第10話 光の残響
冒険者ギルド《銀の鷹亭》の扉を押し開けた瞬間、
中にいた人々の歓声が爆発した。
「おおっ、帰ってきたぞ! 新人組だ!」
「初探索で全員生還とはやるじゃねぇか!」
夕暮れの光がステンドグラスを透かして差し込み、
リシアとユウの姿を橙に染める。
いつもの酒と鉄の匂いに混じって、
今日だけは“誇り”の香りが漂っていた。
グランが腕を組み、にやりと笑う。
「よくやったな、嬢ちゃん。初陣でスレイを上げたってのは大したもんだ」
「え、あ……いえ、みんなが支えてくれたおかげで……」
リシアは顔を赤らめ、両手で木剣を抱きしめた。
その姿に、周囲の冒険者たちがどっと笑い声を上げる。
「はは、初心者のくせに謙虚だ! いい子だな!」
「そのうち俺らより強くなるぞ!」
カウンターの奥では、バルドが酒杯を掲げていた。
「嬢ちゃん、乾杯だ! “初スレイ”おめでとう!」
「ありがとうございますっ!」
リシアは慌てて頭を下げ、目を輝かせる。
――初スレイ。
その言葉が胸の奥で弾けた瞬間、
彼女の心臓が強く脈打った。
熱い。
「……あれ?」
胸のあたりに、じわりとした熱が走る。
最初は緊張のせいだと思った。
けれど、その熱は次第に鋭い痛みに変わっていった。
「っ……痛っ……!」
リシアが胸元を押さえてうずくまる。
ギルドの笑い声が止まった。
「どうした!?」
ユウがすぐに駆け寄る。
リシアの衣の隙間から、光が漏れていた。
淡い赤。
まるで心臓の鼓動に合わせるように、光が脈打っている。
「スレイ……の刻印……?」
ユウの顔が険しくなる。
光はさらに強まり、リシアの皮膚に紋章を刻みつけていく。
翼のような形をしたその印が、焼けつくような痛みとともに広がった。
「リシア、落ち着け!」
「う、うう……熱い……先生、これ、どうして……!」
ギルド員たちがざわめく。
「おい、あれって……スレイ刻印じゃねぇのか?」
「でも、こんなに早く現れるなんて……!」
ユウは彼女を抱きとめ、低くつぶやく。
「……記録が、始まったのか」
その瞬間、リシアの胸の光が一度だけ弾け、
ギルドの壁に影を投げた。
その光の中で、まるで“誰かの声”が微かに響いた気がした。
――ありがとう。
リシアの瞳が大きく開かれる。
だが次の瞬間、力が抜け、彼女の体がユウの腕の中で崩れた。
「リシア!」
歓声が悲鳴に変わる中、
ユウは彼女を抱きかかえたまま、
外の光の方へ駆け出した。
ギルドの外、夕暮れの風が吹き抜ける。
ユウはリシアを抱きかかえたまま、石畳の上を走った。
人々が道をあけ、驚きと不安の声が後ろから響く。
「スレイ暴走か!?」
「いや、まだ発光だけだ――けど、この光は強すぎる!」
リシアの胸の刻印は、今も赤く燃えるように輝いている。
その光がユウの腕にも反射し、肌を焼くほどの熱を放っていた。
「先生……っ、これ……私、どうなっちゃうの……」
「大丈夫だ。喋るな」
ユウは歯を食いしばり、彼女の額の汗をぬぐう。
(焦げつくような光……まさか、スレイの記録が“逆流”しているのか?)
胸の奥で嫌な記憶が疼く。
昔、同じ光を見た。
その時も誰かが、こうして苦しんで――そして。
(やめろ、思い出すな……!)
「ユウ!」
ギルド長グランの声が響く。
後ろから駆けつけてきた彼が、状況を一目で察した。
「ローナの診療所に運べ! 神殿じゃ間に合わねぇ!」
「分かってる!」
二人は視線を交わし、息を合わせる。
グランが前を走り、通りの群衆を押しのけた。
スラム街への道は細く、夕陽が届かない。
石壁の間を縫うように走り抜けると、鉄の扉が見えた。
そこに掲げられた古びた看板――《ローナ診療所》。
ユウは扉を蹴り開けた。
「ローナッ!」
「うるさい、扉壊す気!?」
奥から現れた女医が、ユウの腕の中を見て顔色を変える。
「……スレイの発光反応? 早すぎる!」
「刻印が焼けてる。暴走寸前だ」
「ベッドに寝かせて!」
ローナの手際は早かった。
机の上の薬瓶を払いのけ、光を遮る布をかぶせる。
「……これで少しは落ち着くはず」
ユウは息を吐き、額の汗をぬぐった。
リシアの呼吸は浅くなりながらも、かすかに安定している。
「彼女のスレイ、どんな相手を倒した?」
ローナの問いに、ユウは答えた。
「小型の魔獣だ。だが……“形が崩れた”」
「崩れた?」
「まるで記憶の欠片みたいに、霧になって消えた」
ローナは黙り込む。
「……その残滓が、彼女の中に残ってるのかもしれない」
「つまり、これは……」
「ええ、“命を刻む痛み”よ」
ローナは布を少しだけめくり、光を覗き込んだ。
「スレイは討たれた存在の記録。刻まれた者は、討った命の一部を背負う。
だから痛むの。……生きるってことを、身体で覚えさせられるのよ」
ユウは沈黙したまま、リシアの手を握った。
その掌は、まだ温かい。
「……戦いは、こんなにも痛いものだったか」
ローナは静かに言った。
「痛みを忘れたら、人は簡単に斬るようになる。だから、この痛みは贈り物よ」
ユウはその言葉に小さく頷いた。
胸の奥の記憶が、またかすかに疼く。
(俺も……この痛みを、どこかで感じたはずだ)
診療所の窓の外では、夜の鐘が一度だけ鳴った。
光の残滓がゆらめき、静かな時間が二人を包んでいた。
夜が訪れていた。
スラム街の灯りは少なく、診療所の窓だけが淡く光っている。
薬草の匂いと鉄の匂いが混じる部屋で、リシアは静かに眠っていた。
胸元に巻かれた布の下で、赤い光がときおり瞬く。
息は浅いが、落ち着いている。
その枕元で、ユウは腕を組んで座っていた。
「……お前の弟子、強い子ね」
机の上で書き物をしていたローナが、ペンを止めずに言う。
「泣かないし、叫ばない。痛みに抗うってのは、簡単じゃないわ」
ユウは小さく頷いた。
「強いというより、まっすぐなんだ。……怖さを隠せない分、折れにくい」
「ふふ、なるほどね」
ローナは薬瓶を棚に戻し、振り向いた。
「スレイの痛み、あんたも経験あるんでしょ?」
「……ああ。だが、俺のは少し違う」
「加護のやつか」
ユウは答えず、黙って窓の外を見た。
夜の風がカーテンを揺らし、
遠くから子どもの笑い声がかすかに聞こえた。
その明るさが、かえって胸に沁みる。
「ねえ、ユウ」
ローナの声は少し柔らかくなった。
「この街の奴らは、戦いを誇りにしてる。
でもね、本当は“痛みを誇り”にしてるの。
生き残った証が、スレイなんだよ」
「痛みを……誇りに」
ユウはその言葉を繰り返した。
たしかに、ギルドの仲間たちは皆、どこかに傷を持っている。
それを恥じる者はいなかった。
むしろ、そこに“生きてきた証”を見ていた。
「俺は――戦うことが怖かった。
けど今は、その怖さを守るために使いたい」
ローナは小さく笑った。
「それなら、あんたはもう“剣聖”じゃなくて“教師”ね」
「教師、か……」
ユウは苦笑しながら椅子にもたれた。
その時、ベッドの上のリシアが小さくうめいた。
「……先生……」
「リシア?」
ユウが駆け寄ると、彼女のまぶたがゆっくりと開いた。
焦点の定まらない瞳が、ユウを探すように動く。
「ここは……?」
「ローナの診療所だ。お前は倒れたんだ」
「そう……ですか……」
言葉がかすれ、彼女は再び目を閉じた。
けれど、その表情は穏やかだった。
「助かる?」
「命に別状はないわ。……ただ、刻印の痛みは続く」
「そうか」
ユウは安堵の息を吐いた。
窓の外では、雲間から星が一つだけ覗いていた。
その光は弱々しくも、確かに瞬いている。
(光は、心の奥より生まれる……)
祭壇の言葉が脳裏をよぎる。
ユウはその小さな星を見上げながら、
「――まだ、闇の中でも光はあるんだな」と呟いた。
翌朝。
ユウは神殿街の白い階段を上っていた。
朝霧の中で鐘が鳴り、神官たちが祈りの詩を唱えている。
その声はどこか、昨日よりも冷たく響いた。
アークソル大聖堂の奥――記録塔の最上階。
アルマ・レーヴェンは机に向かい、静かに書き物をしていた。
銀の髪が朝日を受けて光り、まるで霜のように淡い。
「来てくれましたね、ユウ・ハルヴァード」
「呼び出しとは珍しいな。……リシアの件か?」
アルマは顔を上げ、少しだけ眉を寄せた。
「昨夜、神殿の観測鏡が異常な反応を記録しました。
新しいスレイ刻印が、通常よりも強い輝度で発光したのです」
「……リシアの刻印だろう」
「はい。問題は、その光が“神殿の印”と共鳴したことです」
ユウの表情がわずかに揺れた。
「共鳴……? まるで神が――」
「“選別”を始めたのかもしれません」
部屋の空気が重くなる。
アルマは立ち上がり、書簡の束を机に置いた。
「スレイの刻印は、もともと神々が“勇者を識別するため”に残した術式です。
けれど最近、いくつかの刻印が暴走している。
持ち主の感情を吸い上げ、逆に心を壊す事例が報告されています」
ユウは拳を握った。
「つまり、リシアにもその危険があるということか」
「……ええ。特に彼女の刻印は“翼”の形。
これは“飛翔のスレイ”――魂を超越させる、危険な系統です」
アルマの瞳に、不安と同時に哀しみが宿る。
「あなたも覚えているでしょう。
かつて“剣聖”の名を持つ者が、その光に焼かれて消えたことを」
ユウの心臓が一瞬止まったように感じた。
何かが脳裏をよぎる。
熱、光、誰かの叫び声。
――だが、思い出そうとした瞬間、記憶が霧のように途切れた。
「……俺は、まだ全部を思い出せていない」
「記憶を失う加護。あなたの《万象討滅の印》がもたらす代償。
その症状も、神殿は把握しています」
アルマは静かに歩み寄り、机の上の聖典を閉じた。
「お願いです。これ以上、彼女を戦いに連れて行かないで。
スレイは加護と違う。“人の魂”を削るものです」
「だが――彼女はもう、戦う理由を持ってしまった」
ユウの声には迷いが混じる。
アルマは目を伏せ、囁くように言った。
「ならばせめて、彼女が“光の中で生きられるように”導いてください。
闇に堕とされる前に」
ユウは何も答えなかった。
ただ静かに聖堂の窓から外を見た。
街の向こう、黒い《アビス・ゲート》の門が朝日に照らされている。
光を受けてもなお、あの門は決して白くならない。
(光と闇は、いつも隣り合っている。
なら、俺は――どちらの側に立つ?)
鐘の音が再び鳴り、
祈りの詩が空を満たした。
その旋律が、どこか悲しい別れの歌のように聞こえた。
夜の風が川面を渡っていた。
石畳の隙間から小さな草が揺れ、街の灯が遠くで瞬いている。
ユウは診療所を抜け出し、川辺へ向かった。
そこに、ひとり膝を抱えるリシアの姿があった。
「……先生」
小さな声だった。
川面の光が、彼女の頬の涙を淡く照らしている。
「起きて大丈夫なのか」
「平気です。少し、風に当たりたくて」
ユウは黙って彼女の隣に腰を下ろした。
水音が静かに流れ、どちらからともなく沈黙が訪れる。
「……私、あの魔獣を斬った時、聞こえたんです」
リシアの声は震えていた。
「“ありがとう”って。誰の声かも分からないのに、
そのあと、胸が焼けるように痛くて……怖かった」
ユウは目を閉じた。
「それがスレイの“残響”だ。討たれた者の記録が、お前に届いた」
「記録……」
「この世界のスレイは、命を奪った者と奪われた者を繋ぐ印だ。
戦うたびに、お前の中に誰かの“声”が増えていく」
リシアは唇を噛んだ。
「じゃあ……私、奪ったんですね。
あの光の中で“ありがとう”って言った人を」
ユウは答えず、川面に石を投げた。
水輪がいくつも広がり、月明かりを乱す。
「――俺も、同じだ。
何度も斬って、何度も声を聞いた。
けど、最後の方はもう、誰の声か分からなくなった」
リシアが目を見開く。
ユウの瞳の奥に、深い闇が揺れていた。
「だから俺は、戦うたびに少しずつ“何か”を失っている。
それが記憶なのか、感情なのか、自分でも分からない」
「先生……」
「でも、それでも剣を捨てないのは、守りたいものがあるからだ。
お前のように、“怖くても立ちたい”と思う奴を見ていると……
俺はまだ、人間でいられる気がする」
川の流れが一瞬止まったように静かだった。
リシアは膝の上に両手を置き、その手を見つめた。
指先には、戦いの跡がまだ残っている。
「この手で、誰かを傷つけたのに……まだ温かいです」
「それが、生きている証拠だ」
ユウはそっと彼女の手を包んだ。
「命を奪うたびに、痛みを覚える。それを忘れるな。
忘れたら、もう“光”を見失う」
リシアの瞳にまた涙が滲む。
「……先生は、怖くないんですか」
「怖いさ。毎回、な」
その一言に、彼女はかすかに笑った。
風が吹き抜け、川面が波打つ。
水面の光が二人の影を照らし、やがて一つに重なった。
「ありがとう、先生」
「礼を言うのは俺のほうだ。……生きて帰ってきてくれて、ありがとう」
川のせせらぎが静かに流れ続ける。
夜の空には雲が切れ、ひとつの星が輝いていた。
それは、まるで誰かの“残響”のように優しく瞬いていた。
夜の川辺に、虫の声が戻り始めていた。
風がやさしく流れ、ランタンの光が二人の間を照らす。
その静けさの中で、ユウは小さく息をついた。
「……リシア。俺は、“剣聖”なんかじゃない」
「え……?」
ユウは石をひとつ拾い、手の中で転がした。
「この世界に来る前――俺は別の場所で、生きることを諦めた人間だった。
でも、死ぬ間際に“もう一度、意味のある生き方をしたい”って願った。
その瞬間、気づいたらここにいた」
リシアは息を呑んだ。
「異世界から……?」
ユウは頷く。
「神――いや、戦神ヴァルドは俺に加護を与えた。
《万象討滅の印》。
討った相手のスレイを自動で吸収する力だ」
「じゃあ、先生のスレイは……全部、他の人の?」
「そうだ。俺の体には、数え切れないほどの光が刻まれてる。
けど、その代わりに――戦うたび、記憶が欠けていく」
リシアの目が見開かれた。
ユウの声は穏やかだったが、どこか遠い場所から響いているようだった。
「昨日まで覚えていた人の顔が、次の日には霞む。
大切だった言葉も、少しずつ消えていく。
戦えば戦うほど、俺は“誰か”を守れて、“自分”を失っていく」
リシアの胸が締めつけられる。
「そんなの……つらすぎます」
「ああ。でもな、不思議と後悔はしていない。
戦うたび、確かに誰かが生き残る。
それだけで、この命には意味があると思える」
彼は川面を見つめた。
月が水に映り、さざ波に揺れている。
「たぶん、俺の中にはもう“名前を失った光”がいくつもある。
でも――お前と出会ってから、その光が少しだけ“痛み”を取り戻した」
「痛みを……取り戻す?」
「そうだ。
お前の剣はまだ誰かを“斬るため”じゃない。
“守るため”に揺れてる。
その揺らぎが、俺の忘れかけた“恐れ”を思い出させてくれた」
リシアの目から、また涙がこぼれた。
「先生……そんなの、ずるいです」
「ずるい?」
「だって……そんな話を聞いたら、私――先生を放っておけません」
ユウは一瞬驚いたが、すぐに笑った。
「放っておけないか。……それは困ったな」
二人の笑い声が、夜の川面に溶けていく。
けれど、その笑顔の奥に、確かに“痛み”があった。
ユウはゆっくりと立ち上がり、夜空を見上げた。
「リシア。俺がすべてを忘れても、お前は覚えていてくれ」
「……はい」
「戦いの意味も、光の痛みも。
それをお前が覚えていてくれたら、俺は何度でも立てる」
リシアはうなずき、胸の刻印に手を当てた。
「先生の光、ちゃんと見届けます」
その時、彼女の刻印が微かに光った。
風が吹き、川面に反射する光が彼の頬を照らした。
――それは、まるで記憶をつなぐ“残響”のようだった。
夜の川辺に、ひとすじの光が流れた。
風も音もない静寂の中で、リシアの胸の刻印がふたたび輝きを放つ。
淡い紅の光が波紋のように広がり、水面を照らした。
「先生……また、光って……」
ユウは驚かず、ただ静かに見守っていた。
「恐れるな。それはお前の“声”だ」
「声……?」
「命を討った者が残した想いが、お前の中で形を変えただけだ。
スレイとは“奪う”力じゃない。“受け継ぐ”力なんだ」
リシアの目が、揺れる光に吸い込まれていく。
耳を澄ますと、かすかに何かが聞こえた。
言葉でも、悲鳴でもない――ただ、やさしい音。
まるで雨上がりの空に流れる風のように、心を撫でていく。
「これが……“光の残響”……」
「そう。討たれた命が消える時、残る“願い”の音だ。
それを受け取る者が、次の光になる」
ユウの声は静かだったが、どこか祈るようでもあった。
リシアは手を胸に当て、涙をこぼした。
「ありがとうって、言ってる気がします」
「きっとそうだ。お前に託したんだろう。
“生きて、次を見てくれ”ってな」
光はゆっくりと弱まり、夜の闇に溶けていった。
だがその余韻は、確かに二人の胸の中に残っている。
ユウは川面を見つめながら、ぽつりと言った。
「なあ、リシア。人は戦いの中で何を残せると思う?」
「……傷跡、ですか?」
「それもひとつだ。けど、俺は“記憶”だと思う。
誰かの心に残る記憶がある限り、その人は消えない」
リシアはゆっくりと頷いた。
「じゃあ、私が先生の記憶を残します。
忘れそうになったら、何度でも話します」
ユウは少しだけ笑い、夜空を見上げた。
「心強い弟子だ」
天に浮かぶ月が、川を銀色に染める。
街の灯が遠くで瞬き、風が優しく吹き抜けた。
「先生。……私、もっと強くなりたいです」
「どうしてだ?」
「誰かを守れるように。
そして、“光の残響”が悲しい音じゃなくて、優しい歌になるように」
ユウは目を細めた。
「それなら、次の層で本当の試練が待ってる。
――だが、今日のところはもう休め」
「はい」
二人は立ち上がり、並んで歩き出す。
川沿いの道をゆっくりと進みながら、夜の風を感じていた。
リシアの胸の刻印は、もう光ってはいなかった。
けれど、心の奥で小さな熱を残していた。
“ありがとう”の声が、今も微かに響いているように。
やがて、街の鐘が遠くで一度だけ鳴った。
静かな夜の中、
ユウは小さく呟いた。
「――光は、消えないものだな」
リシアが微笑んで答えた。
「はい。きっと、心の奥に残っているんです」
その言葉とともに、二人の影が並んで夜の闇に溶けていった。
そしてその後ろで、川面に残る光の残響が、静かに波紋を描いていた。
“討つ”という行為の中にも、消えない願いが残る。
その光を受け継ぐ者こそ、本当の意味で生き続ける人。
――痛みを知る剣聖と弟子の旅は、ここからさらに深く沈んでいく。




