第2話 運
「私が言葉遣いを気を付けているのは、人との出会いは運を結ぶことだと思っているからです。『邂逅が運を運ぶ』私の座右の銘であり、商人としての矜持です。人から運を望むのであれば、私が相手に敬意と誠意をもって接するのは当然。たとえ違ったとしても、そのように接したことは広まり、新たな邂逅を運んでくるのです」
「僕はどうですか? 少しはルーカスさんに運を運びましたか?」
「もちろんでございます。レン様は、私に数多の運を運んでくださりましたよ」
◇◇◇◇◇
城門でルーカスさんと出会ったのが、正午過ぎ。それからすぐに出発したが、行程の三分の一ほどの地点で日が暮れ初めてしまい、開けた場所で野営することになった。
「……獣避けの魔道具、設置終わりました」
「ありが……どうされました?」
焚火の近くで食事の準備をしていたルーカスさんが俺の方に顔を向けた途端、ギョッとした顔をしながら声をかけて来た。
俺は焚火の前に座ると、不機嫌そうにその訳を話す。
「あの魔道具、スゲェうるさい」
「獣用ですよ?」
俺の言葉に、ルーカスさんは信じられないような、呆れたような顔をしながら一言呟いた。
「ああ~、ずっと耳鳴りがしてるみたいだ~」
「本当に聞こえているんですか? 人には影響がない物ですよ?」
そう言われても、実際に四方から高音が鳴り続けている。距離が離れた分設置していた最中よりはマシだが、それでも気に障る不快さがあった。
「まッ、そのうち慣れるか」
気にしていても仕方がないと、俺は割り切ることにした。それに、夜の野営中に獣避けの魔道具を設置しないのは自殺行為である。
「信じ難いですが……コホンッ、どうぞ」
気を取り直すように咳払いをしたルーカスさんが、俺の分の食事を差し出して来る。
「ありがとうございます、ルーカスさん」
俺は笑顔を浮かべながら、差し出された料理を受け取る。だが、木製のお椀の中身を見た瞬間、固まってしまった。
「ルーカスさん、これは何ですか?」
「ん? 塩漬け肉のスープですが、何か?」
ルーカスさんは、質問の意味が分からないと言わんばかりに呆けた顔をする。そんなルーカスさんを他所に、俺は恐る恐るスープを啜る。口の中に僅かな肉の風味が拡がるが、香りと旨味はほとんどない。具は切られた肉のみで、味付けは塩だけという質素なスープだった。
「味気ない……」
眉間に皺を寄せながら感想を口にする中、ルーカスさんは気にせず自分の分のスープを食べ始める。
「何を期待していたのかは分かりませんが、旅路の食事はこんなものですよ」
「えッ! マジでッ!?」
その言葉を聞き、俺は肩を落とす。
屋敷にいた頃は、ソフィアが毎食美味しい料理を作ってくれていた。闘技場で出されていた食事も、十分に満足のいくものだった。しかし、いや、だからこそ、質素な塩スープに落胆せざるを得ない。
「ルーカスさん! もっと料理の質を上げましょう! 美味い料理は、人生を豊かにさせるんです!」
「その意見には共感しますが、無理です」
「なんでッ?!」
意見を即座に却下されて俺が愕然とする一方、ルーカスさんは指を折りながらその理由を挙げていく。
「一つ目は、保存が利く食材でなければならないということ。これは絶対条件です。二つ目は、嵩張らず、重量がないこと。馬車の積載量には限りがあり、そもそも商品を運ぶための馬車なので、我々の荷物は二の次です。つまり、これが限界ということです」
「ぐぬぬ……」
頭では理解できる。しかし、心が美味を求めて騒ぎ立てるのだ。しかし、冷めたら益々味が落ちるため、我慢してスープを口に運ぶ。
「そこまでですか? まあ、味にも慣れてください。それより、レンさん。これから向かう都市について、どの程度知っていますか?」
「ふふん、ちゃんと知ってますよ。ソルシア王国の東西南北を守る都市の一つ、西の都市ソルネットガング。この都市は、さらに西に位置する都市から様々な物が流れて来ることから、商業都市とも呼ばれています」
俺が記憶していることを声高らかと述べた後、いつものようにルーカスさんへ求めるような目線を向ける。
「よく知ってますね。……なんですか、その目は?」
しかし、この時代のルーカスさんには通じない。それが少し寂しく思う。
「ちぇッ、分かってないな」
「何がですかッ?」
ただ、逐一反応してくれるところは今も未来も変わらない。それを知れて、寂しさ以上に嬉しさが込上げて自然と笑みを零してしまう。
「レンさんって、よく一人で笑いますね……」
そんな俺を見ていたルーカスさんが、若干引きながらボソリと呟く。
「なッ、いいだろ別にッ。思い出に浸ってんだっての! っていうか、その『レンさん』って止めません?」
道中、ルーカスさんはずっと俺のことを「さん付け」で呼んでいた。立ち場上の「様付け」とは違い、距離を感じる「さん付け」がどうしても引っ掛かる。
「いえ、そう言われましても、性分でして……それに、レンさんも私のことをさん付けで呼んでいるじゃないですか?」
「いや、それは……」
ルーカスさんの言葉を否定しようとしたが、ふと考え込む。確かに俺がルーカスさんのことをさん付けで呼ぶのは、尊敬の念を抱いているからだ。それは今も変わらないが、今目の前にいるのは何の関係値も築いていないルーカスさんである。つまり、より深い関係――対等に接することができるのだ。
「うん、確かに! じゃあ、ルークって呼ぶわ!」
「距離感を縮め過ぎじゃないですかッ?!」
ルーカスさん改め、ルークとの行程は続いた。道中の食事に文句を言ったり、野生の獣に襲われたりと、生まれて初めての旅路を俺は満喫した。そして馬車に揺られること二日、ソルネットガングに辿り着いた。
都市の城門は、通行証の有無によって並ぶ場所が異なる。通行証は身分を保証する物であり、ルーク曰く、荷物は確認されるが、それほど時間はかからずに入れるとのこと。そんな列に並んでいる中、俺は横の列に目を向けた。
「ここは、ソルシアよりも難民が多いな」
ソルシア王国の数倍はある難民の行列。しかも、荷物検査を終えた難民は国の中ではなく、壁際に設けられた簡易的な住居へ通されていた。
「西は、前線ですからね。東へ東へと、命からがらここまで来たのでしょう」
ルークは、まっすぐ前を向いたまま俺の呟きに反応する。
「これからの予定は?」
「まず、宿へ向かいます。懇意にさせていただいている宿なので、絶対に粗相のないようお願いしますよ。宿に馬車を預けた後は、レンさんは宿に残っていただいて、私一人で組合に顔を出しに行きます」
「その宿の飯はうまい?」
「ええ、店主の腕前はなかなかのものです」
ルークはそう言うと、まるで味を思い出したかのように口角を上げた。それを見て、塩スープの悪夢にうなされていた俺は期待に胸を膨らませる。
そうして無事関所を抜けると、ソルネットガングに入った。
都市全体が、赤褐色のレンガを基調に造られているソルネットガング。さすがは商業都市と呼ばれるだけあって、副通路には市場が並び、賑わっている。さらに目を見張ったのが、主通路の幅。馬車の往来が多いからか、道幅が目算で十メートルはありそうだった。
「すっげぇ」
考えてみれば、俺はソルシアから出たことがない。「失敗作」、そう罵られるのが怖かったからだ。完全にお上りさんになった俺は、初めて見る光景に興奮しながら視線を彷徨わせる。そして、宿屋≪陽だまり亭≫に到着した。
「それじゃあレンさん、私は挨拶してきますので、よろしくお願いします。いいですか、くれぐれもぞんざいに扱わないでくださいね?」
「分かってるって」
不安がるルークが居なくなると、俺はすぐに作業を始める。前もって教えられた木箱を丁寧に、且つ、迅速に降ろしていく。「これが終われば飯!」という言葉を心の中で復唱しながら、手早く荷物を降ろす。その甲斐あり、ものの五分ほどで荷を下ろしが完了した。
「いっちょ上がり!」
俺は手をはたくと、ルークの元へ向かう。『陽だまり亭』は、趣が感じられる宿だった。こじんまりしているが、手入れが行き届いており、大通りから外れた立地のため落ち着いた雰囲気がある。立派なオーク製の扉を開くと、受付の前でルークと三十代くらいの細身の女性が立ち話をしていた。
「ん? レンさん? どうかしましたか?」
振り返ったルークが、不思議そうな表情を浮かべながら問いかけてくる。
「終わったぞ、ルーク」
俺はルークにそう返事を返しながら、食堂を探すべく鼻を利かす。すると、奥へと続く通路から良い匂いが漂っていた。
「へぇ~、アンタがルーカスが言ってた護衛なの?」
固まって動かなくなったルークに変わり、受付に立っている赤茶色の髪をした女性が俺のことを興味深げに見つめながら声をかけて来た。
その声を受け、俺は姿勢を正し、頭を下げる。
「初めまして、レンと言います。暫くの間、お世話になります」
「あら、いい男な上に、礼儀正しいじゃないか。気に入ったわ。あたしはアイニ。よろしくね」
「ちょ、ちょっと待ってください! 今、終わったと言いましたか?」
アイニさんとにこやかに挨拶を交わしていると、硬直が解けたルークが声を上げた。
「んだよ、ルーク。あんま大声出すなよ。迷惑だろ」
「あッ……すみません……じゃなくてッ、もう終わったんですかッ?」
目を見開き、俺に詰め寄ってくるルーク。
「おう、バッチリだ」
俺は、自身満々に答える。その途端、ルークの顔から表情が抜け落ち、冷たい目を向けて来た。
「…………荷物を確認して来ます」
一言そう呟き、ルークは足早に停留所へ向かう。
俺はアイニさんに会釈し、ルークの後を追いかける。
ルークは、俺が積んだ木箱の前で呆然と立ち尽くしていた。声をかけても返事がなく、もう一度声をかけようと近づく。
「一体、どうやったんですか?」
手の届く距離まで近づくと、ルークは木箱を凝視したまま絞り出すような声で尋ねてきた。
「どうも何も、ただ持ち上げて運んだだけだぞ?」
「は?」
「ほら」
実演するように、俺は木箱の一つを持ち上げてみせた。
「なッ?!」
ルークは大口を開けて驚愕し、また銅像のように固まってしまう。
「凄いじゃないか、レン」
俺が見せつけるように木箱を持ったまま屈伸していると、アイニさんが姿を見せた。アイニさんも驚いてはいる。ただ、動じる素振りは見せない。それどころか、何か思いついたような顔をした。
「実はさ、奥に邪魔だけど、か弱い私じゃ動かせない重たい物があるんだ。レンは力自慢みたいだからさ、お願いできない?」
アイニさんは笑みを深めながら、俺に頼み込んで来た。俺は少しばかり考えた後、ルークに確認を取る。
「ルークって、まだ組合に行ってないよな?」
「……えッ、あ、はい、まだ行ってません」
「それってどのくらい時間が掛かるんだ?」
「顔を出すだけなので、十分もかからないと思いますが……」
「そっか。アイニさん、手伝ったら飯をおまけしてくれますか?」
まだ時間があることが分かった俺は、アイニさんに交渉を持ちかける。手伝うこと自体は問題ないが、ただ働きは御免だ。
「ん? アッハッハ――、ちゃっかりしてるね! いいよ、うんっとおまけしてあげる!」
「よっしゃ! 交渉成立ですね! どれですか?」
ルークが用事を済ませて返ってくる前に、とっと終わらせたい。そう思った俺は、アイニさんに指示を仰ぐ。だがその前に、ルークに向かって声をかけた。
「気を付けて行けよ」
そう声をかけると、俺は手早く仕事に取り掛かる。