表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界剣聖 ― スレイする者 ―  作者: スマイリング


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/16

第15話 廃都に吹く風

 北の街道を吹き抜ける風は、焼けた鉄の匂いを運んでいた。

 焦土の地平には、もう人の声はない。ただ乾いた風が、折れた標識を鳴らしている。


 ユウは外套の裾を押さえながら、黒ずんだ石畳を歩いていた。足跡の跡には、古い血がこびりついている。――十年前、この道を最後に、誰も廃都カレンから戻らなかったという。


 「……ねぇ、先生」

 リシアが隣で小声を漏らす。旅装の裾には砂埃がこびりつき、彼女の頬も薄く煤けていた。

 「本当に、この先に街があるの?」


 ユウはうなずいた。

 「地図上ではな。だが、人の住む街じゃない。神に見放された場所だ」


 そう言っても、彼の声に感情はなかった。静かで、どこか遠い。

 転生してから幾度も見た“焼け跡”のひとつにすぎない――はずだった。


 ローナが少し後ろからついてきて、口元で乾いた笑みを浮かべる。

 「こんな焦土に、また足を踏み入れるとはね。……ほんと、好きね、あんたたち」

 「仕事だ」ユウは答えた。

 「北の峡谷で、また“スレイ暴走”が起きてる。神殿が調査を放棄したままじゃ、被害が広がる」


 ローナは肩をすくめる。「命知らずのボランティア、って言いたいのよ」

 リシアがそれにかすかに笑った。けれど、すぐに笑みは消える。


 遠くの空が鈍い灰色をしていた。陽光は煙に遮られ、どこかで焦げた木の匂いが漂う。

 リシアは胸の前で両手を組んだ。

 「……祈りを捨てた街、ってほんとにあるんだね」


 「祈りを捨てたんじゃない。祈りが壊れたんだ」ユウが言う。

 その声は低く、まるで自分自身を戒めるようだった。

 ――戦うたび、誰かの祈りを壊してきた。そんな後悔が、彼の胸の奥にまだ燻っていた。


 風が強くなり、灰が舞った。

 見上げた先に、崩れかけた城門の影が見え始める。

 塔の上には鳥の群れが巣を作り、かすかに光を反射させていた。


 ローナが呟く。「あれがカレンの外門よ。……十年ぶりに見る」

 リシアは思わず息を呑む。かつて神殿都市と呼ばれたその街の姿は、いまや黒い亡骸のようだった。


 それでもユウは一歩、また一歩と進む。

 彼のブーツが焦げた石を踏むたび、乾いた音が響いた。

 ――廃都に吹く風が、まるで誰かの囁きのように、背中を押してくる。


 廃都カレンの外門は、まるで巨人の遺骸のように沈黙していた。

 崩れた石壁に蔦が絡み、門扉の代わりに黒焦げの梁が斜めに突き立っている。

 風が通り抜けるたび、鉄の残響が耳を刺した。


 リシアはその場に立ちすくむ。

 「……人の街、だったんだよね。ここ」

 ユウは頷き、静かに門柱に手を当てた。


 石の表面には、赤く光る紋様がうっすらと浮かんでいる。

 刻印――いや、スレイの残滓。

 討たれた魂の痕が、なおもこの門に焼きついていた。


 「まだ、消えていないな」

 ユウが呟くと、ローナが低い声で応じる。

 「スレイ暴走の跡よ。十年前、ここの神官たちが加護を制御できなくなった。

  街ごと、光に焼かれたの」


 彼女の指先が、灰の下から淡く光る石片を拾い上げる。

 小さな、牙の形をした護符だった。

 「この形……まるで獣の祈りね」


 リシアがその護符を覗き込み、眉をひそめた。

 「どうしてこんな場所に?」

 ローナは肩をすくめる。

 「わからない。でも、人間が作ったものじゃない。――感情の波が、違う」


 ユウは護符を受け取り、掌の上で光を確かめた。

 赤い筋が微かに動き、まるで脈打つように震えている。

 「……まだ、生きてる」


 その言葉に、リシアが息を呑んだ。

 「生きてる? だってこれは――」

 「“群れ”の記憶だ」ユウが静かに言う。

 「討たれた者の祈りが、形を変えて残っている」


 風が門の裂け目を吹き抜けた。

 どこか遠くで、低く長い“遠吠え”が響く。

 それは風の音にも似ていたが、確かに生き物の声だった。


 リシアが震える指で剣の柄を掴む。

 「今の……聞こえた?」

 ローナがうなずく。

 「ええ。……北の峡谷からね。あれが“スレイ残響”の源だわ」


 ユウは目を細め、灰色の空を見上げた。

 「行こう。門を越える」

 「でも――」リシアが一歩ためらう。

 その肩に、ユウが手を置く。


 「怖いなら、それでいい。

  恐れを知って進むのが、俺たちの戦い方だ」


 リシアは唇をかみ、うなずいた。

 「……わかった。先生」


 三人は廃都の門をくぐる。

 足を踏み入れた瞬間、風の流れが変わった。

 街の中から吹く風は冷たく、湿っていた。

 まるで“まだ何かが生きている”と告げているかのように――。


 門を越えた瞬間、世界の色が変わった。

 灰に覆われた空の下、街全体が静止画のように止まっている。

 風が吹いても埃ひとつ動かず、音のすべてが吸い込まれていくようだった。


 「……音が、しない」

 リシアの呟きが、やけに大きく響いた。

 ユウは頷き、剣の柄に軽く手をかけた。

 「ここでは“祈り”も止まっている。だから風も眠る」


 石畳は崩れ、割れた瓦礫の間から黒い根のような筋が走っていた。

 それは地面の下に生きている何かが、まだ脈打っているように見えた。

 ローナが膝をついて、その黒い筋を指でなぞる。


 「……スレイの流れね。加護が暴走したあと、こんなふうに地を這うの。

  まるで血管みたいでしょう?」

 「じゃあ、まだ“生きてる”ってこと?」リシアが問う。

 「そう。けど、これは血じゃない。祈りが腐った跡よ」


 その言葉に、リシアの顔が曇った。

 足元の瓦礫を見つめると、小さな骨が転がっていた。

 人のものではない――細く、軽い。

 ユウはそれを拾い、親指でそっと撫でる。


 「獣の骨だ。けど……スレイが刻まれている」

 「え? 獣にもスレイってあるの?」

 ユウはうなずく。

 「生きるために戦ったなら、刻まれる。神が与えた理屈なんて関係ない」


 ローナがため息をつく。「皮肉ね。戦わない者の祈りは消えて、獣の祈りだけが残るなんて」

 「人はすぐに“群れ”を壊すからだ」ユウの声が低く響いた。

 「群れが怖くなる。信じることが怖くなる。……だから孤独でいようとする」


 リシアはその横顔を見上げた。

 「先生も、そうなの?」

 ユウは答えない。代わりに、街の奥――崩れた聖堂の影を見つめる。


 そこに、風のない空気が渦を巻いていた。

 光でも闇でもない、灰色の粒子がゆらめく。

 耳を澄ませば、何かが囁いているようだった。


 “帰レ”


 ほんの一瞬、そんな声が聞こえた気がした。

 リシアが震える。「今の、誰か……」

 ローナが顔をしかめた。

 「この街の“残響”よ。討たれた者たちが、まだここに縛られてる」


 ユウは剣に手を置いた。

 「だから、終わらせに来た」


 灰が舞い、塔の影が揺れる。

 風は冷たく、どこか哀しげだった。

 それでも彼らは歩を止めない。

 廃都の奥へ――沈黙の街の心臓部へと進んでいった。


 聖堂跡地は、廃都の中心にあった。

 かつて祈りの鐘が鳴り響いたであろう高塔は半分ほど崩れ、天井の残骸が床に突き刺さっている。

 柱の一本一本にまで焼け跡が残り、黒い煤が風に舞った。


 リシアは思わず息を詰めた。

 「ここが……祈りの場所、だったの?」

 ローナが頷く。

 「“だった”わね。戦神派が最後まで拠点にした神殿跡。暴走したスレイがここで爆ぜた」


 床には、複雑な円紋が刻まれていた。

 石畳のひとつひとつに、赤い線が走り、螺旋を描いて中央へ収束している。

 まるで無数の爪跡で掘られたようだった。


 「これ……獣の跡?」リシアが膝をついて指を近づける。

 ユウはすぐにその手を掴んだ。

 「触るな。呼ばれる」


 次の瞬間、空気が変わった。

 温度が下がり、耳の奥で低い唸りが鳴る。

 灰色の光が床の模様から立ち上がり、ゆらゆらと天井の闇に吸い込まれていった。


 「……スレイ残響よ」ローナの声が硬くなる。

 「倒された魂が祈りを忘れられず、記録のまま循環している。

  人の手で止められない“祈りの屍”」


 リシアが身をすくめる。「声が、聞こえる……」

 確かに、耳の奥で何かが囁いていた。

 それは言葉にならない悲鳴のようであり、懇願のようでもあった。


 『……守レ……群レ……』


 風が一気に吹き抜け、灰が舞い上がる。

 リシアの髪が乱れ、頬をかすめた。

 ユウは剣の柄を強く握る。

 「見えてきたな。これは……“群れの祈り”だ」


 「群れの……祈り?」リシアが問い返す。

 「この街を襲ったのはコボルトたち。けれど、彼らも祈っていた。

  神ではなく、“群れ”そのものに」


 ローナが唇を噛む。「祈りを神から取り戻した存在……ね。皮肉だわ」

 ユウは静かに頷いた。

 「だからこの残響は消えない。彼らの祈りがまだ、この地を歩いている」


 その時、床の模様が一瞬だけ強く輝いた。

 光が脈打つように波打ち、三人の影を壁に映す。

 それぞれの影の背後に、獣の輪郭が重なって見えた。


 リシアが息を呑む。「先生、後ろに――!」

 ユウは即座に彼女をかばい、剣を抜く。

 鋼が空気を裂く音が、静寂の街に響いた。


 けれど、襲いかかってきたものはなかった。

 ただ、目に見えぬ影が、彼の刃に触れるようにして消えていく。

 その一瞬、ユウの胸の刻印が淡く光った。


 「……やっぱり、ここに“声”がある」

 ユウは剣を下ろし、灰の舞う空を見上げた。

 風の中に、確かに聞こえた。

 誰かが遠くで、静かに――“遠吠え”をしている。


 風が止んだ。

 代わりに、聖堂の奥から低い唸りが響く。

 石壁が震え、粉塵がぱらぱらと降り注ぐ。


 ユウは反射的に前へ出た。剣を半ば抜いたまま、視線を巡らせる。

 「――来るぞ」


 リシアは息を呑み、ユウの背に身を寄せた。

 ローナは杖の先に淡い光を灯す。医師でありながら、最低限の防衛魔術は心得ている。

 光が揺れ、崩れた祭壇の影を照らした。


 そこにいた。


 灰の靄の中、四つ足の影がゆらゆらと形を成していく。

 体躯は人の少年ほどの大きさ。だが、その目は虚ろで、体は透けていた。

 “スレイ残響”が具現化した幻影――討たれたコボルトの魂。


 リシアが思わず叫ぶ。「まって、斬っちゃだめ!」

 ユウの動きが止まる。影は威嚇の姿勢を取らず、静かに首を垂れていた。

 その動作に、怯えも敵意もない。


 「……何か、訴えてる」リシアがつぶやく。

 光の体がわずかに震え、灰の粒が涙のように床に落ちた。

 その一滴が石に染みるたび、淡い音がした。


 “遠吠え”だ。


 人の声ではない、けれど確かに悲しみの響きを持った声。

 それがひとつ、ふたつと重なり、聖堂全体が共鳴しはじめた。

 廃都の風が吹き込み、崩れた屋根の隙間から灰光が差し込む。


 ローナが震える声で言った。

 「彼ら……泣いてるのよ。討たれたことを恨んでるんじゃない。

  “群れ”を失った悲しみを、ただ、思い出している」


 ユウは剣を下ろした。

 「戦うための声じゃない……“帰りたい”と叫んでいる」


 そのとき、リシアが一歩前へ出た。

 「……待って」

 彼女は掌を差し出し、ゆっくりと幻影へ近づいた。

 「大丈夫。あたしたちは敵じゃないよ」


 影が一瞬、戸惑うように動いた。

 だが次の瞬間、光が彼女の掌に触れた。

 冷たい――けれど、優しい感触。


 リシアの目に涙が滲む。

 「ねぇ、先生。……この子、まだ生きたいって」

 ユウは息を詰めた。


 影がふっと形を崩し、灰の粒となって舞い上がる。

 それが空へ昇るにつれ、遠くの空にまたひとつ、遠吠えが重なった。

 まるで仲間の声に応えるように。


 ローナが静かに目を閉じた。

 「ここは墓地みたいなものね。けれど、彼らの祈りは終わっていない」


 ユウは剣を鞘に戻し、聖堂を見回した。

 「……群れの祈り、か」

 その言葉を噛みしめるように呟き、彼はゆっくりと空を見上げる。


 天井の穴から吹き込む風が、光を運んできた。

 灰にまみれた世界の中で、その一筋の光だけがやけに眩しかった。

 “まだ、何かを守れるかもしれない”――そんな錯覚のような希望が、ユウの胸をかすめた。


 聖堂の鐘楼が、風に鳴った。

 音はかすかだったが、それでも確かに響いた。

 まるでこの街の祈りが、再び目を覚ましたかのように。


 夕陽が沈みかけていた。

 聖堂を出た三人は、瓦礫の積もる広場に立ち、燃えるような空を見上げていた。

 灰に染まった廃都にも、確かに光は差している。


 リシアは胸の前で両手を握りしめ、まだ震えていた。

 「……さっきのあの子、どうしてあんなに悲しそうだったの?」

 ユウはしばらく答えず、廃墟に吹く風の音を聞いていた。


 「“群れ”を失ったんだ」

 静かな声でそう言って、彼は歩き出す。

 「コボルトたちは互いを信じて戦う種族だ。だが、この街を襲った時、人間は皆バラバラだった。

  誰も隣を信じず、誰も助けなかった。……その“孤独”に、彼らは飲み込まれたんだ」


 リシアは俯いた。

 「そんなの、悲しすぎるよ」

 「悲しいだけじゃない」ユウは言う。

 「俺たちも、同じ道を歩いているかもしれない。

  ――信じることを怖れて、剣を振るってる」


 ローナが少し離れた場所で瓦礫の上に腰を下ろし、短く息を吐いた。

 「人も獣も、祈りを間違えるのよ。

  “守りたい”って思って戦っても、いつの間にか“勝ちたい”になってる。

  ……それがこの街の終わり方」


 ユウは彼女の言葉を受け止めるように、剣の柄を握り直す。

 「だからこそ、確かめたい。

  あの遠吠えの主が、まだ“祈り”を覚えているのかどうか」


 リシアは顔を上げた。

 「行くの? 北の峡谷へ?」

 「行く」

 ユウの返答は迷いがなかった。

 風が彼のマントを大きく翻し、灰の粒が空へ散った。


 ローナが片眉を上げる。

 「ほんと、あなたって過労死向きね。普通なら一晩くらい休むでしょ」

 ユウが小さく笑う。

 「死んでみてわかった。休んでも、心は休まらない」

 「まったく、救いようがないわね」

 それでもローナの声は少し柔らかかった。


 リシアは彼らのやり取りを見て、ほんの少し笑顔を取り戻した。

 だが次の瞬間、遠くで“ゴォォ……”という低い風鳴りが響いた。

 聖堂の方角――いや、もっと北から。

 それは確かに、風ではない。


 「……聞こえた?」リシアが問う。

 ユウがうなずく。

 「コボルトたちの“声”だ。俺たちを待っている」


 その言葉に、リシアは剣を強く握った。

 「なら、行こう。怖いけど、あの子たちの涙を放っておけない」

 「勇気ってのは、怖いまま進むことだ」ユウが答える。


 太陽が地平に沈み、赤と黒が混ざる空が広がる。

 ローナは立ち上がり、灰を払って言った。

 「……あの遠吠えが終わるまで、私は医者をやめられそうにないわね」


 三人の影が長く伸び、廃都の門へと続く。

 風の中、リシアの髪が舞い、ユウの剣の鞘が光を反射した。

 その光は、沈みゆく太陽の色と同じだった。


 ――風が変わった。

 吹き抜ける冷気が、北へと誘うように背を押す。

 廃都の屋根を越え、遠くの峡谷からまたひとつ、遠吠えが響いた。


 それは哀しみでも怒りでもない。

 “群れ”を求める祈りの声だった。


 夜が落ちていた。

 薄闇の中、三人は廃都カレンの外門へ向かっていた。

 空には月が出ている――けれど、その光はどこか濁って見えた。


 風が吹くたび、崩れた屋根瓦が鳴り、遠くの塔の影がゆらめく。

 リシアは背中の荷を握りしめながら、何度も振り返った。

 「……ほんとに、行っちゃうんだね」


 「ここに留まっても、誰も戻らない」ユウが言う。

 「祈りの止まった街にできることは、ただ“風を通す”ことだ」


 ローナが白衣の裾を整え、軽く笑う。

 「風通しね。医者としては悪くない処方よ」

 ユウは肩をすくめた。「お前の薬より効くといいが」


 リシアはそんな二人を見て、少しだけ笑う。

 ――この静けさの中でも、笑える自分がいる。

 それが不思議で、どこか嬉しかった。


 外門の前に立ったとき、ユウは一度だけ振り返った。

 聖堂の尖塔が遠くに見える。

 そこから、光の粒がふわりと舞い上がっていた。


 「見て……あれ」リシアが指さす。

 灰の夜空に、星のような光がいくつも浮かび上がっていた。

 廃都のあちこちから、同じ光が風に乗って立ちのぼっている。


 ローナが息をのむ。

 「スレイ残響が、消えていく……」

 ユウは目を細め、静かに呟く。

 「……祈りが、帰るんだ」


 風が強くなった。

 焦土の上を渡る風は、もう冷たくなかった。

 光の粒を運びながら、北の峡谷へと流れていく。


 その風の音の中に、遠くからあの“遠吠え”が重なった。

 今度は哀しみではない。

 まるで、仲間を呼ぶような、優しい声だった。


 リシアの頬を涙が伝う。

 「……ねえ先生、あの声、きっと“ありがとう”って言ってる」

 ユウは答えなかった。ただ、剣の柄を静かに握りしめる。


 「祈りは、まだ消えていない。

  なら、俺たちの旅もまだ終わらない」


 ローナが鼻で笑い、「うまいこと言うじゃない」と呟いた。

 リシアは涙の中で笑い、北の空を見上げた。


 その先には、黒い山影――《北峡谷》が広がっている。

 風は、そこへ導くように吹き抜けた。


 廃都の門を出るとき、ユウはもう一度だけ振り返った。

 風に舞う灰の中、聖堂の鐘楼がほのかに光って見えた。

 それはまるで、街そのものが「行け」と告げているようだった。


 ユウは静かに頭を下げる。

 「……祈りを預かった」


 そして三人は歩き出す。

 遠吠えと風と光を背に――

 夜の峡谷へ、次なる戦いの地へ。

 焦土に吹いた風は、ただの風ではなかった。

 それは、壊れた祈りがようやく空へ帰っていく音。

 ユウたちが踏み出した北の道は、〈群れ〉という名の絆へとつながっていく。


 ――次回、第16話《群れの影》。

 恐怖と共存を試される、新たな夜が始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ