「あたしはね、……四十三回、罵ってやったのよ……」
気怠そうにタバコを吸う母親の顔が浮かぶ。
「四十三日間、毎日鏡に出てくるババアにね……」
「鏡! ……おふくろもまさか、鏡の世界に連れて行かれた……」
「ふん! 行くわけないでしょ!」
母親は鼻先で笑ってタバコの煙を多喜に吹きかけた。
「四十四日目にお前が産まれたのよ、それで……」
その顔がゆっくり老婆に変わっていく。
「代わりにお前を差し出したのさ……」
しわだらけの、老婆の顔に。
『ひひひひ……』
老婆は上目遣いで多喜の目を覗き込む。
『力が欲しいかえ?』
声が甘く響く。
拒絶しようとしたが、体が動かない。
『お前は……何もできない男じゃ』
老婆の言葉が、心に突き刺さる。
『誰からも必要とされず、母親にさえ見捨てられた……哀れな、哀れな男……』
違う!叫ぼうとしたが、声が出ない。
『あはははは』
背後で子どもの笑い声が響く。
『だがのう……』
老婆の声が、急に優しくなった。
『わしは、お前に力をやろう』
闇の中で、巨大な影が浮かび上がる。
ドラゴン——
炎を吐き、街を焼き尽くす。圧倒的な力。空を飛ぶ翼。
『この力があれば……お前は、英雄になれる』
その光景が、鮮明に浮かぶ。
自分が、勇剛のように剣を振るう姿。
マッチョのように、仲間を守る姿。
バンダナが尊敬の目で見上げる姿。
『仲間を守り……敵を倒し……皆から称賛される……』
老婆の声が、心の奥に染み込んでくる。
『空を裂くグリフォンの翼が欲しいかえ? 炎を吐くドラゴンの喉が欲しいかえ?』
——欲しい。
心の奥底から、その言葉が湧き上がる。
『約束するぞえ、この割れた鏡を、山の神殿にもってくればなあ……』
けけけけけけ……
きゃはははは……
その笑い声は闇に吸い込まれるように消えた。
はっと目を覚まし起き上がる多喜。
焚き火がほのかに照らす中、腹部から影がゆらいでリュックに吸い込まれるのが見えた。
見張り番をしているピレさんがチラッと多喜の方を向いた。
——今のは夢か?
——老婆の呪いか?
——母親が、俺を差し出した?
びっしょりと汗をかいていた。
——ドラゴンの力……
その力があれば俺もみんなの役に立てる。
ピレさんの魔法のように、敵を倒せる。
心臓がバクバクと鳴っている。
老婆の言葉が頭にこびりつき何度も去来した。
明け方まで、眠れぬ夜を過ごした。




