【07】レイヴン
目が覚めたら、知らない部屋だった。
目の前に迫った凹凸のある漆喰壁をぼうっと眺めていると、朝の光と空気が覚醒を促してくる。
こんな壁の間際で眠っていたのなんて初めてだと新鮮な気分になりながら、私は体を起こそうと力を入れ――自分が何かを大事そうに抱えていることに気づいた。
「……んー?」
まだ寝起きのぼんやりとした頭で、いったいこれは何なのかを考える。
そういえば、少し体が重くて暑い。壁に向かって横向きで眠る体の上に、何かが載っているような感覚。
背後から私の腹部へ向けて回り込むように伸びているのは、筋肉がほどよくついたしなやかな人間の腕。
よく見れば、私が枕にしているものだって同様のものだ。固くて温かい腕の先には、私のものより大きな手がついている。
女の細腕の見本とでも呼ぶような、私の頼りない腕とは大違いだ。
つまり、これは、男性の腕だと思われるわけで――。
「――――き、ッ!?!!!!!?!?!!!?」
思わず悲鳴をあげたが、体の上から回り込んでいた側の腕が、私の口を素早く覆う。
甲高い声は低いくぐもった音に変わり、爽やかな朝の空気を切り裂くことは寸前で阻止された。
「……おはようジャスティーナ嬢。朝から悲鳴はやめてくれ……頭に響くから……」
「あ……ごめんなさい……って、そういう問題じゃないわ! ここはどこで貴方は誰!?」
「ここは帝都郊外にあるケイロン王国の在外公館で俺はジャック」
「そ、そう……貴方はジャックさんね。とりあえず離してちょうだい、起きるわ」
何かを誤魔化された様子もなく、私の質問はあっさりと回答を得る。
あまりに無防備で気の抜けた声色も相まって、私は一気に毒気を抜かれてしまった。
とはいえ、既に私の名前を知られている以上、善意の一般人というわけではないだろう。
そもそも、私はこの声に聞き覚えがある。
「ああでも、俺のことはレイヴンって呼んで。ジャックは他にもケイロンにたくさんいるから……」
「レイヴン? どうして……」
体の上に載っている腕の力が緩んだ隙に体を起こし、背後を振り返る。
今、私が居るのは、狭い部屋の隅に置かれた狭いベッドの上。
私の背後にいたのは、ウトウトとしている大柄な黒髪の男。
眠気で今にも閉じてしまいそうな瞳も、よく見れば暗い色をしている。
――なるほど。大鴉とは、言いえて妙だ。
「それじゃあレイヴンさん、貴方は何者なの? 私のことを知ってるみたいだけど……」
「俺はケイロンの上級外交官で、殺人事件の現場に倒れていた君を保護したんだ」
「……ケイロン王国側は、そういうことにしたいのね」
「流石は本国中央の誉れたるアストライア公爵家の聡明なご令嬢。理解が早くて助かるよ」
私が抜け出し、置き場を失った彼の手がひらひらと舞う。
この程度のことでこんな褒め方をされるとは、腹が立つほどにまっすぐな皮肉である。
私が本当に“聡明なご令嬢”だったら、あんな時間にあの場所へ行くことはなかった。
そして、やはりレイヴンは昨夜私に刃物らしきものを突きつけてきた男だ。
そんな物騒な男に、無防備な状態で捕えられていたのだ。
……そうだ、彼は私を問答無用で眠らせることが出来るほどの実力者。
私に眠りの魔法を掛けられるということは、レイヴンの魔力は私より強いということになる。
精神魔法系は、使いこなすための難易度が高い魔法系である。
私も勉強と訓練に相応の努力をしてきたが、レイヴンが私以上の使い手であることはもう理解した。
たとえば、私が彼に睡眠魔法を仕掛けようとしても、高い確率で弾かれるだろう。
警戒のため、無意識に体がこわばる。
状況が不明なままであることもあり、私は内心の苛立ちを隠すことなく眉をしかめた。
「……とりあえず、手伝いを呼んでくるから着替えなよ。そうしたら俺はもう少し寝る。流石に二徹はきつくて」
ずっとウトウトとしていたレイヴンは欠伸混じりの言葉を紡ぎながら、のっそりと上半身を起こした。
彼のシャツのボタンは外れていて、女のものとはまったく違う胸や腹が丸見えである。
男性の半裸を間近で凝視してしまったことに硬直した後、遅れて彼の言葉を理解した私は、思わず視線を落として自分の姿を確認する。
サマーパーティーのために誂えたドレスは脱がされ、コルセットもストッキングもグローブも身に着けていない。
つまり、昨夜の格好から締め付けのないものだけを残した――紛うことなき下着姿である。
「――――きっ、きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
今度は悲鳴を阻止されることなく、私の叫び声はきっとこのフロア中に響き渡った。
ちなみに、レイヴンの下半身はきっちりと下衣を着用していた。
その事実でこの間違った状況が正しくなるわけでもないのだが、私の大切なものが最低限と少しくらいは守られたのだ。
……多分。