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3月の風



「2年半くらいになるのかな。変わってないな此処は。馬車が駆ける音も、酒場の喧騒も、空の色だって変わらない。嗚呼…一つ違うね。木々は成長してる。新たな花も咲いた」


 此処はハルモニア大陸の地方都市フェルスタット。右を見れば煉瓦造りの家々が建ち並び、左を見れば賑やかな商業施設が建ち並ぶ。地方ながらも行き交う人々は実りある人生を楽しんでいた。

 フード付き外套を風に揺らした青年は口元に笑みを浮かべ、久方振りの街並みを見渡す。


 青年は歩く。歩き慣れた道を軽快な足取りで。10分程歩いたところで漸く目的地の建物が視界に映るが、思わず足を止めてしまった。


カァァァン

「カァァァン?」


 和やかな草木が不思議な音に怯え、揺れる。草木だけではない、先程まで他愛ない会話に夢中だった住人らも等しく音を警戒した。午後のうっとりとした日差しに似つかわしくない音を青年は知っている。


「この音を聞くのは2度目かな。懐かしいな。とても懐かしむような音では無いけれど。…ほら来た衛兵が走ってるよ。これは警報音。罪人を必ず捕らえると宣言する音。出来るなら聞きたくなかったなぁ」


 お喋りな青年は誰に聞かれるでもなく、独り言を舌に乗せた。青年の言葉を信じるなら直前の音は衛兵の鳴らした警報。それほど遠くない場所で罪人を捕える為、衛兵が走る。肝心の罪人は見当たらない。余程隠れるのが上手いと見える。

 さて、自分には関係ないと思考を切り替え曲がり角を曲がろうとした時、少女が飛び出して来た。


「おっと危ない」

?「……っ」

(そんなに慌てて何処へ行くのだろう…ゆっくり歩いた方が人生は楽しいのに)


 布一枚着込んだだけの見窄(みすぼ)らしい恰好に取り乱した髪の束、オマケに裸足ときた。少女の背丈は青年より低いが、実際に擦れ違った身長差より幾分か低く感じた。少女が前のめりに走っていたというのも原因の一つだろうが、猫背が固定されていたのも原因と取れる。

 青年は衝突直前で足先に力を加えると、ふわりと少女を避けた。優美なバレエ公演でも観ているかのような滞空感覚で避けるものだから顔を覆っていたフードが外れてしまった。


「おっと、いけない。まぁ目的地は目と鼻の先だ。このままで歩こう」


 くすんだ黄緑色の短髪を揺らし、優しげな(ヒワ)色の瞳を細める。少女が残した薄紅色の一糸を見送り、青年は止まってしまった足を動かす。警報音は未だ鳴り止まず衛兵が忙しく土埃を起こす。罪人は今尚、逃げていた。


「着いた着いた。前々から思っていたけど少し、派手過ぎるよね。此処だけだよ」


 とある建物の前で足を止める。青年が目指していた目的地に着いたようで、ホッと息を整える。鶸色の瞳が建物全体を見収める為に視界を広げた。

 建物自体は他の建築構造と遜色ないが、金回りが良い宿屋より外装が凝られ重厚感溢れる材質も余りなく使われている。


 商業ギルドと書かれた立て看板にすら金の小細工が施されいた。見境ない派手な外観に一言漏らした青年は常時開けられている扉を(くぐ)った。



「こんにちは」

「いらっしゃい!ごいらっしゃい!!ようこそ!商業ギルド [月夜の番人]へ!ご用件は何でしょう!?リクエストボードの依頼書をですか?ポイント換金をですか?それとも装備品の点検?強固?なんでもござれ!なんと言ったって此処は魔法師様専用の施設ですから」


「えぇーと…」

「あ!先ずは自己紹介からですね!?自分は先月、受付案内役に配属されましたマツバと申します!以後お見知り置きを」

「こらこらマツバ。先ずは魔法師さんの名前からでしょうよ。あんたが名乗ってどうする」

「わっ!?そうだった…!」


 商業ギルド[月夜の番人]


 扉を通った先、視線を右を向けると数々の依頼書が貼られたリクエストボードがあり、多くの人間が眺めては考え込む。正面には受付カウンターが設置され、フォーマルな制服に身を包んだ受付嬢が対応に当たっている。正面やや左には二階へ続く螺旋階段があるが本日は誰も見向きしない。

 独創的な空気を吹き飛ばす勢いで名乗りを上げたのは受付嬢のマツバ。早口で捲くし立てる新人の彼女は早々に注意を受ける。隣の上司に小突かれ、咳払い一つで気持ちを切り替え苦笑いの青年を見つめる。


「憧れの魔法師様に会えて気持ちが昂ぶってしまいました……すみません」

「いえいえ。憧れの、なんて言ってくださるだけで僕たち魔法師は救われます」

「だってだって、そうでしょう!?魔力を体内に持つ方だって少ないのに魔力を扱う魔法師様はほんの一握りなんですよ?憧れて当然!世間が追い付いてないだけですって!!」

「マーツーバ……」

「はっ!……また熱くなってしまった……」

「き、気にしないでください」


 此の世界の特異点、それが魔力だ。魔力と一口に言っても諸説思い付くだろうが難しく考えないでほしい、普遍的な想像で事足りるのだから。少し解説を広げるならば、全員が全員体内に魔力を宿す訳ではなく先天的に一部の人間にのみ現れる不可思議な力を魔力と呼んでいる。

 更に言えば魔力を有する者の中で一際魔力の扱いに長けた者達を皆は"魔法師"と呼ぶ。[月夜の番人]はそんな魔法師達の為の商業施設なのだ。数少ない魔法師を頼って、依頼書は貼り出される。青年もまた魔法師の一員だった。


「では改めまして。氏名、ご用件お伺いします!」

「"ウィリアム・センス"。ポイント換金でお願いします」


 青年の名はウィリアム・センス。落ち着きを取り戻したマツバの案内を受け漸く自分の目的が果たせると安堵し、名と要件を伝える。

 ただ伝えるだけではなく、ウィリアムは左グローブに装飾された紋章を慣れた手付きで鉱石に翳した。受付カウンターに設置された鉱石は単なる飾りではない。それ自体に不思議な力が籠もっていた。


 翳した紋章は[月夜の番人]の立て看板に描かれた紋章と酷似しており、恐らく支給された物だろうと予測が立てられる。などと言ってる間に紋章と鉱石が同色に光り始め、軽快な音と共に透明なボードが出現した。透明と言っても受付側にしか内容は判別出来ない仕様となっている。

 別段、名が無い現象のコレは個々の魔法師情報を識別する為の装置とでも思っていただければ良い。


「あ!シルバー会員のウィリアム様には専属の担当が居ますね。少々お待ちください」

「……ありがとうございます」

(う〜ん…怒ってるだろうなぁ)


「確認終わりました。一階右奥のA−6室にて、ポイント換金行うそうです。どうぞ!」

「はい…」

(出来れば会いたくなかったな……流石に受付で終われる訳なかった…ね)


 透明ボードをタップしつつ、ウィリアムの登録内容を確認したマツバはふと表情を変える。どうやらウィリアムには専属担当が居るらしく、担当の者に知らせるべく奥へ行ってしまった。


 マツバが受付の奥で確認を撮ってる間、ウィリアムは短い溜息を漏らしながらグローブの銀色紋章を見つめ直した。魔法師にもランクがあるらしく、辺りの人物達の嵌めたグローブと見比べると違いが良く分かる。

 銅、銅箔、銀、銀箔、金、金箔の順でランクが別れており、彼の銀色は真ん中辺りだ。上に行くほど少数になっていき金箔ランクは極々少人数となっている。


 紙束数枚に目を通しながら戻って来たマツバはウィリアムに担当者が居る場所を知らせ向かうよう促す。担当者が居るなら先に言ってくれれば楽なのにと冗談めかしに笑う彼女にウィリアムは引き笑いで立ち去った。担当に会いたくないから言わなかったに過ぎない。



「A−6室…A−6室……あった」

(超絶良い事があって超絶機嫌が良くありますように!)

「ヒマリさん、お久しぶりで…、!?」

「はっっ」

「あっっぶないですよ!?」


 A−6室に近付けば近付くほど表情が険しくなっていくウィリアムは辿り着いてしまった扉の前で項垂(うなだ)れる。意を決して祈り全開で扉を開けたが、視界に映ったのは殺意の籠もった靴底だった。

 担当者の名はヒマリと言うらしい。恐怖の二文字を押し殺し平静を装って話し掛けたのだが、人生とは中々上手く行かないものだ。


 黒髪黒目の規律を重んじる女性ヒマリは高く結わえた髪をゆらゆら揺らし、攻撃を止めない。ウィリアムの静止を聞いた上でぶった切り、体術勝負をしながら話を進めていく。


「此方こそお久しぶりです。ウィリアム様換金、との事でしたが…」

「は、はい。あはは遅くなりました」

「半年に一度の頻度を推奨しておりますが、2年半とはまた随分舐められたものです」

「舐めてませんよ!?ギルドにはお世話になっていますし…ギルドが無かったら僕は生きていませんって」


「換金額が多い方もスムーズに執り行えるよう登録規定書にも記されています。このままの生活を続けるおつもりなら降格も現実味を帯びてきます」

「言い訳するつもりはありません……!遠回りしようと思ったら何時の間にか半年が過ぎてしまって。す…すみませんでした」

「当主様の為にも最低限半年に一度ギルドへ来てください。でないと強制連行です」


 ヒマリは体のラインに沿ったパンツスタイルを着こなし動きやすそうではあるが、5cm以上のパンプスヒールを履いている為、何方かと言えば行動を制限されている。にも関わらず、戦闘服に身を包んだ女戦士の如き剣幕でウィリアムを追い詰める。

 部屋の中央には簡素な机と椅子が置かれているが、障害物を物ともせず縦横無尽に動き回る。ウィリアムもただ破られる筋合いは毛頭なく、言葉を返しつつヒマリと闘う。


 互いの拳が頬を擦れる直前、二人の動きが止まる。元々勝ち負けなど考えていない体術勝負は始めた者が矛を下ろす事で終了となる。この場合はヒマリが始めたので、彼女が止まった事でウィリアムも止まった。


「安心しました。腕は鈍ってないようで」

「ヒマリさんも、強くなりましたね」

「当主様を護る為、当然です」

「それでその当主様は今日は来てないんですね」

「ここ最近、体調が優れないようでお部屋で休まれております。会いに行かれますか?」

「体調が……そう言えば最近の夜空は曇ってますもんね。今日は止めておきます」

「当主様はウィリアム様の元気なお姿を見れば忽ち体調も戻りますよ」

「逆に僕が体調悪くなりそうなので……」

「なにか?」

「……いえ何も」


 眼鏡の縁をクイッと持ち上げ、位置を正すとヒマリは向かい合わせの席に座った。ウィリアムも促されるがままに座り、グローブの紋章を似たような装置に翳した。2年半分のポイント換金とやらには時間が掛かる為、他愛ない会話で間を持たす。

 当主様とは如何なる人物か現段階では知りようも無いが、当主様について語る声音は先程までとは真反対で慈愛に満ち満ちていた。


 透明ボードのタップ音に紛れてボソッと呟かれた一言をヒマリは聞き逃さない。眼光鋭い眼鏡の奥と目を合わせぬよう、さり気なく視線を外し換金が終わるまで耐える。気のせいだろうか?タップ音が一段跳ね上がった。


「換金終わりました。お確かめください。……期間が開いた割に換金額は少ないですね」

「ありがとう。…行きたい場所の依頼が小さなものばかりで。旅費もままならない状態です」

「……それは良かった」

「え?」

「丁度依頼書が回ってきました。ぜひウィリアム様にお受けして頂きたい」


「内容は…?」

「外の騒動を収める」

「外の…罪人の拘束ですか?魔法師に頼むなんて余程切羽詰まった状態なんですかね」

「いいえ。状況が少し特殊ですのでギルドを通さず直接取引しました。罪人の正体は――」

「!分かりました……。"依頼・承認"」


 換金額に興味が無いのか、それともヒマリと向き合うのが恐ろしいのか、一言礼を言ったウィリアムは左手を引っ込め透明ボードを閉じた。

 愛想笑いも形無しに早々に立ち去ろうと椅子を引いた直後、ヒマリは眼鏡の奥を光らせた。不思議な事に懐から取り出した依頼書にはギルドの紋章が添えられているのみで、一文字も書かれていなかった。

 不思議を不思議と思わない二人のやり取りを見るに、此の世界では常識なのだろう。


 罪人の正体を口頭を伝えられたウィリアムの目の色が変わる。優しげな鶸色に灰色の影が差す。急転直下な依頼を引き受けた彼は次に依頼書の紋章とグローブの紋章を合わせ、情報を流し込む。


「行ってらっしゃいませ。ウィリアム様」


 紋章の淡光が納まり、ウィリアムは慌ただしく部屋を飛び出す。忙しい背を見送ったヒマリは、慈愛を込めた瞳で依頼書を一頻り眺めていた。


______________________


「えぇーと…魔力現存地は…っと」


 依頼内容は罪人の拘束及び連行。フードを被り直した青年は、上体を低くし出来うる限りを尽くして魔力の根源を探る。


「良かった。遠くへは行かれてないみたい。高台から目視出来るかな」


 気配を消し足音を消し、道行く人の妨げにならぬよう青年は高台へ歩を進める。螺旋階段を登り日焼けた空に近付き眼下を見渡す。


「居た。…あの子、さっき擦れ違った子だ。……そっか、そうなんだね。状況も良くない。急ごう」


 そう遠くない焼かれた煉瓦の上に罪人は居た。衛兵に囲まれた中心で、身形の良さげな小太りの男性と向き合う罪人は薄紅色の長髪を揺らす。縮こまる猫背を良く見ると、ギルドの手前で擦れ違った少女と面影が重なる。

 キツく縛られた唇を浮かし、少女を見つめる青年は怒っている様にも怯えてる様にも見えるが、影に隠れてしまっては真相は分かるまい。



「躾はたっぷりした筈なんだがなァ」

「……」

「道具の分際で余計な金使わせんじゃねぇよ。仕置きだ!!」

「ーっ」


「彼女は道具じゃない」

「「!?」」

「〈コレクション・印〉」


 気配を消し足音を消し、囲む衛兵の間を擦り抜けた青年は小太りの男性の背後に声を掛ける。振り返った男性の首がジャラジャラと金属音を鳴らし、それが金品の類であると気付く頃には青年は少女の前に居た。

 流れるような手付きで両手を少女と男性に向かって広げると"コレクション"と言い残し二人の姿を消した。


「な、貴様、領主殿を何処へやった!?」

「領主…貴族か」

「そうだ!我々は領主殿に歯向かう者を切り落とせと命じられている。その首、落とされたくなくば領主殿を……!なに!?」


 忽然と姿を消した二人。残された青年一人と衛兵多数。中でも階級章を赤く光らせる壮年兵が一歩前に出て、青年と向き合う。金に眩んだ有象無象ほど逃げやすいものはない。

 縮地、とまでは行かないものの青年は俊敏に場を抜け出した。青年を追おうとするが間を抜かれた衛兵同士が雪崩を起こし、一向に届かず程なくして見失った。


____________________


「〈コレクション・解〉」


 カァァァン。カン。と不自然に途切れた警報音をキッカケにウィリアムは両手を正面に向けて、消した二人の人間を出現させた。


「何だ!?何者だ!?!」

「取り乱すんだ」

「貴様ァァ!……フンまぁ良い。罪人を此方に渡せば褒美を与えよう。魔力を持つ人間が強いなどと思い上がるな!!所詮お前達は、…」

「依頼内容は罪人の拘束及び連行。罪人はそこの少女だと聞いた」

「ほぉ。聞き分けが良いではないか」

「だがそれは間違っている。罪人は少女の魔力を金に変え、私腹を肥やし、一人の人間として見ていない貴方の方です領主殿」


 突然の出来事に戸惑い震える少女とは違い小太りの領主は怒り心頭に噛み付いた。然し、一連の流れから青年が魔力持ちだと察するや否や大っぴらに態度を変えた。

 不遜な男に合わせる視線は無い。くるりと向きを変えたウィリアムは自身の羽織っていた外套を震える少女に着せた。少女の丸い瞳が一縷の希望を求めた刹那、周辺に多数の人影が現れた。


「貴方を拘束し、連行します」

「ふざけるな!ワシを誰だと思ってる!?止めろ手を離せ!貴様等全員ワシにかかれば」

「ウィリアム様、依頼達成です」

「ヒマリさん…タイミングバッチリです!」

「罪人の処遇は一族の者が引き受けます」


 黒髪黒目の女性ヒマリは恭しく腰を折った。ヒマリの目配せで動く多数の者達は、彼女と同族らしく荒れる領主を強制的に連れて行った。ヒマリ自身もウィリアムと二言三言言葉を交わし、再度お辞儀し去って行った。


「さて。もう大丈夫だよ。君を傷つける人は居なくなった。僕の名前はウィリアム・センス。君の名前は?」

「メ…イ、……命名はされませんでした、…。マナ……真名は落としてしまったので、分かりません」

「そっかぁ…じゃあ何て呼んだら良い?」

「主様は、鬼人(きじん)と呼びます」

「!それは……」


 茜焼けの光が世界を照らす頃合い、ウィリアムは座り込む少女と目線を合わせて名を名乗った。少女の前髪は目元を覆っており、目線が合っているか否かは微妙なところだが少なくとも顔の向きは此方に合わせてくれている。

 少女に名は無い。真名は何処かへ落としてしまったらしい。浮世離れした物言いは、暗に俗世と離れた生活を強いられていた事を意味し、心が痛む。


「それは僕達の力が魔法と定義される前の侮蔑の言葉だ。言われなくて良いし、言わなくて良いんだよ……」

「そ、う…だったのですね。あの、ウィリアム様…私はこれから何処へ行けば良いのですか。名前も分からない、帰る場所も見つからない私は…何処へ……?」

「ギルドへおいで。君は保護されたんだ」

「保護…?」


 一抹の風にすら掻き消えてしまいそうな声量で少女は思い悩む。一歩目を踏み出すには余りに脆弱な体で、逃げれはすれど前へ進む事など出来ようもない。

 少女を安心させるようにウィリアムは手を差し伸べた。くすみ掛かる黄緑の髪が柔らかに揺れ、次第に落ち着いていく。不安に怯える彼女はウィリアムの受けた風を掴むように色白の手を伸ばした。


______________________

 二人で歩いた道は、ウィリアムが少女と出会う以前に通った道。ギルドの道。


 場所は変わって商業ギルド[月夜の番人]と言っても、一階にではなく裏口から通って直接二階に踏み込んだ。木製の床から受付嬢と魔法師の賑やかな声が聞こえ、少女の困惑は更に深まった。


「大丈夫。ギルドの二階は魔力を持つ人達の為の憩いの場で、総合相談所でもあるんだ。此処が数少ない居場所だって言う人も少なくない」

「……私の世界が、どんどん崩れていくのを感じます。…魔力があるから、私は領主様の元で奉仕しておりました。……けれど私は全てが嫌になって逃げ出したのです。初めから此処を知っていたなら、もっと早くに辿り着けていたなら、私は人と同じになれたのでしょうか…」


「これは僕の命の恩人の言葉だけど、魔力を持つ人達が虐げられる時代は時期に終わり、新たな魔法世界が築かれると」

「夢のような世界ですね」

「やっと笑ってくれた」

「あ…わた、し…笑えていましたか?」

「笑えていたよ」


 或いは世界が創世の時より魔力に満ちていたなら、平等に全人類が魔力を有していたなら、情勢はまるっきり変わっていただろう。神の悪戯には甚だ厭になる。

 苦しむ者が居れば助ける者も居る。受け売りの言葉は受け継がれゆく言葉。ウィリアムの情け深さに安心した少女は、唇を薄く開いた。初めて見せた笑みは薄紅色であったと確かに記憶した。


 長いようで短い廊下を渡り終えたウィリアムは足を止めて、小綺麗な扉を叩いた。


「彼女が今回のお客様ですね。お任せを」

「ありがとうございます」

「あの…?」

「彼女達は双子の服飾人。君の服を見繕ってくれる人だ」

「あぁ…お願いします」


 好意的に現れたのは二卵性双生児の男女。服飾人としての腕前はギルドのお墨付きだ。魔力を持たない彼女達を口説き落とすのに十ヶ月も掛かったとか掛かってないとか。

 ウィリアムに促された少女はおずおずと部屋の中へ入っていった。



「無類なき我が力、堪能したご感想は?」

「はぁ……すごかった」

「髪が傷めば心も痛む。これからはケアも忘れちゃダーメ」

「わ、かりました」

「「では、またのご利用を」」

「はぁ……すごかった……」


「終わった?開けていい?」

「ウィリアム様!どうぞ。……どうでしょうか?私は初めての着心地で驚いて…ウィリアム様?」


 怒涛、それでいて繊細な手先に弄られ少女の体は見る見る内に艶が増し、傷んだ髪は麗しく整えられた。双子の服飾人は自分等の仕事を完璧に熟し、去って行った。まるで一陣の風に吹かれた気分だが、突風にしては随分好い香りがした。

 廊下で双子の服飾人を見送ったウィリアムは早速、少女の様子を確認したく思い声を掛けた。


 少女は見窄みすぼらしい貫頭衣から一変、年頃のうら乙女と大差ない身形に包まれていた。暖色系を基調とした一輪の花は所々にあしらわれた緑黄色の葉によって、派手過ぎず目立ち過ぎずの調整が為されていた。


「…君の瞳の色、真っ白で僕の好きなサンザシみたいだ」

「…っウィリアム様の瞳の純度に比べたら私なんて。白いままでいられたら良かったのに…」

「?…それって」


 ウィリアムの目を奪ったのは消え入りそうな透明色。前髪に隠れて見えなかった少女の瞳は真白の花の様で、鶸色の瞳が思わぬところで見張った。

 裏表のない純心を向けられた少女は気恥ずかしさで目を伏せ、次第に曇り始めた。何か気に障る事でも言ってしまったのか、少女の変化に戸惑うウィリアムは口を半開きし謝罪の意思を伝えようとした。


「お時間です」

「ヒマリさん!あっ…と、お疲れ様です」

「…魔法師の登録手続きの準備が整いましたので此方へどうぞ」

「私が、ですか?」

「君を守る為の組織だよ。僕達には助け合える場所が必要だ」

「……分かりました。手続きお願いします!」


 何処からともなく現れたヒマリは塵一つ落とさず、己の仕事を淡々と熟す。数時間前まで道具同然の扱いを受け、世間と隔離された生活をしていた自分がいきなり魔法師手続きなど性急では無いかと不安感を募らせウィリアムを見上げた。

 魔法師と言うよりは魔力を持つ者同士のコミュニティに仲間入りすると考えた方が良いと言われ、ホッと安堵の溜息を漏らした。ウィリアムが言うのなら少女は安心出来る。


「この先の道は決まってる?」

「この先……故郷に帰りたいです。昔、領主様が話しているのを聞きました。私の故郷は"アッシュの村"と言うそうです」

「アッシュの村……初耳だ」

「とても小さな村らしいので、地図にも乗ってないと思います。故郷を探して、みたいです」

「君なら辿り着けるよ。陰ながら応援するから!それじゃあ僕はここまでだね」

「そ、うですね。色々とありがとうございました」


 少女の真名は落とされた。彼女が唯一記憶しているのは故郷アッシュの村。旅慣れしたウィリアムでも聞かぬ名とは余程田舎被れの村と見える。少女は魔法師となり目的も出来た。節介も此処迄だと、合わせていた目線を外し彼は去ろうとした。何も間違った選択は取っていないのだが、少女はいじらしくも端切れが悪くなる。命の恩人が去るのは心細く、寂しい。それだけだ。


「なりません」

「へっ?」

「当主様より言伝を預かっております」

「嫌な予感……」

「暫しの間アッシュの少女と共に行動されたし。とのこと」

「あの人は過保護なんだよなぁ…彼女の気持ちも考えずに自由過ぎるよ。断っても良いからね!?」

「…、……私の為にウィリアム様の自由が妨げられるのなら身を引きます…当然の話です」

「いたいけな少女を一人、野に放つのですか。お可哀そうに」

「ヒマリさん……!妙なノリになってきたぞ」

「お手を煩わせる訳には…いきません」

「魔法師の事は魔法師が誰よりもお解りでしょう?…ギルドよりもずっと、ずっと」

「うぅ〜…」


 少女の左手を持ち上げ透明ボードと睨み合いを続けていたヒマリが、不意に顔を上げた。顔見せぬ不調子の当主の言葉はヒマリは勿論の事、ウィリアムも強く反発など出来やしない。

 当主との関係はさておき。押しのヒマリ、引きの少女、図らずも対比が完成され逃走経路を塞がれたウィリアムは遂に答えを出した。


「わっかりました!君の故郷に着くまで旅のお供をさせて頂くよ。一人旅は慣れていないと危ないもんね」

「すみません…何だか強制する形となってしまって」

「気にしないで。あ、ヒマリさんは気にしてください」

「当主様にお伝えしておきます」


______________________

________

 その後、魔法師の詳細を教えたり少女の背丈に沿った外套を選んだり食事を挟んだり、結局身支度を整えていたら出立は翌日に回ってしまった。


「短い間…宜しくお願いしますウィリアム様」

「その…様付けって取れないやつ?口調もさ、もっと気軽で良いって言うか……むず痒いなぁなんて」

「……然し、ウィリアム様は命の恩人ですから。…それに私に与えられたのは僅かな食事と機嫌を損ねない話し言葉です。…すみません」

「あぁと気にしないでね!?ただ、僕は君の思うような出来た人間じゃないって言いたかったんだ。少しずつで良いからね?」

「…はいっ」


 心地良い風が頬を撫でる午前の空。途中で捕まえた馬車に乗り、ウィリアムと少女はユラユラ揺れる。

 地方都市を抜けた馬車は長閑な空気を纏い何処へ行くのだろう。地図に乗らない小さな村は何処まで行けば辿り着けるのだろう。


 余りの心地良さに居心地が悪くなった少女は、真白の瞳を離れゆく都市からウィリアムへ移し、左手のギルド紋章へと代わる代わる移し変えた。


「あの、訊いても良いですか?」

「ん?」

「ウィリアム様は何時から魔法師として旅を?」

「んー…8年前、丁度ギルド創設の頃だったかな」

「!そんなに前から……一人旅を続けているのですか?」

「…あの日見上げた月まで歩きたいと思ったんだ。でも月には行けないからさ、せめて届くまで旅がしたいんだ。魔法師は寧ろ序でなんだ」

「月まで……。途方もない時間ですね…私には想像も付きません」

「僕も想像付かないよ。今まで何歩歩いたかも分からないし、後どのくらい歩けば良いのかも分からない。それでも歩きたい」

(ウィリアム様の、見えない月を見上げる横顔が何故だかとても不安で、寂しくて……)


 ウィリアムは現在16歳。8年前と言う事は8歳の頃に魔法師として旅立った事になる。少女に与えられた常識は雀の涙ほどだが年端も行かぬ子供が旅立つ非常識さは弁えているつもりだ。

 月までを闊歩したいと語るウィリアムは曖昧に微笑んで見せて、枠区切りの青空を見上げた。彼には見えない月が見えているだろう。同じように見上げても少女には見えないと言うのに。


 少女は途方もない距離を月夜ではなく、ウィリアムに感じ人知れず笑みを零した。


「あ、着いたみたい。降りようか」

「……はい。降りましょう」


 カタンッと荷馬車が止まる。一仕事終えた馬が馭者に振り返り短く鳴いたのを合図に、ウィリアムが先に降り少女の手を引く。枠区切りの無い空は何時までも晴れ渡っていた。



「此処はシルフローレット。魔法師の仕事、見てみる?」

「興味があります」

「あー!ウィリアム来た!」

「久し振りモイ。大きくなったね」

「うん。穀潰しだからな!」

「使いどころ間違ってるよー」

「ウィリアムは……」

「は、初めまして……」

「げっ女連れてる!?」

「言い方ー」

「お前名前は!?」

「えっと…名前は……?」

「それより僕が来たって事、伝えてきてくれる?」

「任せとけ!」


 降り立った此処はシルフローレット。街のシンボルである巨大な風車が出迎えの風を送る。都市部から離れている事もあり、長閑な田舎風景が地平線まで続いていた。


 伸び伸びと風を浴びるウィリアムの元に一人の少年が駆け付け、人懐っこい笑顔と共に親しげに話し掛けた。旧知の仲らしい二人の会話を邪魔しない為、一歩離れた位置で待機していた少女は唐突な質問に言葉を詰まらせた。

 どうしたものかと悩む時間は十秒に満たず。少しばかり眉間に皺を寄せたウィリアムが少女を庇うように間に割って入ったからだ。また助けられたと心の中で礼を言う。言葉にしてしまえばきっと受け取ってもらえないから。


「ウィリアムちゃんお久〜」

「法師様ご無沙汰です」

「あらあら今日は可愛らしいお嬢ちゃんを連れてるね〜。早速で悪いんだけどまた何時ものお願いよ!」

「報酬金は此方に」

「後で受け取ります!じゃ行こうか」


 少年に付いて行った先でウィリアムと少女を歓迎したのは二人の女性だった。一人はふくよかな壮年女性でもう一人は細身の青年女性。彼女達が今回の依頼人で、口振りから察するに依頼を出すのは一度や二度では無いと見える。

 二人は常に単独のウィリアムの後ろからひょこっと現れた少女に驚くも、先程の少年と違い華麗に受け流した。適度な距離感に安堵を覚えた少女はコテンとお辞儀し早足に退室した。


「シルフローレットは風の精霊シルフを守護とした風の街と呼ばれていて、その恩恵を受けているんだ。けど毎年特定の時期に風が強まって恩恵どころの風速ではなくなる…。そこで僕みたいな魔法師が来て対処するんだ。……来た来た、後ろに居てね」

「わわっ…風が、!?」


 風の街シルフローレット。精霊シルフを守護とした街で様々な恩恵に与っているが毎年三月の事、恩恵を超過した風が街に被害を齎す。別名シルフの風邪と呼ばれる現象は年を追うごとに強まっているが現在でも原因は解明されていない。


 長々と説明している内に頬を撫でた風が頬を切裂こうと風脚を増していき、少女はウィリアムの背に隠れた。一秒ごとにカザグルマを攫う勢いの風発を物ともせず、片袖をたくし上げた。


「〈コレクション・印〉――!」

「これがウィリアム様の能力…!!」

「コレクション。物の出し入れに便利、だよね」

「とっても素敵です。ウィリアム様のコレクションはまるで宝箱ですねっ」

「!宝箱…」

「ウィリアム様!?前、か、風が!?」

「ーおっと〈コレクション・印〉」


 ウィリアムの魔力は特定の物を亜空間に閉じ込め解放、又は消去を行う能力。目には見えないシルフの風邪すらも一瞬の内に飲み込む力を、ウィリアムは少し困った顔でニヒルに笑った。

 靡く薄紅色の髪を押さえ、少女は目の前の現象をキラキラと宝箱だと称した。純心な想いがウィリアムの困り顔を崩し、心音を高鳴らせた。


 返答に困り、真白の瞳をマジマジ見つめていた彼は焦りを含んだ瞳孔の揺らぎにハッとし、少女から目を離す。シルフの風邪は一度では治まらない。


(宝箱、宝箱かぁ……宝箱は汚しちゃいけないよね……綺麗なままが良かったな)

(笑ってる…?何だかとても楽しそう……)


 余程嬉しかったのか、風間に途切れるウィリアムは口元に弧を描いていた。見えない月を見上げる表情より幾分か楽しそうで、僅かに感じる切なさは気のせいだと思うに留まった。


「これを2週間」

「えっ」

「月終わりまで」

「あの……そうですか」


 少女は戸惑った。永続的なものでは無いにしても2週間魔力を使い続けるなど正気の沙汰とは思えない。倒れてしまわないか心配になる反面、笑顔の彼を信頼しようと思考し曖昧に返事をした。


「大丈夫。君の故郷も探すよ」

「はいっ…ありがとうございます」


 その後、茜色の空が欠伸を誘う頃までウィリアムのコレクションは続き、夜は風は大人しいからと半ば強制的に夕食に誘われウィリアムと少女は一日の疲れを癒やした。


「実は僕達アッシュの村を探しているんです。何か心当たりありますか?」

「法師様でも解らないのなら私が出る幕はありません。力添えになれず、すみません」

「そんな謝らないでください!」

「い、急いでいないので……大丈夫です」

「俺、知ってるよ」

「モイ!?それ本当?」

「知ってる人を知ってるから、知ってる」

「つまり?」

「オジさんのとこ行けば分かるぜ」

「そうだね。此処から北西方面のオレンジ屋根に住むお爺さんは博識で、何か知ってるかも知れません」


 満腹感を味わい、ホクホク顔の少女に笑みを溢したウィリアムは早速本題へ入る。本来は自分が訊かねばならない場面にハッとした少女が恥ずかしげに立ち上がった時、村の少年が元気よく答えを出した。

 少年の保護者が言わんとしている事を上手く噛み砕き、北西に視線を移す。釣られて見ると確かにオレンジ屋根の住宅が高台に建っていた。


「オジさん10時間以上寝るから明日行けば?」

「でも昼間は行けないしなぁ」

「……私、一人で行ってきます」

「…平気?」

「この街は法師様方に助けられて存在していますから何も起こりませんよ」

「ウィリアムちゃんもそっちのお嬢ちゃんも何時ものように特別料金の宿もあるから2週間ゆっくり過ごしてね!」

(皆様とても優しい……!)

(僕は休めないけど……)


 平気な振りして青い顔する少女を放ってはおけない。魔力持ちだと判ると罵倒を投げ付ける人間も居るとウィリアムも少女も知っているが、シルフローレットには居ないと住人が笑って証明してくれた。これならば安心だ。

____________________

 シルフの風邪を捌くウィリアムを眺めつつ少女は大きく一歩踏み出した。オレンジ屋根のドアノッカーを三回叩き、声を掛ける。


「あの…すみません!」

「開いてる。入ってて」


 覚悟は決めても、いざ返事が来ると萎縮し胸が張り裂けそうに高鳴る。過去最高に緊張していると体に教えられ、少女は喉を鳴らし鍵無しの家に入った。


「初めまして、ウィリアム様の旅に同行してます。新人の魔法師です。今日は」

「あ〜知ってる聞いた。そこにある本棚適当に弄っていいから調べてて」

「……あの、文字は上手く読めなくて…その」

「ん……そうか。じゃあそこ座って待ってて」

「はい」

「そんでアッシュの村探してんだっけ」

「私の故郷らしくて、……帰りたいと思ったんです」

「……そうか」


 何度も心の中で反芻した挨拶を華麗に躱され、背中を向けたままのオジさんは本棚を指差す。作業に没頭中の彼に拍子抜けした少女は一度解いた緊張を再び蘇らせる。自分は文字が読めないのだ。正確に言えば多少は読めるが読み方を習えなかった所為で、躓いてしまう。

 いっとう小さく欠点を打ち明けるとオジさんは、作業の手を止め何も聞かずに此方を振り返った。


「ん?んん、お前さん吸血するのか?」

「っえ…!?私の能力をどうして…」

「おおっと怖がらせるつもりは無かったんだ。ごめんよ。オラはそう言う能力なのさ」

「オジ様も魔力を……っ!?」

「内緒ね。秘密だ」


 振り返るなりいきなり顔を近付けてモノクルを乱暴に外す。歳上の異性に不用意に接近された事実と自らの能力を当てられた事実とが重なり、少女の表情は一気に曇った。警戒するように両手を胸元に突き出し離れると、オジさんは申し訳無さそうに身振り手振りで潔白を証明する。

 他人の能力を知る能力者とは随分偏屈な魔力もあるもんだ。


「そんでアッシュの村ね、この辺に古い地図があったはず。ほれ見つかった」

「地図に乗っているのですか?」

「古い地図ならな。あとは古い詩集とか、旅日記とか本は集めておくに損はない。お前さんも沢山読めるようになれ」

「はぁ…頑張ります」

「ええーとと、あったアッシュの村、此処から結構遠いな。それとと、どうやら最新の地図に乗ってないのは廃村になったからだな」

「廃村…!それじゃあ村は何もかも残ってはいないのでしょうか?」

「そんなことはねぇよ。ココに書いてある。"灰被りの村が今も尚、時を忘れている"とな。地図の位置関係も一致してる。灰被りがアッシュの村で間違いないと」


 オジさんは埃被った地図を数枚引っ張り出して机に並べた。少女を手招きして、右から古い順だと説明し文献をパラパラ捲る。手際の良さに感謝し懐かしさすら感じる埃を丁寧に退かしてアッシュの村が記載された地図を持ち上げた。

 無意識にニコニコ弧を描いた唇は十秒もしない内に曇る事になる。


 "廃村を見付けた。人気の無い村は灰被りの村であった。灰色の村は廃色の世界、まるで時が止まった様に灰に覆われ針が回らない。"

 誰かが記した日記がアッシュの村を色付ける。一介の旅人であれば、廃村に用は無いだろう。次の頁は全く違った噺が記されているのがその証拠だ。


「オジ様、この地図頂いても、…?」

「良い良い。持っていき。こう言うのはね予備が揃ってるから」

「感謝します。……私、必ず故郷を見付けます。見付けたら必ず伝えに来ます…!」

「頑張りなー」


 初めて知ったアッシュの村の現状。それらを記録した旅日記と古地図を受け取り、少女は律儀に頭を下げた。

 薄茶色の髭を擦りながらオジさんは少女を見送る。その先の旅路までも。

______________________


「と、言う訳です」

「灰被りの村、…か」

「……此処から遠そうですか?」

「うん。だいぶね。ゆっくり行こうか」

「はい。ゆっくりと」


 本日分のコレクションを終えたウィリアムの元に一報を届ける。故郷を探す旅に出たは良いが遠くの廃村にまで付き合わせるのは流石に気心の知れた相手とて躊躇う。

 にも関わらず、ウィリアムは笑って一緒に行こうと言う。彼の優しさにまた甘えてしまったと静かに瞳を揺らす少女であった。


 それから約2週間、シルフローレットで依頼を熟し、迎えた出立の時。


「報酬金です。2週間ありがとうございました」

「また依頼の時以外でも来てね。うんと歓迎するよ!」

「次会った時はもっと逞しくなってるからな」

「此方こそです。それではまた……」

「皆様、失礼します」


 報酬金をきっちり頂き、ウィリアムと少女は笑顔で別れを告げた。魔法師達に寛容な彼女等と別れるのは少しばかり惜しいが、アッシュの村まで行くには時間が掛かる。次の街へ旅立とう。

 3月の風が終わり、次は4月となる。


______________________

____________

 二人が旅立った三日後。とある人物達がシルフローレットに立ち寄った。


「残念!入れ替わりだったね。ウィリアムちゃん達は三日前に行っちゃったよ」

「そんな、…!?」

「だから間に合わないと言ったのに」


 一人は黒髪長髪の男性。もう一人は金髪目隠れの男性。何方も体格的には成人していても可笑しくはない。彼等は、ウィリアムを追っていたようだが?


「こうなったら先回りだ!」

「ウィリアム、アッシュの村に行くってよ」

「フッ。知ってるよ」

「先回りと言っても一本道じゃない。何処に向かうか分かってる?……ルワード」

「リル。……虱潰しだ」

「そう来ると思っていた」


 黒髪をルワード。金髪をリルと言う。人懐っこい笑みを浮かべるルワードはウィリアム達がアッシュの村に行く事を知っている風な口振りで伸び伸びと風を浴びた。

______________________


「うっ!?」

「ウィリアム様……どうかされました?」

「いや、ちょっと肝が冷えたと言うか何と言うか…あははっ」


 シルフローレットの残り風が小道を撫でる心地良い天気の下、ウィリアムが唐突に立ち止まりビクリと体を震わせた。狼の遠吠えを聞いた子供のような怯え方に少女は胸騒ぎを覚えるが、彼は誤魔化すばかりで要領を得ない。


(まさか……ね)


 隠した冷や汗を袖口で拭って、再び歩を進める。若干足早に。

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