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5月の花

 約15年前、廃村に追い込まれたアッシュの村。かつては緑豊かな自然の一部であり、一輪の花が誇らしげに咲っていた。


「此処に居るんだね」

「はい。へクセレヴィ様は毎夜、このお屋敷で私に語って聞かせてくれた」


 赤茶色のとんがり屋根が目を引く屋敷にへクセレヴィは居る。どっさりと被った灰がウィリアムと少女の侵入を報せるように音を立てて地べたに伏せた。

 恐れるものは何もない。唯一つの意志が二人を結び付け、繋がる掌から熱を贈り合う。


「開けるよ」

「はいっ」

『おいで、此処までおいで』

「「!?」」

「屋敷の形が変わってく!?」

「私達を誘ってる……」


『上がっておいで』

「…行くしかない」

「へクセレヴィ様…今会いに行きます」


 ウィリアムが分厚い扉に触れた瞬間、"屋敷の形状が変化した"。目に見えていた屋敷だった建物がサラサラと崩れたかと思いきや、独りでに集合し廃村らしからぬ一角塔へと造り変わった。

 ご丁寧に最上階へ続く螺旋階段まで用意されており、鬼窟へ誘われているのは明白だった。


 一度顔を見合わせ、無言で頷き合うと二人は螺旋階段を一歩一歩登り始めた。途中、罠を警戒し慎重に歩を進めていたがへクセレヴィが陳腐な罠を張るとは思えないと思案し、駆け上るスピードを上げた。



「シンデレラ、王子様、ようこそ私の城へ」

「貴方を止めに来ました」

「素っ気ないのね。シンデレラの魔法を解かしておいて…少しくらい御噺しましょう?」

「話し合いで貴方が止まってくれるのなら」

「フフッ酷い言い草。それで、私をどう止めるつもり?〈御伽殺し(バット・シンデレラ)〉」

「ーー〈コレクション・印〉!……っ」

「やめてください!!へクセレヴィ様っ!」

「止めてみなさい。その為の来たのでしょう」


 最上階の扉を開けると、無機質な灰の空間がウィリアム達を出迎え、視線を這わせると最奥の椅子に彼女は居た。少女を守るようにウィリアムが一歩前に出たタイミングを見計らいへクセレヴィは〈御伽殺し(バット・シンデレラ)〉を発動した。

 問答無用の攻撃に相殺する暇もなくウィリアムは〈コレクション〉で対抗した。シルフの風邪で吹き飛ばすには此処は少々狭過ぎる。


 じわじわと壁面に追い込まれていくウィリアムを助ける事が出来ずにいる少女は、せめてもの抵抗で声を上げた。然し、当然へクセレヴィは意に介さない。


「殺しはしない。言ったでしょう、貴方達には役目があると」

「役目…?」

「シンデレラ…貴方は悲しみの象徴。理想世界の要……悲しみを背負うよう何処ぞの領主に売り払った。思い通りには行かなかったけれどまぁ良いわ」

「ー…っっ」

「最低です……たった一人の家族でしょう!?」

「そんな事まで喋ったの?……いけない子。さぁ貴方の所為で大切な彼が苦しんでいる…どうする!?」

「くっ…止めます…!!やぁっ!」

「非力ね。動かせると思いで?」

「きゃぁ!」


 今更へクセレヴィが二言三言の説得で改心するとは思えない。だが、ウィリアムも少女もへクセレヴィを止める目的を変えようとしなかった。希望の籠もった鶸色と真白の瞳が癪に障ったらしい彼女は一層魔力を増幅させ世界を灰色に染め上げる。

 指を咥えて見てるだけなら此処に居る意味は無いと少女は飛び出した。対策など何一つ思い付かないが、どうにかして能力を解除させなければ。そんな"強き思い"を嘲笑うかのようにへクセレヴィは少女を片手で退けた。


(打開策は……)

「子供の思考が効くものか」

「ーー!うわっ〜〜!?」

「ウィリアム様ー!!!……そんなっ」


 瞬間、視界が反転した。それまでへクセレヴィの攻撃を受けていたウィリアムは、貫通力の増した一撃に耐え切れず全身を逆撫でするような浮遊感を味わう。

 しまったと唇を噛んだ時には既に一角塔から投げ出されており、少女の悲痛な叫び声が遠退いていく。


「そーはさせるかっ!」

「んえ、ルワード!?」

「ルワード様…!」


 背中に掛かる衝撃は奈落の底に叩き付けられる乾いた痛みではなく、人一人分の体温に包まれる様な朗らかな衝撃だった。反射的に瞑っていた目を開けると月色の瞳を持つルワードと視線が噛み合った。

 狼姿のルワードは転落するウィリアムを抱き止めると鋭利な爪を立て、塔にしがみついた。ギリギリっと衝撃を落とすと俊敏な動作で最上階まで駆け上がり着地した。


「ありがとう……て言うか、なんで狼姿?」

「おう!リルが魔力調整してくれっからな」

「!じゃあ…」

「リル様はご無事なのですね!?」

「安心してくれ。全員無事だ」

「良かった……」


「何度も這い上がってきて、しつこい。私の悲しみの世界には愛された者は要らない」

「俺は世界の常識を変えます。貴方とは違った方法で」

「私は何も魔法を受け入れてほしい訳じゃないの。不条理な人間を一掃したい。唯、それだけ〈夜伽殺し(シンデレラ・ナイト)〉」


 リルを含めた皆の無事が分かり、二人の表情は幾分か和らぐ。加えてルワードが増援に来てくれた事で、緊張の糸が解れていくのを肌で感じる。形勢逆転と宣言したいところだが現実はそう微笑んでくれない。

 へクセレヴィが新たに発動した〈夜伽殺し(シンデレラ・ナイト)〉は一言で言えば有象無象の灰燼騎士。先程降り落とした灰すらも灰燼騎士に変容し地に降り立つ。此処へ来て新たな術の発動に今一度彼等は己を律す。


「〈月夜の番人(ウェアウルフ)〉が相手をするぜ」

「平伏せ、愛に生まれし者」

「ルワード!」

「悪いな…、直ぐ終わらせっから!!君達も無茶はしてくれるな」

「これで邪魔者は消えた。何れ地上も大人しくなるわ」


 二体の灰燼騎士は真っ直ぐルワードに向かっていき、一角塔から追い出そうと長槍を突き刺した。既のところで穂先をへし折ったが安心したのも束の間、間を置かず再生された。再生機能の持つ烏合の衆は本体を叩くのが手っ取り早いが、それも難しそうだと思考したルワードは灰燼騎士と共に地上へ降りて行った。


 残されたのはウィリアムと少女とへクセレヴィの三名のみ。


「私を止めると息巻いていたようだけど、一体全体どんな方法で止めてくれるのかしら」

「……人の痛みを知る貴方は分かってる筈です。こんな方法は間違っていると」

「たとえへクセレヴィ様の世界が実現したとしても、其処で生まれた人はきっと幸せになれない…」

「それが何だって言うの?私は人間以下の屑を掃除しようとしてるだけ…、交渉決裂ね。私を止めるには私を殺すしか無くなった」

「いや、嫌です。…お姉ちゃんを死なせたくない」

「!私はお前の姉ではない!!」

「いいえ私の家族です!!」

「生意気な事を…ッ」


 如何なる言葉を並べ立てようと心を捨てた相手には通じない。仮に、人間らしい反応を引き出せる者がいるとすれば血縁関係にある少女のみだろう。実際、へクセレヴィは少女の姿勢に目くじらを立て愛憎を振り撒いた。

 へクセレヴィの威光に気圧されながらも呂律を回す少女に、怒り心頭露わにした拳が迫る。


「うぐっ…」

「ウィリアム様!?」

「憎らしい子ね」

「やめて、ください…こんなこと」

「拳一発分で引き下がる訳ないでしょう?」


 間一髪、少女は無傷に終わったが代わりにウィリアムが彼女を庇って真っ赤な筋を垂らした。傷付いた頬より何より心が痛む。

 痛い、心が痛い。


「〈御伽殺し(バット・シンデレラ)〉!」

「〈コレクション・印〉ーー!」

「何時まで持つかしら」

「うっ…貴方が止めるまで…!」

(相殺し切れていない…!?これではウィリアム様が…!早く止めなくては……でもどうすれば)


 超至近距離での灰の応酬は流石のウィリアムでも相殺し切れず、掌が裂け手傷を負う。追い打ちを掛けるよう傷口は酷く、腕を伝い痛覚を刺激する。シルフの風邪とは違う、邪悪で強大な灰は世界を傷付け裂け目を生む。

 考えるべきは守るべきは、唯一つ。薄ピンクの唇に降りかかった血飛沫を一舐めし少女は前に出た。


「この争いに意味なんて無い!理想世界は、大勢を不幸にすれど貴方を幸せにはしない!貴方は沢山傷付いた…僕も彼女も!」

「口を閉じなさい。勝手に被害者に仕立て上げないでくれる?私の意志が他人に左右されたものだと思わない事ね」

「これ以上傷付け合うのは止めてください!」

「「!!」」


「灰になっては困るの。大人しくしていなさいシンデレラ」

「嫌です。絶対に嫌!」


 顛末を聞けばへクセレヴィは被害者だ。不幸な身の上だ。ウィリアムも解った上で手を差し伸べたつもりだったが、地雷を踏んでしまったようだ。

 へクセレヴィの計画はへクセレヴィ自身の確固たる意志が生み出したものであり、"他人に生み出されたもの"ではない。


 感情任せの剣幕は一人の少女によって一時停止を余儀なくされる。ウィリアムとへクセレヴィの間に割って入った少女は家族を見上げて荒れる心音を声に出した。


「貴方には魔法をかけ直してあげる……」

「何度掛けたって無駄。私にはもう通じない。悲しみの象徴にだってなりません…!幸せを知ってしまったから、幸せになりたいと思ってしまったから…!!ウィリアムもお姉ちゃんも傷付いてほしくないから…」

「私はお前の姉ではないし、私の姉は世間一般に殺された。眠りなさい、一生醒めない夢に泣かされながら」


「世界は色付いています。確かにアッシュの村も私の両親も褪せてしまったけれど、悲しくて辛くて目を瞑りたくなる日も多いけれど、それ以上に何気ない日常が愛しくて…魔力を持たない人が関わろうと、楽しませようとしてくれた事が鮮やかな宝物なのです。お姉ちゃんの愛した方も私のお父さんも最期まで、愛を捨てなかった。そうでしょう?!」

「死んでしまったら意味が無いの。無意味で無価値に成り下がるの……解らない?手元には灰屑しか残らない。灰屑も軈ては消える…。世界が憎い、終わりのない怨嗟が憎い、根源である一般人が憎くて堪らない。愛なんて曖昧で不確かな未完はとうに姿を消した。悲しみの世界の神は愛が無くとも変わらない」


 愛を知った少女(シンデレラ)と愛を喪った魔女(へクセレヴィ)は世界と向き合い、正反対の答えを出す。いっときの衝動に駆られて目の前の姪を始末する事など容易いが、それでは心に積もった灰は消えてくれない。

 冷え切った風が雨雲を運び、灰の一角塔は黒影が増す。二人のやり取りを静観していたウィリアムは、なまじ感受性が高いが故に想いの丈を一心に受け止めていた。


「魔法は人に夢を与える」

「魔法は人から愛を奪う」

「……」

「よーく思い出してごらんなさい。腐れ領主の元に居たシンデレラは人に夢を与える様な奉仕をしていたのかしら?」

「…、それは」

「王子様だって他人事じゃないでしょう?其の力(コレクション)(てい)の良い屑籠にされていたはず……」

「…っ」

「魔法が無ければ両親の愛情を一心に受け自身の力に怯える事も苦しむ事も無かった……。其処に解り合えない屑が居たから苦しむ羽目になった……居なければ良いのに、と思い悩んだ悲しみの子…」

「僕は……!」


 へクセレヴィは大衆演劇でも見せるかのように身振り手振りで少女を追い詰め、言葉が途切れたタイミングでウィリアムにも躙り寄る。態々〈コレクション〉発動時の真似をして、最後には左右の掌を合わせて閉じた。

 一連の行動に押し込めた過去の記憶が蘇ったウィリアムは、陰に覆われ浅い呼吸を三度繰り返した。これみよがしに薄ら笑いを浮かべるへクセレヴィに呼吸を整えた彼は言った。


「昔の僕は事あるごとに魔法の少ない世界を恨んで、いっその事…と思っていました。それは僕の心の中に罪の意識があったから。世界を歪ませているのは僕自身なんだと、思い込む事で罪滅ぼしをした気になっていた…。けど、ルワードに出会って一気に世界が広がって心地良い夢を見て、彼女に出会って僕の手が一人分埋まって、漸く解ったんです。僕がずっと持っていたのは目に見えない宝箱だったって。自らの手で宝を入れなきゃ宝箱は空っぽのままだ。感情任せに錠を掛けてしまったら鍵を失くしてしまう……」

「ウィリアム様……。私も同意します。彼に出会って、私の力は素敵なものだと思えた……。牢に居た鼠と同じ味がした血も、ウィリアム様と出会ってから、まるで花の蜜の様に甘く体質変化を起こす真紅の瞳も好きになれました」


「それで?……それで?それで?お前達の一握りの幸せなど、一吹きで掻き消えて終いだ。時には大いなる変動を起こさねば悲しみは募る一方。気味が悪いほど純粋ね」

「〈コレクション・解 ―――宝箱〉貴方は壊れたオルゴール一つ直せやしない」

「これは…!」

「私のお母さんが集めた宝物の一部です」


 産まれた時から身勝手な魔力は底に居た。物心付いた頃合いの子供にとっては両親の選択が世界の全てで、両親が嫌悪感を抱く贓物を宿す自分は到底受け入れられたものではない。未成熟な思考を保護したのは血の繋がらない人間だった。それが魔力を持つか持たないかはどうだって構わない。

 大切なのは独りの子供を助けようとした心だ。暴力で解決してしまったら築かれゆく理想世界も何れ血を見る羽目になる。


 先程の〈御伽殺し(バット・シンデレラ)〉との攻防で魔力を随分使い込んでしまったが、なけなしの心を振り絞って能力を解除した。ウィリアムの掌には壊れかけのオルゴール、辺り一帯には文字通り宝箱をひっくり返したような過去が転がっていた。

 かつてへクセレヴィの姉であり少女の母親であるリリスレディが蒐集した骨董品、貴重品…思い出の品など様々な物が所狭しと妹を見やる。


「こんなものまで持ち出して何がしたいの」

「これはお母さんが大切にしていたもの……とても綺麗で、見ていて気分が高揚していくのを感じます。全部そう、魔力を持たない人達が心を込めて造った逸品。此処にはお母さんの大切に想う心が、愛が、蘇る……っ!故郷に酷い事した人達は勿論許せないけど、全員が悪いばかりではないとへクセレヴィ様も感じている筈です」

「今、無駄話をしている間にも悲しみの連鎖は生まれ続けている。止まるつもりは無い」

「僕達も大切な人達が悲しい思いをするのを黙って見過ごせません」

「視野の狭い子供らしい向き合い方ね。そこまで言うのなら特等席で世界が灰に染まる過程を見せてあげる」


 壊れかけのオルゴールは再生されない。秀麗な瞳が宝物に吸い込まれていく。相も変わらずへクセレヴィの心の奥底は視認出来ないが、不自然に外された視線から喪われた含みを感じてしまうのは、何故だろう。

 視界に映すのみで宝物に触れようとしないへクセレヴィを少女は愛だと思った。姉が集めた品々、姉を想い集めた品々、宝物に思い入れが無いならば適当に触れて壊しているだろう。


(チッこんな時に……魔力を使い過ぎた)

「きゃっー?!」

「わっ!塔がグラついて…」

(〈夜伽殺し(シンデレラ・ナイト)〉は、実用的では無かったと言う事か)

「一体、どうなって…?」

「魔力残存が少ない証拠だ。このままだと塔が崩れるかも……それに、…」

「ー!お姉ちゃん!!」

「姉ではない」

「魔力を限界まで使ったらどんな影響が出るか分からない…だから!」

「諦めろと?」

「休んでください……」

「はぁ?」

「死んじゃ嫌です……」

「はぁ…全く、…我儘でどうしようもない子」


 刹那の揺らぎがアッシュの村を震撼させた。倒しても倒しても湧いて出て来る灰燼騎士は他でもないへクセレヴィの魔力を喰い破って生まれたもの。一角塔も灰被りの村も、魔力残存が低下すれば形を保てなくなる。

 一角塔の振動に振り落とされぬよう少女の手を繋ぎ柱にしがみつくウィリアム。状況の理解が進まない少女に一言説明した後、魔力と人体影響について言葉を零した。


 魔力残存が低下し続けた場合の影響は計り知れない。人体と深く結び付く魔力を失った魔法師は身体機能が危険水域に達したとの報告も上がっている。万が一に、成らぬ為に。


(私は此処で終わる訳にはいかない。此処から始まるのだ。私の理想世界は…!)

「魔力残存が低下すると、先ず全身に切り傷が刻まれる……次に五感が衰える。最後に身体機能が停止する。暫くすれば元通り……けどね私には休む時間なんて無い」

「お願いです……もう止めて」

「シンデレラに情を抱かれるほど暮らして居ないわ。血が繋がってる程度で泣かないでくれる?」

(ただ)一人の大切な繋がりです…」


 へクセレヴィの身体に無数の切り傷が刻まれる。其れは終わりの始まり、御伽話の傷は音を立てて哭き始めた。揺れ動いた瞳孔は五感の衰えを暗に伝える。

 思えばリルを捕らえて栄養源にしていたのはへクセレヴィ自身の魔力が不足気味だったからなのかも知れない。


 小鳥の囀りの様な少女の懇願を切って捨てて呆れた溜息を付いた。


「〈夜伽殺し(シンデレラ・ナイト)〉物言わぬ体になりたいようね」

「ーー!」

「っ!」

(くっ、痛みが今になって…!)

「ガハッ……!な、に…!?」

「…そんなっ」

「まさ、か…」


 ウィリアムと少女の前に一体の灰燼騎士が出現する。灰燼騎士は今にも迫る勢いで刺突の構えを取り、ウィリアムもまた右手を上げてみせるが不運にも先程の攻防戦の痛みが再発した。加えて長期戦を経験してこなかった彼は此処に来て気力の枯渇を悟る。せめて大切な人が傷付かないよう身を呈して防御するが、刹那を切り刻んだのは。


 魔力を持つ者は魔力に生死を支配される。幾度目かの一角塔の振動は灰燼騎士の照準を狂わせ、有ろう事か主であるへクセレヴィを刺突した。直後、灰燼騎士が消滅した事でへクセレヴィの鮮血がウィリアム達の周りを色付けた。

 灰色の世界が崩れ始める。

 肺から溢れ出る真っ赤な花、咲いては散る。咲いては散る。


(バ、カ…、な…、〈夜伽殺し(シンデレラ・ナイト)〉は私が編み出した殺法…有り得ない、こんなことで、終わるなど有ってはならない…!!)

「これが、報いだとでも……!?」

「直ぐに治療を……!ウィリアム様!!」

(致命傷だ…。如何なる手順で治療しても間に合わない。っこんなことになるなんて……)

「…、こんな結末認めぬぞ……諦めるものか、諦めてたまるか…私は、私は……まだ死ぬ訳には、…!」

「嫌です……いやっ!」

「ふふふっ嘸かし気分が良いだろうに何故泣く。何故笑わない」

「笑う訳ない、そんなのお姉ちゃんが一番分かってるでしょ……っ?私は故郷を愛するお姉ちゃんが大好きだから」

「……親子揃って頑固なんだから…貴方を悲しみの象徴に仕立てようとしたのが間違いだった」


 人を殺す魔法で、自らが死に追いやられる。物語の結末としてはあり来たりで面白味の欠片も無いとへクセレヴィは内心失笑した。強烈な目眩と踏ん張りの利かない手足を抱えて彼女は尚も思考を改めない。

 悲しみの世界に造られた一角塔が再度揺さぶる。壁面から灰屑が霧散し消えゆく中、稀代の魔女は傾く大空を見上げて大地に下る。


「危なっー!」

「何をしているの」

「見ての通り手を伸ばしてます」

「愚かしい行為ね」

「…分かってます」


 意識を魔力に乗っ取られたへクセレヴィは奈落の底へ転落しかけたが、間一髪ウィリアムと少女が腕を掴み即死を免れる。然し胸元の花は広がるばかりで、少女の雨が花を濡らせど栄養には事足りず。

 負傷したウィリアムと非力な少女では重力の掛かる場面で成人女性を支える事は不可能に近く、ジワジワと手元から力が抜けていく。


「貴方達の敵を仕留める絶好の機会に、繋ぎ止めるのを優しさとは呼ばない。それは優柔不断な弱さ…決断力の欠如……」

「死なせたくない……!!わたし、まだ何も話をしてない、聞いてほしいの…そして聞きたいの、家族の話を!」

「へクセレヴィさんのやってきた事は到底許されるものではありませんし、僕も許すつもりはありません。……それでも命の灯火が消えようとする場面で心が動かない筈が無いんです!世界と、…これからも、繋いでほしいから……!」


 暗然とした一角塔で縋る様な歌唱が反響する。愚直なまでに心を明け渡す二人を見つめて自らの計画が破綻した事を悟る。否、薄っすら悟っていた事を認めた。細く弱々しい手がへクセレヴィに咲いた赤花を許さない。

 引き上げようと力を込めるが矢張り力不足で奈落の入口が此方を見てけたたましい笑い声を上げた。


「此処で私を引き上げてもお前達の祈りは叶わぬ」

「助けたいから助ける…!それだけです!!」

「王子様は判っているな?」

「っ…」

「フッ。たとえ生き延びようとも考えを改める気は毛頭ない。断頭台が直ぐにでも私を呼びつけるだろう。お前達が必死漕いて繋ぎ合わせた命は無に帰す。徒労に終わるのだ。手を離せ」

「「離さない!!」」

「!……安い同情は悪魔の好物ぞ。離せ!!」

「いや!何度も言っているでしょう!?」

「へクセレヴィさんの愛したアッシュの村の悲劇を正しい形で伝えていく事は大切です…」

(あぁ……駄目だ、出血量が多過ぎる…。僕達が引くより先に命が終わる)


 一角塔の意地の張り合いの最中にもへクセレヴィは〈夜伽殺し(シンデレラ・ナイト)〉を解除しようとせず、魔力残存は正常値を著しく下回り続けていた。

 灰燼騎士は塔に近付こうとする狼は勿論、敵味方の区別なく暴れ回っていた。一撃を加えても霧散して再生されるので手強いばかりで、魔力も体力も気力も無駄に消耗させられ苦戦を強いられていた。



 傾国の一手を担うへクセレヴィが三度吐血した時、物語は頁を濁した。


「……花?」

「一体これは……!」

「!?」


 へクセレヴィの胸元から真っ赤な花弁がフワフワ漂い、大空を自由に舞う。其れは一枚に留まらず点々と枚数を増やしていった。

 不可思議に流れる花弁は三人の目線を一点に集め、ヒラヒラ散っていく。


「〈花降らし(フラワー・シャワー)〉……」

「!体質変化を起こす前の本来のお姉ちゃんの魔法、これが…!」

(何故、今になって、…蘇る?)

「やめろ、…花よ咲くな…今更何のつもりだ…!今、殺傷力を失う訳にはいかぬ!」

「こんな最期になるなんて…」

「最期、?はぁっ…消えないで、だめだよ…お姉ちゃん……まだ傍に居たいよ!!」

「喚くな…、…」

「だって」


 其れはアッシュの村の悲劇が起こる以前の魔法能力、花を降らせる力。本来の魔力が今際の際になって蘇っただけでなく、皮膚が花弁に変容し剥がれては降り落ちゆく。

 一枚、また一枚砂時計の砂が落ちていく様に花弁は時を刻んだ。終わりの時を。


 恐らく灰燼騎士にも変化は起き始めているだろう。灰被りの村も何れ花に置き変わろう。想定外の光景にウィリアムは手を緩め、少女は強く握り直した。消えゆく命を終わらせたくない。物語に逆らい、ほろほろ大粒を流す少女にへクセレヴィは心底嫌々に目くじらを立てた。


(嫌な事を思い出す……)

「お前の泣き顔は見飽きてる」

「でも…」

「思い出してしまったではないか……」

「えっ」

(我が子に見せたかった花の名を……、愛したあの人と同じ様に咲ってくれると…当たり前のように続く幸せを夢見た事を)

「殺したいほど愛しいシンデレラ……お前が笑う時は決まって灰を降らせ、吸血した時だった。一体何を記憶して笑っていたのだろうな」

「まって、…」

「お前の愛情は所詮、借り物。本物の両親が居ないが故の受け皿だ。本物の愛を知らぬ子供の癇癪に過ぎない……」

「違うっ!」


 脳内はかつての記憶を廻し始めた。まるで走馬灯のように足早に駆け抜ける記憶の中で繰り返し流れた赤子の泣き顔と笑顔。灰を被った様な色素の薄い赤髪に真白、時々真紅の瞳を併せ持つ子を抱くのは不器用な手先。

 思い出以下の記憶をはらり花に変え、言の葉を紡ぐ。


「あぁ恨めしい」

(何事も成せず誰からも忘れられ、そのくせ悲劇ばかりを引き寄せる我が身が恨めしい…)

「精々悲しみに暮れて愛だの幸せだのほざいていなさい。手に入る事なんて無いのだから」

「僕が彼女を幸せにします」

「!」

「ウィ、リアム…?」

「この世界でずっと隣に居てほしいから、って駄目かな?」

「〜〜っ嬉しいです。私も同じだから」


 胸元、右足、左目、と続けざまに掻き消えていく。冷風は繋ぐ指先をほんのり紅く染め、吐息を真白に変化させる。崩れいく体躯を繋ぎ止める要素は最早皆無。静かに涙を溢れさせる少女を横目にウィリアムは決意を固めた。


 其れは呪詛を吐き続けるへクセレヴィへのほんの小さな仕返しだった。ありふれた意志を口にしたものの次第に不安になっていき、隣の少女を恐る恐る見るが一瞬にして不安は消し飛んだ。

 面映い熱が見つめ合った瞳を行き来する。通ずる心は、当にへクセレヴィが手放した僥倖であり最も不確定な愛だ。


「見物ね。悲しみの世界で心を閉ざせば愛に失望する事も、幸福に絶望する事もないと云うのに―――…………」

「お姉ちゃん…!!!」

「……花に、消えていく…。この塔も、村も」

「…ーーはぁっ」


 赤髪、喉元、脇腹、大輪が花開き散りゆく様を現す薄幸とした一夜の夢は終わりを迎え、へクセレヴィの命は花に変わる。大粒を雨を降らす少女は視界が滲み最後まで気付かなかったが、ウィリアムは然と見届けた。極々僅かな微笑を。呪詛を吐き、微笑むへクセレヴィは実に狡い大人だ。

 灰色の空も一角塔も魔女の遺した最期の魔法で花色に彩られ祝福の咲かせた。其れが祝福であると言い切ってしまうのは少々乱暴な表現かも知れない。


 魔法は解けない。真実の花に埋もれた村は何時ぞやの活気を彷彿とさせ、役目を終えた灰燼騎士は花騎士へ移り変わり散らむ。


「行こう……皆の所へ」

「はいっ」


 二人手を取り合い、花色の世界を駆け出す。蔦が絡み合う螺旋階段を転ばぬよう一歩一歩丁寧に前進しながら。


「あっ、塔が…」

「……」


 地上へ降り立った時、一角塔は風に揺らぎチラチラと宙に吸い込まれていった。へクセレヴィの生きた証が一つ途絶えたようで寂寥の念を憶え、二人して体に花を引っ掛ける。


 不意に少女がウィリアムの手を離し、赤色の花を手に取った。一様とは程遠い花々の中でも一際少女を見つめていた真っ赤な花の蜜を吸血した。甘い花の蜜は少女に一筋の涙を流させ、逃げるように空へと続く螺旋階段を昇り始めた。


「……ウィリアム様…」

「ん?」


「私、ウィリアム様と出逢えて幸せです。私の人生を変えてくれた命の恩人です。形は違えどアッシュの村に連れて行ってくれる約束も果たしてくださいました。ありがとうございます」

「僕はちょっと手助けしただけだよ。始まりの一歩目は君自身の意志」

「それでもお礼が言いたくてたまりません。最後に、ううん…此処から始まる一歩目の私の名を付けてほしいです」

「ーーっ!」


 花綻ぶ様に少女は唄った。風は凪ぎ、雨は止み、命名してほしいと少女は振り返った。

 刹那の記憶をウィリアムは宝箱へ見送る。不意に見上げた澄んだ大空に虹が架かる様な、引き寄せた幸運が少女の輪郭を形作り花恥じらう姿に見惚れる。


 自然と声帯が震えた。

「メイ…」

「……」

「メイフラワー、君の、僕の大切な命名…」

「……メイ。それが私の新たな名前……!」


 踏み出した初歩は5月の花、メイフラワー。村を覆うほどの花々と戯れる少女に見惚れたウィリアムが、足跡を残す。

 ウィリアムとメイ、交じり合った二人分の影が揺らぎ陽光に手が伸びる。


 遠くで声が聞こえた。呼び声が重なった。事の顛末を知らぬルワード達がウィリアム達を発見し合流しようと足先を向けているのだ。二人だけの時間なら此れから幾らでも作れよう。無言で頷き合い、前へ歩き始めた。



 ふんわりと舞い落ちた花の名は。

______________________

_____________

________

5月13日:地方都市フェルスタット。



 其れから10日の短いようで長い時が経った。皆に事情を包みなく話し、アッシュの村を出る前に慰霊塔に花を添え数日前フェルスタットに帰ってきた。道中の別れ道で一旦別れた者達も落ち着いた頃合いだろう。


 へクセレヴィが花を攫った事で操られていた者達は正常に戻り、ローレンス家の権威も回復し魔法師も心穏やかな日常に帰った。帰りを待つ者達は皆の姿を見てホッと息を零し心配したと口々に伝えた。

 因みに罪人二名は弁明の余地なく牢暮らしとなり、ラジュンとニナはジュリアスに付いていった。この先、どんな困難があろうと兄弟には心強い味方が居るのだ。大丈夫だろう。


 勿論、魔法師専門の商業ギルド[月夜の番人][大地の狭間]その他多数も再開され現在では以前の賑わいを取り戻した。

 シルフローレットの住人は今回の噂を知っているだろうか、アンジュラルムの皆は心配していないだろうか。


「なぁ……」

「しつこい!」

「そうは言っても、本当に行くのか?もう少しゆっくりしていってもバチは当たらないぞ」

「ルワードは心配性なんだから……。僕達は旅がしたいから行くんだ」

「はいっ。ルワード様、行ってまいります!半年と言わず、早くに寮に帰りますので。ちゃんとウィリアムを帰します……!」

「えっ…まぁ良いか、メイがそう言うなら」


 フェルスタットの旅人ウィリアムとメイはルワードに見送られ、否。足止めを食らっていた。今回の件での後処理で忙しいと踏んで何も言わずに出掛けようとしたのが失敗だった。


 折角、其々の寮を契約したと言うのに。忙しいのは二人も同じか。


「仕方無いか……。じゃあ行ってきなウィリアム!メイ!」


 このまま足を止めていても二人の、主にウィリアムの機嫌が悪くなりそうだ。目一杯息を吸い込んだルワードは、ようやっと子供達を旅立たせた。最後は満面の笑顔で。


「さーて、後を」

「後を追わない、と決めたでしょう」

「リル!何時の間に……分かってる冗談だ」


 旅路を急く事無く、ゆらりと小さくなる背中を見つめルワードは思ってもない事を口にした。丁度良く現れたリルに杖で小突かれ、バツが悪そうに見えない獣耳をへたり込ませた。


「それにしてもルワードの言った通り、直ぐに旅立つなんて」

「嗚呼。少し寂しいけどな。…アッシュの村の件が収まったとは言え世界は未だ魔力を持て余している。けど、あの二人なら………いや、やっぱ」

「ルワード」

「はー…い」


 子を想わぬ親など居ない。血縁関係が有ろうが無かろうが関係なく、護りたい存在が手の届かない場所に行ってしまうのを手放しに喜べはしない。それでも、なんて事ない笑顔で見送るのが見守る者の役目だ。

 無論、何時だって助けを呼べるよう左手にグローブを携えながら。


「あぁ〜…良い天気だ。お出掛け日和って奴だな。今宵の月もきっと壮麗だろう」



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 世界は不条理だと誰かが言った。此の世は救いようのない悪党が歌を歌い、救いの手を擦り抜けた善人が泥水を啜り、何方でも無い者が無情に通り過ぎる世界だと言った。


 愛は呪いだと誰かが叫んだ。唯一つの愛すら人は制御出来ない。喪えば射抜かれた心が裂ける。裏切られれば愛憎の末、真っ赤な靴痕しか残らない。けれども鏡面の貴方は愛を望んだ。


 魔法は災の元だと誰かが唱えた。人と違う人が居る、単純な話ではない。其れは畏れ、其れは拒絶。指先一匙で生物兵器と化す人間と共存など不可能だと指先を上げ唱えた。



 然しながら旅路を目指す者達は屈しない。世界が不条理ならば一歩一歩向き合おう。愛が呪いならば喜んで呪われよう。魔法が災ならば人の及ばぬ災禍を包み込んでしまおう。

 時に逃げ出してもいい、回り道をしてもいい。人皆が自由に運命を廻せる、そんな世界を魔法師は願う。


 此の先の、彼等の人生は地平線に続く。

 傍らの花は咲き、旅路は途切れず。

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