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異世界剣聖 ― スレイする者 ―  作者: スマイリング


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第5話 祈りと血の試練

 朝の光がギルドの窓を透かしていた。

 夜の名残を引きずるような淡い青が、石の壁を静かに染めている。

 《銀の鷹亭》のホールは、いつもよりも人が少なかった。

 今日が“試験の最終日”だからだ。


 ユウはテーブルの端で剣を磨いていた。

 《セレスティア》。

 昨日までの冷たい光は、今は炉の残り火のように穏やかだ。

 刃に指を走らせるたび、あの夜の火の温度が思い出される。


 「おっはよーございます! ……って、早っ!」

 勢いよく扉を開けてカイが入ってきた。

 背中には新品の木製盾。

 「まだ鐘も二回しか鳴ってませんよ!」

 「早起きは……生き残るための基本だ」

 「出た、“ユウさん語録”!」

 冗談めかす声に、少しだけ場の緊張が和らぐ。


 その時、奥の扉が開き、リナが姿を現した。

 背筋の伸びた立ち姿に、白い上着の端が揺れる。

 「おはようございます。全員、揃いましたね」

 彼女の後ろには、見慣れない少女が一人。

 青銀の髪を肩でまとめ、胸元に小さな祈りのペンダントを下げていた。


 「本日、試験監査として神殿巫女見習いのリシア・フィーネが同行します」

 リナが紹介すると、少女は静かに一礼した。

 「……はじめまして。祈り派の立会いとして、皆さんの無事を祈ります」

 柔らかな声だが、芯のある響き。

 その目の奥にある静けさが、ユウの胸をかすかに刺した。


 (……祈り派)

 聞き慣れない言葉に眉をひそめると、リナが説明した。

 「戦場に立つ者たちを支えるため、神殿が派遣する“祈り手”です。

 魔力回復と瘴気防御の支援が目的ですが、彼女はまだ実習中」

 「えっと……邪魔にならないように頑張ります!」

 リシアが小さく笑うと、カイが慌てて頭を下げた。

 「い、いえ! 一緒に来てもらえるの、めっちゃ心強いです!」


 ユウは黙って剣を鞘に収め、立ち上がった。

 「戦いに……祈りが要るのか?」

 リシアは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、それから穏やかに答えた。

 「はい。

 戦う理由が“誰かを守ること”なら、その誰かの願いを抱えていくのが祈りです。

 祈りは――生きて帰るための言葉なんです」


 短い沈黙。

 ユウはわずかに視線を逸らし、「そうか」とだけ答えた。

 リナが軽く咳払いしてまとめに入る。

 「では、作戦を説明します。

 目的地はレオグラード外縁、瘴気帯の手前。

 確認されているスライム個体数は三十前後。

 新人試験の最終項目として“群討伐任務”を実施します」


 カイが拳を握った。

 「よっしゃ……ついに実戦っすね!」

 「軽口は外で叩け」ユウが静かに言う。

 「いやー、ユウさんって時々グランさんに似てきますよね」

 「やめろ」


 場に小さな笑いが走る。

 リシアも微笑み、金色の鈴を手に取った。

 「祈り派の鈴です。

 これが響いている間は、瘴気が薄れます。

 どうか安心して――生きて帰りましょう」


 その言葉に、ユウの胸の刻印が一瞬だけ熱を帯びた。

 (生きて帰る……か)


 リナが最後の確認を告げる。

 「グラン様より伝達。“勝つことより、帰ってくることを優先しろ”。

 以上です。――出発!」


 扉が開かれる。

 冷たい朝風が吹き込み、光が差し込んだ。

 ユウは外套を翻し、仲間たちとともに外へ出た。


 街の向こうに見えるのは、灰色の空。

 その彼方に、アビス・ゲートが待っている。


 “祈り”と“血”――二つの言葉が、まだ遠くで重なり合っていた。


 街を抜けると、風の色が変わった。

 草の香りが薄れ、代わりに湿った土と鉄の匂いが鼻を刺す。

 太陽は雲の向こうに隠れ、薄灰の光が地面を照らしている。


 「……これが、外縁の空気か」

 ユウが呟くと、隣を歩くリナが頷いた。

 「ええ。城壁の外は、常に瘴気が漂っています。

 魔物たちはこの匂いを好みますから」


 カイが盾を握り直し、落ち着かない様子であたりを見渡した。

 「空気が重い……息が詰まりそうっす」

 「深呼吸しろ。焦ると余計に苦しくなる」

 ユウが言うと、カイは頷きながら大きく息を吸った。

 「すぅぅぅー……ぷはっ。……あ、ちょっとマシかも」

 その素直さに、リナが思わず笑みを漏らす。


 やがて、視界の先にそれは現れた。

 巨大な円環状の構造物――《アビス・ゲート》。

 黒い石でできた門が、地平線に突き刺さるように立っている。

 中央には霧のような灰色の光が渦を巻き、風を吸い込んでいた。


 「……これが、迷宮の入口……」

 リシアが小さく息を呑む。

 その声には、祈りの言葉を口にする前のような震えがあった。


 ユウはしばらくその光景を見つめていた。

 (これが、世界の底か……)

 門の奥から吹く風は冷たく、しかしどこか懐かしい。

 焼けた鉄と血の匂い――戦場の記憶を呼び覚ます。


 リナが懐中通信具を手に取り、スイッチを入れる。

 「グラン様、こちら班A。アビス・ゲート前に到着しました」

 通信の向こうから、低い声が返った。

 《よし。新人試験の最終任務だ。怖いと思ったら、それでいい。

 だが、立ち止まるな。恐れながら前に進め。》

 グランの声が風に混ざり、胸の奥に響く。


 カイが冗談めかして言った。

 「こ、怖いのが正解って……グランさん、マジで怖ぇ人っすね」

 「けど、間違ってはいない」

 ユウは剣の柄に手を添えた。

 「恐れを捨てた剣は、ただの刃物になる」

 「……それ、また格言っすね」

 「いつも通りだ」

 そんな軽いやり取りに、リシアの頬が少しだけ緩んだ。


 「あなた、いつもそうなんですか?」

 「何が?」

 「怖いのに、表情が変わらない。

 まるで、自分の心を置いてきたみたい」

 ユウは一瞬言葉に詰まり、視線をそらした。

 「……置いてきた、か。かもな」

 「でも、その剣は嘘をつかないと思います」

 リシアは微笑んだ。

 「昨日、鍛冶街で修復された剣ですよね? 火の匂いがします」

 「わかるのか」

 「ええ。祈りの加護を持つ者には、“熱”の残り香が見えるんです」


 ユウは無意識に剣の柄を握り締めた。

 セレスティアの青白い輝きが、布越しにかすかに灯る。

 (こいつも……感じているのか)


 リナが通信を切り、振り返った。

 「ここから先、瘴気濃度が急上昇します。

 リシア、祈りの鈴を」

 「はい」

 リシアが胸元の鈴を軽く鳴らす。

 澄んだ音が空気を震わせ、灰色の霧の中に小さな光の道が生まれた。


 「……綺麗だ」

 カイが呟く。

 ユウも同じ方向を見つめた。

 光は細く弱いが、確かに前へと伸びている。

 「祈りってのは、こうやって道を作るんです」

 リシアの言葉は穏やかで、しかし力強かった。

 「神様にお願いするだけじゃない。

 “生きたい”って気持ちを形にする――それが祈りです」


 ユウはその言葉を静かに噛み締めた。

 (生きたい、か……)


 その時、遠くの地面がかすかに震えた。

 泥の音、泡のはじける音。

 瘴気の中から、いくつもの黒い影が現れる。


 「反応多数、前方二十メートル!」

 リナの声が鋭く響いた。

 灰色の霧の中で、粘体の塊が蠢く。

 スライム群――アビスの門から漏れ出した“瘴気の喰らい手”たち。


 ユウは剣を抜いた。

 刃の青光が霧を照らし、仲間たちの姿を照らす。

 「行くぞ」

 風が止まり、時間が一瞬だけ引き伸ばされた。

 ユウは一歩前に出た。

 足元の土が鳴る。

 “祈りと血”が、今、交わろうとしていた。


 霧の向こうから、ぐずり、と湿った音が聞こえた。

 黒い液体の塊が蠢き、形を変えながら地面を這う。

 それはまるで、大地そのものが腐って流れ出しているようだった。


 リナが素早く杖を構え、符を三枚空へ放つ。

 青い光の膜が張られ、彼女の声が響いた。

 「瘴気遮断、第一層展開! 前方の個体数、推定三十!」

 「思ったより多いな」ユウが低く言う。

 「え、三十っすか!? 最初の任務から多すぎじゃないです!?」

 「落ち着けカイ」

 ユウが静かに剣を抜く。青白い光が霧を裂き、仲間の姿を浮かび上がらせた。


 その時、リナの通信具が震えた。

 「――こちら班A。全員準備完了。通信、開きます」


 ザザ……という音のあと、懐かしい声が響く。

 《こちらグランだ。お前ら、聞こえるか》

 「グラン様、全員無事です」

 《上出来だ。さて、新人ども》

 通信越しの声なのに、圧がある。

 《この試験の目的をもう一度言う。――“勝つこと”じゃねぇ。“帰ること”だ》


 短い沈黙が落ちた。

 カイが口を開こうとして、やめる。

 グランの声はさらに低くなる。

 《敵を全部倒す必要はない。誰かが倒れそうになったら、即撤退しろ。

 戦いは度胸試しじゃねぇ。命を張るなら、“守る理由”を持て。》


 ユウは剣を構えたまま、その言葉を噛み締める。

 (守る理由――)

 ガランの言葉、リシアの祈り、そして自分の誓い。

 全部が胸の奥でひとつの熱に変わっていく。


 《ユウ・ハルヴァード》

 「……はい」

 《お前は、もう“戦神の光”を見たんだろう?》

 ユウは息を呑んだ。

 (グラン……知っているのか)

 《力を怖がるな。ただし、支配もするな。

 光ってのは、振り回すもんじゃなく、照らすもんだ。――いいな》

 「……了解しました」

 《よし。それじゃあ存分にやってこい。……生きて、戻ってこい》


 通信が切れた。

 風の音と、霧のざわめきだけが残る。


 カイが盾を構えながら呟いた。

 「グランさん、やっぱりいいこと言うっすね……」

 「“帰る”か。簡単なようで、いちばん難しい」

 ユウは前方の霧を見据えた。

 リシアが胸の前で鈴を鳴らす。

 澄んだ音が広がり、霧の一部が淡く光る。

 「加護、発動。祈りの結界、展開します」

 光の膜が隊を包み込み、呼吸が少し楽になった。


 「ユウさん、あの……」リシアが声をかける。

 「ん?」

 「あなたの剣、また少し光が強くなってます」

 ユウは視線を落とす。

 セレスティアの刃が脈を打つように明滅していた。

 「……こいつが、前に進みたがってる」

 「なら、行きましょう」リシアが微笑む。

 「あなたの“光”が、誰かを守るためにあるなら」


 「了解」ユウは剣を構えた。

 「――班A、前進!」

 リナの号令が響く。


 足音が重なり、霧の中へと踏み出す。

 ぬかるんだ地面の感触。

 前方から、スライムたちの不気味な蠢きが聞こえてくる。


 ユウは深呼吸した。

 (帰るために、斬る。守るために、抜く。)


 祈りの鈴がもう一度鳴った。

 その音を合図に、戦いが始まった。


 瘴気の中を、何かが這う音がした。

 ぐずり、と粘液が地を滑る。

 霧の奥から、無数の影が現れる。

 形を定めぬまま蠢く灰色の塊。

 それぞれの中心に、赤い光がぼんやりと瞬いていた。


 「来るぞ」

 ユウの声と同時に、最前線のカイが盾を構える。

 「了解!」

 彼の掛け声が響き、リシアが祈りの鈴を鳴らす。

 その音が波紋のように広がり、周囲の瘴気が一瞬だけ晴れた。


 リナが即座に指示を飛ばす。

 「カイくん、前衛維持! ユウさん、右斜めから! 私は魔法支援に回ります!」

 「了解!」

 ユウは軽く頷き、踏み出す。

 足元の地面が粘つく。

 剣を構え、刃を横に走らせた。


 ――斬れる。

 抵抗はほとんどなかった。

 スライムの体が弾け、灰色の液体が地に散る。

 しかし、その瞬間、破片が地面に吸い込まれるように消えた。


 (倒した……いや、違う)

 すぐに別の個体が現れ、残滓を飲み込んで再生する。

 「繋がってるのか……!」


 「ユウさん、後ろっ!」

 カイの叫び。振り向きざまに剣を構える。

 飛びかかってきたスライムの一体を斜めに切り上げる。

 粘体が裂け、光を放ちながら霧に溶けていった。


 「数、減ってません!」リナが叫ぶ。

 「分離体が再生してる! 核を狙わないと!」

 「核……?」カイが問い返す。

 「体の中心の光だ!」ユウが応じる。

 「そこを斬れば、再生は止まる!」


 カイが大きく息を吸い、前へ飛び出した。

 盾でスライムの突進を受け止め、その裏から短剣で一閃。

 赤い核が弾け、スライムが静かに溶けていく。

 「やった!」

 「調子に乗るな、まだ五分の一だ!」


 ユウは息を整え、セレスティアを構え直す。

 光が刃に走る。

 胸の刻印が反応している。

 (加護が――動く)


 リシアの鈴が再び鳴った。

 「“清めの詩篇”――!」

 光の環が地面に広がり、スライムたちの動きが鈍る。

 「今です!」


 ユウは跳んだ。

 踏み込み、回転するように斬り払う。

 青白い光の軌跡が霧を裂き、四体のスライムが一度に弾け飛ぶ。

 爆ぜる液体が光の粒となって消えた。


 「すげぇ……!」

 カイが一瞬見惚れる。

 だが、ユウの瞳には警戒が消えない。

 斬ったはずの残光が、地面の下でまた蠢き始めていた。

 「……まだだ。動きが早い」


 リナが息を切らしながら杖を構える。

 「魔力が持たない……! 瘴気が濃すぎます!」

 「結界は維持してくれ。あと少しで数を減らせる」

 ユウが剣を構え、前に出る。


 だが――

 その時、霧の奥で異様な気配が走った。

 低い唸り声のような音。

 地面が震え、冷気が一気に広がる。


 「……何だ?」

 ユウが振り向くと、霧の奥で赤い光が大きく脈動していた。

 今までのスライムとは明らかに違う。

 中心に、心臓のような核。

 脈を打つたびに瘴気が渦を巻く。


 「リナさん……あれ……」

 「っ、まさか……変異体!? 紅核スライム!」


 霧が吹き飛び、巨大な塊が姿を現した。

 赤黒い光が身体中を走り、地面を溶かすほどの熱を放っている。

 「後退! 一旦体勢を整え――」


 リナの指示よりも早く、カイが叫んだ。

 「リナさん、下がって!」

 スライムが跳ね上がり、鋭い液の触手が弾丸のように飛ぶ。

 リナの防壁が砕け、彼女の体が吹き飛んだ。


 「リナッ!」

 カイが駆け出す。

 ユウの視界に、紅の閃光。

 胸の刻印が燃えるように熱くなった。


 (――守らなきゃ)


 セレスティアが共鳴し、青白い光が爆ぜる。

 風が止まり、音が消えた。

 ユウの瞳が光を宿す。


 ――ここから、真の試練が始まる。


 轟音が響いた。

 紅の閃光が大地を裂き、砂煙と瘴気が一気に吹き上がる。

 視界のすべてが赤く染まった。


 リナが地面に倒れている。防壁は砕け、腕が血に濡れていた。

 「リナさん!」カイが駆け寄る。

 「だめ、近づいちゃ……!」

 リナの叫びが掠れる。

 その瞬間、紅核スライムの触手が再びうねり、カイの背後へと伸びた。


 ユウは考えるより先に動いていた。

 剣を構え、踏み込む。

 「カイ、伏せろ!」

 轟、と風が切れる音。

 セレスティアの刃が紅の触手を一閃した。

 粘液が弾け、地面に黒い煙を撒き散らす。


 「ぐっ……熱っ!」

 液が跳ねて外套にかかる。焼けた鉄のような熱。

 瘴気を含んだ血液が蒸気を上げ、皮膚が焼けるように痛む。

 (こいつ、ただの魔物じゃない……!)


 紅核スライムの体がうねる。

 中心の赤い核が脈を打ち、鼓動のように周囲の瘴気を吸い込む。

 地面の黒い血がすべて引き寄せられ、再び体を形成していく。

 「再生が早すぎる!」リシアが息を呑む。

 「……祈りの結界が、押されてます!」


 瘴気が光を呑み込む。

 空気がざらつき、吐息ひとつで喉が焼ける。

 ユウの胸が強く脈打つ。

 刻印が灼けるように熱い。

 ――何かが、内側から呼んでいる。


 ≪討て≫

 また、あの声。戦神ヴァルドの残響。

 ≪お前の剣は、“奪うため”に生まれた。再びそれを証明しろ≫

 「……違う」

 ユウは唇を噛んだ。

 (俺はもう、奪うために戦わない。守るために――)


 リナの呻き声が耳に届く。

 リシアが彼女の前に膝をつき、震える声で祈りを紡いでいた。

 「光よ……彼の者の道を照らしたまえ……!」

 祈りの鈴が鳴り、金色の光が地を走る。

 しかし、紅核の瘴気に触れた途端、光が音もなく消えた。


 「駄目……! 神の光が、届かない……!」


 カイが叫ぶ。

 「リシアさん、下がって! ユウさん、俺が――」

 「来るな!」ユウが叫んだ。

 カイが止まり、驚いた顔で振り返る。

 ユウの周囲の空気が歪んでいた。

 青白い光が身体から漏れ出し、地面に紋様が走る。


 セレスティアが共鳴している。

 (……これが、スレイの理)


 紅核スライムの核が再び光った。

 瘴気が螺旋を描き、地面をえぐる。

 触手が振り下ろされる。

 リナもリシアも避ける余裕はない。


 ユウは踏み出した。

 胸の刻印に右手を当てる。

 「俺は、もう奪わない。

 ――守るために斬る!」


 刻印が爆ぜるように光った。

 セレスティアが青炎を纏い、刃が唸る。

 空気が一瞬で張りつめ、風が止まる。


 「《討滅光スレイ・インパルス》――!」


 斬撃が走った。

 青と紅の閃光がぶつかり、爆風が世界を飲み込む。

 瘴気が焼け、空が白く染まる。


 ユウの叫びが響いた。

 「うおおおおお――っ!」


 紅核が裂ける。

 破裂音とともに、霧が一瞬で晴れた。

 光が、すべてを包み込む。


 ――音が、消えた。

 斬撃の光が霧を切り裂き、世界が一瞬、静止する。

 紅核スライムの体が震え、内部から裂ける。

 爆ぜた瘴気が煙となって舞い上がり、赤黒い霧が風に溶けていった。


 ユウは剣を構えたまま、膝をついた。

 手が震える。

 青白い光を放っていた《セレスティア》が、今は穏やかに揺らめくだけだった。

 (終わった……のか?)


 風が戻ってきた。

 祈りの鈴の音がかすかに聞こえる。

 リシアが立ち上がり、両手を胸の前に合わせていた。

 「……命の灯、絶えぬように……」

 祈りの言葉と共に、金の光がリナの傷を包む。

 焼けた皮膚がゆっくりと閉じていく。


 「……ありがとう……」

 リナがかすれた声で微笑んだ。

 カイが安堵の息を吐き、座り込む。

 「よかった……本当に……」


 その時だった。

 ユウの胸の刻印が、再び強く光った。

 「っ――!」

 視界がぐらりと揺れる。

 頭の奥に、何かが弾けるような痛み。

 そして――声。


 ≪……お兄ちゃん……≫


 誰かの声が、確かに響いた。

 幼い声。懐かしい響き。

 だが、次の瞬間には、もう聞こえない。


 「待て……今のは……誰だ……?」

 思考が霧の中に沈む。

 呼びかけた名が思い出せない。

 胸が締めつけられるように痛いのに、何を失ったのかが分からない。


 リシアの声が遠くで響いた。

 「ユウさん!」

 手が肩に触れ、現実に引き戻される。

 「大丈夫ですか!? 顔が真っ青です!」

 ユウは息を整え、首を振った。

 「……平気だ。ただ、少し……眩暈が」


 セレスティアがかすかに光った。

 その光が、まるで慰めるように穏やかに揺れる。

 ユウはその刃を見つめながら呟いた。

 「こいつが……守ったのか」


 胸の刻印が静かに明滅する。

 その光の中心に、“赤い文字”が浮かび上がった。


 【称号:スライムスレイヤー】


 空気が一瞬震えた。

 リナがそれに気づき、息を呑む。

 「……発現した。スレイの称号……!」

 リシアが小さく手を合わせる。

 「祈りと血……神々の理が交わった証です」


 ユウは立ち上がり、静かに剣を納めた。

 光はすでに消えている。

 けれど、心のどこかで“何かが欠けた”感覚が残っていた。


 (俺は……誰を……)


 問いは声にならない。

 ただ、胸の奥に空白だけが広がっていく。


 リシアが近づき、そっと彼の腕を掴んだ。

 「ユウさん、あなたの中に“光”が宿っています。

 それは奪う力じゃなく――守るための証です」

 ユウはその瞳を見つめ、微かに頷いた。

 「……なら、この光は、まだ消さない」


 瘴気が完全に晴れ、空が開けた。

 灰色の雲の切れ間から、わずかな青が覗く。

 カイがそれを見上げて言った。

 「うわ……空、戻ってる……」

 「ゲートの影響が弱まったのね」リナが呟く。


 リシアが小さく祈りの印を切った。

 「すべての命に、再び息吹を――」


 光がゆっくりと消え、静寂が訪れた。

 血の匂いと火の残り香の中で、ユウはひとり空を見上げる。


 (これが、“スレイ”か……)

 勝利の熱ではなく、胸に残るのは冷たい痛み。

 “何かを守った代わりに、何かを失う”――それが討滅の理。


 風が吹いた。

 セレスティアの刃が月光を反射し、淡く輝く。

 ユウは静かに呟いた。

 「……奪わないために、斬る。それが俺の祈りだ」


 戦いの跡は、まだ熱を残していた。

 瘴気が晴れた地面には、黒く焼け焦げた跡が円を描き、

 その中心に《セレスティア》の輝きが小さく灯っている。


 リナはリシアの支援を受けながら、ゆっくりと立ち上がった。

 「……もう大丈夫。魔力も、呼吸も落ち着きました」

 「無理をしないで」リシアが支えながら言う。

 その声には、戦いの後の安堵と優しさがあった。


 カイは少し離れた岩の上に腰を下ろし、盾を眺めていた。

 焦げ跡だらけの表面を見つめながら、

 「俺……全然、守れなかったな」

 と呟いた。


 ユウは彼の隣に立つ。

 「お前がいたから、リナも俺も助かった。

 “守れなかった”と思えるなら、次はもっと強くなれる」

 カイが顔を上げる。

 「……次、か」

 「そうだ。守りたいと思った分だけ、人は強くなる」

 その言葉に、カイは照れたように笑った。

 「ユウさん、今日の名言、何個目ですか?」

 「数えるな」

 リシアがくすりと笑う。

 「あなたたち、本当にいいチームですね」


 風が吹いた。

 灰の雲が流れ、遠くに沈みゆく太陽が覗く。

 その光がアビス・ゲートの縁を照らした。

 まるで、門そのものが呼吸しているようだった。


 ユウはゆっくりと歩き、門の前に立つ。

 灰色の霧はもう薄い。

 それでも、向こう側にはまだ底知れない闇が揺れていた。

 「これが、“底”か……」


 リシアがそばに来て、静かに問う。

 「あなたは、またここに来るのですか?」

 「来るだろうな。

 でも次は、何のために戦うかを、ちゃんと決めてからだ」


 リシアは小さく頷いた。

 「祈りは、戦いを止めるためにあるんじゃありません。

 生きて帰るための言葉です。

 今日、あなたの剣がそれを教えてくれました」

 ユウはセレスティアを抜き、刃先を下に向けた。

 赤い夕陽の光が、青白い刃を照らす。


 「……この剣は、俺の祈りだ。

 奪うためじゃない。生きるために、守るために、抜く。

 それが――俺の戦い方だ」


 リシアが目を閉じ、短く祈りの印を結んだ。

 「その祈りに、神々の祝福があらんことを」


 リナが通信具を取り出す。

 「班A、任務完了。……全員、生存」

 通信の向こうで、グランの声が静かに響く。

 《……そうか。なら、それで十分だ。》

 わずかな沈黙のあと、

 《――お前ら、よくやった。レオグラードが誇る冒険者だ》


 通信が途切れ、風だけが残った。

 カイが立ち上がり、顔を上げる。

 「やったな……俺たち、帰れるんだ」

 ユウは頷いた。

 胸の刻印が穏やかに脈を打つ。

 それは、“まだ生きている”という証。


 四人は夕陽に照らされた道を歩き出す。

 その背後で、アビス・ゲートがゆっくりと閉ざされていく。

 灰の霧が静かに消え、世界に再び光が戻る。


 ユウは最後にもう一度振り返った。

 (守った命の分だけ、失った記憶がある。

 けど、それでいい。

 この痛みが、俺が生きている証だから)


 風がセレスティアを鳴らした。

 その音は、まるで遠い鐘のように静かだった。

 第5話「祈りと血の試練」は、第1章の核心――“スレイの代償”を明確に描く回でした。

 戦いで勝つたびに“何かを失う”という残酷な理。

 しかしその痛みこそが、ユウにとって“生きる意味”を形づくっていきます。


 初スレイ称号スライムスレイヤーは、栄誉ではなく罪と祈りの印として扱う構成です。

 ここで登場したリシアは、今後ユウの心の“光”を導く存在となり、

 第6話「スラムの灯」へと物語が静かに流れます。


 次回は――

 負傷者を救うため、ユウが“戦わない強さ”を学ぶ章。

 そして、彼を見つめる少女ローナとの出会いが、

 “守る者”としての再生を描いていきます。

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