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探偵はふたりいる  作者: 篠崎京一郎


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2.はじめてのおしごと

 都道を走るマセラティの助手席。

 右手の爪先で一本の煙草をフリフリと揺らしながら、俺はぽつりと呟いた。


「結局どこなら吸えるんだよ、これ」

 煙草の火は消えている。いや厳密には消された、と表現した方が正しいか。真っ黒に潰れた先端からは、既に煙は上がっていなかった。


 俺は頭に出来上がった巨大なタンコブを撫でつつ、なおも続ける。


喫茶店(サ店)は禁煙だし、路上の喫煙所も消えてるし、コンビニも灰皿置いてねぇし、車内で吸おうとしたらブン殴られるし」

「そりゃキレるでしょう。新車ですよコレ」

「悪かったよ。つい収監前の感覚で」

 三年前も車内喫煙の文化はだいぶ廃れていたでしょう、と探偵は青筋を立てながら吐き捨てる。どうやら相当お怒りらしい。


「マセラティが左ハンドルで良かったです。体を捻らずとも右ストレートがぶち込める」

「ライターの点火とほぼ同時にパンチ打ってきてたよな、お前」

 ボヤきつつ、俺は手に持った煙草をとりあえずソフトパックへとしまい込む。吸いかけを新品の中に戻すのというのはかなり抵抗のある話だが、しかしこのまま灰でも落とそうものならいよいよ片道四車線の路上へと蹴り落とされかねない。そのまま胸ポケットへと収め、俺はなんとか話題を変えるべく口を開いた。


「で、コレどこに向かってんの」

「私の事務所ですよ。三時から来客がありまして」

 打って変わって、途端に楽しそうな声色で彼は答える。来客、と繰り返した俺の言葉に、探偵は続けた。


「ええ。貴方にとっては初仕事です」

「……マジかよ、いきなりすぎるだろ」

 普通、仕事の初日というとコピーのやり方とか機材の配置を教えてもらうとか、そういう初歩的な所からスタートするものではないのだろうか。

 いや、そういえばOJTなる文化が三年前にもまことしやかに語られていたような記憶がぼんやりとある。いわゆる『習うより慣れろ』というやつで、聴こえはいいが要は新人を竹槍一本持たせていきなり前線へ立たせる都合のいい口実というやつだ。


「人足りてないとか言ってたもんな、お前」

「え? ……あぁ、そんなこともありましたっけ。ま、いずれにせよ今となっては解消しましたが」

 とぼけたのか素なのか、彼は首を傾げながら適当な相槌を打つ。探偵はそのままヘッタクソな鼻歌と共に、より一層強くアクセルを踏み込んだ。


 **


 ややあって、探偵事務所の駐車場。

 その向かいにそびえ立つ服部探偵事務所の建物は、相変わらずミスったテ〇リスみたいな姿と色合いで周囲の高級住宅街に全く溶け込むことなく異彩を放っていた。

 真っ黒のマセラティから颯爽と降り立ちながら、探偵はぽつりと呟く。


「おや」

「どうした」

「多分、もう客人がいらっしゃってますね。まだ2時半にもなっておりませんが」

「おぉん、マジか」

 探偵の言葉に俺も目をこらすと、テト〇スのL字ミノみたいな玄関口に確かに人影が見える。その人影も同時にこちらの存在に気付いたようで、シルエットは小さく沈みこんだ。多分頭を下げたのだろう。


「行きましょうか。コレ、使ってください」

「何だコレ……って名刺か」

 玄関へと早足で歩きながら、探偵は背後の俺へとノールックで小さな箱を放り投げる。俺も彼の後ろを追いつつ両手でキャッチすると、スライド式に開いたその箱の中には『服部探偵事務所 島村幸次郎』とデカデカと書かれた紙束が入っていた。他には住所も電話番号も記載のない、随分殺風景なものである。


「どうも。お待たせしてしまったようですみません、服部探偵事務所の服部です。お会いするのは初めてですね」

 言いながら、彼も慣れた手つきで懐から一枚の名刺を取り出す。俺の簡素なソレとは違い、彼の名刺は黒台紙に金の箔押しと随分と豪奢なものであった。


「……」

 客人もその名刺を見て凍りつく。

 無理もない、初手からいきなり激昂ラージャンみたいな色合いの名刺が出てきたらそりゃフリーズするだろう。ホストクラブじゃねえんだぞ、と喉元まで出かかったツッコミを必死に飲み込んで、場の空気を流すべく続けて名刺を取り出した。


「お世話になります、服部探偵事務所の島村です」

「あ、ええ。お世話になります。先日ご連絡させていただきました、黛香代子(まゆずみかよこ)と申します」

 そう名乗った客人は紫のコートに身を包んだ、妙齢のマダムであった。

 代官山とかに住んでそうな、いわゆる絵に書いたザ・金持ちの風貌である。同じ属性の知り合いだと天海夫人が思い出されるが、スラッとしていた彼女とは違って彼女は体型も随分と豊満であった。


「黛さん、立ち話はなんですし応接へ」

「ありがとうございます、失礼します」

 ガラス扉を開けながらの探偵の促しに、マダムはコクリと頷いて従う。俺もそれに続き、彼女の後ろにくっつく形で事務所の中へと足を踏み入れた。


「黛さんはそちらのソファへどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「私はお茶を用意してきますので島村さん、先に黛さんのお話を」

「えっ」

 思いがけないタイミングでのキラーパスに、俺は驚いて上擦った声を出す。が、探偵はむしろ当然と言わんばかりにこちらに視線を向けた。


「島村さん、貴方はもう立派なウチの従業員ですよ。よろしくお願いします」

「……すみません」

 想像以上に言外の圧が強く、俺は思わず謝罪を口にする。まぁ、確かに探偵の言うことも一理あるか。いや労働契約書も何もまだ交わしていないのに責任があるのかは疑問の余地が残るが、しかし今のこの場で雇い主に歯向かう気力はない。


 従って、俺はペチンと頬を叩いて一発気合いを入れた後、マダムの向かいにゆっくりと腰掛けた。


「すみません段取りが悪くて。改めまして、島村と申します」

「いえ……あの、島村さんは新人さんなんでしょうか」

 先のやり取りから察したのだろう。黛さんは俺にそう尋ねた。その疑問は不信感というより、単純なアイスブレイクの一環としての質問だったのだろう。だからこそ俺は、若干の誤魔化しを混ぜて返答する。


「えぇ、まぁ。最近ここで働き始めたばかりです」

 具体的には三十分前にですけどね、と心の中で補足しながら俺はにこやかな営業スマイルを送る。前職の春日商事では営業職の経験こそ無かったが、今は亡きパワハラクソ社長のお陰で外面だけは中々のクオリティを身につけることが出来ていた。


「へぇ、そうなんですね。前職は何をしていらっしゃったんですか? やはり警察官とか?」

「うぐっ……」

「?」

 前言撤回、完璧なつもりだった営業スマイルは、ものの五秒で大きなヒビが入る。

 いや、言われてみれば割と普通の疑問である。転職して探偵になった、なんて言われたら俺でも前職は気になるだろう。これに関しては警察官と真逆のことをしていた俺サイドに問題がある。


「いや、あの……実は海外にいまして」

「海外?」

 我ながら大きく出たものである。黛さんも眉をひそめ、意外な発言に若干(いぶか)しむような表情を見せる。が、これには俺なりの考えもあった。


 ――どうせこの調子だと、三年前から世間の知識が止まっていることに関しても後々ボロを出しかねない……ならば、だ。先手を打って言い訳を用意しておこう、という考えである。


 厳密に言えば海の外というか塀の中だが、まぁ日本から隔絶されたという意味では似たようなもんである。四捨五入したら同じだろ、と半ばヤケになりながら俺は続けた。


「えぇ……あるアジアの国に三年ほど」

「まぁ。そこでは何を?」

「あの……そうですね。家具とか、作ってました」

 あとは割り箸を袋に詰めたりとか、溶接作業したりとか。苦し紛れの回答は、しかしどうやら目前の彼女を満足させるものではあったらしい。黛さんは目を丸くしながら、手をぱちぱちと叩いていた。


「それはそれは。素敵ですわね」

「ハハ……どうも」

「お待たせしました。お茶が入りましたよ」

 微妙に壁のある空気に耐えきれなくなったか、それともはたまた偶然か。探偵が紅茶を載せたお盆を片手に、俺の背後から颯爽と現れる。そして素早く全員の前にティーカップを置くと、自分の紅茶に大量の砂糖をぶち込みながら口を開いた。


「それで、黛さん」

「は、はい」

 七個。この短いやり取りの間に、探偵が入れた角砂糖の数である。俺も彼女も、目線は完全に彼のティーカップへと移っていた。


「ええと……ご要件はなんでしたっけ。改めてお聞かせいただいても?」

「は、はい」

 探偵の言葉に、やや緊張したように黛さんの背筋が伸びる。そうして見るからに高級そうなブランドバッグから、彼女は一枚の写真を取り出して机上に置いた。


「黛昭一郎(しょういちろう)。私の主人です」

 そこに映っていたのは、一人の中年のポラロイド写真であった。

 おそらくは何かの旅行へ行った時の一枚だろう。満開の桜の下で、その男はポーズを取ることもなく直立不動でこちらを見ていた。


「年齢は46歳で、文京区にある保険会社の営業部長です。今日は彼の――」

 写真に置かれた二本指に、少し力が篭もる。ポラロイド紙が、くしゃりと音を立てた。


「浮気調査を、依頼しに来ました」

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