表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界剣聖 ― スレイする者 ―  作者: スマイリング


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/16

第1話 目覚めの剣

 ――鐘の音が、遠くで鳴っていた。


 低く、長く、まるでこの世界の空気そのものを震わせるような響きだった。

 重いまぶたを開けると、白い天井が見えた。石造りの高い天井に、淡い光が差し込む。色ガラスを透かした朝の光が、床に虹のような模様を落としている。


 ユウはぼんやりとその光を見つめた。どこかで聞いたことのある鐘の音に似ている気がした。

 だが思い出せない。記憶が曖昧に泡立つように散っていく。

 次に感じたのは、喉の渇き。指先に力を入れると、シーツの感触がやけに現実的だった。指先が動く。息を吸えば胸が痛む。――生きている。


 「……ここは、どこだ」

 掠れた声が自分のものとは思えなかった。

 視線を動かすと、部屋の中は白で満たされていた。壁も床も石。窓の外では光が揺れて、どこか遠くで祈りの声のようなものが聞こえる。

 冷たい静寂の中に、人の気配がない。


 目を閉じた瞬間、別の景色がよみがえった。

 夜明け前の駅。

 蛍光灯の白い光と、無機質な電子音。

 群衆の中で、誰も助けてくれなかった――あの、息が詰まる瞬間。

 体が落ちていく感覚。目の前が真っ暗になって――。


 「う、あ……っ」

 ユウは勢いよく上体を起こした。肺が焼けるように痛む。

 冷や汗が額を伝い、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 肩で息をして、視線を落とすと、胸の中央に黒い布が当てられていた。包帯だ。誰かが手当てをしたらしい。


 ゆっくりと足を下ろす。床はひんやりと冷たく、どこか神殿のような硬質さを持っていた。

 ――ここは病室か、それとも……。

 遠くで、もう一度鐘が鳴った。

 今度は近い。まるで耳の奥で鳴っているようだった。


 「……生きてるのか、俺」

 誰にともなくつぶやく。

 生きているはずなのに、胸の奥は不安で満ちていた。

 生き返った――その可能性が、恐ろしく思えた。


 その時、カーテンの向こうで衣擦れの音がした。

 控えめな足音。空気がひとつ、やわらかく震える。

 ユウが顔を上げると、白い布がゆっくりと開かれた。


 光の中に現れたのは、銀の髪の女性だった。

 長い法衣が静かに揺れ、彼女の周囲だけ時間が止まったように見える。

 その瞳は、冷たくも優しかった。


 「……目を覚まされたのですね」


 澄んだ声が、鐘の余韻に溶けていった。


 「目を覚まされたのですね」


 その声は、鐘の音よりも静かだった。

 ユウは反射的に肩をすくめ、目を細める。銀の光が差し込むように、その女性はゆっくりと近づいてきた。


 白い法衣。袖口には金糸の刺繍。首元で揺れる青い宝珠が、淡い光を返す。

 彼女の足取りには音がなかった。

 近づくたびに、空気が透き通っていくような気がした。


 「……ここは、どこだ?」

 かすれた声で問うと、彼女は穏やかに微笑む。


 「アークソル大聖堂。聖堂街の中央にある、祈りと癒しの場所です。

 あなたは三日前、門前で倒れていました」


 「門前?」

 ユウは眉をひそめる。

 頭の中に「門」という言葉が残響する。何か大きな黒い影のようなものを、夢の中で見た気がする。


 「私はアルマ・レーヴェン。戦神ヴァルドに仕える巫女であり、この聖堂の記録官です」

 彼女は軽く会釈した。

 動作は礼儀正しく、けれどどこか、距離を取るような慎重さがある。


 「あなたの名は、ユウ・ハルヴァード。

 衣に刻まれていた識別紋から判明しました」


 ユウは思わず息を呑んだ。

 その名は――確かに自分のものだ。けれど、呼ばれた瞬間、胸の奥で何かが軋む。


 (ユウ・ハルヴァード……。それが、俺か?)


 「助けてくれたのか」

 「ええ。神殿の者たちがあなたを運びました。

 ただ……」

 アルマは少しだけ視線を下げる。

 彼女の睫毛の影が、床にかすかな影を落とした。


 「あなたの身体には、珍しい“印”がありました」


 「印……?」

 ユウは無意識に胸に手を当てた。包帯の下で、何かがじんわりと熱を持っている。

 アルマはゆっくりと頷いた。


 「それは“スレイ”――神が戦いを記録するために刻む印。

 あなたのものは、特に強い光を放っていました。おそらく、“戦神の加護”そのものです」


 “戦神”という言葉が、胸の中でざらついた。

 戦い。加護。

 そのどれも、現実感がなかった。


 「俺は……戦ったのか?」

 「わかりません。ただ、あなたの印は、まだ燃えています」

 アルマは小さく手を差し出した。指先には薄く魔法陣のような光が宿る。

 「見てもよろしいですか?」


 ユウは少し迷ったが、うなずいた。

 彼女が手を近づけると、包帯の下から赤い光が滲み出た。

 紋様は羽のようでもあり、傷跡のようでもある。

 淡く脈打つそれは、心臓の鼓動と同期していた。


 「……これは、“生きている”証です」

 アルマの声が、どこか誇らしげに響いた。

 だがユウには、その言葉の意味がよく分からなかった。


 生きている。

 それは、こんなにも痛いことだったのか。


 胸の奥で、刻印がかすかに脈打つ。

 アルマが光をそっと収めると、室内は再び白い静寂に包まれた。


 「もう少し休んでください。

 あなたの加護は、まだ安定していません。

 戦神ヴァルドの御心が、あなたに安らぎを与えますように」


 そう言って、アルマは静かに礼をし、去っていった。

 残されたユウの耳には、祈りの言葉よりも――あの鐘の音だけが、強く残っていた。


 アルマが去ったあと、部屋には静けさが戻った。

 けれど、それは「安らぎ」というより、心の奥まで響くような静寂だった。


 ユウはゆっくりと息を吐き、胸に手を当てた。

 包帯の下には、まだ熱を持つ何かがある。

 指先に伝わる鼓動は、まるで他人のもののように不規則で、そして重かった。


 (これが、“印”……スレイ、ってやつか)


 言葉を口の中で転がしてみる。

 だが意味は、すぐには掴めなかった。

 頭の片隅に残っているのは、戦いの映像でもなく、敵の姿でもなく――ただ、崩れ落ちた都会の夜景だけだった。


 ガラス越しの光が、視界の隅で揺らぐ。

 ユウは再びベッドから降り、鏡を探した。

 壁際の棚に、磨かれた銀の鏡が立てかけられている。

 そこに自分の顔を映した瞬間、思わず息を止めた。


 ――自分の瞳の奥に、赤い光が揺らめいている。


 それは血走ったような充血ではなかった。

 炎のように、静かに、しかし確実に燃える光。

 その瞬間、胸の包帯の下からも熱が噴き出し、光が皮膚を突き抜けた。


 「……っ!」

 焼けるような痛み。

 包帯が淡く光り、細い筋が浮かび上がる。翼にも、牙にも、古い文字にも見える奇妙な紋様。

 ユウはその場に手をつき、息を荒げた。


 その時、扉が開く音がした。

 アルマが戻ってきたのだ。

 彼女は表情を変えず、光に照らされるユウの姿を見て小さく息を呑む。


 「……やはり、そうでしたか」

 彼女は懐から淡い青光を放つ護符を取り出すと、ユウの胸元へかざした。

 「これは《万象討滅の印》。この世界において、ただひとり――戦神ヴァルドから直に与えられる“始まりの刻印”です」


 「戦神、ヴァルド……?」

 「戦うことで存在を証明し、討った相手の記録を“刻む”神。あなたはその加護を持つ者です」

 アルマの声は穏やかだが、どこか祈るような響きを帯びていた。


 「ただし、この加護には代償があります」


 ユウは息を呑む。

 代償――その言葉に、胸の奥が冷たくなる。


 「討った相手の力を得る代わりに、あなたは“自分の記憶”を少しずつ失います。

 勝つたびに、心の奥にある何かが削れていく。

 それが《万象討滅の印》のことわりです」


 「記憶を……失う?」

 ユウは呆然とつぶやいた。

 思い出す。さっきまでの“駅”の記憶。あのホームの光景が、もう上手く思い出せない。人の顔も、声も、色さえも霞んでいく。


 「まるで――夢の後みたいだ」


 「それでも、あなたは戦うでしょう」

 アルマは言い切った。

 その声には、冷たさと祈りの両方があった。

 「この印を持つ者は、戦いから逃れられません。

 けれど、恐れを抱いたまま立ち続けるなら――それは、神にすら届く力になる」


 「……恐れたままでいいのか」

 「はい。恐れを抱いているうちは、人でいられるから」


 その言葉が、胸の奥で静かに響いた。

 ユウは小さく頷き、包帯を押さえる。光は収まり、痛みもやがて薄れていった。

 ただ、胸の中心に残った熱だけが、彼が“まだ生きている”ことを教えていた。


 アルマは静かに微笑み、扉の向こうを指した。

 「歩けそうですか? あなたに、見せたい場所があります」


 ユウは、少しのためらいのあと、頷いた。

 「行こう。……もう、寝てるだけの時間は終わりだ」


 聖堂の廊下は、静寂そのものだった。

 高い天井には光の帯が走り、外の鐘の音が石壁を震わせている。

 アルマが先を歩き、ユウはその背を追った。


 「この大聖堂には、あなたのように“刻印を持って生まれた者”が何人も来ました。

 けれど――あなたほどの輝きは初めてです」

 アルマの声は淡く、まるで祈りを口にしているようだった。


 ユウは無言で歩きながら、視線を床に落とす。

 磨き抜かれた石に、二人の影が映る。

 その影が、揺らいだ。


 次の瞬間、視界が暗転した。

 足元の感触が消え、冷たい風が頬をなでる。


 「……ッ!」


 視界に広がったのは、荒野だった。

 血の匂いと鉄の味。

 遠くでは戦鼓が鳴り、空が赤く燃えている。

 槍を掲げた軍勢がぶつかり合い、砂塵の中で炎が跳ねた。


 ――これは、夢か?


 ユウが思考するより早く、地鳴りのような声が響いた。


 ≪戦え≫


 男の声だった。

 低く、深く、地の底から響くような声。

 ユウは胸を押さえる。刻印が、熱い。

 呼吸をするたび、光が血流を走り、心臓を焼く。


 ≪戦え、ユウ・ハルヴァード。恐れを抱き、なお剣を取る者よ≫


 「……誰だ」

 声が震える。

 視界の先、黒い炎の中に、巨大な影が立っていた。

 角を持つ戦士のような姿。

 だが顔は見えない。ただ、その輪郭だけが世界の光を呑み込んでいる。


 ≪お前は“生き直し”を望んだ。ならば、証明せよ。戦いの意味を。≫


 「生き直し……?」

 その言葉に、過労死する直前の記憶が閃く。

 会社の廊下、誰もいないオフィス、終わらない残業。

 机に伏したままの自分。

 あの瞬間、確かに思った――「もう一度、生き方を選びたい」と。


 「……お前が、ヴァルドか」

 ≪そう。戦神ヴァルド。お前に“印”を与えた者≫


 声が笑った。

 笑いの中には祝福も、哀れみも混じっていた。


 ≪戦いは罪ではない。だが、逃げ続ける者に救いはない≫


 その瞬間、ユウの手に“何か”が握られた。

 それは剣だった。

 見たこともない銀の刃。だが重さだけがはっきりとわかる。

 足元に倒れる兵士たちの呻き。

 その中で、ユウは剣を構えた。


 「……俺は戦いたくなんか――」


 ≪違う。お前は“守りたい”のだろう≫


 戦神の声が轟くと同時に、視界が光で満ちた。

 世界が砕ける音。風が逆巻き、全てが白に染まる。


 「やめろ――ッ!」


 叫んだ瞬間、ユウは膝をついていた。

 息が荒く、全身に汗がにじむ。

 気づけば、そこは再び聖堂の廊下だった。

 目の前にアルマがひざまずき、肩に手を置いている。


 「落ち着いてください、ユウ。今のは――幻視です。

 あなたの印が、戦神と共鳴したのです」


 「幻……視?」

 声を震わせながら、ユウは額の汗を拭った。

 心臓が痛い。

 けれど、あの瞬間に感じた“声の温度”だけは、夢ではなかった。


 「……あれが、俺の加護の正体か」

 アルマは静かに頷いた。

 「はい。あなたの魂は、ヴァルドと繋がっています。

 それが、あなたが“剣聖”と呼ばれる所以です」


 「剣聖……」

 言葉を繰り返した途端、胸の印が一度だけ、強く脈打った。

 その光が、まるで意思を持つように瞬いていた。


 呼吸が浅い。

 胸の奥で、光がまだ脈打っていた。

 アルマの手が肩に触れると、そこから熱が波紋のように広がる。

 「印が、まだ落ち着いていません……」

 彼女の声が少しだけ緊張を帯びた瞬間、空気が一変した。


 聖堂全体が鳴動した。

 壁の装飾が震え、天井の鎖が軋む。

 ユウの胸の刻印が、赤く燃え上がった。


 「――あ……!」

 痛みではなかった。

 むしろ、溢れ出す力に身体がついていけない感覚。

 体の内側から何かが這い出してくるようで、指先から光が滲んだ。


 「やめろ、俺は……!」

 ユウは腕を押さえた。

 だが、その手のひらの下から、血ではなく光があふれる。

 赤い糸のように、床を這って走った。


 「ユウ!」

 アルマが叫び、両手を合わせる。

 聖句を唱える声が空気を震わせ、周囲の光を縛るように集めていく。

 「この暴走は一時的なものです! あなたの感情が反応している!」


 「感情が……?」

 ユウは歯を食いしばる。

 胸が痛い。息をするたび、誰かの叫びや、鉄の匂いが頭の中に流れ込んでくる。

 知らない戦場の映像が、次々と焼き付く。

 倒れる人々。焼け落ちる街。

 そして、その中心に立つ――自分。


 「違う、俺は、そんな……!」

 ユウは頭を抱え、床に膝をついた。

 光が一層強くなる。

 まるで“戦いの記録”が、彼の身体を通して蘇っているかのようだった。


 「落ち着いて!」

 アルマが駆け寄り、ユウの背に手を当てた。

 彼女の指先から、冷たい光が流れ込む。

 淡い青の祈りの光が、赤い炎を包み込むように広がっていく。

 「あなたは“今”にいるんです。過去でも未来でもない。ここに、私といる」


 その声に、ユウははっとした。

 目を開けると、赤い光が少しずつ静まり始めていた。

 呼吸を合わせるように、胸の刻印が明滅をやめる。


 「……ふ、う」

 大きく息を吐くと、身体の力が抜けた。

 床に片手をついたまま、しばらく動けなかった。

 アルマは彼の横で小さく祈りの言葉を唱え、ゆっくりと顔を上げた。


 「もう大丈夫です。印は安定しました」

 「……何が起きたんだ」

 ユウの声はかすれている。


 「加護の暴走。あなたの印は“戦いの記録”を受け継ぐもの。

 制御できなければ、過去の戦いがあなたを飲み込みます」


 アルマの言葉に、ユウは震える息をついた。

 「俺は……あんな光景、知らない。けど、感じた。剣を振るってた感触まで、全部」


 「それが《万象討滅の印》です。

 討ったすべての者の“記録”が、あなたの中に蓄積される。

 力を得るたびに、記憶も痛みも重なっていく……」


 ユウはゆっくり顔を上げ、彼女を見た。

 「そんなもん、誰が……背負えるんだよ」


 アルマはわずかに表情を曇らせたが、すぐに微笑んだ。

 「あなたです、ユウ・ハルヴァード。

 神がそう選んだから。……そして、あなた自身が“生きたい”と願ったから」


 ユウは目を閉じた。

 胸の刻印は静かに沈黙している。

 だが、その下に潜む熱は消えていなかった。

 恐怖と同じくらい、確かな“鼓動”がそこにあった。


 しばらくの沈黙のあと、アルマがそっと立ち上がった。

 彼女の白衣の裾が光をはらんで揺れる。

 「――歩けますか?」

 ユウはゆっくりと頷いた。足元はまだ少しふらつくが、空気を吸えるだけで充分だった。


 「見せたい場所があります」

 アルマはそう言って、聖堂の奥へと歩き出した。

 高い柱が並び、陽の光が長い影をつくっている。

 その間を抜けると、重い扉が一つ――冷たい鉄の色をしていた。


 アルマが鍵をかざすと、光が走り、扉が音もなく開く。

 中は、薄暗かった。

 けれど、闇ではない。静寂と祈りの匂いが満ちていた。


 「ここは《記録室》。

 戦神ヴァルドに仕える者たちが、倒した敵と共に“刻まれた”場所です」


 ユウの目が、自然と見開かれる。

 壁一面に、無数の剣が立てかけられていた。

 一本一本が、まるで墓標のように並んでいる。

 刃には名前が彫られていた――それぞれ違う筆跡で。


 アルマは歩みを止め、そっと指で一本の剣をなぞる。

 「ここに並ぶのは、かつてこの街を守り、迷宮に散った者たちの記録です。

 “スレイ”を得た者は、死後も名を刻まれ、永遠にこの街を見守ると信じられています」


 ユウはその背を見つめながら、胸の奥がざわつくのを感じた。

 戦い――死――記録。

 この世界では、それが循環している。


 「……これも、神の望みなのか?」

 ぽつりと漏らした声に、アルマは小さく首を振った。

 「神が望むのは、“証”。

 戦う理由を持つ者だけが、この場所に辿り着ける。

 ですが、ここに眠る者たちは……その理由を最後まで問い続けた人たちです」


 ユウはゆっくりと足を踏み入れる。

 踏みしめるたびに、石床がわずかに鳴る。

 壁に並ぶ剣が、光を反射して瞬いた。

 視線を走らせると、一番奥の壁に、一際新しい剣が一本――黒い鞘に納められていた。


 「……これは?」

 ユウが問いかけると、アルマはわずかに息を呑み、答えた。

 「今日、あなたが運ばれてきた夜に刻まれたものです」


 彼女が手を伸ばし、鞘を少しだけ引き抜く。

 刃の根元に、文字があった。

 ――“ユウ・ハルヴァード”。


 息が止まった。

 背筋を冷たいものが走る。


 「どうして……俺の名前が、ここに」


 「神殿の記録官として、私もわかりません。

 ただ、一つだけ言えることは――これは『予告』。

 あなたがこの世界で、“生き直す”という記録です」


 アルマの瞳はまっすぐで、静かだった。

 ユウはゆっくり剣に手を伸ばした。

 その瞬間、胸の刻印が微かに脈打つ。

 触れた刃は冷たく、それでいてどこか懐かしい。

 過去も未来も、この剣の中にあるように思えた。


 「……これが、俺の――始まり」

 言葉が自然とこぼれた。

 アルマは頷き、扉を閉めながら言った。

 「ええ。ここが“終わり”ではなく、“始まり”であるように」


 その声に導かれるように、ユウは剣を見つめ続けた。

 胸の刻印が、静かに光を返していた。


 夕暮れが、聖堂街を金色に染めていた。

 高い塔の影が石畳に長く伸び、遠くで子どもたちの笑い声が風に乗る。

 アルマに導かれて記録室を出たユウは、静かな中庭に立っていた。

 空気は冷たく澄み、花壇の白百合が微かに香っている。


 「……綺麗な街だな」

 ユウが呟くと、アルマはわずかに微笑んだ。

 「はい。戦いと祈りが共にある街――それがレオグラードです。

 誰かが戦い、誰かが祈る。その繰り返しで、この街は今日も息をしています」


 その言葉に、ユウは視線を上げた。

 遠くの丘に、黒い巨大な門が見える。

 アビス・ゲート。

 街の中心に口を開けた“戦いの底”への入口。

 そこに向かって、何人もの人影が祈りを捧げているのが見えた。


 「……あの門の先に、何がある?」

 「神々の残した迷宮。そして、すべての戦いの記録です」

 アルマの声は穏やかだったが、その奥に一瞬の寂しさがあった。


 「あなたも、いずれはあそこへ行くでしょう。

 それが、あなたの加護が示す道だから」


 ユウは目を細めた。

 日が沈み、赤から紫へと変わる空。

 胸の奥で、まだ熱がくすぶっている。

 「戦うために生きる……か。

 でも、それだけじゃ、何も残らない気がする」


 「ならば、探してください」

 アルマはゆっくりとユウの隣に立つ。

 「あなたが“何のために剣を取るのか”。

 それを見つける旅が、あなたの“生き直し”なのです」


 その言葉に、ユウは静かに息を吸った。

 風が白衣をなで、鐘の音がまた遠くで鳴る。

 ――ゴーン。

 その響きは、朝に聞いたそれとは違って聞こえた。

 静かで、温かく、どこか“生”の匂いがした。


 「……ありがとう、アルマ」

 ユウはゆっくりと頭を下げた。

 「俺、もう一度……“生きる”ってやつをやってみる」


 アルマの瞳が柔らかく細まる。

 「それが、最初の誓いになるでしょう」


 ユウは空を見上げた。

 空は、赤から群青へ。

 遠くの鐘が重なり合い、夜の祈りの時間を告げていた。


 彼はそっと右手を胸に置く。

 包帯の下、刻印が小さく明滅する。

 熱ではなく、灯火のような穏やかな光だった。


 「もう逃げない。

 奪うためじゃなく――守るために、剣を取る」


 その呟きは、風に溶けて消えた。

 アルマはただ黙って隣に立ち、目を閉じる。

 鐘の音が二人を包み、聖堂街の空に静かに響いていった。


 夜が降りる。

 その静けさの中で、ユウの旅が――始まった。

 第1話「目覚めの剣」は、ユウが“死”から“生”へ戻る物語でした。

 戦神の加護《万象討滅の印》は、力と同時に「失う痛み」を刻む存在です。

 この回では、まだ剣を振るわずに“心”で戦う導入として描きました。


 次話「灰の街レオグラード」では、

 この聖なる静寂の外――人々が笑い、食べ、戦い、日常を送る街へと舞台が移ります。

 静と動の対比で、ユウが“生きている実感”を掴んでいく瞬間を描きましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ