第3話 善行
意識が覚醒し始めると、厨房の方から物音が聞こえた。
「ふぁわ……」
食堂のベンチから起き上がると、窓から差し込む朝日に目を細める。大きく背伸びをし、凝り固まった体をほぐすと厨房へ向かう。
「おっちゃん、おはよう」
俺が声をかけると、仕込みをしていた大柄の男性が振り返る。
「おう、レン。あんな場所じゃあ、寝れなかったろ?」
「全然、ぐっすり寝れた」
陽だまり亭の料理は、ルークの言う通り絶品だった。俺は夢中で食べ、その喰いっぷりを店主であり、料理番でもあるダグのおっちゃんに気に入られた。
心ゆくまで料理を堪能した後は、部屋をレイに譲り、俺はダグのおっちゃんに頼み込んで一晩だけ食堂のベンチで寝させてもらった。もちろんタダではなく、早朝の薪割を買って出た。
「おはよう、レン」
「おはようございます、アイニさん」
俺が挨拶を返すと、アイニさんは宿の二階へ目を向けた。
「ルーカスは、まだ寝てるよ」
「ルークのヤツ、けっこう疲れを溜めてましたからね」
「そうなのかい?」
ルークは、道中の三日間ほとんど寝ていない。その原因は、俺。夜は交代で休息を取っていたのだが、ルークは寝たふりをしながら、ずっと俺のことを警戒していたのだ。
「まあ、まだ早い時間なので、あと二時間位は寝させてあげようと思います」
「そうかい。なら、レン。薪割りを頼むよ」
「はい。おっちゃん、美味い朝メシ期待してっから!」
「おう、任せとけ」
そうして俺は、ルークが慌ただしく起きてくるまで薪割りに精を出した。
◇◇◇◇◇
「申し訳ございませんでした」
朝食を食べ終えて部屋に戻ると、開口一番ルークが頭を下げながら謝罪の言葉を口にした。
「寝坊したぐらいで、謝ることないだろ」
俺は椅子に腰掛けながら、ルークの謝罪を笑い飛ばす。
「んなことより、今日はどうすんだ?」
このあとの予定を尋ねると、ルークは気を取り直すように咳払いをした後、説明し始める。
「午前中は、頼まれていた物を納品して回ります。その後は、十五時までは仕入れを行いますね」
「ふ~ん、なら、俺はそれを手伝えばいいんだな?」
「えッ、手伝っていただけるんですか?」
俺の言葉を聞き、ルークが目を見開いて驚く。
「レンさんには、道中の馬車護衛を依頼しただけです。ですから、あとは報酬をお支払いして契約は終了です。ですから、その……」
「別に気にしねぇよ……あッ!?」
ルークの歯切れの悪い様子に、俺はある考えに至った。
「もしかして、俺がいると邪魔だったりする?」
商人同士の付き合いがあるのかもしれない。であれば、俺が一緒にいたら邪魔だろうと思ったのだ。しかし、ルークは手を振りながら俺の言葉をすぐに否定してきた。
「そんなことありません。むしろ、レンさんに手伝っていただければ、仕事が早く済んで有難いです」
「そっか、なら良かった。よし、じゃあ早速行こうぜ」
俺は立ち上がって扉へ向かう。ルークの手伝いとは別に、俺は露店を見て回りたかったのだ。しかし、ルークは俺を見つめたまま動かなかった。
「なんだよ、行かねぇのか? ああ、報酬は別に気にしなくていいぞ。俺が好きで手伝うんだからな」
俺が笑顔を浮かべながらもう一度声をかけると、ルークはやっと立ち上がった。
「レンさんって、不思議な方ですね」
「あ? なんだよ、いきなり?」
◇◇◇◇◇
日が昇った市場は、人と活気であふれていた。足を踏み入れると、果物の甘い匂いや食欲をそそる香りがし、雑踏の音と人の声などの喧騒に包まれる。
「おお、さっすが商業都市だな」
初めての体験に俺は心を躍らせていると、ルークは青果を扱う露店の前で立ち止まり、店に立つ二十代くらいの女性に声をかけた。
「こんには、ミルカさん」
「ん? ああ、ルーカスかい。納品だね、なら――」
ミルカと呼ばれた女性は、ルークの顔を見た後、隣にいる俺の顔を覗き込んで来た。その瞬間、ピタッと固まり、動かなくなってしまった。
「初めまして、ルーカスの護衛をしてるレンって言います」
俺は、笑顔を浮かべながらミルカさんに名乗った。
「え、あ……」
俺が名乗ったその数秒後、ミルカさんの顔が真っ赤に染まる。そして、彼女は何も言わずに俯き、手で髪を撫で出す。
「おい、見ろよッ! あのミルカが男に照れてやがんぞ!」
「マジかッ!?」
道を行きかう人や露店の準備をしていた人がミルカさんの反応を目撃するや否、作業を止めて一斉に騒ぎ立つ。
「ッ! アンタたち、うるさいよッ!」
自分が茶化されていることに気付いたミルカさんは顔を上げ、眉間に皺を寄せながらニヤついている男たちを一喝した。
「あッ」
男たちを散らしたミルカさんは、ハッとした表情を浮かべた途端、まるで寒気で萎びた花のようにしおらしくなった。その後、俺の顔色を窺うように横目でチラチラと見てくる。
「いい街は、女性が元気だと聞きました。それに、言葉にしなくても察してと言う女性より、ハッキリと自分の意志を伝える女性の方が素敵だと俺は思います」
俺がそう言うと、ミルカさんの顔が花開いたような笑顔に変わる。
――そして、
「レン、また来てね。おまけするから」
「はい、ありがとうございました」
このようなやり取りが、行く先々の店で起こった。
「レンさんって、誑しなんですか?」
納品を終えて移動している最中、ルークが引いたような顔をしながらそんなことを聞いてきた。
「そんなんじゃねぇよ! 俺はただ、女性には礼儀正しくしろって教えられたからその通りにしただけだって。ホントに、ただそれだけだって……たぶん……」
聞き捨てられない言葉に力強く反論したが、女性の反応が蘇って自信が無くなっていき、最後には自分でも半信半疑になってしまった。
女性への接し方を俺に叩き込んだのは、ソフィアである。俺に対して甘いソフィアだが、女性への接し方を学ぶ時だけは異常なほど厳しかった。そのため、今ではごく自然のように体が動いてしまう。
(ソフィア、俺に一体何を教えたんだよ……)
俺が頭を抱えていると、隣に座って馬を操っているレイが然も当然かのように呟く。
「レンさんに愛嬌を振りまかれたら、大抵の女性はああなりますよ」
「なんで?」
「な、……嫌味ですか? あ、いえ、そんな感じではないですね。はぁ……」
ルークは疲れたような、呆れたような深いため息を吐く。
「ああ、もういい! で、このあとは? 野菜を大量に買ってたけど、商品とかじゃないよな?」
「ええ、今から壁の外の難民の方たちに炊き出しを行います」
「炊き出し?」
ルークの口から唐突に告げられたことに、一瞬思考が止まった。だがすぐに、ルークはお人よしで、面倒見がいいことを思い出す。
「そっか……あ、でも、肉がないな? これから仕入れるのか?」
「いえ、肉は使いません」
「はッ!? 肉なしッ?」
「ちょっとレンさん、暴れないでください」
驚きのあまり俺がルークの方へ体を乗り出すと、馬車が揺れた。
「コホンッ、話を戻しますが、そこまで驚かれることですか?」
都市の中を走行している時に暴れるのは危険だと厳重に注意された後、ルークに尋ねられた。
「たぶん、作んのはスープだろ? なら、肉が入ってた方が美味いだろ」
「言いたいことは分かりますが、さすがにそこまではできません」
「う~ん……」
俺は、ソルネットガングに入る前に見た難民の人たちの顔を思い出す。都市の中に入れてもらえないと知り、絶望に染まっていた。そんな人たちに炊き出しをするのは賛成だが、野菜だけの質素な物では、さらに負の感情を募らせかねない。
「ルーク、ちょっと頼みがあんだけど?」
◇◇◇◇◇
「別について来なくてもいいんだぞ」
「レンさん一人で行かせるわけにはいきません」
俺は、行程の途中で見つけた森林へ行きたいとルークに頼んだ。目的は、食材の確保。肉を入れたいが、さすがに肉を購入するのは費用が高すぎる。ならば、自分で狩ればいいと思ったのだ。本当は一人で森へ入って捕まえようと思ったのだが、何故か、ルークも同行すると言ってきた。仕方がないので、俺の言うことを絶対に守るという条件で同行を許可した。
「お、見つけた」
「何を見つけたんですか?」
知識を頼りに森の奥へ進んでいると、お目当ての動物を発見した。
「あそこに、牛兎がいる」
「どこですか?」
俺は指差すが、ルークは見つけられずに視線を彷徨わせる。
「とにかく、いんだよ。あんま、物音を立てるなよ。牛兎は警戒心が強いからすぐ逃げる」
「はぁ? それなら、どうやって捕まえるんですか?」
「これだ」
俺は、腰に巻き付けていた縄を手に取ってルークに見せる。
「それは確か、移動中にずっと編んでた物ですよね?」
「ああ、コイツは投擲用の縄だ。ルーク、ちょっと離れてくれ」
言われた通りにルークが離れると、俺は縄の中心部分に作ったポケット状の箇所に石を置き、両端を握って振り回し始める。
三メートルほどの縄が徐々に加速していき、「ヒュンヒュン」と風を切る音が鳴り出す。そして、狙いを定めると、片方の縄を手放した。すると、けたたましい破裂音が森の中に鳴り響き、一羽の牛兎が倒れる。
「うし、命中!」
俺はすかさず走り出す。
「ちょっと、レンさんッ!?」
木々や茂みを避けながら駆け、絶命した牛兎の元へ辿り着く。
「やっぱ、小さいか……」
仕留めたのは牛兎は、仔牛程度の大きさだった。サイズ的には食べ頃だが、難民の人数を踏まえると少々小ぶりである。だが、移動や調理を考えると、あまり時間はかけられない。俺は腰に括り付けていたナイフを引き抜くと、手早く血抜きを行う。
「レンさんって、えッ!? 本当にいたんですかッ?」
やっと追い付いたルークの第一声がそれだった。
「信じてなかったのかよ」
血抜きの作業をしながら、ルークに突っ込みを入れる。
「ちょっと小っちゃいけど、まあ、入れないよりかはいいか」
「はい! 正直、先ほどは肉を入れないと言いましたが、本当は入れたかったんです。しかもレンさん、血抜きまで出来るんですね」
ルークがめずらしく興奮した様子で、俺の作業を見てくる。
(全部、ルーカスさんに教わったものですけどね……)
遠い日の記憶。ルーカスさんが俺に授けてくれた知識と技術。今思えば、すべてはこの時代で生き抜くために必要なものばかりだ。実際に訓練場で解体を行った時は、ソフィアの雷が落ちた。
感傷に浸りながら今度は内臓を取り出そうとした時、ふいに気配を感じ取った。
「ルーク、木に登れるか?」
「え? 何ですか、いき――」
「早く、そこの木に登れ!」
俺はルークの方へ振り向き、睨み付けながら怒鳴りつける。突然のことに、ルークは体を硬直させた。だがすぐに、俺のただならぬ雰囲気を察し、強張った表情をさせながら木に登っていく。
ルークが樹上へ移動したことを見届けた後、俺は再び正面に目を向ける。おそらく、血の匂いを嗅ぎつけて来たのだろう。地面の振動からして、数トンを超える大物。
次第に距離が縮まってくると、荒い呼吸音と共に濃い獣臭が漂ってきた。
「さぁ、来いよ」
俺は両手を広げ、笑みを浮かべながら出迎える。
「グルガァアアアアアアアアアアア!!!」
雄叫びを上げながら飛び出してきたのは、巨大な肉の塊だった。
「巨腕熊ッ!」
茂みから飛び出した熊――巨腕熊を見て、ルークが悲鳴交じりに声を上げる。
「そういえば、そんな名前だったっけ」
呑気に思い出していると、巨腕熊は俺に向かって突進してきた。
「へぇ~、実物を見るのは初めてだけど、確かに見た目は熊だな」
焦げ茶色の体毛に、剥き出しの牙がいささか獰猛過ぎるが、一応は熊と分かる顔付き。特徴的なのは、二本の前肢。ゴリラのような姿勢で、長く、筋骨隆々な腕には毛が生えていない。巨腕熊は、その二本の前肢を武器として用いて、獲物を叩き潰すという。
「よっと」
俺は右へ跳躍し、巨腕熊を躱す。突進を躱された巨腕熊は、すかさず前肢を地面に叩きつけた。轟音と共に地面が揺れ、巨体が宙を舞う。そして、空中で体を翻し、着地したと同時に再び俺に襲い掛かってきた。
「おお、器用だな」
巨腕熊は後肢で立ち上がると、全体重を乗せて前肢を振り下ろしてきた。それを、俺は後方へ飛び退いて避ける。
「ガァアアアアアアアアアアア!!!」
攻撃が当たらないことで苛立ったのか、巨腕熊が唾液をまき散らしながら雄叫びを上げる。
「ルーク!」
俺が大声で名前を呼ぶと、木の上で青い顔をして固まっていたルークが我に返った。
「あ、わ、分かってます! 隙を見て、助けを呼びに――」
「コイツって食えたっけ?」
「…………は?」
たっぷり間を開けた後、ルークは気の抜けた声を漏らした。
「だ・か・ら! 巨腕熊が食えるかどうかって聞いてんの」
俺は巨腕熊の止まない連撃を躱しながら、ルークに話しかける。
「え……えっと、その、巨腕熊の内臓と脂身は獣臭くて食べられませんが、赤みの部分は臭みがなく、高級食材として取引されています」
「高級食材ッ! いいね!」
ルークからの返答を聞いた俺は、一旦、巨腕熊から大きく距離を取った。そして、腰に下げていた剣を引き抜く。
「グゥルルルル」
絶えず攻撃を繰り出していた巨腕熊が、俺が剣を抜いた途端に動きを止めた。さらには、血走った目を俺に向けながら姿勢を低くし、唸り声を上げる。
巨腕熊が警戒心を強める一方、俺は何の気負いもなく仕掛けた。
脚に力を込めると、地面を蹴り、巨腕熊に急接近する。巨腕熊は、俺の動きにまったく反応できていない。俺はそのまま巨腕熊の懐に入ると、脳天に剣を突き刺した。
「お前の命、しっかり活用させてもらうぞ」
剣を引き抜き、付着した血を払い飛ばすと、絶命した巨腕熊に声をかける。
「これだけありゃあ、足りるな!」
俺は巨腕熊の味を想像しながら、さっそく血抜きと解体に取り掛かった。