第11話 闇に沈む者
朝の光が、冒険者街の訓練場に差し込んでいた。
昨日の雨で濡れた砂が、靴の裏でしっとりと沈む。
剣の音、掛け声、笑い声――どこにでもあるいつもの朝。
リシアは木剣を握りしめ、深く息を吸い込んだ。
胸の奥で、かすかに刻印が疼く。
赤い光はもう消えているはずなのに、そこだけ熱が残っていた。
「無理するなよ」
ユウの声が背中から届く。
彼はいつものように腕を組み、弟子の姿を見守っていた。
「はい。でも……体を動かしていると、少し安心します」
「そうか。それなら構えを見せてみろ」
リシアは木剣を上段に構え、足を半歩引いた。
砂を踏みしめる音。
前よりも重心が安定している。
「いい姿勢だ。少しの間で、随分と成長したな」
「えへへ……先生に教えてもらいましたから!」
隣で見ていたカイが口笛を吹いた。
「おおー、リシア、本格的になってきたな。俺の相手、してくれよ」
「いいですよ。ただし、手加減はしません!」
「うわ、こえー!」
場の空気が笑いに包まれる。
その明るさに、ユウも思わず口元を緩めた。
(……悪くない。戦いが“日常”に戻るのは、きっとこういうことだ)
グランが訓練場の中央に立ち、声を張り上げた。
「全員、準備はいいか! 今日は初級探索者の再訓練だ!
昨日までの恐怖を、今日の一太刀で上書きしろ!」
「おおっ!」
冒険者たちの声が響き、訓練場が熱気に包まれた。
リシアもその中に混じって構える。
しかし、彼女の胸にまた小さな痛みが走った。
――ドクン。
心臓が一度、大きく鳴る。
「……っ」
木剣の先がわずかに揺れる。
ユウがすぐに気づき、近づいた。
「痛むのか?」
「いえ、大丈夫です。ほんの少し……熱いだけで」
彼女は笑ってみせたが、その笑顔はどこか引きつっていた。
ユウは眉をひそめた。
(また、あの光が――?)
訓練が始まる。
砂を蹴る音、木剣の衝突。
リシアは動きを止めずに、呼吸を合わせる。
身体は軽い。だが、心の奥がざわついていた。
(何かが……呼んでる?)
不意に、胸の奥から微かな音が響いた。
声のような、ささやきのような。
――下へ。
その瞬間、足元の砂が一瞬だけ冷たくなった気がした。
リシアは目を瞬かせる。
(今の……誰?)
「リシア!」
ユウの声で我に返る。
「集中しろ。余計な音は、気のせいだ」
「……はい」
再び木剣を握り直す。
だがその胸の奥で、
光の残響が、かすかにまだ“何か”を訴えていた。
訓練が終わる頃には、雲が空を覆い始めていた。
湿った風が吹き抜け、遠くで雷鳴がかすかに響く。
リシアは汗を拭いながら、木剣を地面に突き立てて息を整えた。
「今日もいい動きだったな」
ユウの声に、リシアは笑顔を向ける。
「はい。でも……なんだか、体が軽いのに胸が重くて」
「……また痛むのか?」
「ううん。痛いというより――ざわざわする感じです」
その言葉にユウは眉を寄せた。
胸の奥で嫌な予感が膨らむ。
(刻印の反応……まだ収まっていないのか)
そのとき、訓練場の門が勢いよく開いた。
息を切らしたギルド職員が飛び込んでくる。
「ギルド長! 緊急報告です!」
グランが顔を上げる。
「なんだ、騒がしい」
「《アビス・ゲート》第1層で、異常反応が検出されました!
光量計が振り切れています。通常のスレイ反応ではありません!」
場の空気が凍りついた。
ユウがすぐに歩み寄る。
「反応の中心は?」
「……“沈黙の祭壇”付近です。あなた方が最後に探索した場所です」
リシアの顔色が変わった。
胸の刻印が、再びじわりと熱を帯びる。
「先生……あの場所……」
「感じるか?」
「はい。誰かの声が、また……」
ユウは拳を握った。
(あの祭壇――何かがまだ“眠って”いるのか)
グランが低い声で言った。
「記録回収隊が出る。だが、今の反応じゃ新人は危険だ」
「俺たちが行く」
ユウの返答は早かった。
「……リシアを連れて?」
グランが眉をひそめる。
ユウは彼の視線を正面から受け止める。
「彼女の刻印が反応してる。放っておけば、街に影響が出るかもしれない。
なら、原因を探るしかない」
グランは沈黙したまま、深く息を吐いた。
「……分かった。ただし、すぐ引き返せ。
今の《ゲート》は、何かがおかしい」
「了解です」
ユウは短く返事をし、リシアの肩に手を置いた。
「行けるか?」
「はい。……私、知りたいんです。
あの光が、本当に“ありがとう”の声だったのか」
その言葉に、ユウは目を細めた。
迷いのない瞳。
(この子は、もう恐怖の外に立っている――)
空が低く唸り、雷光が遠くで走った。
風が砂を巻き上げ、訓練場の旗を揺らす。
ユウは大剣の柄に手を添え、低く呟いた。
「じゃあ、もう一度“光の下”へ行こう。
闇が近づく前に、確かめなければならない」
リシアは頷き、拳を握りしめた。
胸の刻印が再び脈打つ。
その光は、まるで“何か”に呼応するように、静かに波打っていた。
《アビス・ゲート》の前に立つのは、これで二度目だった。
だが、今回は空気がまるで違っていた。
風は止まり、霧の中から低い振動が響いている。
黒い門の表面に走る紋が、かすかに赤く脈打っていた。
「……まるで、生きてるみたい」
リシアの声が震える。
ユウは剣の柄に手を置いたまま、目を細めた。
「門は記録を持ってる。昨日、俺たちが通った痕跡もな」
ギルドの観測班が安全線を張り、祈りの鐘が鳴る。
出発の合図だ。
ユウとリシアは互いに頷き、門の闇の中へと踏み入れた。
――闇。
だが、以前のような青白い光苔はほとんど見えなかった。
天井に貼りついていた光の粒が、黒く煤けたように沈んでいる。
「こんなに暗かった……?」
「いいや。……何かが、変わった」
足元の水たまりが不気味に濁り、壁のひび割れから赤い光が漏れていた。
その光がリシアの胸の刻印と共鳴し、ぴくりと脈打つ。
「……っ!」
彼女は思わず胸を押さえる。
「また、痛むのか」
「いえ……熱い。でも、前みたいな痛みじゃない……」
ユウは無言で先を照らした。
《セレスティア》の刃が淡く輝き、周囲の闇を押し返す。
だが光が届くたびに、壁の紋様が浮かび上がる。
人の形、獣の姿、そして翼を持つ影――
どれもが苦痛に顔を歪め、空を見上げていた。
「これ……全部、スレイの記録……?」
リシアの声はかすかに震えていた。
ユウは頷いた。
「ここは“討たれた者たちの記憶”が眠る場所だ。
でも……誰かが、それを呼び覚まそうとしている」
その時、遠くで音がした。
何かが這うような、湿った音。
風が吹いているわけでもないのに、空気が揺れる。
「来るぞ」
ユウが剣を構える。
リシアも背筋を伸ばし、光の少ない空間で耳を澄ませた。
――ザリ、ザリ……。
闇の奥で、白い影が動いた。
人のようで、人ではない。
かつて討たれた魔獣の残骸が、光の糸をまとって形を取り戻していく。
「まさか……あの時の……!」
「沈黙の祭壇の残滓か。完全に消えていなかったんだ」
ユウは剣を前に出し、低く命じた。
「下がるな、リシア。恐怖を見つめろ」
「……はい」
影が、ゆっくりと首をもたげた。
かつては獣だったもの。
だが今、その瞳の奥には、人のような“怨嗟の光”があった。
「……助けて、って言ってる気がします」
リシアの声が震える。
「それでも、斬らなきゃいけないのが、俺たちの現実だ」
ユウが踏み込んだ瞬間、洞窟全体が唸りを上げた。
天井から砂が落ち、光苔が次々と消えていく。
――光を喰う闇。
リシアは息を呑んだ。
(これが……“闇に沈む”ってこと……?)
胸の刻印が熱を帯び、彼女の心臓と同じリズムで脈打つ。
その光が強まるたび、影の唸りも高まっていった。
空気が震えていた。
光苔の明滅が早くなり、壁の亀裂から黒い煙のようなものが漏れ出している。
その煙はまるで生きているように蠢き、洞窟の奥へ吸い込まれていった。
「ユウ、あれ……」
「見ろ、影の残滓が“集まって”いる。誰かが引き寄せてるんだ」
リシアは唾を飲み込み、剣を構えた。
彼女の刻印がまた淡く光る。
その光を合図にするように、闇の中から複数の影が這い出してきた。
それは、かつて討たれた魔獣たちの“抜け殻”。
黒い体を光の糸で縫われ、歪んだ姿で再び形を得ている。
「数が……増えていく」
「前へ出ろ、止めるしかない!」
ユウが大剣を振るうと、刃から火花のような光が散った。
爆風が走り、二体の影が吹き飛ぶ。
リシアもそれに続き、木剣をしならせて一体の足を払う。
「先生、今です!」
「――ッ!」
ユウの剣が音を立てて影を両断した。
闇が裂け、光の霧が弾ける。
だが、その霧は地面に吸い込まれるように消え、
次の瞬間、洞窟の壁が低く唸った。
――ドォン。
天井が震えた。
砂が降り、岩が崩れ落ちる。
「崩落!?」
ユウがリシアの腕を掴んで引き寄せた。
「走れ、奥の空洞まで!」
二人は駆け出す。
だが、後方にいた記録回収隊の冒険者が一人、足を取られて転倒した。
「っ、待ってください!」
リシアが振り返る。
その男の胸が光っていた――スレイの刻印が、赤く。
「まさか……」
ユウの顔色が変わる。
「離れろ、リシア!」
刻印の光が膨張した。
男の悲鳴とともに、光が爆ぜる。
瞬間、周囲に衝撃波が走り、壁の紋様が一斉に赤く点滅する。
「ぐっ――!」
ユウは腕でリシアを庇いながら、背中で衝撃を受けた。
耳鳴りの中、光が収まると、そこに男の姿はもうなかった。
残されたのは、焦げた地面と、空気に漂う金色の粒だけ。
「うそ……そんな……」
リシアの声が震えた。
ユウは唇を噛み、目を閉じる。
(スレイの暴走……“光が持ち主を喰う”現象)
「どうして……? スレイは力じゃないんですか……!」
リシアが叫ぶ。
「力は光だ。だが光は、制御を失えば焼き尽くす」
ユウの声は低く、静かだった。
その時、彼女の胸の刻印もまた脈打ち始めた。
まるで、仲間の消失に反応するように。
「せ、先生……熱い……!」
「リシア!」
ユウが手を伸ばす。
だがその光は彼の手をも拒むように、強く脈動を始めた。
――ドクン。
空間全体が軋み、天井がさらに崩れた。
暗闇と光がぶつかり合い、洞窟の奥から風が吹き荒れる。
ユウはリシアを抱き寄せ、叫んだ。
「ここから離れるぞ!」
光と闇が交錯する中、
二人は崩れ落ちる通路を駆け抜けた。
背後で鳴り響くのは、
“助けて”と“嘆き”が混ざったような声――。
崩落は止まらなかった。
岩が砕け、砂煙が視界を覆う。
ユウはリシアの肩を抱き寄せながら、壁際の隙間に身を滑り込ませた。
「くそっ……道が塞がれた!」
振り返ると、先ほどまで一緒だった冒険者の姿が見えない。
「誰か! 返事を!」
返ってくるのは、岩の崩れる音と、かすかな呻き声だけだった。
「こっちだ!」
かろうじて聞こえた声を頼りに進むと、
瓦礫の中で、若い冒険者が片腕を押さえて倒れていた。
リシアの顔が蒼白になる。
「カイ!?」
「リシア……無事か……」
カイの胸元にも、スレイの刻印がうっすらと輝いていた。
「動くな!」
ユウがすぐに駆け寄る。
「まだ助かる。呼吸はある」
「……先生、でも、刻印が……」
見ると、カイの刻印は一定のリズムで光を繰り返していた。
まるで心臓の鼓動と同期しているように。
「俺の中で……何かが……燃えてるんだ」
カイが苦しげに言葉を吐く。
「“あの声”が……呼んでる。……もっと光を……って」
ユウの目が鋭く光った。
「だめだ、それ以上は“引き込まれる”」
リシアがカイの手を握る。
「お願い、もう喋らないで! 帰ろう、一緒に!」
だが、その声が届く前に、刻印の光が一段と強くなった。
「やめろ……! お前まで――!」
ユウが手を伸ばした。
だが次の瞬間、カイの体から強烈な光が放たれる。
耳をつんざくような音。
風が爆ぜ、砂が巻き上がる。
リシアは目を閉じた。
“ありがとう”という声が、確かに聞こえた気がした。
光が収まったあと、そこにカイの姿はもうなかった。
残ったのは、彼の剣と、黒く焦げた跡だけ。
「……うそ……うそ、でしょ……?」
リシアの声は震えていた。
膝が崩れ、地面に手をつく。
ユウは彼女の肩に手を置き、静かに首を振った。
「……スレイが、彼を奪った」
「なんで……なんでですか……!」
リシアの叫びが洞窟に響く。
「カイは……戦ってただけなのに! 誰も、悪くなんてないのに!」
ユウは言葉を失った。
何を言っても、この痛みを消すことはできない。
ただ、背後の崩れた壁を見つめながら、唇を噛んだ。
(これが“生き残る”ということだ。奪う側も、奪われる側も、同じ光の中にいる)
リシアは拳を握りしめ、涙をこぼした。
「生きてるのが……苦しいです」
「苦しいから、生きるんだ」
ユウの声は低く、しかし力強かった。
「その痛みを捨てたら、カイの光まで失う。
お前が覚えている限り、彼はここにいる」
リシアの胸の刻印が再び光を帯びた。
だが今度は、熱くも痛くもなかった。
――まるで、涙に似た温度。
ユウは彼女の背を支え、立ち上がらせた。
「行こう。ここに留まれば、闇が飲み込む」
リシアは頷いた。
涙の跡が頬に残るまま、剣を握り直す。
その手は震えていたが、確かに前を向いていた。
洞窟の奥で、再び風が唸った。
空気が波打ち、残された光苔がいっせいに白く燃える。
その中心に立つリシアの胸が、赤く輝いていた。
「……先生、また……光が……!」
刻印が、まるで脈を打つように震えている。
痛みはない。けれど、代わりに“誰かの声”が次々と流れ込んできた。
――助けて。
――寒い。
――光が、欲しい。
「やめて……頭の中で、誰かが……!」
リシアが両手で頭を押さえる。
ユウは駆け寄り、彼女の肩を抱き寄せた。
「リシア、聞くな! それはお前の光を喰おうとする“残響”だ!」
「でも、放っておけません! 誰かが苦しんで――」
言葉を終える前に、刻印の光が爆ぜた。
轟音と共に空間が歪む。
リシアの背から風が吹き上がり、まるで翼のような光の羽が広がる。
その光が壁を焼き、影を消し、そして――仲間の残骸すらも飲み込んでいった。
「リシアッ!」
ユウが叫ぶ。
だが彼女の瞳は焦点を失い、何かに取り憑かれたように揺れていた。
「見える……たくさんの人が……苦しんでる……!」
「それは幻だ! お前の中に残った記憶が形を取っている!」
「でも、助けなきゃ……!」
光がさらに膨張する。
地面が震え、天井から石片が降り注いだ。
ユウは迷わず前に踏み出す。
(止めるしかない。――この手で)
「ごめんな、リシア」
彼は大剣を逆手に構え、
刃を地面に突き立てるようにして加護の詠唱を口にした。
「《万象討滅の印》、解放――」
瞬間、剣の刃から白い光が走り、リシアの胸の刻印と共鳴する。
両者の光がぶつかり合い、激しい衝撃が洞窟を貫いた。
「う……あああああっ!」
リシアが叫び、光の翼が弾け飛ぶ。
衝撃でユウの体が吹き飛ばされ、背中を岩壁に叩きつけた。
眩い閃光の中、
ユウの耳に“何かの声”が響く。
――討滅者。代償を支払え。
彼の視界が白に染まる。
脳裏に浮かぶのは、笑っていた誰かの顔。
名前を呼びかけようとしても、声が出ない。
(……誰だ……今、誰を……)
光がやみ、静寂が戻った。
ユウは膝をつき、額に汗を伝わせながら息を吐いた。
リシアは倒れ込んでいるが、意識はある。
「……せんせい……?」
「大丈夫だ。もう……暴走は止まった」
彼は微笑もうとした。
だが、その目の奥に、
“何かを忘れた”ような虚ろさが浮かんでいた。
リシアが不安げに顔を覗き込む。
「先生……私の名前、言ってください」
「え……?」
ユウは言葉を探すように唇を動かした。
けれど、すぐには出てこなかった。
(……なんで、出てこない)
胸の奥に、冷たい痛みが走る。
リシアは微笑み、涙をこぼした。
「……大丈夫。私が覚えてます。
先生の“光”も、“痛み”も、全部」
ユウは何も言えず、ただその頭をそっと撫でた。
闇の中にわずかに残る光が、二人の影を淡く包み込んでいた。
洞窟の崩落は、ようやく静まっていた。
空気にはまだ土と血の匂いが混ざり、光苔はほとんど燃え尽きている。
残ったのは、青く淡い残光――まるで、亡き者たちの“名残”のようだった。
ユウは壁に背を預け、浅く息をしていた。
頭の中が霞がかったように重く、何かが抜け落ちている。
視界の端で、リシアがゆっくりと身を起こした。
「……先生」
その声には、震えが混じっていた。
ユウは応えようとしたが、口の中で言葉が空回りする。
「……リ……」
そこまで言って、声が止まる。
胸の奥に冷たいものが広がる。
思い出そうとするたび、記憶が霧のように溶けていく。
「ごめん……お前の、名前が……」
リシアは小さく首を振った。
「大丈夫です。無理に思い出さなくていいんです」
「いや……そんなはずはない。俺は、教えたはずなのに」
「先生は“守る”って言いました。だから、私は覚えています。
ユウ・ハルヴァード――剣聖。そして、私の師です」
その言葉に、ユウは目を閉じた。
胸の奥にあった霧が、少しだけ晴れた気がした。
「……そうか。なら、まだ俺は――ここにいるんだな」
リシアは頷き、彼の手を握る。
「先生。私が覚えている限り、先生は消えません。
光がどれだけ闇に沈んでも、必ず見つけ出します」
彼女の言葉は、祈りのように静かだった。
ユウは小さく笑い、立ち上がる。
「行こう。ここにいても、光は戻らない」
二人は崩れた通路を歩き始めた。
足元には散った光の粒が、まるで星のようにきらめいている。
それが亡き仲間の残響なのか、それとも希望なのか――誰にもわからない。
途中、リシアが振り返る。
「……カイの剣、持っていきましょう」
「そうだな。あいつも、帰りたいだろう」
ユウが剣を拾い上げると、その刃にふっと小さな光が宿った。
それは微かに温かく、手のひらに“ありがとう”と囁くようだった。
「先生」
「なんだ」
「私、もう迷いません。たとえこの光が呪いでも――抱えて、生きます」
ユウは短く頷いた。
「その覚悟があれば、闇はお前を飲み込めない」
天井の亀裂から、一筋の風が吹き抜ける。
それは地上から届いた“朝の匂い”だった。
二人は顔を見合わせ、わずかに微笑む。
「帰ろう」
「はい」
光を失った洞窟を背に、二人は歩き出した。
彼らの影は闇の中でゆらめき、
その後ろに――ひとつの残響が、やわらかく響いていた。
――生きて。
それは、喪われた者たちの声だった。
光は、時に人を導き、時に焼き尽くす。
それでも人は、その痛みを抱えたまま歩き続ける。
――闇に沈むほど、彼らの誓いは強く光を放つ。




