表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界剣聖 ― スレイする者 ―  作者: スマイリング


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/16

第12話 戦神の影

 夜明け前の鐘が、まだ眠る街に低く響いた。

 祈りの時間より早いその音は、ただの儀式ではない。

 “呼び出し”を意味する鐘だった。


 ユウは目を覚ますと同時に、胸の奥の鈍い痛みを感じた。

 昨日の記憶がまだ霞のように残っている。

 仲間の消失。リシアの涙。

 そして、自分の中に空いた“ひとつの穴”。


 (……また何かを失った)


 扉を叩く音がした。

 「剣聖殿、神殿より至急の召喚状です」

 若い神官の声が、外から響いた。


 ユウはゆっくりと立ち上がり、

 机の上の大剣セレスティアに手を置く。

 刃は淡い光を放っていたが、その光にどこか疲れが宿っているようだった。


 リシアが物音に気づいて顔を出した。

 「先生……もう出発ですか?」

 「神殿から呼ばれた。……たぶん、昨日の件だ」

 「私も行きます」

 「だめだ。お前は休め」

 「でも――」

 ユウは小さく首を振った。

 「これは俺の責任だ。スレイの暴走を止められなかったのは俺だ」


 リシアは唇を噛み、何も言えなくなった。

 ユウは彼女の頭に手を置き、軽く髪を撫でる。

 「心配するな。帰ったら報告してやる」

 「……絶対ですよ」

 「ああ」


 外に出ると、朝霧が街を覆っていた。

 聖堂街への道は、いつもより静かだ。

 人々はまだ眠り、鐘の音だけが石畳を渡っていく。


 大聖堂の白壁が霧の中に浮かび上がる。

 その姿は、かつて“救い”を与える象徴だった。

 だが今日のそれは、どこか冷たい――まるで裁きの塔のように見えた。


 門前で、アルマの側近の神官が頭を下げた。

 「剣聖ユウ・ハルヴァード殿。

  貴殿の加護《万象討滅の印》と、弟子のスレイ暴走について、

  神殿上層が正式に調査を開始いたします」


 ユウは短く息を吐いた。

 「……覚悟はできている」

 神官は頷き、長い階段を案内する。


 階段の途中で、ユウはふと立ち止まった。

 石壁に彫られた祈りの文字。

 “光は神の目、影は人の罪”


 (罪……か)


 ユウは再び歩き出す。

 目指すは神殿最奥――記録塔の間。

 そこには、リシアの師でもある巫女長アルマが待っているはずだった。


 足音が静寂に響く。

 高い天窓から射し込む朝日が、

 まるで“真実を暴く光”のように冷たくユウの背を照らした。


 ――神は、何を裁こうとしている?


 記録塔の最上階。

 重厚な扉が開くと、白い光が室内に差し込んだ。

 祭壇の前に立つのは、長衣をまとった一人の巫女――アルマ・レーヴェン。

 いつもは穏やかな彼女の瞳が、今日は鋭く揺れていた。


 「来ましたね、ユウ・ハルヴァード」

 「……久しぶりだな。呼び出しとは、よほどの事態らしい」

 「ええ。あなたと弟子のスレイ刻印、そして“戦神ヴァルド”の残響が――同時に目覚めました」


 ユウの眉がわずかに動く。

 「残響……?」

 アルマは静かに頷いた。

 「神々は完全に沈黙したはずでした。

  けれど、昨日アビス・ゲートで暴走した光を観測した瞬間、

  “ヴァルドの紋章”が神殿の封印石に反応したのです」


 ユウは無意識に胸の印を押さえた。

 そこには確かに、微かな熱があった。

 「まるで……呼び合っているようだな」

 「そう。あなたの加護と、リシアのスレイは“同源”です。

  つまり――戦神の力そのものが、あなたたちの中に残っている」


 室内に漂う空気が一気に重くなった。

 遠くで祈りの鐘が鳴るが、その音さえも冷たく響く。


 「アルマ。神は、本当に“死んだ”のか?」

 「……少なくとも、私たちはそう信じてきました。

  しかし、祈りが絶えない限り、神は“消えない”。

  人が望む限り、影は再び形を取る」


 ユウは静かに目を伏せた。

 (人が神を創る……?)

 それは、彼の記憶の奥を震わせる言葉だった。


 アルマは机の引き出しから古びた巻物を取り出した。

 封印の赤い紐を解くと、中には淡く輝く紋章の図が描かれている。

 「これが“ヴァルドの影印”。

  戦神の意志を宿した者の胸に刻まれる紋章です。

  あなたの加護《万象討滅の印》――その原型だと思われます」


 ユウは息をのむ。

 「つまり、俺の力は……神の欠片、ということか」

 「ええ。だからこそ、放置できません。

  もし戦神が完全に覚醒すれば、この街は二度と夜明けを見ない」


 ユウは無言で巻物を見つめた。

 文字は読めないのに、頭の奥で意味が“理解”されていく。

 焼けるような痛みがこめかみを突き抜け、

 どこかで誰かの声が響いた。


 ――剣よ、裁け。すべての理を断て。


 「……っ」

 ユウが額を押さえる。

 アルマが慌てて駆け寄った。

 「発作……!?」

 「違う。……これは“呼び声”だ」


 ユウはゆっくりと立ち上がる。

 「アルマ、俺を封印の地下へ。……戦神の声を確かめたい」

 「正気ですか!? そこは禁域です!」

 「このままでは、また誰かが光に呑まれる。

  なら、神に聞くしかない。“なぜ人を裁くのか”を」


 アルマは沈黙した。

 だが、その瞳には迷いと同時に決意が宿っていた。

 「……わかりました。私が案内します。

  ただし、戻れなくなるかもしれません」

 「構わない。――行こう」


 二人は視線を交わし、塔を後にした。

 神殿の奥、封印の扉が待っている。

 冷たい風が吹き抜け、祈りの蝋燭の火が小さく揺れた。


 神殿の奥へ進むたび、空気が冷たくなっていった。

 長い石の回廊を抜けると、壁の装飾が徐々に簡素になり、

 やがて祈りの碑文すら姿を消す。


 「……ここから先は、聖域を越えた“禁域”です」

 アルマの声は低く震えていた。

 ランプの灯をかざすと、壁に刻まれた紋章が微かに光る。

 それは古代語のような文字列――しかしどこかで見覚えがある形だった。


 ユウは立ち止まり、その一つに手を当てた。

 指先が触れた瞬間、冷たい電流のようなものが走る。

 「……これは、スレイの刻印と似ている」

 「そうです。戦神が人に与えた最初の加護、“討滅の印”。

  あなたの力は、この封印の記録を継いでいる」


 アルマが扉の前に立つ。

 両手を組み、祈りの言葉を唱えた。

 「聖なる火のもとに、影を解き放たん――」


 鈍い音を立てて、巨大な扉がゆっくりと開く。

 中から吹き出した風が、二人の外衣を揺らした。

 冷たい――いや、違う。これは“生きている気配”だ。


 「……ここが、封印の聖室」

 アルマの声はかすれていた。

 部屋の中央には巨大な石碑があり、その表面に赤黒い紋章が刻まれている。

 光でも影でもない、揺らめく何かがそこに脈打っていた。


 ユウは足を踏み出す。

 「感じる……これは、あの時の光と同じだ」

 「ユウ、無理は――!」


 しかし、すでに遅かった。

 ユウの胸の刻印が反応し、同じ光を放つ。

 石碑の紋章が共鳴し、部屋全体が低く唸りを上げた。


 「共鳴が始まった!?」

 アルマの叫びが反響する。

 ユウの視界が白く染まり、足元の感覚が消えていく。

 (……まただ。あの感覚――記憶の底に沈む時の)


 次の瞬間、世界が裏返った。


 ――そこは光も闇もない空間。

 天も地もなく、ただ漂うだけの“意識の海”。


 ユウはひとり立っていた。

 どこまでも広がる静寂の中で、かすかな声が響く。


 『討滅の印を継ぐ者よ』


 振り返ると、遠くに人の形をした影が立っていた。

 輪郭が滲み、まるで光そのものが人の姿を模しているようだ。


 「……誰だ」

 『我はヴァルド。祈りの果てに形を得た“戦神の影”』


 声は低く、だが人の声ではなかった。

 直接、頭の中に響くような感覚。


 ユウは剣に手を伸ばした。

 「神の影……俺に何を見せる」

 『人が求めた光を。お前たちが忘れた“祈りの形”を』


 光が揺れ、足元の空間が波打つ。

 無数の記憶の断片が現れ、過去の戦場、祈る人々、そして――

 燃え上がる街と、剣を掲げた“もう一人の自分”。


 ユウの喉がひとりでに震える。

 (……これが、俺の――?)


 影の声が続いた。

 『戦神とは、人が祈りで生み出した“願いの総体”。

  お前の加護もまた、その残滓にすぎぬ』


 「なら、俺は神の操り人形なのか?」

 『違う。お前たちは神を創る者。

  祈る限り、神は人の中に蘇る――』


 光が一瞬、爆ぜた。

 ユウの意識が深く沈む。

 次に目を開けた時、そこには“戦神の影”が、

 自分と同じ姿で、微笑みながら立っていた。


 ユウの目の前に立つ存在は、確かに“自分”だった。

 同じ顔、同じ声、同じ瞳。

 けれどそこに宿るのは人の温かさではなく、

 無限の冷静さと、すべてを見透かす光。


 「お前が……戦神ヴァルド、なのか」

 『正確には、“ヴァルドの影”。

  人の祈りが私を生み、人の恐れが私を縛る。

  そして、お前の中に宿る“加護”が、私をここに呼び戻した』


 影は微笑んだ。

 「俺の中に……神がいる?」

 『お前が望んだからだ。

  “理不尽を断ち切る力”を、人は神に祈り、

  祈りが形を持った時――剣となる』


 ユウは拳を握りしめた。

 「祈りが、神をつくる……」

 『そう。

  人は祈る限り、神を殺すことも、蘇らせることもできる。

  だが同時に、人はその祈りに呑まれる。

  “守るための剣”が、“裁くための刃”へ変わる時にな』


 ユウは目を伏せた。

 その言葉が、心の奥に重く沈む。

 (守るために戦った。それが、いつの間にか奪う行為に変わっていた)


 影はゆっくりと歩み寄る。

 ユウの眼前まで来ると、まるで鏡に映るように動きを止めた。

 『問おう。ユウ・ハルヴァード。

  お前は“剣を捨てる覚悟”を持っているか?』


 「剣を……捨てる?」

 『お前が願ったのは“戦わずに済む世界”だ。

  だがその願いを実現するために、お前は再び剣を取った。

  矛盾を抱えたまま、人は光を手にすることはできぬ』


 ユウの呼吸が乱れる。

 影の言葉が、過去の記憶をかき乱す。

 戦場、炎、仲間の声。

 そのすべてが一瞬にして頭の中に流れ込む。


 「俺は……誰かを守りたかっただけだ」

 『守るために斬り、斬ることで守る――。

  その果てに何が残る? 光か、闇か。

  お前はその答えを“まだ選んでいない”。』


 影の瞳がわずかに光る。

 ユウの足元の地面が揺れ、周囲の光景が変わった。


 見渡す限りの戦場。

 燃える空、倒れた人々。

 自分と同じ剣を持った“もう一人のユウ”が、

 無数の影を斬り続けていた。


 「やめろ!」

 ユウが叫ぶと、戦神の影が静かに答えた。

 『これはお前自身の“祈りの果て”だ。

  勝ち続ける者は、やがて何を守っているのか分からなくなる。

  それでもお前は剣を握るのか?』


 ユウは剣を見下ろした。

 刃には、過去に斬った者たちの影が映っている。

 彼の手が震えた。


 「……それでも、俺は剣を手放せない。

  誰かを守ると誓った。それを嘘にはできない」


 影はしばらく沈黙し、やがて微笑んだ。

 『ならば見届けよ。

  お前の“祈り”が、神を殺すか、人を救うか――』


 風が吹き抜けた。

 戦場の幻が消え、再び無の空間に戻る。

 影の輪郭が薄れ、光の粒となって散っていく。


 『覚えておけ。神は敵ではない。

  だが、味方でもない――』


 その言葉を最後に、光は完全に消えた。

 残されたのは、ユウの荒い息と、

 胸の中で静かに脈打つ刻印の音だけだった。


 戦場の幻が消えたあとも、ユウの耳には剣戟の残響が残っていた。

 どれほど耳を塞いでも、その音は止まらない。

 自分が斬った者たちの声。

 “ありがとう”も“やめて”も混ざったまま、渦のように響き続けている。


 (……俺は、何を守ってきた?)


 足元の光がゆらめく。

 戦神の影はもう姿を消していた。

 だが、その言葉がまだ空間の奥に残っているようだった。


 ――「お前は剣を捨てられるか」


 ユウは苦笑した。

 「……簡単に言ってくれる」


 握りしめた剣を見つめる。

 刃には、無数の光の粒が映り込み、どれも形を変えては消えていく。

 まるで“人の記憶”のように。


 「俺は、剣を捨てられない。

  でも……戦うたびに、何かを失っていく。

  このままじゃ、守りたいものまで消えてしまう」


 頭の奥が痛む。

 誰かの名前を呼ぼうとするが、声にならない。

 リシアの笑顔が霞のようにぼやけ、

 やがて輪郭すら分からなくなっていく。


 (……駄目だ。思い出せない。

  あの子の名前を、顔を、声を――)


 膝をついたユウの周囲に、再び光の粒が集まった。

 それは祈りのようでもあり、呪いのようでもあった。


 『討滅の印は代償を求める。

  お前が“理”を断つたびに、ひとつの記憶が消える。

  それが、お前が選んだ道だ』


 戦神の影の声が再び頭の中に響く。

 「……そんなもの、選んだ覚えはない」

 『願ったはずだ。“誰かを救う力”を。

  力を望む者は、代償を知ってもなお歩む。

  それが人の祈りの形。』


 ユウは俯き、拳を握った。

 「俺の記憶なんてどうなってもいい。

  だが――あの子まで失いたくない」


 『ならば、次に問う。

  お前がすべてを忘れても、

  その剣は“誰かを救うため”に振るえるか?』


 沈黙。

 ユウの喉がかすかに震える。

 光の中で、かつての仲間の姿が浮かぶ。

 笑っていた顔、泣いていた背中、血に濡れた手。


 ――そして、リシアの瞳。


 「……ああ。たとえ何も覚えていなくても、

  あの瞳だけは、きっと覚えている。

  だから俺は、また剣を取る」


 その瞬間、光が一気に広がった。

 空間が波打ち、世界が再び反転する。

 足元の地面が消え、ユウの体が落ちていく。


 落下の最中、遠くから声が聞こえた。

 ――ユウ。


 それは、確かにリシアの声だった。

 祈るように、泣くように。

 彼を呼ぶその声が、暗闇の底へ沈もうとする意識を掴んだ。


 「……リシア……」


 ユウの唇が微かに動く。

 その名を呼んだ瞬間、胸の刻印が淡く光を放った。

 温かな光が全身を包み、

 暗闇の底から、ゆっくりと浮かび上がっていく。


 その頃、地上の神殿街。

 鐘の音が止み、夜の帳がゆっくりと降りていた。

 リシアは大聖堂の前で立ち尽くしていた。

 扉の向こうにユウとアルマが入ってから、もう何時間も経っている。


 「先生……」

 胸の奥がざわつく。

 あの夜、暴走した時と同じような熱が再び刻印に宿っていた。

 痛みではない。――“呼ばれている”感覚。


 (先生の光が、遠くで揺れてる)


 そう思った瞬間、リシアは駆け出していた。

 神官の制止の声も聞こえない。

 祈りの回廊を抜け、聖堂の中央で立ち止まる。

 月明かりが床の紋章を照らし、

 ステンドグラスの影が彼女の足元に落ちた。


 リシアは両手を胸に重ね、目を閉じる。

 (どうか、届いて――)


 「戦神ヴァルド。あなたが本当に人の祈りから生まれたのなら、

  どうか、先生を奪わないでください」


 その声は震えていた。

 けれど、確かに“祈り”だった。

 涙が一粒、床の紋章に落ちる。

 その瞬間、胸の刻印が光を放った。


 「……え……?」


 光は弱くはなかった。

 あたたかく、包み込むように彼女の体を覆う。

 床の紋章が反応し、薄く金色の波紋が広がっていく。


 神殿全体が静まり返る。

 遠くの塔の鐘が一度だけ鳴り、

 アルマが慌てて駆けつけてくる。


 「リシア!? あなた、何を――」

 「先生を、呼んでいます」

 リシアは涙を拭きもせず、ただ真っすぐに光を見つめた。

 「だって先生、ひとりで戦おうとするから。

  だから今度は、私が“言葉”で引き戻します」


 アルマが息を呑む。

 (この子……祈りの術式を自発的に発動してる!?)


 床の光が天井へと伸び、

 まるで見えない扉を叩くように振動する。

 リシアの声が重なる。


 「――ユウ・ハルヴァード! あなたはここにいます!」

 その呼びかけが、空間の奥に響いた。


 彼女の耳に、かすかな音が届く。

 遠くで誰かが答えたような――微かな囁き。

 「……リシア……」


 その名を呼ぶ声が確かに聞こえた。

 リシアは涙をこぼしながら笑った。

 「届いた……!」


 光が一層強まり、風が吹き抜ける。

 ステンドグラスの影が散り、

 床の紋章がまぶしく輝いた。


 アルマが思わず手を合わせる。

 「……まるで、神に届いた祈り」


 だがリシアは首を振った。

 「違います。神じゃなくて――人に届いたんです」


 その言葉の瞬間、

 封印の地下で光が爆ぜ、

 ユウの閉じかけた意識に、確かな温もりが流れ込んだ。


 ――帰ってきてください、先生。


 その声に導かれるように、

 ユウはゆっくりと目を開けた。

 そこに見えたのは、暗闇の中で灯る金色の道だった。


 光がゆっくりと収束していく。

 世界が再び形を取り戻し、空気の匂いが戻った。

 ユウはゆっくりと息を吐き、目を開けた。


 そこは、封印の聖室――だが、もう闇はなかった。

 天井の割れ目から差し込む光が、

 灰のような粉塵を照らしながら静かに降り注いでいる。


 「……ここは……」

 「戻ってきましたね」


 アルマが少し離れた場所で膝をついていた。

 その背後の石碑は、すでに光を失い、ただの岩と化している。

 ユウは額の汗を拭いながら立ち上がった。

 「戦神の影は?」

 「消えました。けれど――完全ではないと思います。

  あなたの加護に、まだその残滓が残っている」


 ユウは胸に手を当てた。

 刻印の脈動は穏やかだった。

 まるで、深い眠りについた心臓の鼓動のように。


 「……あいつは言った。神は敵でも味方でもない。

  人の祈りが神を作り、そして縛る」

 アルマは静かに目を閉じた。

 「それは、私たち神官が何百年も避けてきた言葉です。

  けれど、あなたがそれを聞いたということは――

  もしかすると、神は“人を試している”のかもしれませんね」


 「試す……」

 「光を手にしてもなお、闇を選ばないか。

  祈りが絶望に変わらないか。

  神はその“境界”を見ている」


 ユウは苦笑した。

 「人間も忙しいな。祈って、戦って、試されて……」

 アルマも小さく笑う。

 「けれど、その矛盾があるからこそ、人は光を見つけるのです」


 階段の方から風が吹き込んだ。

 そこに、誰かの足音が重なる。

 「先生!」


 リシアが駆け込んできた。

 顔には涙の跡があり、胸の刻印がまだ薄く光っていた。

 「よかった……本当に、無事なんですね……!」

 ユウは少し驚いたように笑い、手を伸ばす。

 「お前が呼んでくれたんだな」

 「え?」

 「声が聞こえた。“帰ってきてください”って。

  あれがなかったら、俺は闇の中で迷ってた」


 リシアは顔を赤らめて、少しだけ俯いた。

 「……祈っただけです。届くかどうかも分からないまま」

 「届いたさ。祈りは、神よりも強い」


 ユウの言葉に、アルマが微かに笑みを浮かべた。

 「なるほど。……神殿の外から来た人の言葉は、いつも痛快ですね」


 三人の笑い声が、静かな聖室にこだまする。

 光がゆっくりと揺れ、天井の割れ目から一筋の朝日が射した。


 ユウはその光を見上げながら、静かに呟いた。

 「戦神の影が残っているなら、いつかまた現れるだろう。

  でもその時は、俺たちが“人として”立ち向かう」


 リシアは頷いた。

 「今度は、祈りで剣を支えます」

 「……ああ。それで十分だ」


 外では鐘の音が鳴り、

 新しい朝が始まろうとしていた。

 崩れた石壁の隙間から差し込む光が、

 二人の影をゆっくりとひとつに重ねていった。

 神は遠い存在じゃない。人の祈りがその形を作る。

 だからこそ、祈る心は“光”にも“刃”にもなる。

 ――彼らの旅は、信じる力の意味を問い始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ