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異世界剣聖 ― スレイする者 ―  作者: スマイリング


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第8話 探索者たちの朝

 朝の鐘が鳴る。


 その音は、眠りから街を呼び覚ますように、レオグラード全域へ広がっていった。

 聖堂街の塔から放たれた澄んだ響きが、商店の屋根を渡り、冒険者街の石畳を震わせる。

 霧の向こうで鍛冶場の火がともり、鳥たちが一斉に飛び立った。


 「今日も戦いの朝か」


 ユウは静かに呟いた。

 手にした大剣セレスティアの柄を軽く叩きながら、ギルド前の階段に腰を下ろす。

 夜露の残る空気に、鉄の匂いとパン屋の香ばしい匂いが混じっていた。

 この街では、それが“生きている証”だった。


 通りを行き交う人々の背には、それぞれの剣がある。

 荷車を押す商人も、祈りを終えた神官も、皆どこかに傷を抱え、それでも笑っていた。


 「……戦いの街、か」

 かつてはその意味を知らずに剣を振るった。

 今は、守るために抜く。その違いを、ようやく理解し始めた気がする。


 「先生!」


 声の主はリシアだった。

 寝癖のままの髪を結い直しながら、訓練用の木剣を抱えて走ってくる。

 薄い革鎧の上からでもわかるほど、彼女の肩は緊張で固い。


 「おはようございます! 今日、模擬戦ですよね!」

 「……ああ。焦るな。剣は走るより、息を合わせるもんだ」


 ユウは微笑みながら立ち上がる。

 その動作ひとつで、彼の纏う空気が変わった。

 周囲の冒険者が思わず道をあけるほどの静かな圧――剣聖と呼ばれた男の“気配”だ。


 リシアはそれに気づき、息を呑む。

 けれど、次の瞬間には笑顔を取り戻した。

 「わたし、負けませんから!」

 「おいおい、相手はお前の仲間だぞ。倒すんじゃなくて、生かして帰れ」


 軽口を交わす二人の横で、ギルド長グランが豪快に笑う。

 「朝っぱらから元気だな! その意気でいけ、若造ども!」


 彼の背後では、すでに訓練場への門が開かれていた。

 剣の音が聞こえる――街の一日が、再び始まる。


 冒険者街の南端にある訓練場は、朝日を受けてまぶしく光っていた。

 円形の広場の中央に砂が敷かれ、木製の観覧席が並ぶ。

 若者たちの掛け声と剣がぶつかる音が、金属の響きのように空へ散っていく。


 「リシア、緊張してるのか?」

 ユウが横目で問いかけると、少女は木剣をぎゅっと握った。

 「ちょっとだけ……。昨日、一晩中イメトレしてたんです」

 「寝てないのか」

 「だって、負けたくないですから!」


 彼女の瞳に映るのは、希望と不安が半分ずつ混じった光。

 その姿に、ユウは小さく笑った。

 ――昔、自分もあんな目をしていた。

 勝ちたくて、強くなりたくて。けれど、その先に何があるのかを知らなかった頃の自分。


 「無理に構えるな。力を抜け。……剣は、相手を見るための目でもある」

 「はい!」


 その時、訓練場の中央に立つグランが大声を上げた。

 「おらぁ! 全員、注目だ! 今日の模擬戦は二人一組での組手形式! 自分の腕だけじゃなく、“仲間を生かす”動きを見せてもらうぞ!」

 「おおっ!」


 歓声が上がる中、リシアとカイが組み合わせ表で同じ列に並んだ。

 カイはいつものように軽い調子で手を振る。

 「リシア、緊張してんのか? 汗で木剣すっぽ抜けんなよ!」

 「うるさい!」

 リシアの頬が一瞬ふくらみ、次の瞬間には笑いがこぼれた。


 グランの笛が鳴る。


 砂を蹴る音、息を呑む観客の気配――。

 その中で、ユウは腕を組み、じっと見守った。

 リシアの構えは、昨日よりもはるかに安定している。

 剣先は揺れず、目も逸らさない。


 「いい目だ……」


 木剣が打ち合わされる音が鳴り響く。

 カイの踏み込み、リシアの回避。足さばきの軽さはまるで舞いのようだった。

 だが、一手の甘さを突かれ、彼女の木剣が弾き飛ばされる。


 観覧席からため息が漏れた。

 ユウは静かに目を閉じる。


 ――まだ、焦るな。負ける経験も“戦いのうち”だ。


 次の瞬間、リシアが素早く地を蹴った。

 転がった木剣を拾い、体を反転させる。

 その動きに、一瞬だけ光が差したように見えた。


 ユウの胸に、かすかな震えが走る。

 (……あの動き。俺が、初めて勝った日の形だ)


 少女の一撃が、再び相手の木剣を弾いた。

 周囲がざわめき、グランがにやりと笑う。


 「悪くねぇ……少しは、師の顔になってきたじゃねぇか、ユウ」


 ユウは無言で頷いた。

 彼の目は、すでに次の一手――“教えるための言葉”を探していた。


 リシアの木剣が、相手の肩口をかすめた。

 乾いた音が響き、観覧席が静まり返る。


 カイがよろめき、砂の上に膝をついた。

 血こそ出ていなかったが、打撃の強さに息が詰まっている。

 リシアの顔から一気に血の気が引いた。


 「だ、大丈夫!? ごめんなさい、力入りすぎて――!」

 「は、ははっ……効いたぁ……! こりゃ立派な一撃だな……」

 カイは苦笑しながら手を振ったが、彼女の手は震えていた。


 ユウはゆっくりと歩み寄る。

 木剣を手に取ったまま、彼女の前に立つと低く言った。

 「リシア。今の一撃、何を考えていた?」


 「え……?」

 「勝つためか。守るためか。」


 彼の声は穏やかだったが、言葉の重さに少女は視線を落とした。

 「……わかりません。ただ、負けたくなくて」

 「それでいい。だが――勝つってのは、誰かを斬ることでもある」


 その一言に、リシアの肩が小さく震えた。

 ユウは視線をカイへ向ける。彼は笑って親指を立てた。

 「なあに、平気だって。こいつ、これくらいの方が上達すんだよ」


 「カイ……」

 リシアが涙をこらえるように唇を噛む。

 ユウは小さく息を吐き、手を伸ばした。

 「剣は、斬るためじゃなく、届かせるためのものだ。……その意味を、これから覚えろ」


 彼女はゆっくりと頷き、木剣を胸に抱いた。


 観覧席では、グランが腕を組んで見ていた。

 その横で古参の冒険者がつぶやく。

 「剣聖の教えってやつか。……まるで祈りみてぇだな」

 グランは笑って肩をすくめた。

 「戦神も祈りも関係ねぇ。あいつは、ただ“人を生かす剣”を探してんだ」


 ユウの耳にも、その言葉は届いていた。

 “生かす剣”。

 その響きが、心の奥に痛みのように残った。


 ――かつて、自分は救えなかった。

 どれほど強くても、守れなかった命があった。

 リシアの震える手を見ながら、過去の記憶が胸をかすめる。


 (もう、同じ思いはさせない。俺は――教える側として、彼女を守る)


 訓練場に再び風が吹いた。

 木剣が砂に刺さり、陽光が刃先を照らす。

 ユウはその光の中で、剣を見つめながら小さく笑った。


 「……悪くない朝だ」


 模擬戦の終了を告げる笛が鳴り、訓練場に静寂が戻った。

 若者たちは汗にまみれながら木剣を置き、互いの肩を叩き合う。

 その中心で、グランが大声を張り上げた。


 「よぉし、今日の訓練はここまでだ! 倒れた奴も、立ってる奴も、全員よくやった!」


 歓声が上がる。

 けれど、リシアだけは木剣を見つめたまま動かない。

 ユウはそんな彼女の肩に手を置いた。


 「怖いか?」

 「……はい。思ってたよりずっと、怖いです」

 「それでいい。怖くなくなったら、戦う理由を見失う」


 ユウの言葉に、リシアは目を見開いた。

 彼の横顔は、まるで朝陽に溶け込むように穏やかだった。


 「戦いに慣れようとするな。慣れた瞬間、誰かを見捨てるようになる」

 「……先生は、もう怖くないんですか?」

 「怖いさ。だからこそ、剣を握ってる」


 そう言って笑うユウに、リシアは小さく頷いた。

 そのとき、グランが近づいてくる。

 「おい、剣聖。お前の教え方、ちっとも甘くねぇな」

 「子ども扱いしても強くはならん」

 「だがな……強くなるってのは、斬る覚悟を持つことじゃねぇ。生き残る覚悟を持つことだ」


 グランの声には、戦場を知る者の響きがあった。

 「勝つより、生きろ。生きて帰ってこい。……それが冒険者の誇りだ」


 その言葉に、訓練生たちは息を呑む。

 ユウもまた、深く頷いた。


 「……あんた、やっぱりいい師だな」

 「お互い様だろ。弟子を持つと、こっちまで若返るんだ」


 グランが笑って背中を叩く。

 砂煙の向こうで、リシアが木剣を掲げていた。

 その瞳には、もう迷いはなかった。


 「先生。私――“生きて帰る”って約束します」

 「そうか。じゃあ、俺も約束しよう。お前を帰すために、どんな闇でも斬る」


 二人の視線が交わる。

 朝陽が高く昇り、訓練場の砂を黄金色に染めた。

 遠くで鐘が鳴る。


 戦いの街の一日が、また始まる。

 そして、その鐘の音の下で、師と弟子の“第一の誓い”が静かに刻まれた。


 訓練が終わる頃には、空の色が変わっていた。

 霧の名残を押しのけるように、東の空から光が差し込む。

 それは夜と昼の境を切り裂く一閃のようで、ユウの心を少しだけ温めた。


 「先生、見て。朝焼け……きれいですね」

 リシアが木剣を肩に担いで、息を弾ませながら言う。

 額に貼りついた髪の先から、朝の光がこぼれた。


 「これが、戦いの後に見る空なんだな」

 ユウは静かに頷いた。

 胸の奥で何かがほどけていく。

 かつて、戦いの後にはただ虚しさしかなかったのに――いま、そこに確かな希望があった。


 「先生」

 リシアが小さく笑う。

 「私、明日が少し怖いです。でも、楽しみでもあります」

 「明日?」

 「初めての“正式探索”ですよね。《アビス・ゲート》の一層」

 「ああ……そうだな」


 ユウは空を見上げた。

 紅に染まる雲の向こう、黒い塔の影がのびている。

 その頂に、まるで“深淵の口”のような門がかすかに見えた。


 (あそこへ行く。再び、闇の中へ)


 風が吹いた。

 街の祈りの鐘が、二度、静かに鳴った。

 グランが後ろで声をかける。

 「おい剣聖。明日、門前の儀で出発だ。準備はできてるか?」

 「もう少しだけ。……心のな」


 その返答に、グランはにやりと笑った。

 「心配すんな。あんたの弟子は、もう一人前だ」


 リシアが照れくさそうに笑う。

 ユウはそれを見て、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 「……そうだな。なら、あとは“守るだけ”だ」


 朝焼けが完全に街を包み込む。

 金と朱が混ざった光の中で、剣の鍔が輝いた。


 リシアが手を伸ばし、ユウと拳を合わせる。

 「明日、きっと帰ってきます」

 「帰ってこい。それが最初の任務だ」


 二人は微笑み合った。


 鐘の音が遠くで鳴り止み、

 その代わりに、街の喧騒がゆっくりと戻ってくる。

 商人の声、鍛冶場の槌音、子どもの笑い声。

 生きる音が、再び街を満たしていった。


 ユウは剣を背に負い、朝日を受けながら歩き出す。

 影が長く伸び、やがて光に溶けて消えた。


 ――戦いの街に、今日も一つの約束が生まれた。

 朝は、戦う者たちにとって“始まり”であり“祈り”でもある。

 この小さな誓いが、やがて二人を深淵へ導いていく。

 ――剣聖と弟子の物語は、ここから本当の闇へ踏み出す。

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