第6話 伸ばした手
喧騒からかけ離れた、薬品の匂いが充満している石造りの廊下を進む。
鞭打ちの刑は、どうにか耐え切った。しかし、そのまま宿には帰えれず、俺は手当して貰うために修道院へ向かった。医者は怪我を目にした途端、暫く修道院で療養するように言ってきたが俺はそれを断り、言い合い末に、一日だけ療養することになった。
修道院を出ると、俺は駆け出す。足を踏み込む度に振動が鞭打たれた背中に伝わり、鋭い痛みが走る。しかし、俺は痛みを押して走り続けた。ルークが無事なら、護衛がいる宿に身を隠しているはずだと考え、宿へ向かう。
手紙は渡したが、実際に抑止できているのかは分からない。全身を駆け巡る痛みと冷や汗で服が体に張り付く不快感のせいか、善くないことを想起してしまい、俺は走りながら何度も頭を振る。
そして宿に辿り着き、そのまま部屋の前に向かうと、心の中で「頼む!」と強く念じながら扉をノックする。
「ルーク、俺だ」
緊張しながら声をかけると、物音一つしない部屋の中から突然バタバタと足音が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。
「レンさんッ!」
ルークの顔を見て、安堵よりも罪悪感に苛まれる。疲れ切った顔、ボサボサの髪、充血した目、誰が見ても限界寸前の状態だった。ミカルの件もある。おそらく、ほとんど眠らずに一夜を過ごしたのだろう。
「大丈夫ですかッ? 怪我はッ? 何があったんですかッ?」
「落ち着け、俺はなんともねぇよ」
「ああ……良かった……」
ただ罪悪感を抱きつつも、徐々に安堵感が込み上がってきて身体が軽くなっていく。そのことを悟られないよう気を付けながら部屋へ入ると、考えておいた設定をルークに話す。
「――……てなわけで、俺は五つ目の暗殺者たちと一晩中追いかけっこしてたってわけだ。状況が状況だから、ルークには何も伝えられなかった。心配かけて、悪かったな」
話し終えると、俺は姿勢を正し、ルークに深々と頭を下げる。正直には話せない。だが、心配かけたことには変わりないため、俺は誠心誠意に謝罪する。
「頭を上げて下さい。レンさんのせいじゃないんですから」
ルークは笑いながら、そう声をかけてくれた。その後は、緊張の糸が切れたルークは崩れるように眠ってしまい、俺も周囲を警戒しながら休息を取った。
――数時間後。
「ルーク、まだ炊き出しを続けるのか?」
眠ったことで多少は顔色が良くなったルークに、今後も炊き出しを続けるのかを尋ねた。確かに未来を見据えるのであれば有効的だが、今現在、命を狙われてるのだ。前までとは状況が違う。
「…………」
ルークは俺の言葉を受け、口を紡ぐ。
安易には答えられない問いだ。俺は黙ってルークが口を開くのを待つ。そして、太陽を覆っていた雲が流れて日差しが部屋に差し込むと、ルークが重い口を開いた。
「続けたいと思います。……その、ですから……レンさん、私を守っていただけないでしょうか?」
ルークは、俺の目を見つめながらそんなことを言ってきた。それに対し、俺は笑顔を浮かべて返事を返す。
「ルークお前、それってプロポーズか?」
「え……なッ!? 何言ってるんですか、違いますよッ!」
「アッハッハ! 俺のことを誑しって言った仕返しだ。護衛は俺に任せろ、ちゃんと守ってやる」
「レンさんって、根に持つタイプなんですね……」
炊き出しを行うのであれば、ゆっくりとはしていられない。俺たちは手早く身支度を済ませ、買い出しに向かう。そうして宿から出ると、先ほどは気付かなかったことに気づいた。
(俺らを意識してるヤツ等がいる。……けど、どこにいるか分かんねぇ。……五つ目のヤツ等が遠くで見張ってんのか?)
人ごみの中に混ざっているのであれば、いくら変装しても見分けられる。だが、遠方から監視されたらお手上げだ。
(けど、距離を取ったってことは、手紙が効いてるってことか……)
俺からは手が出せない。しかし、それは向こうも同じ。ということは、手紙に書いた脅しが効いたということになる。遠巻きに監視しているのは、さすがに俺たちを野放しにはできないからだろう。
(一先ず、窮地は脱したな)
何よりも避けたかった、物量で押してくることを避けることができた。仮に五つ目が全勢力をかけてつぶしに来ていたら、為す術なくやられていただろう。運がこちらに味方したことに、俺はニヤリと笑った。
◇◇◇◇◇
「レン兄ちゃん、また明日ねー!」
「おーう、寄り道しないで真っ直ぐ帰れよー」
子どもたちが走って帰っていくのを見送った俺は、浮かない顔をしているルークに近づく。
「どうした、ルーク?」
ルークは、炊き出しを行っている時からこんな調子だった。知らない風を装って尋ねたが、原因は明白。ミカルを気にかけているのだろう。何せ、ミカルたちは食事を受け取りに来なかったのだ。
「ん? あそこにいるの……テンネルか?」
なんと声をかけようか悩んでいると、遠くでこちらを見つめているテンネルの姿を見つけた。
「ッ!? どこですかッ?」
思い詰めた顔をしていたルークが、俺の言葉を聞いてハッとした表情に変わり、慌てて顔で上げて視線を彷徨わせる。
「ほら、あそこだ。ミカルとマルクスは一緒じゃないのか」
テンネルの方もこちらが気付いたことに気づいたのか、走り去ってしまった。
「どうしたんだ? ……気になるし、どうせコイツも届ける予定だったし、ちょっと行ってくるわ。ルークはどうする?」
「あ、その……私は残ります。ミカルやマルクスが来るかもしれませんから……」
「分かった。ここは安全だと思うけど、何かあったら大声を出せよ。知らない人に声をかけられてもついて行くなよ?」
「完全に私のことを舐めてますね……。ついて行きませんよッ! レンさんの方こそ、女性を口説いてこないでくださいね!」
「てめ……だから、俺はそんなんじゃねぇって!」
そうやってルークと軽口を叩き合った後、俺はテンネルの後を追った。
避難所はソルネットガングの安全を守るために、都市から遠ざかるように建てられていた。そのため、周縁部に位置する避難場所は危険な目に遭う確率が高くなる。そのことを理解している避難民たちはどうするか。弱い者を端へ追いやるのだ。テンネルが入ったテントは、そんな避難所の一番端にあった。
「御届け物でーす!」
ぼろ布と木の棒で建てられた簡易的なテントの前に立ち、俺はあえて気さくに声をかけてみた。だが、当然のように返事はない。しゃがみ込むと、出入り口が開いたテントの奥、暗闇の中から瞬き一つせずにじっと俺のことを睨み付けている二つの目が見えた。
「テンネル、腹減ってんだろ? ほら、飯持ってきたぞ」
俺はテントの前に手持ちの籠を置くと、数歩下がって地面に座り込む。
「ちゃんと三人が腹一杯食える量を作ってきたから、ミカルとマルクスの分は気にすんな。って、ああ腹減った~。俺も食お。うん、うめぇ。さすが俺!」
下ごしらえをしている時にミカルたちの姿が見えなかったため、食材を残して置いた。その食材で作ったサンドウィッチを頬張り、俺は自画自賛をする。そうして声を上げながら食べていると、テンネルが近づいてくる気配がした。
「あッ、テンネルのは、丸の印が付いてるヤツな」
言い忘れていたことを思い出し、俺はテンネルに声をかける。ただ、指定があることを告げた途端、テンネルは奥へ引っ込んでしまう。
「別に変なモンは入ってねぇよ。ただテンネルのには、トマトが抜いてあるってだけだ。テンネル、トマト嫌いだろ? 飯にトマトが入ってる時は、いつもしかめっ面してたもんな」
印の意味を教えると、俺は食事を再開する。すると、テントの中から「ぐぅ~」という音が聞こえた。
腹の音が鳴った直後、テントから細い手を伸びてきて、包み紙に丸の印がついたサンドウィッチを奪い取っていった。そして包み紙が破かれる音がし、勢いよく咀嚼する音が聞こえてくる。
「誰も取らねぇし、たくさんあるからゆっくり食べろよ」
一応、声をかけてみたが無駄だった。行儀悪く、音を立ててがっつくテンネルに対して、俺は苦笑いを浮かべる。ただそれ以上に、作った料理を夢中で食べてもらえてることに嬉しさを感じていた。
食事を終えた俺は、そのままテントの前に居座って空を眺める。
「…………なんで、こんなことしてるの?」
咀嚼音が止み、静かになったテントの中からポツリと聞こえた小さな声。
「ん? 炊き出しのことか?」
俺はテントには顔を向けず、空を眺めたまま質問されたことに答える。
「俺が尊敬してる人が、炊き出しをしたいって、続けたいって言ったからだ」
「……あのへなちょこ?」
「アッハッハ、ルークが聞いたらいじけるぞ」
テンネルの容赦ない言葉に、俺はルークの反応を思い浮かべて大笑いする。ルークは弄られると言葉では気にしてない風を装うが、顔に出るのだ。
「……けどな、ルークはすげぇ奴だ」
笑っていた俺は口を閉ざし、強い眼差しをテントに向けた。すると、暗闇の中にいるテンネルと目が合い、彼女の瞳が揺ぐ。
「ま、今は分かんねぇだろうけど、きっといつかテンネルにも分かるだろうよ。……っと、そろそろ戻らねぇと」
空が茜色と紺色の自然のグラデーションを生み出し始めたのを目にした俺は、立ち上がってズボンの土を払う。
「んじゃ、また明日な、テンネル」
俺は顔を破顔しながらテンネルに声をかけた後、ルークの元へと戻る。
(少しは、心を開いてくれたか……)
三人の中で、テンネルが一番壁を作っていた。あそこまでの警戒心、瞳の暗さは、テンネルがここへ辿り着くまでの間に目にしたモノの悲惨さを物語っている。
「当り前か……」
本で得た知識と、実際にその時代を見聞きするとでは訳が違う。怯え、恐怖し、それでも笑いながら生きる逞しい人たち。しかし、懸命に生きても尚、無慈悲に命を奪われるのが戦争なのだ。
「ったく、勇者ならちゃんと救ってやれよ、親父……ん? マルクス?」
炊き出しを行っていた場所に戻ると、ルークの目の前に立っているマルクスが見えた。ただ、穏やかに談笑しているわけではなく、マルクスはルークのことを睨み付けていた。
「お前も、他のヤツ等と一緒かッ!」
小走りで二人に近づいていた最中、マルクスが怒声を上げる。そしてマルクスは、ルークの肩にぶつかった後、走っていなくなってしまった。
「ルーク……」
ぶつかられた状態のまま動かないルークの肩が小刻みに震え出す。よく見ると、力一杯拳を握り締めているのか手の色が変わっていた。
「ルーク、何があった?」
俺がルークの肩に手を置きながら声をかけると、ルークがゆっくりと顔を向けてくる。その顔は、奥歯を噛みしめたような、苦しげな表情をしていた。
「レンさん……、実は……――」
ルークの話よれば、マルクスはミカルとテンネルの二人を保護して欲しいと頼み込んできたとのことだった。
「あの感じでだいたいの予想は付くけど、何て答えたんだ?」
「…………何も答えられませんでした」
そう呟くと、ルークは俯き、また肩を震わす。
「私は……私はただ、自分の利益のために…………それだけだったのに、私は……」
ルークは、震えながら心情を吐露し続ける。一緒に過ごして分かったが、ルークは商人に向いていない。商売相手に対し、肩入れし過ぎだ。
(ま、だから惹かれるんだけどな……)
前後は逆になるが、たった一人のために商会の代表であるルーカスさんは尽くしてくれた。そのおかげで、今の俺がいるのだ。
「おら、シャキッとしろ!」
「痛ッ!?」
俺は、思い詰めた顔をして黙り込んでいるルークの背中を引っ叩いた。突然の衝撃に、ルークは驚き固まる。そして目と口を大きく開けたまま、俺の方を見てきた。
「別に間違ったことはしてねぇんだから、そんなに思い詰めるなって。他人の、しかも子ども二人の面倒をいきなり見てくれって言われて、『分かった』なんて俺でも言えねぇよ」
「それは……」
「もしそれでも助けたいって言うなら、何かいい方法を二人で考えようぜ」
俺が笑いながらそう言うと、ルークの見開かれた目が揺らぐ。そして、俺に釣られるようにルークも笑みを浮かべた。
「……そうですね。何でかは分かりませんが、レンさんとならどうにかなる気がします」
ルークがそう口にするように、俺も二人で力を合わせればどうにかなると信じてやまない。だから、俺は今後について思いを馳せようとした。
――そんな時だった。
「レンにぃ」
突然、ミカルが泣きながら走り寄ってきたのだ。そして俺に抱き付くと、力の限り叫ぶ。
「テンネルねぇを助けて!」