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異世界剣聖 ― スレイする者 ―  作者: スマイリング


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第3話 銀の鷹亭の誓い

 朝の光が石畳を照らしていた。

 昨日の喧騒が嘘のように、街はまだ眠っている。

 ユウは新しい外套の襟を立て、静かな通りを歩いていた。


 目指すのは、冒険者ギルド《銀の鷹亭》。

 昨日、訓練場で声をかけてきた男――あの金髪の冒険者が言っていた。

 「明日の朝、登録説明がある。来てみろ」と。


 建物の前に立つと、早朝にも関わらずすでに人が集まっていた。

 若い冒険者たち、荷物を背負った旅人、そして緊張した顔の新入りたち。

 彼らの表情には、期待と不安が混ざっている。


 扉を押すと、木の軋む音とともに温かい空気が流れ出た。

 中は広いホールになっており、中央には長い受付カウンター。

 壁には昨日見た掲示板――依頼票がびっしりと貼られている。


 (昨日よりも……生きてる感じがする)

 人々の笑い声、酒の匂い、刃物の光。

 ここでは“戦うこと”が仕事であり、日常そのものだ。


 「おはようございます、新登録の方ですか?」

 声の方を向くと、カウンターの奥でひとりの女性が手を上げていた。

 小柄で、栗色の髪をきっちりまとめた受付係――胸元には銀の羽根のブローチ。


 「ええ。登録をしたい」

 「ようこそ、《銀の鷹亭》へ。受付担当のリナです」

 リナは慣れた笑顔で帳簿を開き、羽根ペンを走らせた。

 「お名前をお願いします」

 「ユウ・ハルヴァード」

 「……ふむ。聞き覚えのない名前ですね」


 彼女が首をかしげた瞬間、背後から野太い笑い声が響いた。

 「そりゃそうだ、リナ。こいつは昨日、訓練場でひと暴れしてた“謎の兄ちゃん”だ!」


 振り返ると、あの金髪の男――カイが立っていた。

 「やっぱり来たな! 待ってたぜ!」

 「……昨日の奴か」

 「昨日の“弟子”だな!」

 「弟子のつもりはない」

 「まあまあ、細けぇこと言うなよ!」


 カイの明るさに周囲の新人たちが笑う。

 その空気に、ユウは少しだけ肩の力を抜いた。


 リナが帳簿を指差す。

 「登録には、“血の契約”が必要です。あなたの意思で剣を取る――それを証明するために」

 小刀が差し出される。

 ユウは無言で受け取り、指先を軽く切った。

 血が帳簿に落ち、紙に吸い込まれていく。


 「……これで、あなたもこの街の“戦う者”です」

 リナが静かに言った。

 その声の中に、ほんのわずかな敬意の響きがあった。


 「登録完了。今日の午前に、実技試験が行われます。

 ギルド長グラン・ザイオン直々の立ち会いです」

 「ギルド長が?」

 「はい。滅多にない機会ですよ」


 その名を聞いた瞬間、周囲の冒険者たちがざわめいた。

 「マジかよ、あのグランが来るのか!」「昨日酒場で暴れてたばかりだろ!」

 「こりゃ気合入れねぇと」


 ユウは彼らの会話を聞きながら、静かに思う。

 ――“命を張る覚悟がねぇなら、依頼書に名前を書くな”。

 バルドが言っていた言葉が、ふと胸をよぎった。


 今、自分はその“名前”を書いた。

 ならば、この街で生きる者の一人として、

 その意味を確かめなければならない。


 ギルドの奥の扉が開き、低く響く声が空気を震わせた。

 「新入りども、準備はいいか!」


 現れたのは、巨躯の男だった。

 筋骨隆々の体、短く刈られた黒髪。

 片目に走る古い傷跡が、戦場の年月を語っている。


 「……あれが、グラン・ザイオン」

 隣のカイが興奮気味に囁いた。

 ユウは息を呑んだ。

 その男の存在だけで、場の温度が変わった。


 巨躯の男がホールを一歩踏み出すだけで、空気が変わった。

 ざわついていた新人たちの声が止み、笑っていた者たちの背筋が自然に伸びる。

 グラン・ザイオン――冒険者ギルド《銀の鷹亭》の長。


 「朝っぱらから顔が揃ってるとは感心だ。

 お前ら、今日から“命を張る側”だって自覚はあるか?」

 低く響く声。

 冗談めかした口調なのに、言葉が胸にずしりと刺さる。


 誰も返事をしない。

 グランは軽く鼻を鳴らし、笑った。

 「黙ってるってことは、まだ実感がねぇんだな。まあ、最初はそんなもんだ。

 だが――覚えとけ。依頼書に名を書いた瞬間から、半分は戦場に立ってると思え」


 その一言で場が引き締まる。

 ユウは無意識に背筋を伸ばした。

 (言葉の重みが違う……この人は、“戦い”を知っている)


 グランはゆっくりと新人たちを見渡し、

 最後にユウの方で目を止めた。

 「お前、見ねぇ顔だな。昨日登録したばかりか?」

 「はい」

 「名は?」

 「ユウ・ハルヴァード」


 短いやり取りのあと、グランは顎をなでた。

 「……ほう。変な気配がする。

 剣の握りを知ってる目だ。どこの神の気まぐれで、こんな奴がここに来た?」

 「神の名前は……言いたくありません」

 「ふん、いい度胸だ」


 笑いながらも、グランの視線は鋭い。

 試すようでもあり、どこか懐かしむようでもあった。


 「ま、名前を名乗るだけじゃ冒険者とは言えねぇ。

 今日の午前は“実技試験”だ。

 剣でも魔法でもいい、命を張る覚悟を見せてもらう」


 「……試験、ですか」

 「そうだ。俺は命を軽く扱う奴が嫌いでな。

 戦場で軽口叩く奴ほど、最初に血を吐く」


 彼の言葉に、ホールの空気が一層重くなる。

 新人たちの中には明らかに怯えた顔もあった。

 それでも、誰一人として逃げ出さない。


 「怖がるのはいい。

 恐れながらも立ち続ける奴だけが、生きて帰ってくる」

 その言葉に、ユウの胸の奥で何かが共鳴した。

 ヴァルドの声――“恐れを抱いたまま立て”。

 戦神の言葉と、目の前の男の言葉が重なって聞こえる。


 「よし、これで話は終わりだ。

 外の訓練場に出ろ。そこでお前らの“初陣”を見せてもらう」


 グランが踵を返すと、

 新人たちは緊張した面持ちで一斉に動き出した。

 ユウもその中に混ざり、外へ向かう。

 その背中に、グランの低い声が追いかけた。


 「――ユウ・ハルヴァード。

 お前は、“戦神のにおい”がするな」


 ユウは足を止めた。

 振り返ると、グランの口元に薄い笑みが浮かんでいる。

 「昔、似たような奴を見たことがある。

 そいつも、“戦う理由”を探してた」


 「……その人は、見つけたんですか?」

 「さあな。死んじまったから聞けねぇ」


 短い沈黙。

 それでも、ユウは不思議と怖くなかった。

 ――この男の言葉は、脅しじゃない。

 “生きてきた証”そのものだ。


 「安心しろ。

 生きてる限り、何度でも誓いは立て直せる。

 ……さあ、見せてみろ。“お前の戦い方”を」


 ユウは静かに頷いた。

 胸の刻印が、薄く光を帯びる。


 そして、朝の光が扉の向こうから差し込む中、

 彼らは訓練場へと向かった。


 訓練場には、朝の冷たい風が吹き抜けていた。

 空は雲ひとつなく澄み、遠くで鐘の音が響く。

 石畳の中央に立つグランが、短く号令をかけた。


 「これより新入り試験を始める!」


 その声に、集まった冒険者たちが一斉に動く。

 見物に来た古参たちは木陰に腰を下ろし、

 新人たちは緊張した面持ちで木剣を構えた。


 「今回の試験は模擬戦だ。

 実際の依頼で怪我をしねぇよう、まずはここで汗を流せ。

 ただし、気を抜いたら本当に血を見ると思え!」


 グランの号令に、場の空気が一瞬で張り詰めた。

 隣に立つカイが、木剣を両手で握りしめる。

 「なあユウさん、俺……すげぇ緊張してる」

 「自然なことだ。怖いほうがいい」

 「そうなのか?」

 「恐れを抱いてるうちは、生きることを諦めてない証拠だ」

 ユウの静かな声に、カイは息を飲み、それから笑った。

 「じゃあ、俺は生き残れそうだ!」


 木剣が振り下ろされる音が響く。

 最初の組が始まった。

 まだぎこちない動きだが、誰も逃げない。

 その姿を見て、ユウの中の何かが少しずつ熱を帯びていく。


 (戦うって、こういうことなのか)


 次の組の名前が呼ばれた。

 「カイ・ハート、ユウ・ハルヴァード!」

 「来たっ!」

 カイが息を弾ませながら立ち上がる。

 ユウも静かに歩き出した。

 観客たちの視線が集まり、ざわめきが走る。


 「昨日の兄ちゃんだろ?」「また派手にやってくれそうだな!」


 訓練場の中央で、二人は向かい合った。

 グランが腕を組み、短く言った。

 「好きに戦え。ただし、“殺すつもりでやれ”」


 空気が一変する。

 カイが息を整え、木剣を構える。

 「手加減、しなくていいですよね?」

 ユウは答えずに剣を抜いた。

 刃ではなく木製のそれなのに、手にした瞬間――

 空気の重さが変わった。


 ――戦場の記憶が蘇る。

 焼ける鉄の匂い、光の閃き、血の温度。

 胸の刻印が微かに疼く。


 「いくぞッ!」

 カイが踏み込む。

 速い。だが、見える。

 ユウは一歩、後ろへ下がりながら木剣を傾けた。

 軽い音。

 カイの剣が弾かれ、体勢が崩れる。

 そのまま、ユウの木剣が彼の肩口に軽く触れた。


 「……一本」


 周囲が静まり返る。

 次の瞬間、見物の冒険者たちがどっと沸いた。

 「すげぇ!」「速すぎて見えなかった!」

 カイは目を丸くし、それから笑った。

 「負けたっ! でも、すげぇ! どうやったんですか、今の!」

 「体が、勝手に動いた」


 ユウは剣を下ろしながら、自分の手を見た。

 木剣を握る指が震えている。

 感情じゃない。

 ――刻印が共鳴している。


 胸の奥で、声が響いた。

 ≪戦え、ユウ・ハルヴァード≫


 刹那、心臓の鼓動が跳ねた。

 視界の端が白く滲む。

 立ち上がる“戦神ヴァルド”の影。

 ユウは歯を食いしばり、胸を押さえた。

 (違う……今は戦場じゃない)


 「ユウさん?」

 カイの声で我に返る。

 胸の光が収まり、空気が落ち着いた。


 グランがゆっくりと歩み寄り、低く笑った。

 「……面白ぇな。

 技でも反射でもねぇ、“戦う体”だ。

 お前、ただ者じゃねぇな」


 「褒め言葉と受け取っておきます」

 「ははっ、悪く取らなきゃそれでいい」

 グランは笑いながら背を向けると、次の組を呼んだ。

 「次! この調子でいくぞ!」


 歓声が再び上がる中で、ユウは胸を押さえた。

 刻印はまだ微かに熱を放っている。

 その熱は、“生きている”という実感そのもののようだった。


 模擬戦が続くうちに、訓練場の熱気はどんどん高まっていった。

 木剣がぶつかる音、掛け声、砂埃。

 グランは腕を組んだまま、ひとりひとりの動きをじっと見ている。


 「よし、次は四対四だ! 小隊戦をやってみろ!」

 その声に、場がざわめく。

 選ばれた八人の中に、カイの姿があった。

 彼は木剣を肩に担ぎ、いつもの調子で笑っていた。


 「見ててくださいね、ユウさん!」

 「……あまり突っ走るな」

 「大丈夫っす! 俺、こう見えてやる時はやりますから!」


 嫌な予感がした。

 グランの「始め!」の号令と同時に、カイは一番に飛び出した。


 「おい、前に出すぎだ!」

 仲間の叫びも聞こえていない。

 勢いよく敵側に突っ込み、木剣を振り下ろした。

 だが、敵も四人だ。

 横合いからの一撃に気づくのが一瞬遅れた。


 「カイ!」


 ユウの声と同時に、木剣がカイの背に叩き込まれた。

 鈍い音。

 カイの体が崩れ落ち、砂埃が舞う。


 周囲が凍りつく。

 誰もが息を呑んだ。


 次の瞬間、ユウの体はもう動いていた。

 「そこまで!」というグランの声が響く前に、

 彼は訓練場の中央に駆け出していた。


 木剣が床を蹴る音。

 敵の一人が反射的に振り下ろす。

 ユウはそれを軽くいなし、柄を押し返して膝裏を払った。

 相手が崩れ落ちるのと同時に、もう一人の木剣を受け止め、

 体をひねって肩口を打つ。


 ――二人、三人。


 木剣の音が響き、風が切れた。

 その動きは滑らかで、迷いがない。

 まるで長年の戦士のような一連の流れ。


 周囲の冒険者たちがざわめく。

 「今の見たか?」「あんな動き、真似できねぇ!」


 グランが腕を組んだまま、目を細める。

 「やっぱりな……」


 ユウは立ち尽くしたまま、息を整えた。

 倒れた相手を見下ろし、木剣を下げる。

 胸の刻印が、また熱を持ちはじめていた。

 勝つたびに、何かが“削られていく”ような感覚。


 「ユウさん……」

 背後で、カイがかすれた声を出した。

 彼は片膝をつきながらも笑っている。

 「すみません、ちょっと……突っ走りすぎたみたいです」

 「馬鹿野郎。死ぬ気か」

 「だって、背中は任せられる気がしたんで」


 その言葉に、ユウは一瞬だけ言葉を失った。

 (……背中を、任せられる?)


 ずっとひとりで戦ってきた。

 誰かの命を預かることも、預けることもなかった。

 だが今、彼の中に“守りたい”という衝動が生まれている。


 「大丈夫か」

 ユウは手を差し出した。

 カイがその手を掴み、立ち上がる。

 その瞬間、胸の刻印が強く光った。


 周囲から歓声が上がる。

 「見事だ!」「あの二人、チームにすればいい!」


 グランがゆっくりと歩み寄り、ユウとカイの肩を叩いた。

 「いい動きだった。

 ただし――仲間を救うために剣を振るうなら、それは“覚悟”が要る」


 ユウは頷いた。

 「覚悟、ですか」

 「ああ。守るために斬る覚悟だ」


 その言葉に、胸の奥が熱くなる。

 (守るために、斬る……)


 今までの戦いは“生き残るため”だった。

 けれど、今は違う。

 誰かを守るために剣を取る――

 その意味を、初めて理解した気がした。


 グランの言葉が響いたまま、訓練場に一瞬の沈黙が落ちた。

 風が止まり、空気がぴんと張りつめる。

 次の瞬間、胸の奥で“何か”が脈を打った。


 ――ドクン。


 光が漏れる。

 ユウの胸の刻印が、赤く輝いた。

 熱が広がり、視界が滲む。

 周囲の声が遠ざかり、音が消えていく。


 (……また、か)


 焼ける鉄の匂い。

 遠くで叫ぶ兵士たちの声。

 気づけば、目の前の訓練場が戦場に変わっていた。

 血に染まった地面、崩れた塔。

 風に乗って、黒い羽のような灰が舞う。


 ≪戦え。≫


 耳の奥で、戦神ヴァルドの声が響く。

 ≪お前が守りたいと願うなら、すべてを斬れ。≫


 「……違う」

 ユウは歯を食いしばった。

 「俺は、もう“生き残るため”だけには戦わない!」


 だが声は止まらない。

 ≪それでも戦う。それが“選ばれた者”の宿命だ≫


 光が強くなる。

 ユウの手の中の木剣が震え、まるで金属のような音を立てた。

 木の表面が赤い紋様に包まれ、瞬間、金属の剣へと変わる。


 周囲がざわめく。

 「おい……あれ、光ってねぇか?」「木剣が……剣に……?」


 ユウは息を荒げ、剣を握りしめた。

 目の前に幻影の兵が現れる。

 鎧の隙間から血が流れ、黒い影が這い寄る。

 それは過去の記録――スレイとして刻まれた“戦いの残像”。


 ≪討て。≫


 「やめろ……俺は――!」


 地面を蹴る音。

 彼の体が反射的に動いた。

 剣が空を裂き、影を貫く。

 轟音とともに、光の破片が散った。


 その瞬間、幻が霧のように消える。

 代わりに現実の訓練場が戻ってきた。

 ユウの前では、訓練用の木人形が真っ二つに割れている。

 切断面は焼け焦げ、煙を上げていた。


 「な、なんだ今の……!」

 「木剣で斬ったのか? いや、斬れねぇだろ普通!」


 周囲の冒険者たちがざわつく。

 ユウは剣を見つめ、息を整えた。

 光はもう消えている。

 だが、腕の震えが止まらない。


 グランがゆっくりと近づき、倒れた木人形を見下ろした。

 「……おいおい、こりゃ大したもんだ」

 彼の声は低く、しかし驚きよりも興味が混じっていた。

 「スレイの光……いや、それ以上か。

 まるで“討滅”の再現だな」


 「俺は……」

 ユウは言葉を失う。

 胸の刻印がまだ微かに熱を放っている。


 グランが目を細め、ぽつりと呟いた。

 「やっぱり、お前……“神に触れた剣士”か」


 ユウは顔を上げた。

 「神に、触れた?」

 「普通の人間が、あんな光を扱えるわけねぇ。

 だがな、勘違いすんな。神の力を借りたからって、戦いが軽くなるわけじゃねぇ」


 グランは一歩近づき、ユウの肩を掴んだ。

 「力の代わりに、何を差し出すか。

 それが、お前の“戦う理由”になる」


 その言葉に、胸の刻印が小さく脈を打った。

 ――何を差し出す?

 ユウの脳裏に、一瞬、誰かの笑顔が浮かんだ気がした。

 けれど、それが誰なのか思い出せない。


 グランは肩を離し、笑った。

 「面白ぇ。

 だったら、お前に一つ、問いをやる」


 「問い……?」

 「ああ。

 “なぜ剣を抜く?”――この街で生きる限り、いつか必ず答えを出すんだな」


 ユウは何も言えずに立ち尽くした。

 風が吹き抜け、砂埃が舞う。

 遠くで鐘の音が鳴った。

 その響きが、彼の胸の奥でいつまでも鳴り続けていた。


 訓練場に吹き抜けた風が、砂の匂いを運んでいった。

 さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返り、

 ユウはただ、手の中の木剣を見つめていた。


 さっきの光の残滓が、刃の表面にまだ薄く残っている。

 胸の刻印も、かすかに赤く瞬いていた。


 「……なぜ剣を抜く、か」

 ユウが低く呟くと、グランは腕を組んだままうなずいた。

 「この街に来る奴らはな、ほとんどが“金のため”だ。

 次に多いのが“復讐のため”。

 あとは“生き延びるため”だ。

 お前は、どれだ?」


 その問いに、ユウはすぐ答えられなかった。

 頭の奥で、遠い鐘の音が響く。

 聖堂の白い光、アルマの祈り、マリアの笑顔。

 そして、倒れかけたカイの姿――。


 どれも脳裏をかすめ、胸の刻印がひときわ強く脈打った。

 「俺は……」


 声が、自然に出ていた。

 「守るために、抜きます」


 グランの眉がぴくりと動く。

 ユウは続けた。

 「誰かの祈りを、笑顔を、生きる場所を――守るために。

 それを斬るしかないなら、俺は剣を取る。

 でも、奪うための剣はもう持たない」


 静寂。

 周囲の冒険者たちが、息をするのも忘れて聞き入っていた。

 それは決意というより、祈りに近い言葉だった。


 グランが口角を上げた。

 「……いい答えだ」

 低く、重い声で言う。

 「戦いを知る奴ほど、“守る”って言葉を軽く使わねぇ。

 それでも言えるなら――お前はもう“戦士”だ」


 ユウは目を伏せた。

 心臓の鼓動と刻印の光が同じリズムを刻んでいる。

 今だけは、その痛みさえ心地よい。


 グランが背を向け、ゆっくり歩き出す。

 「覚えておけ。守る剣は、時に“死ぬ覚悟”よりも重い。

 それでも抜く時は、ためらうな。

 剣士に必要なのは、迷いじゃなく“約束”だ」


 「……約束」

 「そうだ。“誰を守るか”って誓いを、自分に刻むんだ」


 グランの声が遠ざかる。

 ユウは空を見上げた。

 高い塔の上を、銀色の鷹が旋回している。

 羽根が陽光を受け、眩しく輝いた。


 その光景を見つめながら、彼は静かに右手を胸に当てた。

 (俺は……もう、誰も見捨てない)


 その瞬間、胸の刻印が淡く光った。

 熱ではなく、穏やかな温度。

 まるで“誓い”という言葉が、そこに刻まれていくようだった。


 風がまた吹く。

 訓練場の砂が舞い、陽の光が粒子のように散る。

 遠くから聞こえる笑い声の中に、カイの明るい声が混ざった。

 「ユウさん! かっけぇっすよ、今の!」


 ユウは苦笑して肩をすくめた。

 「……言うな」

 「でも、ほんとにそう思いました! 俺、今日から絶対、背中任せます!」


 その言葉に、ユウは短くうなずいた。

 (背中を任せられる……悪くない響きだ)


 訓練が終わる頃、太陽はすっかり高く昇っていた。

 汗の匂いと鉄の香りが入り混じり、空気に“生”の熱を残している。

 倒れていた木人形たちは片づけられ、訓練場には新しい静けさが訪れていた。


 グランが中央に立ち、全員を見渡した。

 「今日の試験、合格者は全員だ」

 ざわめきが走る。驚きの声があちこちで上がった。

 「理由は簡単だ。誰も逃げなかった。

 怖くても、足を止めずに立ち続けた。それだけで十分だ」


 ユウもその輪の中で立っていた。

 風が外套を揺らし、胸の刻印がわずかに熱を帯びている。

 隣にはカイがいて、興奮したように笑っていた。

 「ユウさん、俺ら、冒険者ですよ! 本物の!」

 「……まだ入り口だろ」

 「入り口でも、立派なスタートです!」


 グランがゆっくりと歩み寄ってきた。

 彼の手には、小さな銀の羽根がいくつも入った革袋。

 光を受けて淡く輝くそれは、まるで誓いの欠片のようだった。


 「《銀の鷹亭》に加わる者には、この羽根を渡す。

 俺たちの仲間であり、同じ空を目指す証だ」


 彼はひとりずつに手渡していく。

 カイの番になると、グランはにやりと笑った。

 「突っ走るなよ、小僧。お前の背中は、もう守られてる」

 「へへっ、わかってます!」


 そして、ユウの前に立つ。

 「ユウ・ハルヴァード」

 「はい」

 グランは一拍の間を置いてから、言葉を続けた。

 「お前の中の光は、いつかお前自身を焼くかもしれねぇ。

 けど――それを恐れずに持ち歩け。

 それが、“生き直した者”の証だ」


 ユウは黙って羽根を受け取った。

 小さな金属片は驚くほど軽く、それでいて温かい。

 胸のポケットに入れた瞬間、刻印の熱が静かに収まった。


 (……これが、俺の“始まり”なんだな)


 周囲では新しい仲間たちが笑い合い、肩を叩き合っていた。

 グランが腕を組み、短く言った。

 「ここから先は、それぞれの戦いだ。

 だが忘れるな――“守る誓い”は一人じゃ果たせねぇ。

 戦うためじゃなく、生きるために剣を抜け」


 その言葉が、ユウの胸に深く刻まれた。


 カイが隣で拳を突き上げる。

 「よっしゃー! これからよろしくお願いします、先輩!」

 「先輩、じゃない」

 「じゃあ……相棒!」

 「それも違う」

 「でも、呼びやすいからそれでいきます!」


 笑い声が弾けた。

 グランも苦笑し、背を向ける。

 「相棒だろうが何だろうが、ちゃんと飯は食えよ。

 空腹で戦場に出る奴は、神より先に腹に殺されるぞ」


 その豪快な笑い声に、訓練場が再び明るく包まれた。


 ユウは空を見上げる。

 銀の羽根が陽光を受けて輝く。

 あの日、聖堂で聞いた鐘の音が頭の中で重なった。

 祈りと戦い、神と人、生と死。

 そのすべてを抱えながら、彼は静かに息を吸った。


 「――俺は、生きるために剣を抜く」


 その言葉は誰に向けたでもなく、

 ただ風に乗って、空高く消えていった。

 第3話「銀の鷹亭の誓い」は、“孤独な戦士”だったユウが初めて“仲間と誓う”回。

 戦う理由を問われ、「守るために戦う」という答えに辿り着くまでの道のりを描きました。


 グランは父性、カイは希望。

 この二人を通して、ユウの「人としての温度」が取り戻されていきます。

 最後に授けられた“銀の羽根”は、これからの物語全体に繰り返し登場する象徴――

 それは「一人では飛べない」というメッセージです。


 次話では、初めての“実戦依頼”へ。

 第4話「灰色の門の前で」

 アビス・ゲートを前にして、ユウが初めて“スレイを得る”伏線が始まります。

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