第9話 不敵に笑う
走っている廊下の先から複数人の気配を感じ取り、俺は躊躇うことなく窓ガラスを突き破った。甲高い破裂音が響き、粉々になった窓ガラスが宙を舞う。そんな中、俺は一階を俯瞰する。
やたらと広く、まるで王城のように意匠を凝らした金細工が鬱陶しい豪華な広間。そして玉座と思しき椅子に腰を掛ける男と、その後ろに控える男二人、さらに跪かされているテンネルの姿があった。
(良かった、無事……あの男ッ!?)
見たところ、テンネルは怪我を負っていない。そのことに安堵したが、すぐにテンネルの手綱を握る鎧を着た大柄の男の存在に気付いた。
敵は四人。俺は、着飾った小太りの男に向かってナイフを投擲する。
オロフはもちろんのこと、コートを着た男二人も、目ですらナイフの軌道を追えていない。しかし、鎧を着た大柄の男は別。俺がナイフを投げるや否や、大柄の男はテンネルの手綱を手放し、素早い身のこなしでオロフの前に立った。
「やっぱりな!」
俺は込み上がってくる思いを一先ず押し込め、着地と同時に駆け出し、テンネルを抱きかかえると素早く四人から距離を取る。
この間、十秒にも満たない出来事だった。
「大丈夫か、テンネル?」
俺はテンネルを降ろすと、綱を斬り、目線を合わせて無事かどうかを尋ねる。
「え……えッ?」
ただテンネルは、状況を飲み込めていないのか、目を見開きながら、俺と自分が先ほどまで立っていた場所を交互に見る。
「……た、助けに来てくれたの?」
状況を飲み込めたテンネルは、潤んだ瞳をさせながらおずおずと聞いてくる。
「当り前だろ、『また明日な』って言ったからな」
俺がそう言うと、テンネルは意味が分からないといった顔をしながら小首を傾げる。
「俺はどうでもいいヤツに、そんなこと言わねぇ。また明日もテンネルに会いたいから、言葉にして伝えたんだよ」
テンネルの小さな頭を、俺は微笑みながらポンポンと優しく叩く。
「……にしても、敵に囲まれて泣かねぇなんて、テンネルは強いな。ルークなら、半ベソかいてたぞ?」
そう言って、俺はニカッと表情を破顔させて軽口を叩いた。
「……ふふ」
俺の軽口に、テンネルは小さく微笑んだ。すると、強張って、縮こまっていたテンネルの体が和らいだように見えた。
「さてと……」
俺は立ち上がりながら振り向くと、警戒しながら俺の出方を窺っている大柄の男に顔を向ける。
「なあ? なんでアンタみたいな男が、オロフなんかの下についてんだ?」
俺の問いかけに、大柄の男は目を細めるだけで何も答えない。
一目見ただけで分かった。あの大柄の男は強い。力みのない立ち姿、纏う空気は別格。俺の奇襲にも動じず、迷いなく、身を挺してオロフを守った。かなりの強者だ。だからこそ、解せない。
「金か? 恩義でもあんのか? それとも、脅されてんのか? 大事な人を人質にされてるとかか?」
有りえそうな理由をいくつか口にしてみるが、核心に触れられた際に出る本人ですら自覚できない些細な反応が見られない。つまり、大柄の男は自らの意思でオロフに仕えているのだ。
「グレーデルは、ワシの騎士だッ!」
無反応な大柄の男の変わりに、突然、オロフが顔を紅潮させながら怒声を上げた。
「騎士、ね……」
オロフの言葉、そしてこの広間を見て、俺はずっと疑問に思っていたことの答えが分かった。
この広間は、王城の「謁見の間」に酷似している。そして、構成員が着ている服。ただの犯罪組織の構成員が着る服にしては、質が良すぎる。それは金を得たからという訳ではなく、この拠点へ入る際の服装規定。極めつけは、大柄の男の鎧。大柄の男が着ている鎧は兵士が着用するような無骨な物ではなく、王国騎士が着用するような細かな飾りが施された鎧なのだ。
「オロフ……お前、王族に嫉妬してんだろ?」
ここは犯罪組織の拠点なのではなく、オロフの城なのだ。オロフに認められた者だけが入国することができる地下王国。その証拠に、ここに来るまでの間、俺はほとんど敵と遭遇しなかった。敵の拠点でありながら、敵がいないという不自然さ。初めは罠だと思った。しかし、俺の答えが正しいのならすべて合点がいく。
それは、正史でマルクスがオロフの右腕になれたことにも繋がる。
オロフもマルクスも、社会に対して負の感情を抱いていた。マルクスは憎悪を、オロフは嫉妬を。そして巡り会い、オロフがマルクスに巣食う負の感情を嗅ぎ分けたのだろう。
「見た目と言い、本当に豚だな」
俺はオロフの顔を見つつ、失笑しながら呟いた。
「貴様ッ! ワシを侮辱しおってッ!」
俺の呟きが聞こえたのか、オロフは益々顔を赤く染め上げ、鼻息を荒くする。それに対し、俺は纏う空気を引き締める。
「豚じゃねぇっていうなら、俺が渡した手紙は読めたよな?」
「何?」
「俺は忠告したはずだぞ? 俺の仲間には危害を加えるなってな」
「き、貴様だったのか……だ、だが、その小汚――」
「あ?」
オロフの言葉を遮るように、俺は先ほど以上の濃い殺気を放つ。その瞬間、広間の窓ガラスがガタガタと音を鳴らす。
「俺の友達を侮辱すんじゃねぇ!!!」
「ひ、ひぃいい」
俺の殺気に当てられたオロフとコートを着た男二人が顔面蒼白となり、小刻みに震えながら尻もちをつく。
「グ、グレーデル! ワシを守れ! アイツを殺せッ!」
「かしこまりました」
オロフに命じられた大柄の男は、静かに数歩前へ出た。俺の殺気を意に介していない。そればかりか、グレーデルは両手剣を抜き、俺へ殺気を放ってきた。
グレーデルの研磨された鋭い殺気を浴び、全身の産毛が一気に逆立ち、小針で刺されるような感覚が肌を駆け巡る。
(ああ……)
強者と相対した時にだけ味わえる感覚に酔い痴れる。死を身近に感じて体が冷めたくなるのに、鼓動が早くなって心臓が熱くなる不思議な感覚を。
――あれは、俺の獲物だ。
互いの殺気がぶつかり合いながら広間を満たしていき、空気が鉛のように圧し掛かってくる。
「オロフ様、ここは危険です。安全な場所へ非難を」
「わ、分かった。おい、手を貸せ! おい、お前! お前は残って、グレーデルと共にアイツを殺せ!」
腰が抜けたオロフは、近くにいた男の肩を借り、引きずられるようにして広間から逃げ出した。
「テンネル、柱の裏に隠れてろ」
「う、うん……レン、気を付けて」
テンネルは俺の言うことを素直に聞き、走って柱の裏へ身を隠す。
「ひ、俺は御免だ! 死にたくねぇ! グレーデルさん、アンタ一人で戦ってくれ!」
残された男は殺気に気圧され、オロフが通った通路とは別の通路へ走り去ってしまった。
「二人っきりだな?」
俺は笑みを浮かべながら、グレーデルに声をかける。だが、相変わらずグレーデルは俺の言葉に何の反応も返さない。
「オロフ様の騎士、グレーデル。家名は捨てた故、名乗れぬ」
「レンだ。別に気にすんな。俺も訳あって、家名は名乗れねぇ。お互い様だ」
「そうか」
「ああ」
「「…………」」
互いに名を名乗り合い、そして、口を閉じた。もう言葉は無粋。
二人の間に、沈黙が流れる。
――窓ガラスの破片が地面に落ち、静寂を破った。
「ッ!」
放たれた矢じりの如き速度で、俺は駆け出す。前傾姿勢で、低く、地を這うように。狙いは鎧と兜の隙間、唯一の急所である首。そこを、グレーデルの正面から斬り上げるよう狙う。
あと三歩で間合いに入る。
左足を地面に着くと同時、俺は剣を握りしめた右手を振りかぶった。
右足で地を蹴る。これが最後の助走。剣を振り抜ぬくのに最適な間合いへ飛び込む。
(もらったッ!)
グレーデルは目では追えているようだが、体は反応し切れていない。俺は確信を持ちながら、軸足である左足を踏み込もうとした。
――その瞬間、
俺の首筋が、未だかつてないほどにざわついた。
「ッ!?」
本能が感じ取った死の予感。俺は本能に従い、攻撃を繰り出そうとしていた体を強引に止め、グレーデルの右側へ飛ぶ。しかし、咄嗟の回避行動を予期していたかのように、グレーデルの剣が正確に俺の首を狙って斬りかかってくる。
「クソッ」
俺は空中で身を翻し、グレーデルの両手剣を自分の剣で防ごうとした。その際、俺は衝撃に備えて柄を強く握りしめる。ところが――、
「何ッ?!」
衝撃は無く、それどころか、金属同士がぶつかる音も火花も起こらない。構えた俺の剣は、紙を裂くように容易く断ち切られたのだ。
俺はグレーデルの横を通り抜けると地面の上で前転し、素早く振り返った後、低く飛びながら距離を取る。
「ほう、よく躱したな」
グレーデルは両手剣を構えたまま、感心したように言葉を吐く。
「当たってるっての」
俺はグレーデルの追撃を警戒しながら、目の端で傷を確認する。斬られたのは右肩。半分ほど肉を切り落とされた右肩からは血が噴き出し、腕を伝ってボタボタと地面に垂れる。
(何が起こった?)
剣の先が綺麗に切り飛ばされたことに対し、俺は思考を巡らす。だが、考える隙は与えんと言わんばかりに、グレーデルは追撃をかけてきた。
(さっきより、遅い……?)
先ほどの迎撃の速度とは比べ物にならないほど、グレーデルの走る速度は遅かった。
距離を取るか、迎え撃つか考えていると、また首筋がざわつく。
「なら!」
後手に回ったら死ぬ。俺は足に力を込め、先ほど以上の速度で突っ込む。
直感で、あの両手剣が危険だと察する。俺はグレーデルの左側へ駆けると、通り抜け様に剣で鎧を思い切り叩きつけた。
金属同士がぶつかり合う鈍い音が響き、衝撃でグレーデルは「ぐぅ……」と噛みしめるような声を漏らし、数メートルほど後ずさる。だが、倒れはしない。
俺は追撃を仕掛ける。
「オラッ!!」
またグレーデルの左側に回り、剣を振るった。
「ふんッ!」
グレーデルは腕を畳み、タイミング良く体当たりしてきた。俺は横に逸れて躱すが、一瞬隙が出来てしまう。グレーデルはその隙を見逃さない。完全に体を制止し、両手剣を上段から鋭く振り下ろしてきた。
俺は即座に後方へ飛ぶが、剣先で浅くだが体を斬り裂かれる。
「…………」
一瞬、グレーデルが動きを止めたため致命傷は避けれた。ただ、焼けるような痛みのせいで全身から汗が噴き出す。垂れ下がる邪魔な服を破り捨てると、肩から脇腹にかけて走る裂傷から血が止めどなく流れ出ていた。
死が先ほどよりも近づき、朧げだった輪郭が鮮明になる。
俺はそれを自覚し、震え上がった。
「アンタ、スゲぇよッ!」
込み上がってくる激情に抗えず、俺は嬉々とした口調でグレーデルに声をかける。
「……なぜ、笑う?」
初めて俺の問いに答えたグレーデルは、厳かな声でそう問うてきた。
「当ったり前だろ! アンタみたいに強えェヤツは初めてだッ!」
「蛙が、世界の広さを知らんようだ」
「へッ、……アンタのそれ、“戦技”だろ?」
戦技――魔族との大戦時に編み出された技。魔術士のように膨大な魔力、高い資質を持たぬ者が魔族を殺すための技であり、平和になった時代では無用の長物として失伝した技。
「実際に見るのは初めてだから、気付くのに時間が掛かっちまった。確か、“頭で使うのが魔術、体で使うのが戦技”だったか?」
「口は災いの元だぞ、小僧」
「関係ねぇ。俺は戦技が使えねぇ! それがどうしたッ!」
俺は再び、真正面からグレーデルに接敵した。
もっと速く、鋭く、苛烈に攻め立てる。
「オラ!!!」
頭を狙って突き出した剣は、また切り裂かれ、刀身は半分になってしまう。
「関係ねぇ!」
斬り飛ばされた剣で首を狙う。剣を斬り飛ばした反動か、グレーデルは最速の斬撃ではなく、咄嗟に頭を倒して突きを躱す。その際、剣が兜に擦れ、火花が散る。すれ違った後、右足を軸に回転し、間髪入れずにもう一度飛び掛かった。
グレーデルは、構えたまま動かない。だが、ある一定の距離まで接敵した瞬間、最速の斬撃を繰り出してきた。
「あッぶねぇなぁあ!」
致命傷を避けられる距離だけ後ろへ飛び、その後すぐ、跳ねるように肉薄する。
「らあァッ!」
接近する度に、体の傷が増えていく。だが、引かない。さらに前へ踏み込む。
――まだだ。
傷つき、血を流すがほどに邪魔なものが削がれ、頭は冴えていく。
――もっとだ。
動きのキレが増し、剣が白銀の軌跡を描く。
――足りねぇ!!!
右袈裟、一文字、逆袈裟、突き、唐竹割り、と間髪入れずに連続で斬りかかる。
止まらない、止められない、止まりたくない。心と体が、このひと時を楽しむ。
心臓は張り裂けんばかりに脈打ち、全身が熱い。
一瞬の油断、悪手で死ぬ。死ぬのだ。
「はぁああああああああああああああああ!!!」
死と高揚感が混じり合い、強く生を実感する。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
そうして止まることの無い連撃を繰り出していると、突然、グレーデルが雄叫びを上げた。それだけでなく、グレーデルは苦悶の表情を浮かべながら両手剣を振るった後、俺から距離を取ったのだ。
傷だらけの俺と、無傷のグレーデル。ただ、劣勢に立たされているのはグレーデルの方だった。
「ハァ……ハァ……」
距離を取ったグレーデルは両手剣を地面に突き刺すと、肩で息をする。
「んだよ、もうへばったのか?」
俺は満面の笑みを見せながら、グレーデルに話しかけた。
戦技を繰り出すには、高い集中力が必要だと言われている。さらに、体内の魔力を使用すると疲労が伴う。俺の猛攻を耐えるため、グレーデルは戦技を連続で使用し続けたのだろう。その結果、限界が訪れたのだ。
「私は……オロフ様のために……」
グレーデルは立っているのもやっとだろう。にもかかわらず、気力と気迫はまったく衰えてはいない。
「なあ? アンタがそこまでオロフに肩入れする理由は、一体何なんだ?」
これほどの男が、オロフに心酔する理由が思い当たらなかった。
俺の問いかけが届いたのか、グレーデルはおもむろに兜を脱ぎ捨てた。大量の汗で濡れたグレーデルの顔は、数多の裂傷が刻まれていた。歴戦の戦士の顔。しかし、その瞳には光が無く、淀んでいた。
「…………私は代々騎士の家系の出。だが、私は勇者の仲間に成れず、王国騎士団にも入団できなかった。そんな落ちこぼれの烙印を押された私を、オロフ様は必要として下さった」
語り出したグレーデルは、遠い目をする。さらに、威風堂々としていた身体が次第に小さくなっていく。
「そして、オロフ様は地下で国を築き、私を騎士にして下さった。…………だが、やはり私は落ちこぼれだったようだな……」
己の不甲斐なさを失笑するかのように、グレーデルは自虐的な笑みを零す。
「ふざけるなッ!!!」
その顔を見た途端、俺は堪らず声を荒らげた。
「アンタの技を貶めることは、アンタであろうと赦さねぇ! アンタの技や体捌きは、一朝一夕に出来るほど簡単なものじゃない。それにアンタは、オロフを、主君を身を挺して守った。心も、技も、持ち合わせてるアンタは騎士だ!」
静かになった広間に、俺の声が木霊する。
「…………」
俺の言葉を聞いたグレーデルは、目を見開き、暗い瞳に光を灯す。
「アンタの剣は、俺の命を掠めた。アンタの技は、俺の命を脅かした。俺は生涯、アンタの剣技を忘れない。そして主君を守った騎士“グレーデル”という男の名と共に後世へ語り継ぐと、俺の命にかけて誓おう」
俺は力強くそう言い切る。すると、グレーデルは出会った時のような精悍な顔付きに戻り、再び覇気を纏う。そして姿勢を正すと、厳かに口を開く。
「一つ聞きかせて欲しい。レン、貴殿は剣を振るい、どこを目指す?」
その問いかけに、俺は不敵な笑みを浮かべながら答える。
「強ぇヤツの、その上だだッ!」
「……そうか」
グレーデルは俺の答えに満足したのか、フッと僅かに口角を上げる。
「私はオロフ様の騎士として、最後まで与えられた任を全うするとしよう」
「そうこなくちゃな」
俺とグレーデルは互いに構えを取る。俺は、グレーデルの呼吸が整うまで待つ。徐々に呼吸が治まっていき、やがて、広間から音が消えた。
「「ッ!」」
「申し訳ございません、オロフ様……」
俺の一閃が、グレーデルの首を刎ねた。




