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Prologue from S.K

 驚愕。

 まずその感情が先に来て、それから数秒遅れて困惑がやってくる。理解できない状況に、俺は思わず拳を握り締めていた。


 目は確かに見えている。

 だが焦点が合っていない。いや、合わない。

 全神経が脳と耳にだけ集まり、まるで俺は喫茶店の椅子に座ったまま、ぷかぷかと宙に浮いているかのような不思議な感覚に包まれていた。


「久しいね、島村」

「……説明してくれ」

 乾ききった口内を、それでもなんとか動かす。全身から嫌な汗が噴き出し、シャツがべったりと俺の背に張り付いていた。


「おい、どういうことだ。説明してくれ」

「その様子だと探偵さんからは何も聞いていないのかい? なら、どこから話そうね」

 まるで歌うような楽しそうな声で、彼は電話越しに答える。だが明らかに俺の反応を楽しんでいるその態度が、かえって俺を少しずつ冷静にさせた。


「お前、捕まったんだよな」

「うん。君にトリックを暴かれて、キッチリ逮捕されたよ。強盗殺人容疑でね」

「……」

 現実的ではないことは理解しつつも、今の非現実的な状況に合理性を与えるひとつの可能性が脳裏をよぎる。だが、それを尋ねるべきか逡巡している間に彼は言葉を続けた。


「もしかして、僕が脱獄したと思ってる?」

「……今ちょうど、それを訊くか迷ってた」

「勘弁してよ、僕をなんだと思ってるの。ちゃんと今も拘置所だよ」

 拘置所、と俺も繰り返す。

 刑務所ではなく、拘置所。いわゆる刑の執行前に拘置される場所である。通常は刑事裁判が確定していない被疑者が送られる場であるが、彼の場合は事件から三年が既に経過している。つまり、だ。


「――死刑か?」

「ご名答。ま、五人殺した強盗殺人犯には妥当な判決だよね」

 あっけらかんと彼は答える。それが俺の混乱を期待してのものであることは明白だったが、今はかえってその態度が俺を冷静にさせていた。


「まさか、執行前のお別れの電話とかじゃないだろうな」

「なわけないだろ、本当に僕をなんだと思ってるんだ。拘置所の看守さんから特別に許可をもらって、君に電話をかけているだけだよ」

「……いや、だったらだったでちゃんと説明してくれ。なんの連絡だ」

「ごめんごめん、そうだよね。うーんと……島村さあ」

「なんだよ」

「いや、ね。怒らないで欲しいんだけども」

 途端、桜木は歯切れが悪くなる。

 そんな態度に俺はだんだんと苛立ちを感じつつ、あえてそれを隠さずに急かした。


 数秒後、それを後悔するとも知らずに。


「……もし、三年前の事件。あれが冤罪だと言ったら――君はどう思う?」


 **


「勘違いして欲しくないんだけれども、君の推理は合っていたよ」

 桜木は、目を見開いたまま絶句し、完全に硬直しきった俺をよそに続けた。


「あの日、僕はたしかにアリバイトリックを活用して拳銃を盗み出し、春日商事へと向かった。その場にいる人間を撃ち殺して、現金を盗むためにね」

 けれど。

 彼は逆説の句と共に、淡々と続ける。


「けれど、信じられないことかもしれないけどね。僕が着いた時には、春日商事の人間はみんな殺されていたんだ。金庫も開いた状態で、まるで僕がやろうとしたことを先回りされたようにね」

「……」

「僕の目的は君に謎を提供することだったから、正直なところ犯行の実行についてはどっちでも良かったんだ。実際、だから僕はその状況で金庫のお金を盗んだし、今も君の推理についても異論を唱えるつもりは無い。少なくともそうする意思があったことは事実だし……正直、強盗殺人の罪を着せられようがどうでもよかったんだ。バレるつもりもなかったしね」

「……っ」

 まるでいたずらの自白のように、彼はどこか楽しげに語る。

 一方の俺は思わず何か言い出しそうになる口を脳ミソだけは冷静に宥めつつ、彼の言葉を必死に咀嚼(そしゃく)しようとし続ける。目前の探偵が何か言った気がしたが、俺の耳はうまく言葉を拾えなかった。


「ただね、この前探偵さんと面会した際に聞いたんだけれど。君は出所したら、探偵さんの助手をやるそうじゃないか」

「……やるとは言ってねえ」

「だと思ったよ。探偵さんは決定事項のように言ってたけれど……多分君のことだ。察するに犯罪者が探偵の助手なんて許されない、とか律儀なことを考えているんだろう?」

 見透かしたような桜木の言葉に、俺は俯く。

 正解である。罪を犯しそれを隠した人間が、他人の秘密を暴く仕事になど就いて良いはずが無い。


 少なくとも、先程の探偵との推理ごっこの時までは。もしも本当に彼が俺を助手として指名する気であるのなら、俺は桜木が言った言葉そっくりそのままの理由で、即座に断る気であった。


 すっかり掠れきった声で、俺は答える。


「……実際、そうだろ」

「そんなことだろうと思ったよ。でも僕はね、君は探偵業に向いていると思うんだ。この際助手なんかじゃなくて、立派に探偵として活動して欲しいと思っている」

「知らねえよ、そんなこと」

「あぁ、僕も説得するつもりはないんだ。君は案外正義感が強いし、何より頑固だからね……だから、()()()()()()()()()()状況になってもらおうと思って」

 その言葉と同時に、モヤがかかっていた視界が一気に明るくなる。カルボナーラとニョッキは、すっかり冷めきってしまっていた。


 数度泳いだ俺の視線は、やがて探偵へと向かう。

 探偵もまた、俺の目を真剣に見つめている。


 電話口の彼だけが、楽しそうに笑っていた。


「僕は服部探偵事務所へ、そして島村探偵への初めての依頼をすることにしたんだ。どうか僕の冤罪を晴らしてくれないか、とね」

「……桜木、お前」

「友の頼みだ。まさか、断るなんて言ってくれるなよ――冤罪探偵くん」

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