第1話 目覚めの剣
――鐘の音が、遠くで鳴っていた。
低く、長く、まるでこの世界の空気そのものを震わせるような響きだった。
重いまぶたを開けると、白い天井が見えた。石造りの高い天井に、淡い光が差し込む。色ガラスを透かした朝の光が、床に虹のような模様を落としている。
ユウはぼんやりとその光を見つめた。どこかで聞いたことのある鐘の音に似ている気がした。
だが思い出せない。記憶が曖昧に泡立つように散っていく。
次に感じたのは、喉の渇き。指先に力を入れると、シーツの感触がやけに現実的だった。指先が動く。息を吸えば胸が痛む。――生きている。
「……ここは、どこだ」
掠れた声が自分のものとは思えなかった。
視線を動かすと、部屋の中は白で満たされていた。壁も床も石。窓の外では光が揺れて、どこか遠くで祈りの声のようなものが聞こえる。
冷たい静寂の中に、人の気配がない。
目を閉じた瞬間、別の景色がよみがえった。
夜明け前の駅。
蛍光灯の白い光と、無機質な電子音。
群衆の中で、誰も助けてくれなかった――あの、息が詰まる瞬間。
体が落ちていく感覚。目の前が真っ暗になって――。
「う、あ……っ」
ユウは勢いよく上体を起こした。肺が焼けるように痛む。
冷や汗が額を伝い、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
肩で息をして、視線を落とすと、胸の中央に黒い布が当てられていた。包帯だ。誰かが手当てをしたらしい。
ゆっくりと足を下ろす。床はひんやりと冷たく、どこか神殿のような硬質さを持っていた。
――ここは病室か、それとも……。
遠くで、もう一度鐘が鳴った。
今度は近い。まるで耳の奥で鳴っているようだった。
「……生きてるのか、俺」
誰にともなくつぶやく。
生きているはずなのに、胸の奥は不安で満ちていた。
生き返った――その可能性が、恐ろしく思えた。
その時、カーテンの向こうで衣擦れの音がした。
控えめな足音。空気がひとつ、やわらかく震える。
ユウが顔を上げると、白い布がゆっくりと開かれた。
光の中に現れたのは、銀の髪の女性だった。
長い法衣が静かに揺れ、彼女の周囲だけ時間が止まったように見える。
その瞳は、冷たくも優しかった。
「……目を覚まされたのですね」
澄んだ声が、鐘の余韻に溶けていった。
「目を覚まされたのですね」
その声は、鐘の音よりも静かだった。
ユウは反射的に肩をすくめ、目を細める。銀の光が差し込むように、その女性はゆっくりと近づいてきた。
白い法衣。袖口には金糸の刺繍。首元で揺れる青い宝珠が、淡い光を返す。
彼女の足取りには音がなかった。
近づくたびに、空気が透き通っていくような気がした。
「……ここは、どこだ?」
かすれた声で問うと、彼女は穏やかに微笑む。
「アークソル大聖堂。聖堂街の中央にある、祈りと癒しの場所です。
あなたは三日前、門前で倒れていました」
「門前?」
ユウは眉をひそめる。
頭の中に「門」という言葉が残響する。何か大きな黒い影のようなものを、夢の中で見た気がする。
「私はアルマ・レーヴェン。戦神ヴァルドに仕える巫女であり、この聖堂の記録官です」
彼女は軽く会釈した。
動作は礼儀正しく、けれどどこか、距離を取るような慎重さがある。
「あなたの名は、ユウ・ハルヴァード。
衣に刻まれていた識別紋から判明しました」
ユウは思わず息を呑んだ。
その名は――確かに自分のものだ。けれど、呼ばれた瞬間、胸の奥で何かが軋む。
(ユウ・ハルヴァード……。それが、俺か?)
「助けてくれたのか」
「ええ。神殿の者たちがあなたを運びました。
ただ……」
アルマは少しだけ視線を下げる。
彼女の睫毛の影が、床にかすかな影を落とした。
「あなたの身体には、珍しい“印”がありました」
「印……?」
ユウは無意識に胸に手を当てた。包帯の下で、何かがじんわりと熱を持っている。
アルマはゆっくりと頷いた。
「それは“スレイ”――神が戦いを記録するために刻む印。
あなたのものは、特に強い光を放っていました。おそらく、“戦神の加護”そのものです」
“戦神”という言葉が、胸の中でざらついた。
戦い。加護。
そのどれも、現実感がなかった。
「俺は……戦ったのか?」
「わかりません。ただ、あなたの印は、まだ燃えています」
アルマは小さく手を差し出した。指先には薄く魔法陣のような光が宿る。
「見てもよろしいですか?」
ユウは少し迷ったが、うなずいた。
彼女が手を近づけると、包帯の下から赤い光が滲み出た。
紋様は羽のようでもあり、傷跡のようでもある。
淡く脈打つそれは、心臓の鼓動と同期していた。
「……これは、“生きている”証です」
アルマの声が、どこか誇らしげに響いた。
だがユウには、その言葉の意味がよく分からなかった。
生きている。
それは、こんなにも痛いことだったのか。
胸の奥で、刻印がかすかに脈打つ。
アルマが光をそっと収めると、室内は再び白い静寂に包まれた。
「もう少し休んでください。
あなたの加護は、まだ安定していません。
戦神ヴァルドの御心が、あなたに安らぎを与えますように」
そう言って、アルマは静かに礼をし、去っていった。
残されたユウの耳には、祈りの言葉よりも――あの鐘の音だけが、強く残っていた。
アルマが去ったあと、部屋には静けさが戻った。
けれど、それは「安らぎ」というより、心の奥まで響くような静寂だった。
ユウはゆっくりと息を吐き、胸に手を当てた。
包帯の下には、まだ熱を持つ何かがある。
指先に伝わる鼓動は、まるで他人のもののように不規則で、そして重かった。
(これが、“印”……スレイ、ってやつか)
言葉を口の中で転がしてみる。
だが意味は、すぐには掴めなかった。
頭の片隅に残っているのは、戦いの映像でもなく、敵の姿でもなく――ただ、崩れ落ちた都会の夜景だけだった。
ガラス越しの光が、視界の隅で揺らぐ。
ユウは再びベッドから降り、鏡を探した。
壁際の棚に、磨かれた銀の鏡が立てかけられている。
そこに自分の顔を映した瞬間、思わず息を止めた。
――自分の瞳の奥に、赤い光が揺らめいている。
それは血走ったような充血ではなかった。
炎のように、静かに、しかし確実に燃える光。
その瞬間、胸の包帯の下からも熱が噴き出し、光が皮膚を突き抜けた。
「……っ!」
焼けるような痛み。
包帯が淡く光り、細い筋が浮かび上がる。翼にも、牙にも、古い文字にも見える奇妙な紋様。
ユウはその場に手をつき、息を荒げた。
その時、扉が開く音がした。
アルマが戻ってきたのだ。
彼女は表情を変えず、光に照らされるユウの姿を見て小さく息を呑む。
「……やはり、そうでしたか」
彼女は懐から淡い青光を放つ護符を取り出すと、ユウの胸元へかざした。
「これは《万象討滅の印》。この世界において、ただひとり――戦神ヴァルドから直に与えられる“始まりの刻印”です」
「戦神、ヴァルド……?」
「戦うことで存在を証明し、討った相手の記録を“刻む”神。あなたはその加護を持つ者です」
アルマの声は穏やかだが、どこか祈るような響きを帯びていた。
「ただし、この加護には代償があります」
ユウは息を呑む。
代償――その言葉に、胸の奥が冷たくなる。
「討った相手の力を得る代わりに、あなたは“自分の記憶”を少しずつ失います。
勝つたびに、心の奥にある何かが削れていく。
それが《万象討滅の印》の理です」
「記憶を……失う?」
ユウは呆然とつぶやいた。
思い出す。さっきまでの“駅”の記憶。あのホームの光景が、もう上手く思い出せない。人の顔も、声も、色さえも霞んでいく。
「まるで――夢の後みたいだ」
「それでも、あなたは戦うでしょう」
アルマは言い切った。
その声には、冷たさと祈りの両方があった。
「この印を持つ者は、戦いから逃れられません。
けれど、恐れを抱いたまま立ち続けるなら――それは、神にすら届く力になる」
「……恐れたままでいいのか」
「はい。恐れを抱いているうちは、人でいられるから」
その言葉が、胸の奥で静かに響いた。
ユウは小さく頷き、包帯を押さえる。光は収まり、痛みもやがて薄れていった。
ただ、胸の中心に残った熱だけが、彼が“まだ生きている”ことを教えていた。
アルマは静かに微笑み、扉の向こうを指した。
「歩けそうですか? あなたに、見せたい場所があります」
ユウは、少しのためらいのあと、頷いた。
「行こう。……もう、寝てるだけの時間は終わりだ」
聖堂の廊下は、静寂そのものだった。
高い天井には光の帯が走り、外の鐘の音が石壁を震わせている。
アルマが先を歩き、ユウはその背を追った。
「この大聖堂には、あなたのように“刻印を持って生まれた者”が何人も来ました。
けれど――あなたほどの輝きは初めてです」
アルマの声は淡く、まるで祈りを口にしているようだった。
ユウは無言で歩きながら、視線を床に落とす。
磨き抜かれた石に、二人の影が映る。
その影が、揺らいだ。
次の瞬間、視界が暗転した。
足元の感触が消え、冷たい風が頬をなでる。
「……ッ!」
視界に広がったのは、荒野だった。
血の匂いと鉄の味。
遠くでは戦鼓が鳴り、空が赤く燃えている。
槍を掲げた軍勢がぶつかり合い、砂塵の中で炎が跳ねた。
――これは、夢か?
ユウが思考するより早く、地鳴りのような声が響いた。
≪戦え≫
男の声だった。
低く、深く、地の底から響くような声。
ユウは胸を押さえる。刻印が、熱い。
呼吸をするたび、光が血流を走り、心臓を焼く。
≪戦え、ユウ・ハルヴァード。恐れを抱き、なお剣を取る者よ≫
「……誰だ」
声が震える。
視界の先、黒い炎の中に、巨大な影が立っていた。
角を持つ戦士のような姿。
だが顔は見えない。ただ、その輪郭だけが世界の光を呑み込んでいる。
≪お前は“生き直し”を望んだ。ならば、証明せよ。戦いの意味を。≫
「生き直し……?」
その言葉に、過労死する直前の記憶が閃く。
会社の廊下、誰もいないオフィス、終わらない残業。
机に伏したままの自分。
あの瞬間、確かに思った――「もう一度、生き方を選びたい」と。
「……お前が、ヴァルドか」
≪そう。戦神ヴァルド。お前に“印”を与えた者≫
声が笑った。
笑いの中には祝福も、哀れみも混じっていた。
≪戦いは罪ではない。だが、逃げ続ける者に救いはない≫
その瞬間、ユウの手に“何か”が握られた。
それは剣だった。
見たこともない銀の刃。だが重さだけがはっきりとわかる。
足元に倒れる兵士たちの呻き。
その中で、ユウは剣を構えた。
「……俺は戦いたくなんか――」
≪違う。お前は“守りたい”のだろう≫
戦神の声が轟くと同時に、視界が光で満ちた。
世界が砕ける音。風が逆巻き、全てが白に染まる。
「やめろ――ッ!」
叫んだ瞬間、ユウは膝をついていた。
息が荒く、全身に汗がにじむ。
気づけば、そこは再び聖堂の廊下だった。
目の前にアルマがひざまずき、肩に手を置いている。
「落ち着いてください、ユウ。今のは――幻視です。
あなたの印が、戦神と共鳴したのです」
「幻……視?」
声を震わせながら、ユウは額の汗を拭った。
心臓が痛い。
けれど、あの瞬間に感じた“声の温度”だけは、夢ではなかった。
「……あれが、俺の加護の正体か」
アルマは静かに頷いた。
「はい。あなたの魂は、ヴァルドと繋がっています。
それが、あなたが“剣聖”と呼ばれる所以です」
「剣聖……」
言葉を繰り返した途端、胸の印が一度だけ、強く脈打った。
その光が、まるで意思を持つように瞬いていた。
呼吸が浅い。
胸の奥で、光がまだ脈打っていた。
アルマの手が肩に触れると、そこから熱が波紋のように広がる。
「印が、まだ落ち着いていません……」
彼女の声が少しだけ緊張を帯びた瞬間、空気が一変した。
聖堂全体が鳴動した。
壁の装飾が震え、天井の鎖が軋む。
ユウの胸の刻印が、赤く燃え上がった。
「――あ……!」
痛みではなかった。
むしろ、溢れ出す力に身体がついていけない感覚。
体の内側から何かが這い出してくるようで、指先から光が滲んだ。
「やめろ、俺は……!」
ユウは腕を押さえた。
だが、その手のひらの下から、血ではなく光があふれる。
赤い糸のように、床を這って走った。
「ユウ!」
アルマが叫び、両手を合わせる。
聖句を唱える声が空気を震わせ、周囲の光を縛るように集めていく。
「この暴走は一時的なものです! あなたの感情が反応している!」
「感情が……?」
ユウは歯を食いしばる。
胸が痛い。息をするたび、誰かの叫びや、鉄の匂いが頭の中に流れ込んでくる。
知らない戦場の映像が、次々と焼き付く。
倒れる人々。焼け落ちる街。
そして、その中心に立つ――自分。
「違う、俺は、そんな……!」
ユウは頭を抱え、床に膝をついた。
光が一層強くなる。
まるで“戦いの記録”が、彼の身体を通して蘇っているかのようだった。
「落ち着いて!」
アルマが駆け寄り、ユウの背に手を当てた。
彼女の指先から、冷たい光が流れ込む。
淡い青の祈りの光が、赤い炎を包み込むように広がっていく。
「あなたは“今”にいるんです。過去でも未来でもない。ここに、私といる」
その声に、ユウははっとした。
目を開けると、赤い光が少しずつ静まり始めていた。
呼吸を合わせるように、胸の刻印が明滅をやめる。
「……ふ、う」
大きく息を吐くと、身体の力が抜けた。
床に片手をついたまま、しばらく動けなかった。
アルマは彼の横で小さく祈りの言葉を唱え、ゆっくりと顔を上げた。
「もう大丈夫です。印は安定しました」
「……何が起きたんだ」
ユウの声はかすれている。
「加護の暴走。あなたの印は“戦いの記録”を受け継ぐもの。
制御できなければ、過去の戦いがあなたを飲み込みます」
アルマの言葉に、ユウは震える息をついた。
「俺は……あんな光景、知らない。けど、感じた。剣を振るってた感触まで、全部」
「それが《万象討滅の印》です。
討ったすべての者の“記録”が、あなたの中に蓄積される。
力を得るたびに、記憶も痛みも重なっていく……」
ユウはゆっくり顔を上げ、彼女を見た。
「そんなもん、誰が……背負えるんだよ」
アルマはわずかに表情を曇らせたが、すぐに微笑んだ。
「あなたです、ユウ・ハルヴァード。
神がそう選んだから。……そして、あなた自身が“生きたい”と願ったから」
ユウは目を閉じた。
胸の刻印は静かに沈黙している。
だが、その下に潜む熱は消えていなかった。
恐怖と同じくらい、確かな“鼓動”がそこにあった。
しばらくの沈黙のあと、アルマがそっと立ち上がった。
彼女の白衣の裾が光をはらんで揺れる。
「――歩けますか?」
ユウはゆっくりと頷いた。足元はまだ少しふらつくが、空気を吸えるだけで充分だった。
「見せたい場所があります」
アルマはそう言って、聖堂の奥へと歩き出した。
高い柱が並び、陽の光が長い影をつくっている。
その間を抜けると、重い扉が一つ――冷たい鉄の色をしていた。
アルマが鍵をかざすと、光が走り、扉が音もなく開く。
中は、薄暗かった。
けれど、闇ではない。静寂と祈りの匂いが満ちていた。
「ここは《記録室》。
戦神ヴァルドに仕える者たちが、倒した敵と共に“刻まれた”場所です」
ユウの目が、自然と見開かれる。
壁一面に、無数の剣が立てかけられていた。
一本一本が、まるで墓標のように並んでいる。
刃には名前が彫られていた――それぞれ違う筆跡で。
アルマは歩みを止め、そっと指で一本の剣をなぞる。
「ここに並ぶのは、かつてこの街を守り、迷宮に散った者たちの記録です。
“スレイ”を得た者は、死後も名を刻まれ、永遠にこの街を見守ると信じられています」
ユウはその背を見つめながら、胸の奥がざわつくのを感じた。
戦い――死――記録。
この世界では、それが循環している。
「……これも、神の望みなのか?」
ぽつりと漏らした声に、アルマは小さく首を振った。
「神が望むのは、“証”。
戦う理由を持つ者だけが、この場所に辿り着ける。
ですが、ここに眠る者たちは……その理由を最後まで問い続けた人たちです」
ユウはゆっくりと足を踏み入れる。
踏みしめるたびに、石床がわずかに鳴る。
壁に並ぶ剣が、光を反射して瞬いた。
視線を走らせると、一番奥の壁に、一際新しい剣が一本――黒い鞘に納められていた。
「……これは?」
ユウが問いかけると、アルマはわずかに息を呑み、答えた。
「今日、あなたが運ばれてきた夜に刻まれたものです」
彼女が手を伸ばし、鞘を少しだけ引き抜く。
刃の根元に、文字があった。
――“ユウ・ハルヴァード”。
息が止まった。
背筋を冷たいものが走る。
「どうして……俺の名前が、ここに」
「神殿の記録官として、私もわかりません。
ただ、一つだけ言えることは――これは『予告』。
あなたがこの世界で、“生き直す”という記録です」
アルマの瞳はまっすぐで、静かだった。
ユウはゆっくり剣に手を伸ばした。
その瞬間、胸の刻印が微かに脈打つ。
触れた刃は冷たく、それでいてどこか懐かしい。
過去も未来も、この剣の中にあるように思えた。
「……これが、俺の――始まり」
言葉が自然とこぼれた。
アルマは頷き、扉を閉めながら言った。
「ええ。ここが“終わり”ではなく、“始まり”であるように」
その声に導かれるように、ユウは剣を見つめ続けた。
胸の刻印が、静かに光を返していた。
夕暮れが、聖堂街を金色に染めていた。
高い塔の影が石畳に長く伸び、遠くで子どもたちの笑い声が風に乗る。
アルマに導かれて記録室を出たユウは、静かな中庭に立っていた。
空気は冷たく澄み、花壇の白百合が微かに香っている。
「……綺麗な街だな」
ユウが呟くと、アルマはわずかに微笑んだ。
「はい。戦いと祈りが共にある街――それがレオグラードです。
誰かが戦い、誰かが祈る。その繰り返しで、この街は今日も息をしています」
その言葉に、ユウは視線を上げた。
遠くの丘に、黒い巨大な門が見える。
アビス・ゲート。
街の中心に口を開けた“戦いの底”への入口。
そこに向かって、何人もの人影が祈りを捧げているのが見えた。
「……あの門の先に、何がある?」
「神々の残した迷宮。そして、すべての戦いの記録です」
アルマの声は穏やかだったが、その奥に一瞬の寂しさがあった。
「あなたも、いずれはあそこへ行くでしょう。
それが、あなたの加護が示す道だから」
ユウは目を細めた。
日が沈み、赤から紫へと変わる空。
胸の奥で、まだ熱がくすぶっている。
「戦うために生きる……か。
でも、それだけじゃ、何も残らない気がする」
「ならば、探してください」
アルマはゆっくりとユウの隣に立つ。
「あなたが“何のために剣を取るのか”。
それを見つける旅が、あなたの“生き直し”なのです」
その言葉に、ユウは静かに息を吸った。
風が白衣をなで、鐘の音がまた遠くで鳴る。
――ゴーン。
その響きは、朝に聞いたそれとは違って聞こえた。
静かで、温かく、どこか“生”の匂いがした。
「……ありがとう、アルマ」
ユウはゆっくりと頭を下げた。
「俺、もう一度……“生きる”ってやつをやってみる」
アルマの瞳が柔らかく細まる。
「それが、最初の誓いになるでしょう」
ユウは空を見上げた。
空は、赤から群青へ。
遠くの鐘が重なり合い、夜の祈りの時間を告げていた。
彼はそっと右手を胸に置く。
包帯の下、刻印が小さく明滅する。
熱ではなく、灯火のような穏やかな光だった。
「もう逃げない。
奪うためじゃなく――守るために、剣を取る」
その呟きは、風に溶けて消えた。
アルマはただ黙って隣に立ち、目を閉じる。
鐘の音が二人を包み、聖堂街の空に静かに響いていった。
夜が降りる。
その静けさの中で、ユウの旅が――始まった。
第1話「目覚めの剣」は、ユウが“死”から“生”へ戻る物語でした。
戦神の加護《万象討滅の印》は、力と同時に「失う痛み」を刻む存在です。
この回では、まだ剣を振るわずに“心”で戦う導入として描きました。
次話「灰の街レオグラード」では、
この聖なる静寂の外――人々が笑い、食べ、戦い、日常を送る街へと舞台が移ります。
静と動の対比で、ユウが“生きている実感”を掴んでいく瞬間を描きましょう。




