16 話 マッチョと化け物ニワトリとの死闘(握力消えた件)
ぬかるんでいた街道は、太陽が真上に来る頃には乾燥した大地になっていた。
村を離れるにつれ、雨の痕跡は消えていった。
代わりに、渦巻く雲が厚さを増していった。
——ここから先は、老婆の呪いの範囲内なのか?
田中多喜彦は、両手の黒い痣を不安げに見つめた。
ぺぺちゃんはバンダナの隣で顔を見上げ、腕を取って歩いていた。
「シンデン……カガミ……」
「そう、神殿、鏡」
現地語を覚えようとしないバンダナから日本語を教わっていた。
照れくさそうにしているバンダナ。
祠の後から急激に距離が近づいているようだった。
微笑ましく思う多喜彦だったが、来たる別れについてどう思っているのだろうと心配にもなった。
簡単な昼食を四本ツノの肉で済ませ、山の登りに差し掛かった時には黒く厚い雲が渦巻きを作っていた。
心なしか呪いの痣が疼くような気がして不安が強くなる。
弱まっていく握力は、虚弱だった暗い学生時代を思い出させ、心に影を作った。
街道は山道に入っていた。
村の隣にあった川の跡はもう遠く離れていた。
黒く枯れた木が増えてきている。かつては森だったのであろう。
マスターとスミレの歩みが遅くなる。二人は息が上がり始めていた。
登り坂が終わった時スミレが言った。
「ここよ! ここ! この薄気味悪いとこでピレさんと会ったの!」
黒く枯れた木々が渦を巻くように横へ上に下に伸びている。
生暖かい風が木をギギギと鳴らす。不気味な気配に肌が粟立った。
確かに気味が悪い。
多喜彦はさらに握力が抜けていくのを感じ、底知れぬ恐怖を覚えた。
マスターもお腹をさすり苦し気な表情を見せる。バンダナも右頬を押さえている。
ジムに入りたての頃のヒョロヒョロの体を思い出した。
師匠のスパルタに何度も逃げ出そうと思ったあの時の自信のない弱い心が蘇ってくる。
耳元で老婆の嘲笑が聞こえてくるような気がした。
「……ス」
「マスター? 今、何か言いました?」
バンダナが不安な顔で周囲を見回した。
「ん?」
マスターが返答しようとしたその時——
ギャース……という鳴き声が聞こえた。
辺りを見回す。
何もいない。
「上だ!!」
多喜彦が叫ぶ。
六人の真上を大型の鳥の影が通り過ぎた。
その鳥は前方で旋回すると六人と向かいあう形になった。
「ギャース!!!」
巨大なニワトリのような顔とライオンの胴体を持つ化け物だった。
鋭い爪がその太い四肢の先に生えている。
嘴を開け威嚇し明らかに六人に狙いを定めていた。
恐怖で顔が引き攣る四人。
スミレは青ざめた顔でお玉を握りしめてガクガクと膝が震えていた。
その点、三人は三度目の戦いなのだ。
二度の戦いを通して、それぞれの武器の使い方を会得しつつあった。
震える手を押さえつけるようにしてバンダナは槍を構えた。
マスターもメイスを引き抜く。
ぺぺちゃんとピレさんは何かを大声で言い交わしている。
ぺぺちゃんは緊張した顔で弓に矢をつがえる。
その右手は震えていた。
ピレさんは地面に立てた杖の先をニワトリの化け物の顔に向けた。
多喜彦が斧を背中から取ろうとした時——
両手の指に力が入らなくなった。
——こんな時に!
愕然として青ざめる。
止め金を外し斧を引き抜こうとするが、力が入らない。
『ヒヒヒヒッ!!』
老婆の高笑いが化けニワトリから響く。
『さあ、わしの可愛いグリフォン! ご飯の時間じゃ! たーんとお食べ!』
老婆の思念が届いたその時、ぺぺちゃんの弓がビィンと鋭い音を立てた。
続いてピレさんの杖の先から閃光が放たれた。
グリフォンが羽根で風をおこし、失速した矢は地面に突き刺さる。
しかしピレさんの閃光は、グリフォンの羽の付け根でボンッと爆ぜた。
火花をちらし羽が舞い散り、翼に焦げを作った。
「魔法!?」
四人は驚く。
グリフォンは咆哮を上げると、その場に降り立った。
翼を広げると大型バス一台分はあろうかという大きな体。
体を低くし爪を立てると六人に向かって突進してくる。
鋭い嘴が前列にいたバンダナに襲いかかった。
多喜彦は握力の落ちた両手で斧を構えるのは諦めていた。
筋肉が彼のアイデンティティの一部である。
握力以外はまだ生きている。
——まだできることはある!
だがその前にしなければならないことがあった。
「俺は呪われているッ!!」
昨晩話しあったのだ。
お互いの呪いの症状を伝えあい症状が出た時に申告しあおうと。
緊張が走るバンダナとマスター。
一番頼りになる男が呪われた。
一気に絶望が二人を包み込む。
グリフォンがバンダナの突き出した槍を余裕を持って躱す。
次いで嘴が彼の頭をついばもうとした時、グリフォンの顔が突き飛ばされた。
多喜彦がグリフォンの顔にタックルをかましたのだ。
「筋肉ッ!」
弱い心に負けまいとして叫ぶ。
「弱虫泣き彦」と笑われ、暗い10代を過ごした面影はもうない。
多喜彦は思う。
何のために鍛えていた、俺は?
自分の体のためか?自己満足のためか?スポットライトに当たる快感のためか?
ジムにトロフィーを飾る虚栄心のためか?
——違う!
虚弱だった学生時代——あの頃は痩せた小さな体で毎日暗く生きていた。
いつものようにヤンキーに絡まれていた時、あの人が現れたのだ。
タンクトップに浮き上がる逆三角形の背中。
自分の太腿よりも太い二の腕。
自信に満ち溢れた口元。
自分と同じような背丈で頭上高くヤンキーを軽々と持ち上げると、こう言ったのだった。
「学生よ! 鍛えろ! マッチョを目指せ!」
ヤンキーは逃げて行った。
その日からあのジムに通うことになったのだ。
師匠がいなくなった今でも、いつか帰ってくる場所のためにもあのジムを守り通さなければならない。
あの日、自分を救ってくれた師匠のようにこの鍛えあげた筋肉で仲間を救うのだ。
——こんなところで死ぬわけにはいかない!
ヒュン!
ぺぺちゃんの二の矢がグリフォンの太い首に刺さる。
「ギャギャース!!!」
苦悶の叫びをあげ怒りの目をぺぺちゃんに向ける。
標的をぺぺちゃんに切り変えるグリフォン。
突進してくるグリフォンをひらりと避けるぺぺちゃんだったが、その後ろにマスターがいた。
「俺?」
マスターの眼前にグリフォンの開けた嘴が迫る。
しかしまたしてもグリフォンは空振りに終わる。
多喜彦が、マスターを突き飛ばしたのだ。
二人は転げながら坂を転がり落ちていく。
多喜彦が手をついて起き上がった時、体に力が戻っていることに気づいた。
ぐっと地面を鷲掴みにし岩を砕く。
「復ー活ッ!」
思わず叫びが出た。斧を背中から引き抜く。
「呪われました」
その直後、手を挙げて尻を押さえているのはマスターだった。
そこにグリフォンの左手の爪が襲いかかる。
斧で受け止める多喜彦。
その時、ぺぺちゃんの三の矢がグリフォンの尻に突き立った。
再び雄叫びを上げるグリフォン。
バンダナはぺぺちゃんを守るように前に立って槍を構えていた。
グリフォンは狂ったような目をぺぺちゃんに向けて標的を変えた。
バンダナが槍で、喉もとを狙って突き入れた。
しかし浅い。皮膚が厚すぎた。
槍が弾かれバンダナもろとも首を振ったグリフォンの顔に弾き飛ばされた。
「うわっ!」
腰からもんどりうって尻餅をつく。
手から離れた槍が後ろに突き刺さる。
ボンッ!
そこにピレさんの閃光が左の翼で爆発した。
羽がさらに飛び散った。
しかし、グリフォンは止まらない。
バンダナは立ち上がると槍を拾いに行く。
暴れて怒り狂うグリフォン。
その時、グリフォンの目は全く動かず震えて立っている標的を捉えた。
目標をスミレに定め直す。低く身を沈め、後脚に力を込める。
スミレと目があうグリフォン。
「ヒッ!」
お玉を握りしめ後ずさるスミレ。
そこで、うずくまっているマスターに引っかかり——
ドテッ。
ひっくり返った。
「呪い解けたー!」
喜び立ち上がるマスターだったが、再び目の前にグリフォンが迫っていた。
スミレはマスターの後ろで震えていた。
お玉を握る手がガタガタと震える。
「スミレさん? もしかして、そのお玉、大きくなったりしない?」
後退りながらスミレに言うマスター。
その声がスミレの何かを刺激した。
「そんなわけ! 大きくなったりするわけない、でしょ、しょ? キャア!」
言いかけた瞬間——
お玉がブルルルッと震えた。
「え?」
柄が伸びる。
ビョーンと五メートルほど伸びつつお玉部分もそれに合わせて巨大化した。
伸びきったお玉はそのままグリフォンの頭を叩いた。
ゴォンッ!
「イター!!!」
苦痛の叫びを上げるグリフォン。
飛びかかろうとしていたところの出鼻をくじいたのだ。
「きゃああああ! あっち行ってー!!」
重さはない、むしろ軽い。お玉を振り回すスミレ。
遠心力で柄がしなる。
スミレはパニックになっていた。
バゴォン! うなりを上げるお玉は硬質なケラチン質の嘴にヒビを入れる。
ガンッ! 頭頂部を叩き、グリフォンの首が沈む。
三撃目、頬を打ちつけグリフォンの首が横に弾かれた。
「ギャギャギャ!!」
苦痛の叫びを上げ、お玉から逃れようと翼をはばたかせるたび、抜けた羽が飛び散った。
「うおおお!!!」
多喜彦は、飛び上がるとグリフォンの背中によじ登った。
渾身の力で斧を振り下ろし首筋に叩きつける。
左手でタテガミを持ち何度も振り下ろした。
ピレさんの閃光がまた翼を焼いた。
羽抜けの翼は一気にみすぼらしくなった。
はばたこうともがくが空気を捉えることができず飛び立てないグリフォン。
ガッゴォオオン!
そこにスミレのお玉が頭頂部を叩きつけた。
頭蓋骨が割れるような嫌な音が響き——
血飛沫が跳ね、前足が崩れ落ちる。
「ギャギャ? ギャース……」
ついに断末魔の叫びを上げグリフォンは動かなくなった。
その巨体が地響きを立てて倒れた。
風が吹き抜け羽が宙を舞いゆっくりと落ちてくる。
勝った——
六人に安堵のため息が漏れた。
だが、その安堵は長くは続かなかった。
「あ、あれ? ちいさくならない……」
スミレの声が震えていた。
その手には、まだ五メートルの柄を持つ巨大なお玉が握られている。
「え? ちょっと、小さくなってよ!」
スミレが、叫んだ瞬間——
お玉が、さらに数倍に膨れ上がった。
「うわあああ!!」
三人が一斉に飛びのいた。
グリフォンには勝った。
だが、今度は味方の呪いが暴走している。
戦いは、まだ終わっていなかった。




