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虚構築の街

 アッシュの村に辿り着くまで一体何日、何ヶ月掛かるのやら。常人ならば音を上げそうな長旅だが、ウィリアムと少女はゆったり流れる時に身を任せていた。


「「あーむっ」」


 さて、そんな二人が何をしているかと言うと旅道中に構える甘味処で舌鼓を打っていた。ウィリアムは甘味を抑えたみたらし団子を、少女は餡蜜風薄生地クレープを頬張る。

 生まれて初めて感じる甘味に感動する少女を見つめ、休憩がてら食して正解だったとウィリアムは笑い掛ける。


「このような素敵で頬が蕩けてしまう食べ物があったとは……」

「僕も初めて食べた時は吃驚したよ」

「ねぇねぇあんたら魔法師さん?」

「?そうですけど」

「俺は此処で働いてるシモって言うんだけど、実はちょっと頼みたい事があってね…」

「僕に出来る事なら。あ…でも余り大きな頼みはギルドの規約に反するので叶えられませんが…」


 どんより雲に気分が覆い被されないよう、犬歯を突き立て少女は笑う。ふと彼女の瞳の奥に人影が見え、振り返ると店の店員らしき男性が両手を合わせて頼みを入れた。

 彼の頼みを叶えたいが、魔法師としての依頼はトラブル防止の為に一部を除いてギルドを通す規律となっている。余り期待はしない方が良いと一度断りを入れウィリアムは立ち上がった。クレープを両手で持ち、少女も後を追う。


「数日前に熊が現れてさ裏が荒れ地になっちゃったんだよね」

(熊が!?)

「へぇー大変でしたね」

(流した!?)

「もしかして熊退治ですか?」

「いや熊は店長が勝ったから良いけど」

(凄い…!!)

「店長と熊が縺れ合った時、倉庫の積荷が崩れちゃって、何とかならない?」

「うわっ足場が無いですね。……う〜んこれくらいならギルド通さなくても大丈夫かな」

「魔法師さんありがとう!!お代タダにしとくよ。無料券もあげちゃうよ」

(無料券!?)

「そんな大袈裟な」

「ウィリアム様!貰っておきましょう…!」


 移動中、度々ツッコミを入れていた少女は無料券の誘惑に勝てず、ウィリアムを催促した。精一杯の大口で残りのクレープを放り込み、キラキラとした目を向けられては彼も頼みを断れまい。

 荒れ地と化した野菜栽培場を抜け、入った倉庫は床の色が見えぬほどの散らかり放題で店長と熊の壮絶な闘いの痕跡が残されていた。


 早速〈コレクション〉を発動する。一変に蒐集してから一つずつ能力を解除していき、約十分掛けて元に戻した。業者に頼むべき仕事を終わらせたウィリアムに心の底から礼を言い続け、逆に彼に困った顔をさせていた。


「ウィリアム様の力は何度見ても素敵です」

「そう言ってくれると嬉しいよ。皆が皆そうであれば良いのにね」

「……はい。私もそう思います」


 二人はまた歩を進めた。休息にて溜まった気力は二人の会話を育ませ、一頻りの哀惜を散らした。


「ところで次は何方で魔法師のお仕事を?」

「次の街はニヒリティウムって言ってね。アッシュの村に行く為の通り道だけど、初めて行く場所だから少し緊張するかな。仕事自体はさっきのと変わりないよ」

「私も役に立たないかも知れませんが気を引き締めて行きます!」


 アッシュの村方面にはウィリアムも足を運んだ事が無く、未踏の街が幾つも点在する。依頼を請けているとは言え、何があるか分からぬ場所は警戒するに越した事は無い。気を引き締めて強く地を蹴った。



 そこで自らの笑顔が陰るとも知らずに。

____________________


「え、解決した!?」

「はい。このような辺境地に赴いていただいたのにも関わらず伝達が遅れてしまった事深くお詫びします」


 小一時間掛けて到着したニヒリティウム。此処は全体的に色味が薄く気候の影響か、冷えた風が吹いていた。街を彩る唯一の明色は古い教会であった。依頼主の指定した教会に足を踏み入れたウィリアム達は思いもよらぬ事実に声を上げた。


「だって依頼は先日起こった土砂崩れと、それに伴う損壊の処理でしたよね……?直ぐに解決するとは思えないのですが……」

「私めも同様の考えにございます。故に依頼を出したのですから。然し偶々通り掛かった魔力を所有する者が全ての処理を終わらせまして」

「スマンスマン!依頼奪っちまった」

「彼も反省しております故…」

「咎めるつもりなんて全然無いです!ただ、吃驚しただけなので。解決して良かったです」

「ウィリアム様……こう言った擦れ違いはよくあるのですか?」

「う〜ん偶にかな」


 依頼主の名はイネ。聖職者らしき背格好でウィリアムに頭を下げる。途中に割って入った者の名はルインズ。草臥れた衣服に無精髭と、自分の格好に無頓着な男は茶目っ気たっぷりに事を謝罪した。最初こそ驚いたものの奪われたと言う感覚もなく、咎めるつもりも無かった。


「ところでそちらの女性は?センスさんお一人で依頼を請けたと記憶していますが」

「わ、私は新人の魔法師です。少しの間、旅の同伴をさせてもらっています」

「可愛らしいお嬢ちゃんだね、魔力が有るなんて恵まれてる」

「!…そんなこと、…は」

「ルインズさんはどういった能力を使うんですか?」

「坊やと似てる。指定した空間内を組み変える能力だよ。勿論、人間や動物なんかの生命体は変えられないけどね」

「確かに少し似てる……ん?どうして僕の能力を…イネさんが教えたんですか」

「そんなっ滅相もありません。彼が教会に忍び込み勝手に漁ったのです」

「そうそう。神の御加護に肖りたいと思ってね。そしたら捕まりそうになったから土砂直して万々歳って感じよ」

(思ったより変な人だな……)


 少女は魔力に関して後ろめたく考えている。それは幼少時代に植え付けられた奴隷紛いの生活が起因であり、ウィリアムも同様に思うところがある。自分の影に隠れた彼女をを庇うように一歩前に出たウィリアムは気になっていた疑問を投げ掛けた。

 無精髭を掻きながらルインズはポツポツ語り、ニヒルに笑った。二人は彼の不躾な態度を好きになれないと心の底で感じていた。別段好かれようなどとは考えていないだろうが。


「代わりと言っては何ですが、お耳に入れて欲しい不思議な話が」


 不思議な話と口火を切ったイネが語り出したのは、最近家畜が凶暴化し突然死してしまったと言う何とも後味の悪い不気味な話だった。また家畜だけでなく、野生動物も似通った症状で悶絶していたらしいとの目撃情報もあるらしい。


「私めらも調査しておりますが、何せ凶暴化した時の対処法が無く……此方もギルドへ依頼を出そうかと思案しておりました。どうでしょう。今回、破綻となった報酬分で構わないので調査して頂けませんか?」

「分かりました!一応ギルドにも報告を入れておきますね」

「宜しいのですか!?」

「うん。調査するだけなら僕にも出来るから。君は先に宿屋で休んでて良いよ」

「……いえっ。私にも調査のお手伝いさせてください。足手まといにはなりませんよう頑張るので!」

「じゃあそうしようかな」

「俺も協力する。だって捕まりたくないから。魔法師にもなりたいなぁ親睦深めよ」


 恐怖心も刺激されているが、折角ニヒリティウムに来たのだ。旅費は稼げる時に稼いだ方が良いと思考し、グローブの紋章を光らせ透明ボードを出現させた。手慣れた手順で依頼変更書を作成しギルドへ送る傍ら、少女への気遣いも忘れない。

 同意したのが余程嬉しかったのか、ルインズはウィリアムの肩に手を回し近距離で彼を何処ぞへ連れて行く。急展開な距離の詰め方に戸惑うがそれも人の縁だと離れるのを諦め調査を開始した。



「つ、疲れた〜…!!」

「ふふっお疲れ様です」

「ルインズさん、どんどん連れ込むから野生動物に威嚇されまくりだし変な茸、食べようとしてるし大変だったよ」

「私も途中で逸れてしまってすみません……」


 一日目の調査を終えて、閑古鳥が鳴く宿屋一階で食事を摂っていたウィリアムは長い長い溜息を吐き出した。癖のあるスープをゴクリと流し込み少女は日中の調査を脳内で回想した。

 ニヒリティウムは森に囲まれた小さな街だ。森には多くの生態系が存在しており慎重に行かねばならぬと言うのに酒の匂いを染みつけたままルインズは奥へと入り、色々とやらかした。巻き込まれたウィリアムも途中で逸れ蒼白した少女も、疲れに疲れた。


 お疲れの二人は半分眠りながら癖のある料理を完食し、其々の自室へ戻った。



(今日も……とても楽しかった。初めて生まれたみたいに人生を歩んでる…何だか夢見心地で幸せだなぁ)


 ウィリアムに寝る前の挨拶を済ませ自室に戻った少女はふかふかのベッドを堪能する。安い宿だったので高級羽毛でも何でも無いのだが少女にとっては最高の寝心地であり、安心感を覚える。

 微睡みの中、彼女の脳裏には辛い経験が蘇り僅かに眉を顰めるが、直後ウィリアムの笑顔に助けられる。あの日、思い切って逃げて良かった。素敵な人に出逢えたのだから。


「……んん」

「あれー起きちゃった?」

「…ぇ」


 何時間眠れたのだろうか。布の(こす)れる音が耳に残り、少女は目を覚ました。薄目で見上げる世界は宵闇に包まれ、再度少女の眠気を誘うが唐突に聞こえた景色外の低音に脳が反応した。


「そのまま寝てりゃあ幸せだったのに」

「貴方、は……ルインズ、様?な、ぜ…」

「ハハッ恨むならウィリアムを恨めよ」

「はぁっ…!?ウィリア!?!」


 酒が抜けたルインズが自室に居た。幾ら関わり合いになったとて知り合って間もない歳上の異性がベッドサイドに居てはおちおち寝ていられない。

 上半身を起こし、それとなく距離を取るが余り効果が無いように感じる。ウィリアムの所へ行くべきかと迷っていると月夜に掲げられた光に目が留まった。


 宵に光り輝くソレを短刀だと認識した途端、転がるようにベッドから抜け出そうとするが伸びた銀幕には抗えなかった。

____________________


『〜〜ー…!』

『ーー!?!』

「ーーっはぁ!…はぁ…はぁ………夢?」


 悪夢を見た。悪い悪い夢だった。悪夢から脱兎の如く逃げ出し現実へと帰還したウィリアムは勢いのままに体を起こした。

 熱を帯びた吐息が喉を渇かす度、肩が上下に揺れる。怯えた心が無意識に触れたのは長袖で隠れていた手首の古傷。触れても痛みはないので気付けば何度も擦っていた。一摘みの唾を飲み込んだら幾分か楽になり、外を見る余裕が出てきた。


「ウソ…もう日が傾きかけてる!?何だか夢の続きを見てるみたいだ……なんて呑気は置いといて!」


 茜色の空に嗤われているようで、身支度も整えずに部屋を飛び出した。先ずは寝過ごした愚行を少女に謝らねば。


「起きてる?…って起きてるに決まってるよね……ああーと…ほんとにゴメン、寝過ごしました」

(返事が無い。宿は出ちゃってのかな)


 扉の前で両手を合わせて頭を下げる自分は何とも情けなく、これでは空が嗤うのも無理は無い。少女からの返答は皆無で、宿を出てしまったのかと益々申し訳無い感情が顔に出る。

 不意に扉に鍵が掛かってない事に気付き、ウィリアムは不思議そうに扉を開けた。


「開けるよー……?」


 矢張り少女は居ない。先に調査へ行ったのだろうか。にしては窓が半開き状態なのは如何なものか。彼女にしては不用心な去り方だと思ったのも束の間、意外な物を発見しウィリアムの心は少しずつ疑心へと傾いていく。


(グローブが置かれたまま?)

『これは魔法師専用のグローブ。色んな機能が付いていて便利だよ。……もし僕達が迷子になってもグローブがあれば何時だって助けを呼べる』

『なるほど……では肌見放さず装着します。私は迷子になりやすいので』

「考え過ぎだよね」


 ギルドの紋章入りグローブは魔法師として生活するに欠かせない必需品で尚且つ有事の際に身を守る為の救命道具でもある。グローブを通し、ギルドへ連絡出来るのは昨日のウィリアムの行動を見れば一目瞭然だ。

 少女にも説明はした。幾ら安心しているとは言え、彼女がグローブを手放すとは考えにくい。過る予感を捨ててウィリアムは駆け足で宿を出た。


「おーい!誰か居ませんか!?おーい…」

(可笑しい、なんで誰も居ないんだ…!?)

「誰か!…こうなったら魔力現存地を!……あちゃー…僕がグローブ忘れて出てきちゃった」


 サザっと吹き抜ける風が酷く冷たい。時刻は夕暮れ時を待ち侘びていると言うのにウィリアムの心は夕闇を恐れていた。

 元から人の少ない街だと流し見していたがどうやら様子が()だ。野鳥の鳴き声は聞こえるのに人間の生活音は一切届かない。


 誰も居ない場所で独り切り離された気分のウィリアムは、なけなしの気力で己を鼓舞し魔力現存地を探り出そうとした。

 現存地を探る為にはギルドのグローブが必要であるが、気が散った今はグローブすら宿に置いていってしまったらしい。


 急いで宿に戻るが

「待ってたよ」

「ルインズさん!?」


 不自然に開かれた扉からのそりと顔を出したのはルインズだった。何故彼が此処に?他の皆は何処に?浮かび上がる疑問は次の一言によって踏み潰された。


「睡眠薬混ぜといて良かった。ぐっすり寝れて気持ちの良い目覚めだったんじゃない?」

「…睡眠薬?何を言って……、他の皆は、僕と一緒に居たあの子は何処に居るか知っているんですか……?!」

「知ってる。付いてきて」

「っその前にグローブだけは取ってきても」

「駄目駄目。早く」


 彼の真意も心理も分からない。何を言ってるのか、伝わるのに理解出来ない。惑うウィリアムを光のない瞳孔で見つめた後、強引に手首を引っ張った。チリっとした痛みが走りどうにかして離れたかったが、ルインズの握力は想像より強く痛みだけが増していった。

 グローブが無ければギルドへ連絡が出来ない。万一の助けも呼べない。離れていく部屋をウィリアムは何時までも眺め続けた。


「離してください…っ」

「離したら何するか分からないし、やだよ」

「一体何の為に」

「直ぐに分かる」

(この人、同じだ……僕達を蔑み道具として見てる人と同じ…。どうして)


 魔法師は思うよりずっと地位の低い存在。見世物のように扱われた者も蔑みの目で見られた者も多い。ウィリアムも例外では無い。人の目に敏感な彼はそれ以上ルインズを見る事を憚り、近付く教会に視線を移した。


 日が落ち切る前に教会へと踏み込んだルインズは祭壇近くに立っていた男と目配せでニヤリとほくそ笑んだ。茜色を降りかけた男の正体は依頼主イネ。彼もルインズと似たような顔でウィリアムを見ていた。


「ご苦労」

「何が目的ですか……?」

「警戒しなくとも大切な被験体を殺したりしない」

「被験体?」

「何。ほんの少し実験に付き合ってもらうだけ。一人で来てくれる方が都合が良かったのに勝手に人が増えるから驚いたよ、まぁ人質として使っとこてな」

「ー!彼女に何をした!?」

「何をしたのか、今は教えられない。こう言っておけば手出し出来ないでしょ」

「ルインズ、無駄話はその辺に」

「はぁい」

「止め…来るな。ーっ、ぅう」


 イネとルインズは共犯者だった。最初から彼等の目的は魔法師の"ガワ"で、ニヒリティウムはその為の舞台装置なのだ。まんまと騙し込み、いっときの信頼を勝ち取った彼等は次にウィリアムの能力を封じに掛かる。

 イネが一歩右にズレると、行方知れずの彼女が冷たい床に横たわっていた。滴り落ちる鮮血に沈む彼女が視界に映った途端、激昂したが呆気なく襟を掴まれ身動きが取れなくなる。


 苦痛に歪んだ眠り顔を穏やかにする事も止血し手当する事も今の自分には叶えられず、無力さを突き付けられる。

 両手を背中を回され床に押し付けられた体勢では言葉による抵抗も虚しく、謎の液体を注射された。


「これは魔力を液体化したもの。どのような変化があるのか調査、するのみ。魔力に耐性が無い一般人に注入すると拒絶反応で死んでしまいますし動物実験も埒が明かない」

「凶暴になっちゃって面倒なんだよね」

「ゔぅっ……熱い、っ…!!」

「あ!今何でって思った?教えてあげるよ。其処に不可思議が在ると人類は追究したくなるのさ。特に、身の危険を含む事象を前にした人類は味がしなくなるまでシャブリ尽くしてもまだ満足に足らないから次々に同じ味を噛み殺す」

「……ぐっ、まさか、彼女にもコレを?」

「研究資料を売れば金にもなりますし、一石二鳥」

「痛かったら言ってな。書き漏らししないように」


 己の利益の為ならば他人がどうなろうと知った事ではないと温度の感じられぬ瞳を被験体に向ける。

 裏切られた悲しみと全身を駆け巡る激痛とを合わせても足りないほどウィリアムには辛い事実があった。傍若無人の領主から解放され、ぎこちなくも笑えるようになった少女が再び捕らわれている事実だ。目覚めた時、少女はまた辛い感情を抱くのだろう。其れが何より嫌だった。


(わたし……どうしたんだっけ)

「ーーっイタ」

「あー起きたの。そのままじっとしてて」

「ひっ…!?これは…、ウィリアム様?!」

「…うぅ……!」

「君は人質兼香味料」

「っ?」

「ウィリアムくん〜意識覚ましに一言。彼女の傷口から毒を仕込みました〜。あと数分で死んじゃうよ」

「「!?!」」

「解毒薬は私めしか知り得ない。残り時間では絶対届かない場所だ。もし彼女助けられるとしたらセンスさんの能力、毒のみを取り出す必要がある。……」

「さぁ見せて。君の能力の真髄ってやつを」

「そんなの、って…」


 暫くして少女は目を覚ます。屡々夢の続きを探していたが、ある筈のない痛みにより強制的に脳が覚醒した。覚醒後は視覚と嗅覚が少女の心に訴える。ヌメヌメと広がる赤と、鼻孔を襲う血腥さの出処が自分の体だと自覚し恐怖で視野が狭まる。

 辛うじて意識を保っていたウィリアムは衝撃の事実に魔力の底が冷えるのを味わった。


 一言で表すなら絶望。ウィリアムの〈コレクション〉は対象を亜空間に出し入れする能力、人だろうと風だろうと関係なく発動可能だが、見えない毒の流動など失敗するに決まっている。然し今すぐ解毒しなければ彼女は死に、しなくとも出血多量で危険な状態だ。

 まるで邪神の試練だ。悪意を持った人間は邪悪そのものであり、ウィリアムに幼少のトラウマを思い起こさせるには十分だった。


(痛い……昔々の僕みたいに今回も魔力が痛い。…彼女を救えるのは僕しか居ない、なのに流れ込んできた魔力が気持ち悪くて上手く体が動かない……)

「少しはやる気出てきた?」

「ふむ興味深い。魔力同士が反発し合って暴れ回っているようだ。これでは時間内の成果は得られない」

(私の体、動いて、……!イネ様が解毒薬の仕舞い場所を知っていると言うのなら、私なら私の能力なら…!!)

「ウィリアム様…!―――」

「!」

「早く早く。見せてよ」

(僕の力じゃ彼女を直接救えないなら…っ)


 得体の知れない力が体内を這いずり回って喰い破ろうとする感覚を味わうのは二度目だ。元から持つ魔力を引き出そうとすると注入された魔力が邪魔をして思うように能力が使えず、また身体機能も著しく後退した。

 霞む視界は少女の唇を捉えた。口パクで告げられた少女自身の覚悟を受け取ったウィリアムは彼女を信じ、片手を前へ突き出した。


(魔力が安定しないと能力が使えない……。けど魔力自体は使えた筈だ)

「今だ!!」

「「!?」」

「ぐっ!?てめぇ、…」

「がはっ」

(次は私の番だ!動け足ー!)


 遂に真髄を見せてくれるのかと期待し半歩前のめりになったイネとルインズは直後の砲撃を受け、逆方向へと飛ばされてしまった。魔力のみの純粋な攻撃は兵士の扱う火器より破壊力があり、魔力持ちでないイネは気を失い多少なりとも耐性のあるルインズは体が動かず悪態を付くばかりであった。

 少女がウィリアムに頼んだのは僅かな隙を作ってほしいだ。彼は頼み通りの仕事をした。ならば次は自分の番である。毒と流血で視点が定まらぬ中、イネの元へ這い寄ると少女は能力を発動させた。


「え」

「うぅ……〜〜はぁ。ごほっ私の魔力は吸血。血を吸った者の能力と思考を読み取れます…。この場合、イネ様の思考を読み……っ解毒薬の在り処は彫刻の中!」

(彫刻…あれか!)

「僕が行く。君は休んでて」

「いえ私が、ウィリアム様こそ安静に」

「元奴隷と聞いて少しは従順に従ってくれるものと認識していたが、私めの目測は誤っていたようだ」

「ーきゃあ!?」

「なんで、意識が……」

「拒絶反応が起きぬ微量を注入し続けた。それだけの話です。私めのような一般人でも魔力の恩恵に肖りたいと考えるのは至極当然」


 イネの首筋に顔を(うず)めた少女は何と犬歯を突き立て血を吸っていた。奇怪に見える行動こそが少女の能力の発動条件であり〈吸血姫ヴァンパイア・ショック〉の能力だ。説明通りの力が得られるからと言って血の味が変わる訳ではない。噎せながら、見上げたのは天井近くにある天使像。

 天使の羽でも生えなければ届かない一角を見つめたまま少女とウィリアムは互いの意見を言い合う。何方も体力的に限界だ。早いところ彫刻から解毒薬を取り出さねば、と思う矢先イネが意識を取り戻した。


「よくもやってくれたなぁ。痛いなぁ〜」

「……くっ」


 少女を軽々持ち上げて絞めるイネに注目していると衝撃が落ち着いたルインズがユラユラ立ち上がり、距離を詰める。酒酔いの覚束ない足取りが一層ウィリアムの心を怖じ気させ、戦う気力を余さず追いやる。

 両目を瞑り必死に呼吸する少女と迫るルインズとを見比べ、どうしようもない状況に早鐘が打たれる。


「うわぁあー!!」

?「おりぁぁ!」

「あ!?誰だ!」

「月夜の番人、参上。助けに来たぜ」

「全く……開いてる正面から入れば良いのに」

(誰……?何方、様…)

「ルワード、リル、………!」

「さて」

「こんなところか」


 時刻はとっくの昔に日没を迎え、満月を持て囃していた。円い光に気付かぬウィリアムが叫声を上げ不安定な魔力を解放しようと両手に力を込めた折、教会の天井が何者かによって砕け崩れた。全員が全員碌なリアクションが取れず只々困惑したが、ウィリアムだけは名を呼んだ。

 彼等は二人組の男。狼の姿と成りた黒髪をルワード、コツンと杖を地に付けた金髪をリルと言う。一瞬の内にルワードはルインズの元に、リルはイネの元に移動し其々対峙する。


「その手を離してください。彼女の傷と解毒を行いたいので」

「……貴方は、これはこれは驚きました。魔眼のリルさんにお会い出来るとは」

(魔眼…?あれは金箔紋章……?!)

「真白の少女を離しなさい」

「ーっリル様、解毒薬は真上の彫刻の中に御座います…!!あう!?」

「余計な口を叩きになるな」


 リルとイネの対立場。前髪が表情を隠し細部までは読み取れなかったが、魔眼と呼ばれた瞬間彼の顔が詰まらなさそうに険しくなった気がした。リルの正体を知ろうと目線をギリギリまで下げていた少女はグローブに目を留める。ギルド最高ランクの金箔紋章は表情も分からぬ彼の信用だった。

 魔法師と判明し、自分を助けようとする善人だと判断し、少女は弱々しい声で得た情報を吐き出した。そこから先のリルは速かった。杖を真上へ投げ事前に手首に巻いた紐を引っ張り彫刻を崩すと、落ちてきた小袋を掌に乗せた。


 余りに速い所業にイネの脳内は警告一色に染まり、少女を投げ飛ばして万全を期した。


「リアム…よく耐えた。後は任せろ」

「ルワン、どうして……」

「大人しく助けられてな」

「カッコつけてるとこ悪いけど、只じゃ帰せないよ。…亡骸、欲しい奴は幾らでもいる」

「一瞬で終わるから安心してろ」


 ルワードとルインズの対立場。旧知の仲であるルワードの助太刀に驚きつつも安堵を覚える。ギルドの紋章付きグローブこそ装備していなかったが月色の瞳は頼もしく、ウィリアムに笑い掛ける。


「そーれ!」

「安直な攻撃だな。舐められたものだ」

「俺の一撃は人を傷付ける。だからリルが側に居る」

「射程距離捕捉…〈マジック・メーター〉」

「ぐわぁ!?力が吸われていく!?」

「くそっ!端から私め一人を相手にする気が無かったと言う事かッ!!」

「悪意が力を喚ぶのか。力が悪意を喚ぶのか。命題が尽きる事は無い。……牢での暮らしは地獄と呼ぶに相応しい環境」

「リル!助かった」

「助けるのはこれから」


 ルワードが大きく前進し、ルインズを壁に押し込む。至極単純な動作を見切り彼が回避する為に彫刻側へと背を向けた瞬間、それまでイネと睨み合っていたリルが向きを変えずに杖の照準をルインズに合わせ、魔法を放った。

 リルの能力〈マジック・メーター〉は対象の魔力を操る。生まれながら魔力を持つルインズは基より、自ら魔力を摂取したイネも能力の対象に成り得る。魔力と生命力の結び付きは深く、手も足も出ず二人は意識を失った。あっという間の出来事に驚くのも忘れ呆然と見届けるしかないウィリアムと少女。


「〈パラソル・ヒーラー〉」

「あ…君、大丈夫?!」

「っはい。私は平気です」

「良かったぁ」

「真白の少女と聞いていたがその瞳の色は」

「ーっ」

「どうかしたの……?」

「み、みないで…!!ウィリアム様の好きだと言ってくれた瞳は、ココには在りません!私は、能力を使うと瞳の色が変わってしまうんです。元に戻るまで、どうかウィリアム様は私を見ないで…」

「僕の所為だ……ごめん、君を守れなかった」

「ウィリアム様の所為ではっ!……ぁっ」

「赤い瞳…」


 治癒効果を齎す杖はリル専用。一度(ひとたび)パラソルを開けば広範囲に効力を発揮する。解毒も済ませ傷も修復されたが、少女は一向にウィリアムと目を合わせようとしない。一抹の不安が過りウィリアムが近寄ろうと歩むが、ウィリアム以上に不安を抱えた少女がはち切れんばかりの思いを吐露した。

 能力の代償、副作用に近い症状を稀に聞く事がある。変色程度で大袈裟と心無い人間は口にするかも知れないが少女にとっては大問題だ。


 震える声が教会に反響しウィリアムは罪悪感で押し潰されそうになる。怖い目に遭わせてしまったと眉間にシワを寄せ謝る彼に、また気遣いをさせてしまうのかと少女は慌てて否定した。そうして、目が合った。


「〈コレクション・解〉」

「それは、…」

「サンザシだよ。春に咲く白い花と、秋に実る赤の実。君にずっと似合う花の名前。僕は好きだよ君の瞳の移ろいが」

「〜〜〜はっ…初めて言われ、ました……気味が悪いから見せないように…していたのに」

(私ばかり勇気を貰ってしまってる……ウィリアム様にも、同じように与えたいのに)


「ルワードの悪影響が出てる」

「ん!?リル……どう言う意味…?」

「真白の少女」

「無視!?」

「はい?」

「瞳なんて気にしなくて良い。私も同じだから」

「その傷は…!?」

「誰も私達を見ない。所詮、眼球は私達が世界を視る為に在るのだから」


 花が恥じらうように瞳を隠した少女。赤く熟れた花を咲かせたく思いウィリアムはサンザシの実を出現させた。世界は夜を謳歌していると言うのに微風に揺れるサンザシだけはまるで太陽の光を浴びてるよう。

 ふわふわとした春の残り香を感じさせるサンザシの実とまるっきり同じ色に移ろいだ頬。隠す場所が変わってしまった。


 無自覚な口説き文句にルワードの影響だと溜息を付いたリルは、少女にしか判別出来ぬように長い前髪を捲くった。赤味の強い瞳に映るリルの姿は、禍々しい紋様を瞳に宿し顔半分が火傷痕で爛れていた。少なくともつい先般まで感じていた親しみやすさは皆無だ。

 これが顔を隠す理由であると同時に魔眼と呼称される由縁である。彼なりの励ましに感化された少女は普段通りの調子を取り戻す。


「それでルワード達は何でこんな所に?」

「その前に、自己紹介から始めよう。初めましてお嬢さん、俺はルワード・ローレンス。ギルドの創設者でウィリアムの保護者だ」

「私はリル。普段は貴族ローレンス家に仕える従者の一人」

「保護者は余計だよ…」

「ギルドの創設者様…!?初めまして……っ名前はありませんがギルドにはお世話になっています!ルワード様、リル様どうぞ宜しくお願いします」

「うん。大体は聞いてる。けど……名前が無いのは寂しいな」

「へ?」

「名前は大切な自己だからな。己が何者かを識る最初の頁だ」

「なるほど……考えた事もありませんでした。然し、私に似合う名を拾えるかどうか」


 教会を照らす満月が雲衣を纏う時、狼姿だったルワードは人の姿に戻る。雲隠れしたと言っても時刻はまだまだ満月を望んでいるので完全な人間姿とはいかず、獣耳と尻尾が影法師にくっきり映っていた。

 ルワード・ローレンス。商業ギルド[月夜の番人]の創設者にして貴族階級。

 リル。ギルド最高ランクの金箔紋章の持主にしてローレンス家の従者。


 貴族と言えば少女にとっては苦い記憶だ。階級を聞き無意識に体が強張ったが不思議とルワード達からは苦味を感じなかった。どころか寧ろクレープ生地のような甘味に安心感すら合った。


「ウィリアムもリルも俺が名付けたんだ。君にも名を持ってほしいけど……俺が直接助けた訳じゃないし……あ」

「っ!なにか…嫌な予感」

「リアムが命名すれば万事解決だな!」

「僕が!?」

「ウィリアム様が…」

「それで良いかい?」

「良くない!」

「私は……ウィリアム様に私の名前を命名して、欲しいです。いけないでしょうか……?」

「ぇえ!?別にいけないって事は無いけど、けど僕はセンス無いよ!?大事な名前を僕なんかに頼っても良いことない…よ?」

「貴方様には何度も助けられました。また頼ってしまうのは申し訳無く思いますが、私はウィリアム様だから良いのです!」

「そ、そこまで言うなら………………考えとく」

「ありがとうございますっ!」


 徐ろにウィリアムの方へと向いたルワードの顔は面白半分に楽しげで、ぎょっと身を引いたウィリアムだったが残念ながら彼から逃れる事は出来なかった。

 適当な名を付け後で後悔、なんて事にはなりたくない。責任重大な命名に怖じ気付くウィリアムだが、妙に乗り気な彼女の赤眼には逆らえず妥協点に着地した。


 パッと花が咲くように笑ってみせた少女の瞳は赤から真白へと戻っていき、肩の荷が降りた気がした。


「リル」

「罪人を引き渡してくる」

「お願いしますっ」

「よぉ月夜の番人さんよ…犯罪者集団が正義ヅラしたところで誰も認めねぇぞ」

「泣いてる子と、泣かせてる大人、ドッチが悪か議論するまでも無い。そうだろ?」

「馬鹿野郎が」

「抵抗すれば次は無傷とはいかない」


 ウィリアム達が日常に帰る頃、目を覚ましたルインズはルワードを目の(かたき)として皮肉付いた。犯罪者集団の深意は誰も語ろうとしないが彼はハッキリと言葉にした。

 そのままリルに引き攣られるように罪人達は教会を追い出された。


「ルワード、街の魔法が解けたみたい」

「じゃ夜空の下で会いに来た訳を話そうかな」

「ーー…!ニヒリティウムがない」

「全ては魔法で造られた偽物だったのですね……」

「此処は魔法師を呼び込む為に創造された偽りの街。リルの任務はニヒリティウムの調査だ。コッチを優先して正解だったよ」

「ルワードの目的は?」

「俺は……」


 ルインズは指定した空間内を組み変える能力の持主。色味の薄い不気味なニヒリティウムは彼が創り出した罠だった。まんまと罠に掛かった自分達を情けなく思うが、崩れた教会と風情ある月夜が慰めてくれるようで気持ちが和らぐ。


 ウィリアムは改めてルワードに問う。回答を先延ばしにする理由がなくなった彼は朗らかな雰囲気一変、空気をヒリつかせた。


「ココ最近、何人もの魔法師が()()()()()

「!?」

「ウチのギルド以外にも行方が知れなくなった者、何者かに襲われた者も多いと聞いた」

「今回のニヒリティウムの騒動とは別なの?」

「関連があるかどうかは今後調べるとして、少なくとも根源でない事は分かってる」

「!…丁度、ギルドから通達がありました」

「本当だ」

「見過ごせねぇからな、一斉送信した。……然し、君達には直接会って話さなきゃならないと思ったんだ。魔法師を襲っているのはアッシュの村出身の女性だ」

「ぇ……!?」

「そんなっ!」


 ルワードが齎した情報は、アッシュの村出身の女性が魔法師を襲い深手を負わせていると、今の二人にとって刺激の強いものであった。タイミングよく紋章が光り、ギルドから緊急通達が降りてきた。透明ボードに記された字面には女性ともアッシュの村出身とも書かれてはいなかった。


「一体、どうして、……どうしたら…」

「命からがら逃げてきた魔法師の一人が言うには其の人は灰を操る能力だと言っていた」

「灰を……!?もしかして、彼女の村が灰被りに遭ったのも何か関係が」

「それについてはシルフローレットのじいさんからも聞いた。関連性は高いと踏んでいる。村に行くのは少し、危険かも知れない」

「……」

「仕方ありませんね。……状況が状況なだけに私ではウィリアム様の足を引っ張ってしまいますから。…、お先、休ませてもらいますっ」

「あぁちょっと君、待っ」

「ルワン」

「リアム?」


 少女は何かを堪えるように唇を噛み締めていたが、アッシュの村へ行けない可能性が出てくると矢継ぎ早に会話を終わらせ頭を下げた。元々猫背で視線も地面を見つめており傍から見たら頭を下げたのかすら分からないかも知れない。少女は透明な雫を一粒落として走り去っていった。

 少女を止めようと手を伸ばしたルワードを止めたのは曇り顔のウィリアムだった。


「僕、あの子を守れなかった。僕の所為で傷付いて魔力を使わせてしまった。凄く怖かったんだ、……だからもう彼女の側には居られない。向こうだって怖い目に何度も遭いたくないはずだ」

「リアム……。元はと言えば俺が一緒に居てやってくれって願ったんだ。リアムが気にする事じゃない」

(なんて口にはするが、………)


 ウィリアム自身も憂き目に遭ったのに、彼は少女の感情ばかりを優先する。優しいと一口に纏めるのは簡単だが、16歳の子どもにしては随分危うい。

 曇り顔は今にも雨が降りそうで、気難しい状況になって来たとルワードはウィリアムと去って行った少女を見比べ頭を掻いた。



 その頃、パタパタ走る少女は月が落とす影に気付き顔を上げた。


「何処へ行く」

「リル様……その……っ!?」

「お腹が空いたの。待ってて何か取ってくる」

「ぁあ……いや、あの……」


 罪人引き渡しの任を終えたリルとバッタリ遭遇し、碌な言い訳も思い付かぬまま腹の虫は盛大に空気を読み外す。食欲が健在なのは良いが、態々今でなくともとお腹を押さえ少女は不機嫌そうに恥ずかしむ。


「冷めてしまったけど味は保証する」

「……」

「食事は摂れる時に摂った方が良い」

「はい、……ん、美味しい」

「真白の少女、人に怯えなくていい」

「えっ」

「貴方は言った。鶸色の少年の足を引っ張ってしまうと」

「聞こえていたのですね。私では力不足です。ウィリアム様一人だったなら今回の騒動も切り抜けられたと、そう思えてならないのです」

「人から離れる理由がそれなら真白の少女は何時までも独りのまま。孤独から救ってくれた人を突き放してまで優しさを躊躇ってはいけない」

「……っ」


 携帯食を手に教会の隅っこで食事を摂る。思えば最後に食事を摂ったのが昨日の夜、お腹も空く訳だ。

 横並びで薄味のブレッドをパクリと噛んだリルは、少女を気遣い言葉を掛けた。一方的で直接的な彼なりの優しさに、少女の本音はスルスルと抜け落ち湿っぽい地面を弾いた。


「力不足がどうとかは置いて、一緒に居たいならそう言えばいい。欲を口にしたって誰も叱らない」

「……一緒に、旅をして楽しかったです。私の世界が広がっていくような気がして、キラキラして見えました。ウィリアム様と一緒だったからです……きっと」

「昔話をしてあげる」

「昔話?」


 三口程度で完食したリルは少女の本音を真摯に聞き受け、昔話をと一呼吸置いた。


 其れは"月を闊歩する兎の話"、現実に起こった約10年前のウィリアムの過去に纏わる話だった。

 両親に売られ地方貴族の元で暮らすようになった4つの少年。年齢にそぐわぬ厭な仕事を繰り返す内に少年の心は荒んでいった。6つになる頃には唯一の話し相手、野兎が殺され少年の心は壊れた。

 少年の噂を聞きつけたルワードがリル達を引き連れ、心を月明かりで浄化したのが少年の物語の始まりだった。


「そのような過去がウィリアム様に、……!」

「一緒に居たいなら言葉にしなければ鶸色の少年は去っていく。未だに帰る家を持たず、転々と旅をし続ける彼を見失ったら二度と会えない」

「リル様ありがとうございます……!!私、自分の気持ちに従ってみたい……です」


 馬車の中で見つめた寂しく切ない横顔の意味を垣間見た少女は、静かに涙した。せめて涙が彼を癒やす河になれば良いと分不相応な想いを胸に抱いて。

 見事、少女の気持ちを引き出したリルはウィリアムの元へ駆ける背中を見つめ、携帯食の後味を薄ぼんやりと思い出していた。

____________________

______

 今宵、満月の輝きに星は尾を引き流れゆく。


「……彼女が僕の力を宝箱って言ってくれたんだ。それが嬉しくて、心が軽くなるのを感じた」

「良い子じゃないか」

「うん。だから弱い僕とは一緒に居たらいけない。ルワンが連れて行った方が彼女も安心すると思う。危険なんてない安全な旅……」

「そうだな。リアムがそんな事を口にするなんて……俺は嬉しいよ」

「は!?真面目な話ししてるんだけど」

「悪い悪い。だって初めて旅立つ時、危険だと言ったのにそりゃ頑固な事で、利かなかっただろ?」

「それは…そうだけど……」


 膝を抱えて朧月に話し掛ける。ツンとグズる鼻先の赤を隠して、言の葉をひらりひらりと落としていく。

 ウィリアムにしては珍しい年頃の子供らしい姿にルワードは狼尻尾を振り、微笑んだ。子供らしからぬ過去の出立時を振り返って笑う彼にウィリアムは唇を尖らせる。


「ウィリアム様!!!」

「わっ!吃驚した…どうし」

「あのっ聞いてください!」

「はい!」

「初めて出会った時も今回も、私は助けられてばかりです。それは私が世界の歩き方を知らないから。足手まといは嫌で、私の所為でウィリアム様が傷付いてしまうのはもっと嫌だ…」

「……ッ」

「でも、それでも一緒に旅がしたいです。何時の日か御恩を返せるように沢山、世界と関わっていきたいから、だからどうかウィリアム様の旅に同行させていただけないでしょうか!?」


 息を切らしながらウィリアムに会いに来た少女は、真白の瞳を真っ直ぐ見据えた。めっきり自信を失くしたウィリアムは彼女に何を言われるやもと僅かに鶸色の瞳を逸らし、斜め下を見つめる。

 廻り続ける世界が一等光を放ち、少女の主張に尾ヒレを付かせた。上擦る想いがウィリアムの目線を上げさせ、二人の目が合った。


 今にも泣き出しそうな既に泣いたような赤々とした輪郭が、決して逸らすものかと強かな意志を感じる瞳が、夜風に揺れ動く。

 瞬間、ウィリアムの心が酷く高鳴る。赤色が伝染し可憐に咲く想いを実らせゆく音だ。


「でも……それは」

「私は生まれたばかりの魔法師!貴方と共に歩くには拙いかも知れませんが、危険が有ろうと無かろうと一緒に居たい……!」

(この感情は、……なに…、体中から鼓動がなるみたいに煩くて熱い……危険なんて無い方が…ッ。……そうかコレが、大切に想う心…そして)


「側に居たいと想う……心。一人旅で充分だったのに誰かが側に居るだけで、全然知らない感情が飛び出してきそうになる……僕も君と、まだ旅を続けたいと思ってる」

「では…!」

「うん……」

「これからは、一人の魔法師としてウィリアム様の旅に加わりたいと思います!……それに命名もされていませんから」

「!……覚えてたんだ」

「うんっ!」


 唯、共に旅路を歩みたいと言葉にするだけなのに二人は迷って迷って迷った。互いを尊重する想いと他人の領分を把握出来ぬ躊躇いとが、いっとき二人の心を引き離したが見つめ合って確かめ合って漸く歩み寄った。

 沸騰しそうな感情が単なる思いやりだと勘違いして。


「ウィリアム、俺達は此処でお別れだな」

「もう行ってしまわれるのですか?」

「嗚呼。馭者待たせてるし魔法師を狙う奴についても調査を進めなきゃな。何か分かったらまた会いに来るよ」

「お待ちしております!」

「……来なくても」

「リルー!行くぞ。…あ、忘れるところだった」

「ん?」

「次会う時は名前で呼ばせてな!」

「うっ。責任重大だ……」

「ウィリアム様…!?そんなに気負わないでください!」


 更ける夜に別れを告げ、ルワードとリルは馬車へと乗り込んだ。世話焼きのルワードは心底名残惜しい顔でウィリアム達用の宿屋の予約を入れると大袈裟に手を振った。

 静謐な夜に蹄の音が高く飛んで、遠退いていく。


 紆余曲折のニヒリティウムでの困難が幕を下ろし、傷付きながらもウィリアムと少女の絆は一層強まっていった。


 そして、

「次は私が魔法師の仕事をします!リル様に手伝って頂いて、此処からそう遠くない街の依頼を請けました。精一杯頑張ります」

「そっか。頑張って。僕も手伝いたいな」

「駄目です!」

「えっ」



 次なる街へ、歩いていく。月に届かずとも何処までも。

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