12話 マッチョと村の復興(ブーメランパンツ大活躍の巻)
田中多喜彦は蔵の二階の窓辺に腰掛けていた。
夕暮れの空を見上げる。
白い雲が湧き立ちみるみる黒く変わっていく。
——雨雲だ。
やがてボツボツと乾いた地面に染みを作る。
瞬く間に本降りになった。
「おおおっ!」
村人たちの歓声が響く。
呪いとは違う自然の雨だった。
——良かった。
すぐには作物は育たない。
だが、保存していた種籾が次の命を繋ぐだろう。
雨の中、畑に鍬を入れる村人たち。その顔は希望に満ちていた。
祠から帰った後、村の復興について考えていた。
ジムの経営と村の復興、なにか共通点があるような気がしたからだ。
まずは帰還することが大前提だが、この村を放ってはおけない気がした。
三人はこの村の救世主なのだ。
四本ツノの脅威を排除し、結果的に老婆の呪いを解いた。
残りの四本ツノの幼体の駆除、その後祠の鏡での元の世界への帰還も神官が考えていた可能性があると多喜彦は推測していた。
全ては成り行きだった。
村人を助けたつもりは全く無かった。
やらなければ自分たちがやられてしまうのだ。
しかし、ここまで関わって村の窮状を見た後、何か力になれればと想いに沈む多喜彦だった。
ぺぺちゃんは神殿につくと、走って祭壇裏の扉の中に消えていった。
すぐに三人分の神官のローブをカゴに入れて帰ってくる。
蔵で神官のローブに着替える三人。
ぺぺちゃんは腰に手を当て、血と土と汗で汚れた衣服をカゴに入れるように指さした。
三人が服を入れると満足そうに頷いてカゴを持って出ていった。
「ぺぺたん、かわいい……」
マスターは鼻の下を伸ばしている。
「いい子じゃないか」
バンダナを見る多喜彦。
バンダナがなぜか誇らしげに胸を張った。
「……何でお前が誇らしげなんだよ!」
マスターがツッコむ。
やがて村人が蔵に現れ、四本ツノの肉とお茶が入った壺を差し入れた。
久しぶりに着替えができてさっぱりとした三人は、夕食の肉を頬張った。
マスターとバンダナは床に毛布を敷いて寝転んでだべっている。
窓枠に腰掛けたまま黙って聞いている田中多喜彦。
「この肉も食べ慣れると、いけるもんだな」
焼いた肉の塊を頬張っているマスター。
「他にも四本ツノいるなら狩りにいこうぜ」
マッチョに話しかける。
「肉のパワーはあれから出ないんですよね?」
バンダナが言う。
「そうなんだよな……」
マスターは悲しげに首を振った。
祠で食べた肉は力がみなぎった感じがしたが、それは気のせいだった。
何も起こらずがっかりしていたマスターだった。
「多分、あのババアの呪いっすよ」
バンダナが推測する。
「呪われた四本ツノの肉を食べたから、一時的に呪われて強くなっただけっす」
「呪いが解けたら、肉も普通に戻った?」
「たぶん、そういうことっす」
「そんなこと言ったら、あれ食べた村人もみんな呪われた訳?」
「カフェインみたいなもんすよ。あれでみんな元気になったんだから、良いじゃないっすか」
バンダナが続ける。
「もう呪いも解けたし、肉を食べるだけで強くなるなんてゲームじゃないんだから」
たしなめるバンダナ。
「異世界もシャバイもんだなー」
あの湧き出る力を忘れられないと呟くマスターだった。
肉を食べた後の狂気じみた力を田中多喜彦も感じていた。
表現しがたい万能感、衝動的な攻撃性が高まった。
斧を振るい肉を切り裂くたび、体が「これだ」と叫んでいた。
雨は一晩中降り続いた。
乾いた大地を潤し、この村で流された多くの血を洗い流していった。
雨音を子守唄代わりに深く眠る三人だった。
早朝、朝靄がけぶる中、多喜彦は目を覚ました。
二人を起こさないように外に出る。
トレーニングをもう丸二日できていないのだ。
まともに食べられてもいない。
体重も筋肉量も落ちた。
——このままじゃ大会に間に合わない。
来月の大会。優勝してスポンサーを獲得する。
そうしなければジムは——
多喜彦は頭を振った。
——今は、それどころじゃない。
まず、この世界から帰らないと。
でも——
筋肉が落ちることへの恐怖。
ジムがどうなっているかと言う不安。
それらが、日を追うごとに強くなっている。
——早く帰りたい。
残しておいた肉を頬張り、よく噛んだ後、水で流し込む。
筋肉は多喜彦のアイデンティティそのものだった。
神殿の下の畑では、すでに村人が鍬で耕していた。
多喜彦の目が光る。
「おーい」
走っていくと村人から強引に鍬を奪った。
おびえる村人に白い歯を見せ、耕す仕草をしてみせる。
神官の服を着た救世主様なのだ、村人は慌てた。
そんなことはさせられないとばかり、鍬を取り返そうとする。
しかし膂力では敵わない。
強引に耕していく。
多喜彦の広背筋、僧帽筋、三角筋、鍬を振るうたびに伸展収縮する。大腿四頭筋、ハムストリングス、大臀筋、一つひとつを意識しながら、大地に足跡を残していく。トレーニングとは程遠かったが、心が落ち着いてくるのを感じた。
まるで人間耕運機だった。
村人の1日分の仕事量を1時間たらずで終わらせてしまう。
目につくところはあらかた耕してしまっていた。
呆気に取られている村人たち。
まるで神様が降臨したかのような表情であった。
その時、多喜彦の目が再び光った。
村人二人が、二輪の台車で大きな石を運んでいるのが目に入ったのだ。
石から目を逸らさず崇拝の目を向ける村人に鍬を手渡すと、台車に向かって文字通り飛んでいった。
村人から強引に台車の持ち手を奪うと、そのまま引きずっていく。
その速さに二人の村人は慌てて駆け寄ってくる。
どうやら通り過ぎてしまったらしい。
水路は、ところどころ石積みが崩れていた。
灌漑用の水路は石組みでかなり高度な技術だ。
「呪いが来る前は、豊かな村だったんだろうな」
多喜彦がつぶやく。
石積みを除去し、また積み直す必要があった。
昨日の雨で水路の底はぬかるんでいる。
重労働になりそうだった。
多喜彦は自然に笑みがこぼれた。
水路の下では村人たちが泥をかいている。
女性陣がそれをかごに入れて運び出す。
多喜彦は作業をしにくい神官服を脱ぎ捨てると、黒いブーメランパンツ一丁になった。
村人たちがざわめいた。
盛り上がる大臀筋、くっきりと浮かぶ腹筋。太陽に輝く筋肉。
女性陣の目は釘付けになる。
「きゃあ!」
華やいだ歓声が上がった。
「筋肉は世界共通だな!」
多喜彦は白い歯を見せて笑う。
「とうっ!」
水路に降りると崩れた石積みを一つずつ下ろしていく。
腹直筋、腹斜筋、腰方形筋が出番だとばかり収縮伸展を繰り返した。
みるみるうちに崩れた重たい石は取り除かれていった。
唖然として見守る村人たち。
水路の補修は村にとっての一大工事なのだ。
いつまでかかるかわからない。
村人総出で行う予定だった。
畑を耕していた村人も合流しその働きぶりを唖然として見ていた。
そのうちの一人が神殿に駆け出していった。
しばらくするとその村人がぺぺちゃんを連れて戻ってきた。
「ふうッ」
多喜彦が顔を上げた時「マッチョー」という声が聞こえた。
ぺぺちゃんが慌てて駆けてくる。
その手には肉と水筒が入ったカゴを持っていた。
お茶と肉を差し出すぺぺちゃん。
「ありがとう」
白い歯を見せる多喜彦。
そこで初めて多喜彦は自らのトレーニングに夢中になりすぎて村の復興のことを全く忘れていたことに気がついた。
ジムでも一度熱が入ると会員を置いてきぼりにしてしまう癖があった。
悪い癖だと思いつつそれが経営に悪影響を及ぼしていることは分かっていた。
食後は、村人たちとジェスチャーで交流しながら水路の補修を行った。
その時、
「マッチョ! 手伝うぜ!」
マスターが現れた。
神官のローブを腕まくりして、やる気満々の顔をしている。
多喜彦は笑顔出迎えた。
しかし——
マスターが石を積んだ時、ガラガラとせっかく積んだ石積みが崩れた。
「マスター! 危ない」
「悪い! 手が滑って!」
ガラガラと二度目が崩れた。
三度目も崩れようとした時、石積みがマスターに向かって崩れてきた。
多喜彦が間一髪マスターを突き飛ばす。
マスターがいたところに大量の石が落ちてきた。
「……助かった」
マスターが青白い顔でつぶやく。
「ここはもういいから、休んで」
多喜彦が静かに言った。
「……うん」
去り際、マスターはバンダナがぺぺちゃんと井戸水の水質浄化をしているからと淋しそうに言った。
多喜彦はマスターの尻を叩いて励ました。
その後ろ姿を見送りながら多喜彦は深く息を吐いた。
村人たちも、安堵の表情を見せていた。
あとでバンダナから、マスターが井戸の滑車で水を汲もうとしたところ、手を滑らし危うく井戸に落ちるところだったと聞いた。村人が必死になって引き上げたという。
思わず目を閉じて首を振った多喜彦だった。
日が暮れる前に水路の補修は完成した。
マッチョはこの村の農業の神様となり、石像が作られることになるが、それは後のことである。




