表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

Prologue From H.K

 あれから、三年が経った。



「外でも頑張れよ、お疲れさん」

 あっけないものである。

 筋骨隆々の若い刑務官にそう一言告げられた瞬間、俺の刑務所生活は終わりを告げた。


 いわゆる仮出所というやつらしい。判決文そのまま、五年間の辛抱を覚悟していた身としては何だか悪いことでもしている気分である。


 ――いやまぁ、そもそも悪い事をしたからここにいるのだが。

 傷害致死で懲役五年。それが『あの事件』で俺に下された罪状と量刑であった。


「ええと、今までお世話になりました」

「……もう来るなよ」

 テンプレじみたセリフに一瞬立ち止まるも、流石にこの場で茶化す肝もなく俺はただ一礼をする。頭を上げると、刑務官は既に俺から視線を外していた。


 一歩、二歩、俺は傍目から見ても明らかに小さな歩幅で踏み出す。敷地の境界線は既に目前であったが、しかし俺はヒャッホーなどと陽気に駆け出す気にはなれなかった。


 ああ。たしかに、刑務所生活は中々に酷だった。

 冤罪ならともかく、実に罪を犯してここへ収監された以上その生活に対して文句は無い。そうではなくて、衛生面だとか食事の質だとか人間関係だとか、単なる客観的事実として本当に辛い生活であった。


 だが。

 しかし同時に、少なからず安心もあった。

 当たり前だが、収監された連中は俺以外もみな犯罪者である。無論罪状の規模は千差万別であったが、何かしらの犯罪を犯してここにいるという事実だけは共通していた。

 そしてまた、強制された生活はある種の贖罪(しょくざい)にも感じられた。苦しかったが、同時にどこか気楽でもあった。


 言ってしまえば刑務所での生活は、何も考えなくとも良かったのだ。何も考えなくとも、ひたすら辛い思いさえしていれば救われた気になっていたのだ。


 けれども、これからは。

 この境界線を越えれば、俺は受刑者から前科者へと変化する。


 まぁそれ自体はどうでもいい。ただ肩書きが変わるだけだ。

 では、その先は?


 ――仕事は?

 復職は随分困難だろう。誰が人殺しを雇う気になるだろうか。

 前の職場を頼ろうにも、あの事件で社長が死んだ以上そもそも残っているかすら危うい。元より自転車操業みたいなボロ経営だったのだから尚のことだ。


 ――人間関係は?

 二人いたはずの友人はゼロとなった。ひとりは俺が殺し……いや、両方とも俺が殺したようなものである。ただ凶器がペンか正義かの違いなだけで。


 不安は、濁流の如く押し寄せる。

 なるほど再犯率が高いのも頷ける、犯した罪を背負うのは懲役刑の中だけではない。いやむしろ、()()()()がスタートなのだ。


 九月にも関わらずやけに風が肌寒く感じるのは、俺が季節外れなくらいに薄着なせいか。

 それとも――


 敷地の境界線に立ち、重かった俺の足取りはいよいよ止まる。漠然とした将来の不安に今にも崩れそうになりながら、俺はただ地面のレンガを見つめることしか出来なかった。


「――そこ、何か落ちてますか?」

「あっ、すみません。ちょっと考え事してて……ん?」

 突如、意識の外から声を掛けられた俺は、焦りのあまり変に上擦った声を出しつつ共にそちらを振り返る。そして俺はそこに立っていた声の主の姿を認めるや否や、先程とは比較にならないほど素っ頓狂な声で叫んだ。


「どうも」

「うわあああああああああああ!!!!!!!!」

「失礼ですね、人の顔を見るなり……まぁいいでしょう。改めましてお久しぶりです、島村幸次郎さん。具体的には三年振り」

「いや、なっ、おま……はぁ!?」

 全く想像できなかった人物の登場に、俺はあんぐりと口を開ける。彼はそんな俺の反応をどこか楽しむような態度で、ニヤニヤと笑みを浮かべつつ続けた。


「まぁまぁ、積もる話は車の中で」

「いや、でも……」

「こんな所で会話しても不審なだけですよ。ほら」

 探偵が指した先では、先程の刑務官が眉間に皺を寄せてコチラを伺っていた。目が合い会釈をするも、当然それが帰ってくることもない。刑務官と俺との間には五十メートル以上の距離があったが、それでも彼が俺を(いぶか)しんでいることは手に取るように理解出来た。


「というか路駐してるんで早く乗ってください。刑務所前で駐禁切られるとか探偵の名折れですよ」

「それに関しては知ったこっちゃねぇよ……って」

「ん? どうしました」

「お前、これマセラティだよな。前乗っていたのはBMWじゃなかったか?」

 探偵の背後へと視線を移し、俺はそこに鎮座する白い巨体の右側へと回り込みながら訊ねる。すると探偵は、なぜ今そんなことをとでも言いたげに、キョトンとした態度で答えた。


「えぇ。半月前くらい前に新しく買いました」

「そ……そっかあ」

 その反応を見るに、どうやら当てつけとかそういう目的では無いらしい。いやまぁ遠慮しろとかそういう事を言いたいわけでないのだが、ただ何だかとても惨めな気持ちが俺の胸にはのしかかった。


「どうです、座り心地は」

「知らん。出すなら早く出してくれ」

「……なんか()ねてます?」

「すねてない。いいからはやくして」

 会話だけ見れば倦怠期カップルである、実際にはただのオッサンと前科持ちのオッサンの再会なのだが。俺はそんなことを考えながら、片手でヒラヒラと探偵を急かす。


 意気消沈した俺の態度に、彼は首を傾げながらもアクセルをゆっくりと踏み込んだ。


 **


 味の素スタジアムを横目に中央自動車道を駆け抜けながら、俺は窓の外をぼんやりと見つめていた。


「色々変わりましたよ、あれから」

「ほーん……」

 探偵なりにそこそこ気は遣っているのだろうか。その声音は、昔の記憶よりほのかに優しく感じられた。


「テレビはアナログからデジタルへ。街中には電気自動車が走り、今年は大阪万博が開催されました。ちなみに去年くらいまでは世界的にコロナウイルスというパンデミックが騒がれたりもしていましたね。だいぶ終息はしてきているようですが、未だに感染報告もニュースでやっています」

「お。コロナは知ってるぞ、俺もワクチン打ってもらったし。やっぱり色々変わってるんだな……ちなみにハンターハンターは?」

「暗黒大陸編です」

「やっぱり進んでないんだ」

 作者の腰痛がどうしてもですね、と探偵が補足する。それから少しの沈黙の後、彼は再度口を開いた。


「それで。今後のご予定は」

「ねぇよ。だから途方に暮れていたわけだが」

「それは良かった」

「あぁ?」

 喧嘩を売られたのかと錯覚してしまうほど、ふざけた相槌に俺は思わず眉をひそめる。だが当の本人はなんてことの無い態度で言葉を続けた。


「わざわざ早起きした甲斐があったというものです。どうしても出所したてホヤホヤの貴方とお話がしたかったものですから」

「……なんで?」

 府中刑務所の出所時間は概ね10時前後であり、ご多分に漏れず俺もそうであった。探偵の事務所は都心にあったはずだから、早起きになるということ自体は理解ができる。だが、今の俺の疑問はそこではなかった。


「いや、百歩譲って出所後の俺とコンタクト取りたいってのは分かるぞ、三年前色々あったしな。けど、なんでわざわざ出所直後にこだわるんだ」

「いやぁ、それはですね? まぁまぁまぁ、まぁまぁ」

 ニヤニヤと笑みを抑えきれない様子で、彼は俺の疑問を制止する。なんだかバカにされている気分だし、実際ちょっとはバカにされているのだとは思うが、しかし運転中の彼を、ましてや仮出所中の身でグーパンチするわけにもいかず。結果、俺はただ苛立ちをため息に変換することしか出来なかった。


 ――ちくしょう。後でこいつが見てないタイミングで車内にハナクソ落としてやるからな。


 しょうもない腹いせの企てをよそに、車は緩やかに赤信号で停止する。どうやら既に自動車道は抜け、下道に降りているらしかった。


「……時に島村さん。お腹は空いていますか?」

「ん? あぁ、なんか緊張して朝入らなかったからな。言われてみれば腹は減ってる」

「では出所祝いに喫茶プレリュードなんていかがでしょう。奢りますよ」

 探偵の言葉に、俺は頬杖を滑らせズッコケる。そんな俺の反応をよそに、信号待ちの僅かな時間を駆使して彼は素早く、カーナビに喫茶プレリュードの名前を打ち込んでいた。


「……これ嫌って言ってもいいのか?」

「もっと高級な所が良かったですか? しかし失礼ですが、そんなに肥えた舌でも無いでしょう」

「舐めんな、これでもトリコ全巻持ってた」

「せめて美味しんぼとかにしましょうよ。現実にガララワニ出してる店はどこにもありませんよ」

 ド正論である。まぁ麻布とか行けばジュエルミートくらいはありそうだが、とにかく今俺が歯切れを悪くした理由はそこでは無かった。


「いやな。奢ってもらう身で飯の質にケチつける気はねぇよ。シャバに出て初めて食う飯がカフェってのもなんだか一周回って俺らしいし。が……ただシンプルに気まずい。あの子まだ居たりするんじゃねぇか?」

「あの子とは」

「アレだよ、三年前の事件の時メイドやってた子」

神原流華(かんばらるか)ですか」

 確認されるも、正直三年前に数度顔を合わせただけの俺にはピンと来ない。覚えているのは店で迷惑を掛けたことと、それが理由で死ぬほど嫌われたことくらいである。


 だがまぁ、ここで別の人間の名前が出てくるとも覚えない。俺はとりあえず思い出したフリをしながら頷いた。


「あぁ、その子だその子」

「彼女ならもうとっくに辞めましたよ。もう三年経ったんですから」

「そらそうか。もう三年だもんな」

 言われてみれば当たり前である。

 俺が檻の中へにぶち込まれていた間に、中学生だった人間は高校生に進学していることになるのだ。彼女が具体的に何歳だったかは忘れてしまったが、あの頃に学生であった以上既に生活の様態が大きく変化しているのは想像にかたくない。


 時の流れを実感し、俺は座席にもたれ掛かりながら再度ため息を吐く。

 そんな俺を嘲笑うように、皮肉なまでに今日の青空は澄んでいた。


 **


 古風でシンプルな喫茶店だけに、年月の影響は薄かったらしい。喫茶プレリュードの姿はあの頃の記憶から、あまり大きな変化を見せてはいなかった。

 強いて変わった点を挙げるとするならば、かつて春日商事が入っていたオフィスビルが今や『アカルイミライ法律事務所』とかいう絶妙にヘボそうな弁護士事務所へと変わっていることくらいだろうか。


「――春日商事は、あの事件から程なくしてすぐに倒産しました。社長が亡くなったので無理もありませんが」

 テラス席に座って元職場の面影を探していた俺の背後から、探偵はコップを両手に持った姿で現れる。そのうちのひとつを俺の前にゆっくりと置くと、彼はヨッコラセと向かいに座りつつ続けた。


「ここ、水はセルフサービスに変わったんですよね」

「マジか、気付かなかったわ。サンキュな」

「いえいえ。それでは改めましておかえりなさい、島村幸次郎さん。乾杯」

「乾杯」

 クイとキザな様子でコップを掲げる探偵に倣って、俺もまた右手でコップを掲げる。シャバに出て一発目が水とは俺らしいな、なんて自虐的なことを考えながら、俺はコップの中の水を一気に呷った。


「ぷは、やっぱシャバは水もうめえや」

「気持ちの問題だとは思いますけどね」

「いや、そうでもねぇぞ。やっぱ衛生面なんかも刑務所じゃどうしても……っと!」

 瞬間、反射的に左手で口を閉じる。思いのほか力が入り半分ビンタみたいな威力になってしまったが、今の俺の意識はそれとはまた別のところへ集中していた。


 ――どうやら、俺は自分で思っているより出所の事実に興奮していたらしい。

 水で滑りが良くなった口から放たれた『刑務所』という言葉は、俺が想像していたよりもはるかに大きなボリュームでカフェテラス内に響き渡った。周囲のテラス席に客は誰も居なかったが、唯一タイミング悪く食事を持ってきてしまった店員の耳にはバッチリ聞こえてしまっていたようだ。大学生くらいだろうか、バイト然とした気崩し姿の青年は背中に氷でも入れられたかのように固まっていた。


「ケ、ケーキムシャムシャたべたいなの略……いや、じゃなくてゲームショップ、ゲームショップの話だったよな」

「あ、あの、カ、カルボナーラとニョッキです。ご注文は以上ですね、はい。えーと、あの、ではごゆっくり」

 我ながら意味不明すぎる誤魔化しも虚しく、ウエイターの彼は伝票を机へと乱雑に叩きつけつつ猛ダッシュで店の中へと引っ込んでゆく。そんな様子を、向かいの探偵だけは今日一番の笑顔で楽しんでいた。


「あーあ。まぁ、いつかやると思っていましたが」

「厨房でなんか言われてるんだろな……これからも気を付けねぇと」

 机に突っ伏しながら、俺は数秒前の自分の発言を悔いる。そんな俺に対し探偵は、本当に心から嬉しそうな様子でニョッキを口に運ぼうとしていた。


「……それで?」

「それで、とは?」

「とぼけんじゃねえよ。わざわざ俺に会いに来た理由。もっと言えばケチなお前がガソリン代と飯代はたいてまで俺と話をしに来た理由だよ。さっき出所直後がいい、みたいなことも言っていたが」

 ああ、と演技くさい態度で彼は思い出したように手を叩く。それが少し鼻について、俺は持っていたフォークの先を探偵へ向けた。


「いい加減もったいぶった態度がムカついてきた。あのな、もう用件の見当は付いてるんだよ」

「ほう? なら、当てていただきましょうか」

 俺の言葉に探偵は挑戦的な笑みを浮かべる。それがますます鼻について、俺はフォークを下ろしてカルボナーラへと乱雑に巻き付け始めた。


「推理するだけの要素はいくつかある。俺は三年前、いくつか情報で有利を取っていたとはいえ、結果としてお前より先に謎を解いた」

「片方の事件の犯人を知っていたというのは有利とかそういう次元ではないと思いますが……まぁ事実はそうですね」

 負けた、と素直に認めたくないのだろう。

 彼は若干の反論をしつつ、しかし大筋は俺に同意する。

 

「次に。俺の記憶が正しければ三年前、お前は助手が欲しいみたいなことを言っていたよな」

「どうでしょう。流石に覚えていませんが……しかし当時、人手が足りていなかったのは事実です」

 彼は先程と違い、YESともNOとも言わずに首を傾げる。

 実際、これに関しては俺も自信が無い。うっすら、なんとなくそんなことを言っていた気がするだけである。そもそも三年前に人手が足りなかったとして今足りていないとは限らない。


 だが。

 最後の要素が、このかすかな記憶と足し合わせると俄然(がぜん)怪しく見えてくるのだ。


「お前は、出所直後の俺に会うことにこだわった。翌日でもなく一週間後でもなく、今日の俺に」

「ええ、そうです。先程も申し上げましたが、今日がベストでしたから」

「それはつまり、俺に()()()()をされたくなかったんじゃないか?」

「……」

 彼は答えない。代わりに、ただニヤリと口角を上げるのみである。


「されたくなかった、っていうのがミソだ。それはつまり後日のキャンセルや撤回ができないものか、しにくいもの。出所直後の人間が出来るそんなことってのは限られてるよな。たとえば……就職とか」

「なるほど。つまり?」

「――俺に探偵業の助手を頼みに来た。違うか?」

 パチン。

 指を鳴らしつつ、俺は尋ねる。

 一方の探偵は答えない。ただ、まるでワインでも口にするかのように、彼は静かな笑みを浮かべて水の入ったコップを傾けていた。


「……そういうのは、仮にそうだと思っても自分では言わないのが粋というものです」

「うるせぇ。で、どうなんだ」

 正解、と捉えていいのだろうか。それなりに自信アリの推理だったこともあり、彼の反応に若干の肩透かし感を覚えつつ、俺はカルボナーラをようやく口へと運ぶ。やや塩っけの強いベーコンとチーズのジャンキーな味は、外に出たという実感を何よりも強く俺へと与えてくれた。


「ま、ほぼ正解です」

「ほぼ?」

「えぇ、ほぼ」

 まるでここまでは予想内、とでも言いたげな彼の態度に、俺は表情だけで続きを促す。


「元々、私としてはそのつもりでした。人手不足も変わらずですし、失礼ながら交友関係の広くない貴方に特に行くあてもないでしょうから。ちょうどいいご提案かなと思いまして」

「本当に失礼だがその通りだ。だからさっき、俺は文字通り路頭に迷っていたわけで」

「ただですねぇ。それでは今日、出所直後を選ぶ動機としては薄い。今日出所して今日仕事を見つけるとは普通考えられません、行くあてがないのであれば尚更です。一週間後はともかく、別に明日や明後日でも遅くはない」

 それは確かにそうだ、と俺は思わず言葉に詰まる。そんな俺に対し、探偵は手のひら大サイズの黒い物体を俺へと寄越した。


「なに? これ」

「やはりご存知ありませんか。スマートフォン、新しい携帯電話ですよ」

「えっ……嘘だろ? 噂では聞いてたけどマジでこんな変な形してるのか? どうやったら動くんだこれ」

 困惑する俺を他所に、彼は慣れた手つきで横に隠れていた小さなボタンをカチリと押す。画面には"11:59"と表示され、俺は興奮の声を上げた。


「うおぉ! 凄え!」

「そこまで驚きますか?」

「いや驚くよ、感覚的にはドラえもんのひみつ道具を生で見てる気分」

「そうですか」

 俺の興奮とは正反対に、探偵は妙に落ち着いた調子で答える。と同時に携帯のあった方とは逆側のポケットから懐中時計を取り出すと、彼は静かにカウントを始めた。


「10秒……3、2、1」

「――ん? うおっ」

 直後、妙に明るい音楽とともにスマートフォンの画面が切り替わる。そこには『非通知』とだけ記載された人型のアイコンが表示されていた。


「ほら、貴方宛ですよ。出てみてはいかがですか?」

「出てみては……って、こうか?」

 探偵に促され、俺はスライドで応答と書かれた文字を恐る恐る指でなぞる。すると画面が切り替わり、画面上部では通話時間のカウントが始まった。


 スピーカーから、小さく人の声が聞こえる。

 おそらく電話が繋がったのだろう。俺は戸惑いながらも、携帯電話をゆっくりと右耳へ当てた。


「も、もしもし……?」

「毎度お世話になっております服部様ー! 今お時間よろしいでしょうか? この度ご連絡差し上げましたのは今特別にこの近隣のお客様限定でご案内させて頂いております不動産のキャンペーンのご紹介でお電話させていただいておりまして――」

「え、ふ、不動産? キャンペーン……?」

 予想だにしなかった角度からのマシンガントークに凍りついていると、探偵は俺からスマホを奪い取って一瞬で通話終了ボタンを押す。カッコつけてカウントダウンをした反動か、彼は少し恥ずかしそうに俺へとスマホを突き出した。


「……これが俺を呼び出した理由?」

「すみません、違いました。これはただのセールスです」

「でしょうね」

「一応、正午にかかってくる予定だったのですが……おっと」

 再度、彼の掌の上でスマートフォンが震え出す。表示されている名前も変わらず『非通知』である。そして、探偵が俺へと応答を促すのもまた、先程と全く同じであった。


「これ、さっきの不動産じゃないよな?」

「ガッツのある営業だったらそうかもしれませんが、多分今度こそ本物です。とりあえず出てみてください」

「お、おう……えーと、もしもし?」

 彼の意図するところが分からず、俺は言われるがまま再度スマホを耳に当てる。すると電話の向こうの彼は、先程の営業と打って変わってたった一文字しか話さなかった。


「や」

「……マジ?」

 その一言で、俺は絶句する。瞬間、怒涛の勢いで言葉が脳を埋めつくしたが、一方で喉から喉から出てきたセリフはたったそれだけであった。


「マジだよ、大マジ」

「……ありえねぇだろ。だって」

 声が、震える。


「――だってお前は、()()()()()()()()()()。桜木」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ