14話 三人の多喜さんとおばちゃんと呪い(全員、呪われた件)
雨はまだ降り続いていた。
傘など持っていない一行は小走りに神殿に駆けて行った。ローブの裾から雨粒が跳ね、石畳に無数の波紋を描く。
神殿に近づくにつれ、甲高い声が聞こえてきた。
よく聞かなくても日本語だった。それもかなり取り乱した日本語だった。
村人たちが困惑した表情で神殿の入り口に集まっている。
「ここはどこなのよッ!」
「あんたたち何者ッ?」
「早くうちに返してよー!」
「うわあああああああッ!!」
三人は同時に「はぁ……」と声にならない音を漏らした。
新たな犠牲者確定だった。
若い神官が濡れそぼったローブを着た別の神官に深刻な顔で声をかける。
見たことのない顔だった。ローブは泥まみれで、雨の中をかなりの距離を歩いてきたことが窺えた。
「バンダナくん? 君、声かけてきて?」
マスター——山田多喜がヒソヒソと話す。
「ちょっと、おばちゃんって苦手なんすよ」
多喜二が困った顔で多喜彦を見た。
ぺぺちゃんが泣き叫んでいる女性の元に駆け寄った。
「ちょっとあんたなんなの! 触らないでよ!」
女性はぺぺちゃんを突き放した。
むっとしたバンダナが前に出る前に、女性は三人に気づいた。
「あんたたちっ! 日本人でしょ! ここはどこなのッ!」
年のころはアラフォーだろう。雨にうたれ全身びしょ濡れで、ふくよかな体型の女性だった。お団子にした髪を頭の上に留め、花柄のエプロンをしている。右手には業務用と思しき大きなお玉を握りしめていた。エプロンには「食いだおれ」と達筆な筆文字でプリントされている。
思わず額を押さえる三人。
「あーキモいババアに鏡の中に連れ込まれましたね」
多喜二がメガネを押さえて言う。
「それはトイレの鏡ですね?」
多喜が真面目くさった顔をして言った。
「そしてなにか辛いことがあったのでしょう?」
多喜彦が優しい声で続けた。
「……なんで、わかるの?」
泣き止んだ女性が三人を見た。
「残念ながら、すぐには帰れません」
多喜二が冷たく言い放った。
「うわあああああ!!!」
また泣き叫ぶ女性。
「バカッ! 泣かしてどうする!」
多喜が多喜二に突っ込むと女性に向き直った。真剣な表情で、ゆっくりと話し始める。
「落ち着いてください。あそこに鏡があります。」
多喜は祭壇を指差した。
「もしあなたが綺麗な心ならギリシャマッチョマンがあなたを元の場所に返してくれるでしょう……」
ほんのイタズラ心だったのだ。まさかあんなことになるとは……
多喜二は興奮を抑えきれなかった。
ずっと考えていたのだ——神殿の呪いの解けた鏡。あの鏡に触ったらどうなるのだろうと。
それが、まさかあのような悲劇を引き起こすことになるとは……
多喜彦もその提案に少し興味を持った。
呪いは解けている。安全だろう。鏡を触ったとき、何が起こるのか?
いざとなったらこっちに引き戻せばいい……
しかし、引き留めるべきだった。
あんな恐ろしい事態になる前に……
三人は素早く視線を交わした。
そして意を決したように女性の手を引き、祭壇の前に向かう。
四人はずかずかと祭壇の鏡の前に立った。
村の若い神官と、濡れた神官、ぺぺちゃんの三人は、深刻な顔で話をしていた。
こちらには気づいていない。
ごくりと三人は頷きあう。
動揺を隠せない女性。
女性を鏡の正面にくるように促し、多喜が震える手で鏡の布に触れる。
そして——布を取った。
綺麗な鏡が現れた。
歪みのない鏡面に女性の顔が写る。
そしてその顔が、しわだらけの老婆になった。
耳まで裂けた口。見下すような冷たい視線。
「きゃああ!!」
女性は反射的にお玉を振り上げ、鏡を殴りつけた。
お玉は鏡の淵を叩き鏡面にヒビが入る。
そして、そのはずみで鏡は祭壇から落ちた。
石の床に叩きつけられ、粉々に砕け散る。
「あっ……!」
思わず声が漏れたが、もう遅かった。
割れる音に神官が振り向き、駆け寄ってくる。
粉々に割れた鏡を見て、床に膝をついて頭を抱えた。
体が小刻みに震えている。ぺぺちゃんの目が驚愕に見開かれた。
「なに?なに?なに?」
お玉を持って混乱している女性。
「わたしのせいじゃないわよ!」
女性が叫んだ時——
『ヒーッヒッヒ……』
『あっはははは……』
神殿中に、老婆のけたたましい嘲笑が響いた。
そこに、子どものせせら笑うような甲高い声が混じる。
割れた鏡からけぶるような影が湧き立つ。
影が神殿中を駆け巡った。
そして影は多喜、多喜二、多喜彦そしておばちゃんにするりと張り付いた。
『バカめが! おまえらは呪われたぞ!!』
老婆の嘲笑が思念として響く。
耳障りな子どもの笑い声が遠ざかっていった。
その時、多喜の下腹部に閃光が走った。
「うっ……! 漏れる!!」
顔が苦悶に歪む。そのままお尻を押さえて雨の中の木立ちに向かって走り出す。
多喜二は忘れていた虫歯が、かつて教授に虐げられていた頃の恐怖とともに存在を主張しだした。焼け付くような激しい痛みが歯の奥からこめかみに広がった。うっと唸り頬を押さえ、膝をつく。
多喜彦は急激に両手の力が抜けて恐怖を覚えた。
ぐっと握る手は頼りなく感じた。
「俺の……筋肉が……」
よろけて柱に寄りかかる。
よろけたことで多喜彦はさらに動揺した。
冷や汗が流れ出る。両手を見るその顔は蒼白だった。
女性はお玉を持ったまま呆然としていた。
突然三人が次々と苦しみ出したのだ。
ぺぺちゃんは冷静に、割れた鏡を一つずつ拾いビロードの布に包んでいた。
びっしょりと雨で濡れた多喜が神殿に戻ってきた。その時、多喜二の顔に黒い痣があるのに気がついた。多喜彦の両手にも痣があった。
もしかして、とお腹を見た多喜も新しい痣ができていた。
恐ろしい呪いだった。
そして鏡は失われた。
不気味な痣だけを残して。
ぺぺちゃんは怖い顔をして、布に包んだ割れた鏡を多喜の前に突き出した。
多喜は意味も分からずに受け取る。ずしりとした重みが手に伝わってきた。
割れた鏡が布で包まれたからなのだろうか、痛みが徐々に薄まってきていた。
多喜彦も手に握力が戻るのを感じた。
しかし、——呪われた。
手の痣を見るその眼は後悔に打ちひしがれる。
いつまたあの恐怖に襲われるか分からない。
「ちょっと、どういうこと?」
女性が困惑した声を上げた。
「なにこれ! どうなってるの?! 手からお玉が離れないんだけど!」
女性の叫びが響いた。
多喜二が見ると、その右手は黒い痣で覆われていた。お玉は皮膚に張りついたかのように、一体化して離れない。ステンレスのお玉も黒く、くすんでいる。
「呪われたっすね、これ」
冷静に指摘する。
「いたっ! なにするんですか?」
女性はお玉で多喜二の頭を叩いた。
「あんたのせいよ!」
今度は多喜の頭を叩く。
「いって!」
多喜彦は、懸命に考えを巡らせていた。
呪われていない鏡にも老婆は現れた。
鏡は呪いの有無に関係なく鏡の世界の住人と繋がっている。
そして鏡が割れて影が出てきた。
鏡が割れたことで、閉じ込められていた呪いが解き放たれてしまったのかもしれない。
しかし、天候を操る力はない。
外は雨が降り続いている。
ならば割れないように倉庫に厳重に保管しておけば良い?
長い間、祠に放置されていた鏡を思い出す。
——バンダナが言っていた。放置されていたことで呪いが鏡を侵食したのだろう、と。
布に書かれた護符のような文字は薄れていた。
——祠の鏡!
ならば祠の鏡でもギリシャマッチョマンが出てこられたはずだ。
こうなる前だったら明日にでも祠の鏡と神殿の鏡で日本に帰れたのでは?
明後日には、三人とも帰還できていたかもしれない。
首を振る。
もう呪われてしまった。鏡を見ても、もう老婆しか出てこないだろう。
今、この状況で老婆の試練に打ち克つ自信はなかった。
多喜二は女性に鏡のシステムについて説明を始めていた。
「実験されたの? わたし? これからどうなるの?」
女性は顔を青ざめさせた。
「おそらく別の呪われた鏡を探して、老婆の試練に打ち克って呪いを解いて、ギリシャマッチョマンに出会わなければ帰れないでしょうね」
やさしく多喜二は言った。
「ネガティブな心のままだったら呪いに取り込まれますよ」
永遠の牢獄については黙っていた。
ぺぺちゃんと若い神官、もう一人の神官が分厚い本を持って四人の前に立った。
三人とも怖い顔をしている。鏡を割ったことはこの世界では重大な罪なのだろう。
神官が本を開く。そこには鏡の作成方法と工房の絵が描かれていた。
そして地図のページを開き山脈の神殿を指差した。
「そこに行けと?」
多喜彦が呟いた。
「そして、直してくる」
多喜二が確認するように言った。
「マジか? もう帰るー」
多喜の情緒は不安定であった。
有無を言わせぬ無言の迫力があった。
山の神殿にも鏡がある。
「山の神殿の鏡で帰れるかもしれない、か……」
多喜彦がつぶやく。
「その前にあの化け物ニワトリがいるっす」
多喜二の眉が曇る。
「ぺぺちゃんの家族もその神殿にいる……」
「……」
三人の視線は、多喜が抱える割れた鏡を包んだ布に注がれた。
この呪われた体であの化け物ニワトリと戦わなければならないのか。
あの時、マスターのイタズラを止めておけば、と悔やむ多喜彦であった。
バンダナのメモ追記
物理的に割れた鏡は、呪いを発現する。
住人が出た後の鏡は、向側で割れて翌朝元に戻るまで、住人は出て来られない可能性が高い。
呪いの座は、鏡の破片を布で包むことで一時的に抑えられる? 要検証




