私の大切な大親友が、大切で大好きな旦那様になりました。
最近ギスギスした話が続いていていましたが。
今回は元気で明るいいつもの話です!
私ーーフェリシア・ヴィルデイジーがカイと出会ったのは、学園に入学してすぐのことだった。
ちょっとした事情があり、私は奨学生として学園に高等部入学した。
入学当初は学園に全く馴染めなかった。
友達はいなかったし、親もお金を出してくれるわけじゃないから貧乏で。
カフェテリアで働きながら勉強をしている私に、露骨に嫌がらせをする子も結構いた。奨学生の存在で学園の気品が落ちるから、だって。
カフェオレ色の髪も、紅茶色の瞳も、地味でパッとしない、「いかにも平民上がりね」って。
ーー亡きお母様譲りの大切なものが、ここでは嘲笑の対象だった。
生まれや育ちは仕方がない。私は実家には帰れない。
独学でしか学問もマナーも覚えられなかったから、ここから一歩一歩努力していくしかないと思っていた。
同時に元々ここで学んでいた貴族令息令嬢のみなさんにとって、私が目障りになるのも理解はできた。
彼らにとっての「当たり前」ができない身なんだから。
だからーーせめてこれ以上邪魔だと思われないように、私はにこにこ笑って過ごしていた。
◇◇◇
ある日のことだ。
カフェテリアでバイト中、テーブルの下にこぼされた水を拭いていると、ご令嬢から頭に紅茶をかけられた。
ぬるい液体が髪とブラウスを濡らして、顔からぽたぽたとこぼれ落ちる。
「ああ、ごめんなさい。わざとではないのよ?」
「奨学金もらってるのに働かなきゃいけないなんて可哀想」
「パパの税金から養ってもらってるのに、足りないって言いたいのかしら?」
私は動けなくなった。
笑顔が上手く作れる自信がなかったし、なんだか、心が硬くなってしまっていたのだ。
その時。
つかつかと、景気の良いヒールの音が聞こえてきた。
怒りのこもった足取りに、私は反射的に顔を上げる。
汚れた私を「仕事くらいきちんとしろ」って罵倒しにきた人かと思ったのだ。
やってきたのは銀髪を靡かせた、背の高い令嬢で。
真っ黒なチョーカーと宝石が印象的な、一度見たら忘れられない美貌の人。
ーーカイ・コーデリック公爵令嬢。
同じクラスだけどまだ一度も話したことのない人だ。
フェイスラインを隠し気味にセットした長い銀髪に、透き通る白い肌、宝石のような青い瞳が美しい彼女は、『鈴蘭の君』の二つ名で呼ばれるような、学園みんなの憧れの貴族令嬢だった。女性にしては高めの身長で、フリルとレースがふんだんに使われたマイナーチェンジ制服ドレスもよく似合う。
話しかけるなんて畏れ多い、まばゆいダイヤモンドのような人。
彼女は口を真一文字に引き結び、私に紅茶をかけたご令嬢の手を捻り上げた。
「きゃっ……!」
「い、いきなりなんなのよ、あなた!」
彼女は令嬢たちに答えず、視線を扉の方に向けた。
令嬢たちは小さく悲鳴をあげた。
そこにいるのは風紀監視官ーー貴族子女たちの素行をチェックし保護者や王宮に報告する、貴族息女たちが最も恐れる存在だった。
「現行犯ですわ」
カイは凛とした声で、銀髪の令嬢は風紀監視官に告げる。
「彼女たちは常日頃からこちらの特待生、フェリシア・ヴィルデイジー男爵令嬢に被害を与えておりますの」
「被害だなんて! ちょ、ちょっとグラスが倒れただけじゃない」
「風紀監視官は、五分以上前からそこにいましたわよ?」
「……っ」
「恥を知りなさい。あなた方の行動は、それぞれの婚約者のご実家にもお伝えするわ。よろしいわよね?」
いじめの醜聞を義実家に知らされるなど致命的だ。
青ざめたご令嬢たちの様子に、私は「まあまあ」と間に入る。
「でも私、ただ濡れただけですしそこまでは……」
「あなたもあなたですわ」
髪をさらりとなびかせ、銀髪の彼女は長身で見下ろしてくる。絶対零度の眼差しだ。
「あなたも笑ってヘラヘラ誤魔化さない。侮辱されたなら怒りなさい」
「でもまあ、私が奨学生なのは事実ですし」
「それがなんだというの? そもそも、奨学生というのは国家に学ぶべき価値があると認められた生徒、つまり国の宝。あなたが自分を卑下するのは、自分を支援する国の判断を卑下することと同じ。堂々と胸を張って学び、国家に貢献なさい」
カイは一息に言うと、静まり返った令息令嬢らに冷ややかな一瞥を向けた。
「貴族たるものは国と民を守るためにその青い血を継ぐ者。血と共に誇りも受け継いだ者なれば、国の財産たる彼女に危害を加えることはないとは思いますけれどね」
場がしんと凍りつく。
「さ、参りましょう」
「あ、うん……!」
私は彼女に手を取られ、二人で食堂を後にする。
結局ご令嬢たちはカイに何も言い返せずに、後は穏便に、二度と同じことを繰り返さないと誓って別れることになった。
「奨学生は国家が育成したいと思った人材。それを馬鹿にするなんて貴族の風上にも置けませんわ」
怒りですごい怖い顔になっている彼女に、私はつい顔が綻んでしまう。
私のヘラヘラに気づくと、彼女はキッと私を睨んだ。
「何がおかしいんですの」
「えへへ……ごめんなさい。あなたが綺麗でかっこいいから、惚れ惚れしちゃって」
「……ま、まあ目立ちすぎましたわね、不覚ですわ」
彼女ははっとした顔をして、ごほん、と咳払いして顔をプイッとする。
「あ、あなた。明日から寮で、私の隣室に移動しなさい、ちょうど誰もいないから」
「えっ。でも」
私は奨学生用の使用人と同じ部屋で寝泊まりしていた。侯爵令嬢の彼女の部屋の隣は、確実に綺麗な個室だ。
「お金の心配はなさらないで。働いて疲れて学業の障りになったら無意味でしょう? その代わり、私の友人として恥ずかしくない成績とマナーで過ごしてもらうわよ」
「ありがとうございます!」
「っ……か、勘違いしないでよね。私、あなたのような自尊心のない子が気になって仕方ないの」
「優しいんですね……」
「優しいだなんて……あなたねえ」
彼女は溜息をついて、私を睨むように見て言った。
「いいこと? 私は同級生。そしてこれから友人になるの。敬語は禁止よ」
「えっ……ですが」
「敬語は禁止」
「……わかったよ。カイ。これで、いい」
そう言うと、カイはにっこりと笑った。
「ええ。上等ですわ」
カイに手を差し伸べられ、私たちは強く握手を交わした。
カイの手は、指が長くて綺麗で、とても頼もしくてかっこよかった。
その日から私は毎日放課後、カイに勉強を教えてもらったり、貴婦人としての最低限のマナーを教えてもらうことができた。家では全然教育をつけてもらえていなかったから、全部付け焼き刃だったのだ。
◇◇◇
私たちが一緒に過ごすようになって、一ヶ月が過ぎた春の頃。
昼食どきのカフェテリアに、カイの裏返った声が響く。
「ええ……婚約破棄、ですって!?」
「カイがそこまで大声だすの初めて聞いたなあ」
「どうして平気そうでいらっしゃるの、フェリシア。一大事ではありませんの」
首元の宝石付きのチョーカーを抑え、青ざめた彼女の様子に、私は「優しいなあ」と呑気に思った。
私たちは今日もカフェテリアで日替わりパスタをいただいている。
今日のパスタは王道トマトソースパスタだ。
器用にクルクルとフォークで巻きながら、カイは声のトーンを落として尋ねてきた。
「いったいどういうことなんですの。詳しく説明して頂かないと困りますわ」
「少し話し長くなっちゃうけど、いい?」
「当然ですわ。だって他ならぬあなたのお話ですもの」
カイは険しい顔をして、身を乗り出して私の話に耳を傾ける。
うーん、美人って険しい顔をしてもすっごく綺麗なんだなあ。空調魔道具いらずだ。
誰かがひそひそと「フェリシア、何か脅されてるのかしら……」と言う。
「違うよ。真剣な顔がちょっと怖いだけで、カイは優しいよ」
「余計な擁護はよろしくってよ! で、早く話を聞かせなさい」
「余計な擁護かなぁ」
「擁護される私が余計だというのだから余計なのよ」
「確かに。カイが誤解されるのは嫌なんだけど……まあいいや、とにかく話すね」
私は、カイに経緯を説明した。
「ほら私、父と義母と義妹と仲悪いじゃない? でもこの間突然実家に呼ばれて、ちょっとウキウキして帰省したんだ。そしたらね……」
◇◇◇
私の実家はヴィルデイジー男爵家。
莫大な富を築いた祖父の代から半ば無理やり王様に爵位を与えられた、いわば新興貴族だ。
ちなみに爵位を押し付けられた理由は徴税のためとか。ひどい。
そして祖父の代の財をそのまま受け継いだ父の長女として私は生まれたけれど、母は体が弱かったので私が10歳の時に亡くなった。とても優しい母だった。
そこで案の定、父は義母と連れ子の義妹を連れてきた。
義母と義妹は金髪で第一印象から「薔薇の花みたい!」と思うくらい美人母娘。
元々父は私の容姿を見下して、亡き母に似た私を父は常々罵倒した。
「ブスだなあ」
「顔が悪い上に勉強が好きだとか、ますますブスだなあ」
「もう少し痩せろ」
「いやもう少し太れ」
適当な罵倒にも程がある。流石の私でもデリカシーがなさすぎると呆れてしまう。そんなわけで、母の死をきっかけに思春期に突入した私としても父があまり好きではないタイプだと感じるようになっていた。
ーーそもそも。私のスペックは大体父親似だからなんですけどー。
もちろん父が苦手とはいえ、庇護下にある娘としての弁えはわかっていたので、表向きは従順な娘のふりをしていた。
けれど、ベタベタに父に懐く美人の義妹と比べたらまあーーそりゃ可愛げなく見えるもので。
可愛げのない娘と可愛げたっぷり美人母娘。
父の愛情がどうなるのかは明らかだ。
私を守ってくれる母はいないし、義母と義妹は使用人まで味方にして私をいじめるし、最悪だった。
私は実家にいたら破滅すると思い、勉強を頑張って奨学金をもぎ取り、婚約者と結婚するまでの期間は全寮制の学園で学園生活できるようにした。父も義母も義妹も私が家から消えるのは大歓迎なので、叩き出すように学園へと出してくれた。
それ以降なんやかんやあったけどカイとも仲良くなったし、ハッピーな学園生活を送っていたのだけれど。
久しぶりに実家に呼び出されたので、私は学生寮から実家まで戻ったのだ。
実家からの愛は諦めているとはいえ、呼び出されると嬉しい。
ノコノコと戻った私は、荷物を持ったままの状態で、父が玄関ホールでこう言い渡された。
「お前は婚約破棄された。ジェンティアナ侯爵令息の婚約者は妹のルジーナになった」
「えっ」
「というわけだ。だから学園でも二度とシモン・ジェンティアナ侯爵令息と話すんじゃないぞ。ジェンティアナ侯爵令息のご卒業まで視界に入らないように、学園ではこそこそ隠れていろ、わかったな、よし帰れ」
「えっ待ってください、もう外は夜ですが」
聞きたいことは色々あるけど、とにかく寝床がないのは大問題だ。
大慌てする私に、父は鼻でハンと笑う。
「生意気に学問を修めているのなら、その頭でなんとかしろ」
「おっ、お願いしますせめて今夜一晩だけでも」
私が懇願すると、父は満足したように顔を歪めて笑った。
「ったく。しょうがないから一晩だけは使用人の部屋で寝ることを許してやる」
「ありがとうございます」
「お前はこれからは実家に頼らず、一人で生きられるようにしろよ。まあ女ひとりで放り出されて生きられるとは思えないがな。自己責任だ自己責任」
「……わかりました……」
「ほほほほほ」
上の方から笑い声が聞こえてくるから頭をあげれば、玄関ホールを見下ろす位置から義妹と義母が笑っている。どさり、と荷物を落とされた。妹が言う。
「それ、残っていたお姉さまの荷物と、死んだ前妻さんの形見よ。明日持っていきなさい」
「優しいわねルジーナ。こっちで燃やしてもよかったのに渡すなんて」
「ふふん、こんなもの、不燃ごみで出すのも面倒だしね」
「ははは、二人は可愛いなあ」
そうやって笑う。
二人は家格にそぐわない、王室御用達の流行のガウンをまとっている。
光る指輪も、多分すごいカラット数だーー父の代になってから、どんどん商会は傾いてるのに。
私はちょっと呆れ、改めて父を見た。
「お願いお父様少し目を覚ましませんか? 明らかに義母と義妹、なんか人間的にまずいのでは」
「ガハハ、誰がお前の話なんか聞くか」
「ほーっほっほ」
「がーはっは」
とほほ……と肩を落としながら、私は「おやすみなさい」と告げて、使用人用の寝室に向かい、使用人の皆さんに同情の目を向けられながら丸くなって目を閉じた。
義母も義妹も、父の羽ぶりが良いばっかりに調子に乗ってるんだよなあ。
本当の家計は火の四輪駆動なんですよって、祖父の代からの執事が書類ビリビリに破ってヒステリー起こしながら辞めていったっけ、と思い出す。
目を閉じると、父と義母のどんちゃん騒ぎが聞こえる。また盛大なパーティを開いているんだ。私はもちろん、その場に呼ばれることはない。
◇◇◇
「……って感じで、まあ父からは婚約破棄を告げられて、荷物まとめて、あとゴミ出しの手伝いとかして、残った使用人の皆さんに『あとはよろしく』って頭下げて出てきたの」
ここまで一息で話して、私はカイに肩をすくめてみせた。
「で、今朝帰ってきて、そして今に至るってワケ」
「……なんてことですの、本当に……」
カイが青ざめてぎゅっと拳を握ってる。その顔の険しさに、周りの学友たちがビクッと怯えている。彼女は美人で迫力がある。
私はけらけらと笑って答えた。
「ねー。ひどいよね。でも婚約破棄自体は父の一存ではなくシモン様とご実家の決定だろうから、私にはどうしようもないのよね」
「そんなことありませんわ」
カイは険しい顔をしている。
「シモン様のご実家、ジェンティアナ侯爵家はそんなことはしない……シモン様も評判の良い紳士だわ。だから私も安心していたの。怪しいわ」
「怪しいって?」
「顔を合わせないようにって言われてたのよね? ……バレたらあちらにまずいことがあるのかもしれないわ。私が調査します。フェリシアはとりあえず今は大人しく過ごしていて」
「いいよいいよ、無理しなくても」
「でも……」
「それで本当にシモン様が私のこと嫌になったって結果が出たら、ショックだからさ」
彼女がハッとする。私は笑顔でパスタにはしゃいでみせた。
「それよりもさ、パスタ伸びちゃうから食べよ?」
「……そ、そうね。望んでいないことをするのは余計なおせっかいね。……失礼したわ」
「ごめんね。心配かけるようなこと話しちゃって」
「いいえ。フェリシアの悩みですもの。話ならなんでも聞きますからね」
「ありがとう。私は幸せ者だなあ」
「……」
私が笑顔になると、カイがぐっと辛そうな顔をした気がした。
しかめ面で髪をかきあげてパスタを食べて、そして独り言のようにポツリと呟く。
「フェリシアはいい娘なのに、信じられない……」
「カイだけだよ〜、そんな風に言ってくれるの」
私が感謝すると、カイはますます眉間に皺を寄せる。
「自己肯定感が低すぎますわ。怒るべき時は怒る。これは必要なことですわ」
「怒っても仕方ないしさ〜私にできることなんて、どんな時でも前向きになることだけだよ」
私もパスタを食べて、そしてにっこり笑う。
「だいじょーぶだいじょーぶ! また新しい婚約者を見つけるよ!」
カイを悲しませてしまったのは申し訳ないけれど、カイが私の分まで怒ってくれるのを見ていると、私も少し、気持ちがスッと楽になる。
「いつもありがとう、カイ」
しかし。
私としては一旦愚痴ってスッキリ終わった話だったけれど、
カイがこの件をこのまま終わらせるわけが無かった。
だって彼女は、私のことが大好きな大親友なのだから。
◇◇◇
翌日のお昼。
青ざめたシモン様がカフェテリアに従者を引き連れてやってきた訪れた。
「え、ええシモン様っ」
婚約して以来ほとんど会っていなかったから、私は驚いた。
驚いたあまりに、日替わりランチじゃない別のものを頼んでしまった。
「あっ手持ちが……」
「僕が払う! 今日はその牛ほほ肉の煮込みソースのパスタにしたまえっ」
「ええ、でも」
「払わせておやりなさい」
そう言ってきたのは隣のカイだ。腕組みし、冷ややかな顔でシモン様を見据えている。
「お願いだフェリシア、食べてくれ! 牛ほほ肉の煮込みソースのパスタを!」
「そ、そう言われるのでしたら遠慮なく……」
カフェテリアの席についた私たちは、そこで牛ほほ肉の煮込みソースのパスタをいただきながら、水を飲みながらただただ頭を下げるシモン様の話を聞いた。
「大変申し訳なかった、フェリシア嬢……! 僕の父が君の実家から、『君の素行がとても悪いから嫁にするのは申し訳ない、ぜひ妹君をもらってくれ』と懇願されたらしく……!」
「え、ええー。そうだったんですか」
びっくりする私の隣で、カイが腕組みしてフン、と鼻を鳴らす。
「そういうことだと思いましたの」
「……カイ、やっぱり動いたのね?」
私が尋ねると、カイはと明後日を向く。
シモン様はただただ頭を下げ、そのまま大きな包みを手渡してきた。
「ただただ申し訳ない。これはまずお詫びの手土産だ、受け取ってほしい。我が領地特産のジャガイモだ」
「え、ええー牛ほほ肉の煮込みソースのパスタもご馳走していただいたのに、そんな……こちらこそ実家がご迷惑おかけしたのに」
「……もっときちんと調べて婚約破棄するべきだったのに、父が本当に申し訳ない……」
ずずいと押し付けられると、断るのも失礼な気がする。
私は遠慮しつつありがたくジャガイモをいただいた。
シモン様は私が受け取ったのを見て、消えそうな声で続けた。ものすごく気まずそうだ。
「それでだね、フェリシア嬢」
「はい」
「こちらとしては改めて、フェリシア嬢との婚約に戻したいのだが……その……」
「えっ、戻せないんですか?」
「……」
彼は困った顔をする。カイは腕組みしたまま見下ろして言った。
「できませんものね? だって一度婚約破棄してしまえば法律では同じ相手と結婚できませんもの」
「そ、そうなんだ……」
知らなかった。だからこんなに青ざめているのか。
シモン様はカフェテリアの床に土下座した。
「フェリシア嬢ッッッ!! 申し訳ない!!!!」
この国は異世界移民の影響で土下座の文化がある。
「君を婚約破棄された令嬢という立場にしてしまって!!」
「あ、あわあわ……服が汚れちゃいますよ……」
「服なんてどうでもいい、君にしてしまった事に比べた全裸土下座を本来するべきなのに!!」
「いやカフェテリアで全裸はちょっと」
「父が改めて詫びに来る。本ッッ当に!!!申し訳ない…!!!!」
頭を下げるシモン様。
私は、首を横に振った。
「顔をあげてください。シモン様」
「フェリシア……」
「騙したのはそもそもうちの実家。むしろ私どもの落ち度です。決まったことは仕方ありませんので、お互い前を向きましょう! シモン様、義妹と幸せになってくださいね」
シモン様は目を赤くした。
「……君は本当に……いい子だったのに……すまない……」
肩をしょぼんと落として、シモン様とその従者はゾロゾロと帰っていった。
彼らの姿が見えなくなったのち、私はカイを見た。
「……調べてくれたんだ?」
「……悪かったわね、勝手なことをして」
気まずそうにするカイ、私は微笑んだ。
「ううん。カイの正義感が強いところ、かっこよくて好きだよ。ありがとう、調べてくれて」
私が彼女を見上げてにっこりと笑うと、彼女は頬を染めて、ぷいと顔を背けた。
「……あなたは幸せになるべきよ、フェリシア」
「えへへ、ありがとう」
こういうところもまた、とっても好き。
◇◇◇
しかし。
彼女と仲良くするうちに、私は気になった。
私とつるんでいては、彼女が友達を作ったり、健全な交友関係を築いたりすることはできないのでは?
だってほら私、初手でいじめられていたような奨学生だし、身分も低いし。
今日だってカフェテリアで一緒にランチをしてくれている。
日替わりパスタはころころじゃがいものカルボナーラ。角切りのじゃがいもとバターと醤油、そしてたっぷり振りかけられた粉チーズがとっても美味しい。
実は日替わりパスタは奨学生は無料で食べられる。
そんなパスタを食べていることを、お金持ちの貴族からは時々よくない目で見られているのも知っている。
仕方ないことだと私は割り切っているけれど(そんなの気にならないくらい、すっごく美味しいし!)私じゃなくてーー私と一緒にいるカイが問題だ。
私はカイに尋ねた。
「カイは……本当にいいの?」
「何がですの」
「ご学友作らなくっていいのかってこと。ほら、貴族のご令嬢やご令息にとっては、ここでの社交が一生物だっていうじゃない」
「それはあなたもでしょうフェリシア? 私以外と食べても良いのよ?」
「私はカイと一緒に食べたいから」
「じゃあそれで良いじゃないの。はい、この話はおしまい」
「むー」
「伸びるわよ」
「おっといけない、1.5倍麺が2倍になっちゃう」
私が急いで食べると、カイは私を目を細めて楽しそうに見ている。
「ーーいわね」
「えっ なんて言ったの?」
「な、なんでもありませんわ」
カイは顔を背ける。
そしてポツリと続ける。
「……そ、その……トイプードルみたいで可愛いわねって言ったのよ。そうよ、別に他意はないわ、ただそういう意味で可愛いって」
「ありがとう!」
「……褒め言葉に受け取ってもらえて何よりだわ」
そして食後のお茶をいただいていると、カイは吐息と共に、ポツリ、と口にした。
「……元々私はこの学園で親しい友人を作るつもりはなかったの。あなたが特別よ」
「えっ……それって」
「行きましょう。次の授業が始まるわ」
カイは立ち上がり、話を切り上げた。
勘の悪い私でもーー彼女は何か、隠れた事情があるのだろうと思った。
◇◇◇
授業。
歴史の授業で、諸問題についてディベートの時間を取った。
今日の議題は、クーデターで混乱状態の国を救援する場合、どちらに加勢するか否か。
大臣のご令嬢は訴える。
国内貴族さえ抑えられない旧支配者、王族に手を貸しても意味がない。クーデターを起こした側に加勢するべきだと。
反対に王族に加勢するべきだと訴えたのはカイだった。
カイは王家のつながりやクーデターの大義名分、歴史、戦後処理といったさまざまな面から王族に加勢するべきだと論じた。
大臣のご令嬢も頑張ったけれど、カイの方が優勢だった。
大臣のご令嬢は悔し紛れに、八つ当たりとも言わんばかりの呪詛を吐いた。
「別に外交官にでもなる身分でもありませんのに、議論ばっかりお達者では婚期を逃しますわよ?」
しかしカイは煽りを無視し、相手の意見も受け止めた上で話をまとめていく。
その鮮やかさにクラスの私たちはすっかり魅了されてしまっていた。
授業後、私は興奮のままにカイに話しかけた。
「すごかったね、カイ」
「まだまだよ。……本当は目立ちたくなかったのだけれど」
「カイ?」
カイはやりすぎた、と言わんばかりに唇を少し噛む。
今日は言い負かされたくないような内容だったのだろうか。
今日のディベートの内容を思い返してみる。
確か今日は国際問題についてだったはずだ。
上の空で移動教室をしていた私は、はっと廊下で立ち止まる。
「あっ!」
「どうしたの、フェリシア」
「忘れてた。国際問題で思い出しちゃった。私、他国の料理文化についてまとめるレポート、次の家庭科の授業で必要だったのにカバンに入れてた!」
「あらもう」
「先に行っててー!」
私は移動教室先で落ち合うことを約束すると、廊下を走らず上品に、しかし滑らかな速足で教室に向かう。
しかし。
私は教室で、見てはいけないものをみてしまう。
さっきカイに対抗できなかった女子が、男子と一緒になってカイのカバンをあさっていたのだ。
床にばらばらと散らばるカイの教科書や小物。
私は思わず乗り込んだ。
「やめて! 何をしているの!?」
「……こいつは、あのカイの腰巾着」
彼らは私をみて、冷たい顔で近づいてくる。
いじめられていた時のことを思い出し、私はひゅっと息を呑む。
「最近調子乗ってるじゃない。奨学生のくせに、いい気になってるんじゃないわよ」
「でかいツラして歩いてるが、お前はどうせ成金の底辺だ。この学校にいられるのがおかしいんだってこと、わかってんのか?」
「そうだわ。…カイ・コーデリックは手出ししたら面倒になるけれど、この子なら何をやっても私たちは痛くも痒くもないわ。……でしょう?」
大臣の娘がさも名案のように手を叩いて言う。
彼らの目が獲物をなぶる獣のそれに変わる。
私が、ずっと一人で耐えてきたもの。
「あ……」
もう、怖いものなんてないと思っていたのに。
私はなんて弱虫なのだろう。
足をすくませた私は、ジリジリと教室の隅に追いやられそうになる。
どうしよう。
どうしよう……でも、逃げられない。
カイの荷物を、いいようにされたくない……!
「やめて。こんなことしても、誰にとっても良くないよ……!」
「生意気言うんじゃないわよ!」
「へっ! 少し可愛い顔してるからって舐めやがって。俺たちは可愛いからって許さねえからな!」
彼らの手が私に伸ばされる。
私はぎゅっと目を閉じた。
ーーそして。
私はいじめられることはなかった。
次の瞬間、彼らに向かって、思いっきり水魔法がぶちまけられたのだ。
ダババババババ。
「う、うわー!」
「きゃー!」
「あっ! カイ!」
教室の入り口で、憤怒の顔をして手のひらを向けるカイの姿に、私は安心感で泣きそうになった。
カイは絶対零度の眼差しで彼らに告げる。
「嘆かわしい……君のディベートは素晴らしいものだったのに、全てが台無しになった」
どこかいつもと違う口調で、カイが冷たく告げる。
騒ぎを聞きつけて警備員が走ってくる。
青ざめて髪を振り乱した大臣の娘が、口汚くカイを罵った。
「あ、あなたなんてコーデリック公爵の本当の娘じゃないくせに!」 知ってるんだから、あなたがいきなり公爵家に住むようになったのは……どうせ、妾腹か何かなんでしょう!?」
「……言いたいことは、それだけか」
カイは感情を読めない眼差しで、低く呟く。
まるでカイにカイじゃない誰かが、乗り移っているようだった。
ーー触れられたくないことなんだ。
それから、警備員と先生たちが集まって騒然となり、解放されたのは夜もたっぷり更けた頃だった。
夜の学園。私は無言で先を歩くカイの背中を見つめて歩いていた。
何も聞けなかった。
月明かりの下、カイが銀髪を靡かせてこちらを振り返る。
いつもの優しいーーそしてどこか、寂しそうなカイの笑顔があった。
「知りたいんでしょう?」
「えっ」
「……顔に書いてあるわ。わかりやすいわよ」
「あ……」
カイは私を手招きする。隣に立つと、カイは私を見下ろして伝えた。
「話してあげる。……それを聞いた上で、怖いと思ったら離れてくれてかまわないわ」
「でも、」
「話させて。……お願い」
「……わかった。でも私がカイから離れる事なんてないよ。傍にいる」
手をギュッと握る私に、カイは力無く微笑んだ。
◇◇◇
その後、私たちは寮のドローイングルームのテーブルセットを借りて話をした。
夜警の職員さんが気を利かせて入れてくれたホットミルクを飲みながら、私は呟く。
「カイの部屋でパジャマパーティで良かったのに」
カイは少しむせて、赤くなって咳払いした。
「私のけじめですわ。あなたに対しての」
そしてカイは話してくれた。
カイはクーデターが起こった隣国から亡命してきた貴族で、遠縁のコーデリック公爵家に養女入りし、学園に潜伏して身を守っているということを。
お兄様もお父様も暗殺されたのだと。
肉親を失う悲しさは痛いほど分かる。
それがーー病ですらなく、突然殺されたのだとしたら……
「カイ……」
私は涙が止まらなくなった。
「……だから……カイは……」
「ええ、熱くなっちゃったのよ。……だめね。私もまだまだ未熟だわ」
カイは、号泣する私をみてギョッとした。
「ばかね。なんであなたが泣くのよ」
「だって……カイ、ずっと一人で頑張ってきたんだって思うと……」
「フェリシア……」
しゃっくりを上げながら、私は続ける。
「わかったよカイ。……友達を他に作らなかったのも、他の子に迷惑かけないためなんだよね。自分と親しいとバレたら、危険が迫るかもしれないから」
周りから恐れられるような態度を取っているのも、人を近づけないためなのだろう。だってカイは優しいから。
鼻水をかんでいると、彼女はゆるく首を横に振った。
「少し違うわ。……私は誰も友達は作りたくなかった。私の正体がバレるリスクは少しでも避けたかったから。あなたを住まわせた隣室が空室だったのも、部屋に人が近寄らないようにするためよ」
私は鼻をかんで胸を叩いてうったえた。
「大丈夫! 安心して! 私はリスクにならないようにするから! 寮から出ないから危なくないし、実家も貴族の社交にほとんど出てないから、大丈夫だと思う!」
カイは自嘲するようにクスッと笑った。
「……私もばかだわ。あなたのことだって、放っておけばよかったのに……」
カイが私にスッと手を伸ばしかけ、我に返ったように手を下ろす。
私はその手を取って、にっこり笑った。
「大好き、カイ。これからもずっと仲良くしてほしいな」
「……私も、ずっと仲良くできたらどんなにいいかと思っているわ……」
カイは大きな手で私の手を包むと、泣きそうな笑顔をみせた。
ぎゅっと握られて、私はカイの手の大きさに気づく。
きっとたくさん苦労して、強くてゴツくなったのだろう。普段は気づかなかったカイの逞しさに、私は胸の奥がきゅうっと苦しくなった。
カイの手も、生き方も全部大好きだと思った。
◇◇◇
ーーそうして私たちは親友になり、大親友になり。
一緒に毎日過ごすようになった。
カイは私にマナーや勉強だけでなく、おしゃれや国外の素敵なお話をたくさん聞かせてくれる。
私はカイが知らないこの国の家庭料理を作ってあげた。
パジャマパーティをしたい! と言ったときは、
「それだけは遠慮するわ」
……ってと 断られちゃったけど。
温泉旅行もだめだって。
海に誘った時は、
「あ……あなたはいい加減、薄着になること以外のお誘いをして頂戴!!」
と真っ赤になって言われちゃった。
高貴なご令嬢を遊びに誘うって難しいなあ。
そんなわけで。
カイに対して、私ができることはあまりなかった。
色々面倒見てもらっているのだから申し訳なかったけれど、私が引け目を吐露すると、カイは優しく目を細めて言った。
「いいのよ。私は……あなたが隣で笑ってくれているだけで、幸せだから」
「それでいいの?」
「だって……あなたは親友でしょう?」
こんな時のカイはなんだか儚くて、切なくて。
なんだかいつかふっと遠くに消えてしまいそうな予感がして、胸がぎゅっと痛くなった。
「もちろんだよ、カイ。私は親友だよ……!」
◇◇◇
2年生では修学旅行。
修学旅行ではこの国のことを知らないカイを、たくさんいろいろ連れて行った。
グラバラス邸でハートの石を探したところで、私たちはケイク・テラを食べながら街を見下ろす。
海辺の街テリアス市内が眼下に広がっている。
私はカイに念押しでたずねた。
「ほんっとうに、他の友達作らなくていいの?」
「……言ったでしょう? 私は多くの人と近くなりすぎて、バレてはいけないことが多すぎるの」
「そっかー」
「フェリシアこそどうなの? 昨日、旧ポリティーチャ侯爵庭園で告白されていたじゃない」
「あー、あれ?」
私は頭をかく。
実は私は修学旅行中、バラの咲き誇る庭園で男子生徒に告白されていたのだ。
奨学生でも家柄が新興貴族でも関係ない、結婚を前提に付き合ってほしい、と。
「見られてたんだ」
「だってずっと学園にいた時からチラチラ見てたじゃない、彼」
「よく気づいてたね!?」
私は舌をまく。
カイは面白くありませんわ、と言いたげに髪をくるくると指に巻き付けながら尋ねる。
「で、どうなの?」
「どうなの……って?」
「だから、付き合うのかどうか、よ。彼って騎士団長のご子息、成績優秀で素行よし、交友関係も問題なし。しいていうなら大人しくてクラスカーストは上の下、というところだけれど交際するなら五本の指に入る良い男よ」
「うひゃーよく調べてるねえ」
「そ……それくらい令嬢なら当然の調査ですわ。自分の人生を左右する相手なのですから」
「もしかして私のために調べてくれた?」
私がカマをかけると、パッとカイの頬が染まる。私はなんだかキュンキュンした。
「か……可愛いなあ」
「わっ私を可愛いなんて仰っている場合ではなくてよ?」
「大丈夫大丈夫。断っちゃったから」
「そうなの、彼なら安心よ…………って、断りましたの?!」
カイが目を剥く。私は頷いた。
「うん」
「どうして!?」
「だって……その……なんて言うんだろう……カイと一緒にいる時みたいな、ドキドキしたりする気持ちになれなくて……」
「呆れましたわ。それでも貴族令嬢ですの?」
「……責任、感じますわね……」
カイは目元を赤く染めて、目を逸らす。
私はこの時ちょっと思った。
カイが女の子じゃなかったら。
きっと、私はカイと結婚してただろうなあって。
でも私たちは女同士。
どんなに好きな親友でも、いずれお互い別々の男の人と結婚することになる。
急にそれが残酷なことに思えて、不安で、私はカイの手を握った。
「……フェリシア?」
「カイ……大好きだよ」
私の言葉に、カイはいつものように渋い顔をする。
「その言葉は……別の人のためにとっておきなさい」
「えへへ。ごめんね」
私は笑う。
いつでも言える距離にいるあいだにーー私は、カイの傍でたくさん好きって伝えたかった。
亡くなった母にはもう二度と、大好きは届かない。
母が死んだ時に決めていた。
私は好きな人には、後悔しないくらいたくさん大好きって伝えることを。
◇◇◇
そんな日々を送って、私たちは3年生に進級した。
すっかり忘れていた実家から連絡が届いたのはその時だった。
「話があるからまた帰ってこいだって」
「……次は私もご一緒していいかしら?」
カイが険しい顔をして言う。私は困惑した。
「え、でもカイ。学園の外に出たら、亡命中の身として色々まずいんじゃ」
「……大丈夫よ。すぐには誰も私だと気づかないわ」
「そうなの?」
「ええ。それに親友のためだもの。さあ、馬車も私が用意するわ、行くわよ」
「も、もう!?」
「いきなり行って相手のペースを乱すのも、社交における戦法の一つよ」
「頼りになるぅ〜」
そしてパカパカと馬車を走らせ、私たちは実家に到着した。
実家のチャイムを鳴らすと父は玄関を開けずに怒鳴った。
「か、金はもうすぐ用意するから! 今日は帰ってくれ!」
「お金なんていらないですがお父さん、どうしたんですか?」
「…………うわっフェリシアか、びっくりしたっ! 驚かすな馬鹿者!」
父は扉を開くなり、私を見て目を剥いて叱りつける。
私の隣でゴホン、とカイが咳払いした。父は目を白黒させた。
「……あの、失礼ですがどちらのご令嬢で……」
「ごきげんよう。名乗るほどのものでもない、フェリシアお嬢様の大親友ですわ。私もご一緒してよろしくて?」
「ど、どうぞ……」
父は縮こまって、カイを中に案内してくれた。
父はこういう、生まれながらの高貴なオーラと風格を持つ人の前では弱いのだ。
早速客間に案内されたものの、ソファに座った私たちを前に、父は身を小さくしている。
「お父さん。帰ってきてって話だったけど、一体何があったんですか?」
「……結婚の話を進めている、ということだ。お前の」
「私のですか?」
私は驚いた。婚約破棄されて以来、私はすっかり実家から捨てられたと思い込んでいたから。
「相手の方はどなたですか?」
「クドリッシュ男爵だ。学校も退学してすぐに来るように、と言ってくれている」
「えっ」
私はショックで眩暈がした。学校を退学? いきなり?
ーーカイと離れるの?
言葉を失っていると、カイが手をぎゅっと握ってくれる。我にかえって顔を見ると、カイが唇だけで、「大丈夫?」と聞いてくれる。
私は強く頷いて、父に向かい合った。
「……お願いします。お金でご迷惑はかけませんので、せめて卒業までだけでも待ってもらえませんか?」
「ダメだ。今すぐじゃないと。もう決まった話だ」
「ふぅん?」
じっと睨んだカイにビクッとしながら、父は気丈に言い返す。
「あ、あなただってわかるでしょう? 貴族の娘なら政略結婚は当然です。家のために、フェリシアには結婚してもらわなければならないんだ」
「……少し、私と二人でお話しできませんこと?」
「「えっ」」
私と父は揃って変な声が出る。カイは私を見て言った。
「ごめんなさい。ちょっと客間を出ていてくれるかしら。馬車で待っていて」
「わかったわ」
「……さて、お父様。私たちでじっくりお話をしましょう?」
氷の眼光で父を射抜くカイ。
カイの威圧感に父はきゅっと縮こまる。
私はそそくさと部屋を出て、馬車に待っていようとしてーーやっぱりそれはできないなあと、廊下でウロウロと待っていた。
声は聞き取れないけれど、客間の中から、カイの静かな淡々とした声と、父のいろんな声が聞こえてくるーー困惑の声、怒鳴り声、驚いた声、泣きそうな声。
「や、やっぱり客間に入ったほうがいいんじゃないかな……」
外でオロオロとしていると、ちょうど通りすがった義妹が「あっ!」と声をあげた。
「ちょっとお姉様、なぜこんなところにいるんですか?」
「え、ええとあの……色々あって……」
義母もやってくる。
二人ともよく見たら、以前よりも随分と血色が悪くギスギスして見える。
「なんでそこにいるのあなた!?」
「え、ええと……」
「もう! お姉様じゃらちがあかないわ! ねえ、お父様〜!」
「あっ来客中……」
そこで義妹が客間にヒョイと入り込んでしまう。そして妹の悲鳴が聞こえた。
義母が青ざめた顔で私を見た。
「ちょっと、誰が来てるのよ」
「私の親友の貴族令嬢……ですが……」
しばらくドタドタという騒がしい音が聞こえたのち、襟を整えながらカイが一人部屋から出てくる。
私はカイに駆け寄った。
「カイ! 大丈夫!?」
「なんてことないわ。手刀で落としただけだから」
「手刀!?」
「結婚は白紙になったわ。安心してちょうだい。あなたをロリコン露出狂男爵の妻にはさせない。学校もやめなくていいわ。帰るわよ」
「えっ!? 白紙!? ロリ……って何!? 待って、情報が追いつかないよ〜!」
そんな感じで、義母に「ごきげんよう」と冷たい一瞥だけむけたカイは、スタスタと屋敷を出ていく。
馬車に乗ってしばらくパカパカしたところで、カイははあ……と深いため息をついた。
「結構ゴツいため息つくんだね、カイ」
「疲れたのよ……もう……」
「ありがとうカイ。とにかく……よくわからないけど、私を助けてくれたんだよね?」
私はカイの手に手を重ね、顔を覗き込む。
「……もう」
苦笑いのような、困った子供を見るような笑みを浮かべて、カイは私の頭を撫でた。
カイに頭を撫でられるのは初めてで、私はびっくりしてしまう。
「ひゃあっ……どうしたの?」
「んー……撫でたくなっただけですわ」
「そう? もっと撫でていいよ! それで落ち着くなら!」
私が頭を差し出すと、「安売りするものじゃなくってよ」とぺしんと額を叩かれる。
「へへへ、そうだね。ここぞというときに出すことにするね」
「ふふふ」
「えへへ」
「ふふふふふ」
私たちは顔を見合わせて笑い合う。
それだけでなんだかとっても嬉しくて、幸せで仕方なかった。
帰りの馬車に揺られながら、私は思った。
ーーカイとのこんな日々は、卒業したら終わってしまう。
カイはいずれ隣国に帰るだろうし、私も卒業後はどこかに勤めて、誰かのお嫁さんに多分、なるだろう。
車窓の夕陽を眩しそうに眺める、カイの顔を焼き付けるように私は見つめた。
ーーそれから数ヶ月後。
私が知らない間に、父は離縁して義母と義妹は家を出たらしい。
父は何か恐ろしいものに脅されたかのようにおとなしくなり、今は清貧に勤めて商会を立て直すために必死に働いているという。私への「今までごめんね。パパより」という手紙まで届いてきた時は……さすがに、ちょっと鳥肌がたった。何があったの、父に。
日常が戻ってきたカフェテリアでイカ墨パスタを食べながら、私はカイに相談する。
「仕送りしたほうがいいかなあ」
「しなくていいわよ。商売人なんだし、大の大人なんだし、自分で窮地くらい乗り切れないといけませんわ」
「そんなものかあ」
カイが私をじっと見つめてくる。
「どうしたの?」
「……なんでもないわ」
カイは首を振って、長い銀髪を揺らす。
そしてあっという間に、私たちの学園生活は楽しく、目まぐるしく過ぎていった。
一つ一つが、とても大切な思い出になった。
◇◇◇
そして学園生活はあっという間に終わってしまう。
卒業パーティの朝。
私が寮の一室で支度をしていると、カイがやってきて、「化粧をさせてちょうだい」と申し出てくれた。
「いいの? カイだって支度大変なのに」
「私は終わったわ。最後の日なんだから、すっぴんで適当な髪型じゃ許さないんだからね」
「えへへ、ありがとう」
私は窓辺に座り、朝の柔らかな光の中で化粧をしてもらった。
目を閉じて差し出した顔に、柔らかなクリームが塗り込められ、粉をのせる刷毛が滑る。
顎に指を触れられたり、後毛を耳にかけられたりすると、なんだかちょっとどきどきする。
これでカイとお別れになるんだと思うと、切なかった。
カイが少し低い声で告げた。
「……最後に口紅を塗るわ。口、少し開いて」
「ん……」
そこで少し時間が止まる。口紅に悩んでいるのだろうか?
私は目を閉じたままカイに尋ねた。
「カイ?」
「……なんでもないわ。綺麗だから見惚れていたのよ」
カイから見た目をストレートに褒められたのは初めてだ。
悪くないじゃない、とか、そっちの方が上出来よ、なんて言い方はされていたけど。
それが私たちの「最後」を意味しているようで、私は込み上げるものに耐えきれなくなった。
「……ちょっと。なんで泣いてるのよ」
「ごめん、お化粧してもらったばっかりなのに、ごめん……私……カイ大好きだよ」
「私もよ、フェリシア」
カイは私の涙を上手にハンカチで拭ってくれる。カイも目元が赤いように見えた。
「一生忘れない。フェリシアと過ごした日々。私の人生の宝物にする」
「また会おうね、絶対会おう。……同じような暮らしはもう二度とできなくても、大親友だもん、また年取って、おばあちゃんになっても、一緒に笑い合いたいな」
カイはふっと真顔になる。私を写したその両目は、急に凪いだものになる。
じっと怖いくらいの真顔で私を見つめたのちーーカイが、声のトーンを変えて尋ねてきた。
「ねえフェリシア。……大親友じゃなくなったとしても、私のことを許してくれる?」
「え……どういうこと?」
「親友じゃなくなっても、『カイ』に二度と会えなくなっても、……私と、一緒にいてくれるつもりがあるのなら……私は……」
カイが思い詰めた顔で視線を落とす。
そして立ち上がり、パッと私に背中をむけた。
「ごめんなさい。忘れてちょうだい」
「……カイ」
私は立ち上がり、後ろからカイをぎゅっと抱きしめた。
カイの肩が、びくりと震えた。私は固いカイの腰に腕をぎゅっと回して、語りかけた。
「大丈夫。いろんな事情があるの、わかってるよ。……だって亡命中なんだもんね。……でも、私はカイのことが大好きだから」
「……そんなこと言って。後悔するかもしれないわよ」
「後悔なんてしないよ。もしカイが本当はカイじゃなくても、どんな事実があったとしても……カイのことは絶対好き。だから勇気が出た時に、私に話してほしいな」
「……フェリシア……」
「だから、頑張れ」
私は祈りを込めるように、カイをさらに強く抱きしめた。
カイは強い力で私の腕を解くと、ぎゅっと、身を屈めて抱きしめてくれた。
その力が思いの外強くて、真剣で、私はなぜだか体の奥からカッと熱くなるのを感じた。
しばらく抱きしめたのち、カイは私の髪を撫でて笑って言った。
雪解けした表面の輝きのような、まばゆい笑顔だった。
◇◇◇
卒業パーティは学園をあげて盛大に行われた。
今日で着納めの制服に思い思いの改造を施して、卒業生は歌ったり踊ったり在校生主催の出店で飲み食いしたり、それぞれ思い思いの別れの日を楽しんでいた。
私もカイと一緒に手を繋いで、在校生の出店の軽食を食べたり、在校生主催の即日写真機で記念の写真を撮ったり、出し物を見て楽しんだり、庭でスワンボートを一緒に漕いだり、たっぷりと楽しんだ。
スワンボートを漕いでいるのは男女カップルばかりだ。
それを見て私ははっと、今更のことに気づく。
「……学園にいる間に……婚活すればよかった……」
「あははははっ……あ、あなた、何をおっしゃってますの、今更!」
隣のカイがお腹を抱えて笑う。スワンボートで他の人から離れているからか、カイは今までにない笑い方をする。そういえば今日もごく自然に手を繋いでいたけれど、手を繋いだこともこれまでなかったし。変に照れてドキドキする。
「な、なんだか……今日のカイ違うね?」
「そうかしら? ……ふふ、きっとあなたがいつにも増して綺麗だから、私も気持ちが舞い上がっているのよ」
「えっ!? か、カイの方が綺麗だよー」
そんな風にはしゃいだ声を上げながら、ドキドキを誤魔化すように私はスワンボートを漕ぐ。
カイが漕ぐと、グイグイと進む。亡命のご令嬢ってすごいな。脚力も強いんだ。
スワンボートを降りると、私たちの近くから陽気な軽音楽部の演奏が聞こえてくる。
「あっ、カイ。見て! ガーデンダンスパーティだよ」
私が指差した先では、ローズガーデンの広場で男女がペアになってダンスを踊っていた。
私は手を引いてねだった。
「踊ろう、カイ」
「……いいの? 一緒に踊っちゃったりして」
ちら、と視線を向ける先は、男女ペアばかり。
私たちみたいに女子生徒同士で踊る人はほとんどいなかった。
「今から婚活でも間に合うかもしれませんわよ? フェリシア。あなた今日は可愛いのですから」
私は最後まで言わせないように、カイの口元に指を当てる。
「私があなたと一緒に踊りたいの。ね?」
「……まったく。大親友のおねだりには敵いませんわ」
カイは覚悟を決めたようにシャンと背筋を伸ばし、紳士然としたエスコートで私に手を差し伸べる。
「踊っていただけますか? フェリシア・ヴィルデイジー男爵令嬢」
「はい! カイ様」
私の言葉に、カイは少し眉を顰める。
「……公爵令嬢とつけなさい」
「でも、カイは本当はコーデリック公爵令嬢じゃないんでしょう?」
「……仕方ないわね」
カイと一緒に制服のスカートを翻し、手と手を取って颯爽と広場へと向かう。
そして私たちは、誰よりも大胆にダンスした。
最初はワルツ。そしてだんだん激しいダンスに。
最初は「なんだなんだ」と冷やかし気味に見ていた他の人々も、次第に盛り上がって、私たちと一緒に即興で踊り始めた。
鳴り響く軽快なドラム。ステップで舞う土埃。スカートを翻して笑いながらダンスし、疲れて花畑に座り込む令嬢たち。楽しそうにダンス勝負をする令息たち。
こんなにみんなでめちゃくちゃになって踊るなんて、きっと卒業してしまえば永遠にできない。
汗を流して、カイと手を取り合い、ダンスして。
見つめあって笑って、カイが銀髪を振り乱し、挑戦的に目を眇めて笑って。
ドキッとした瞬間くらっとして、足がもつれて転んでしまって。
「危ない!」
ーーカイにぐいっと引き寄せられる。
腰を抱かれ、ぐっと顔が近づいて……私は、時が止まったような感覚になった。
カイは真顔だった。綺麗な両目に私をいっぱいに映してーーそして切なそうに、微笑んだ。
「フェリシア、実は、私は……」
その時。
出店の方角から飛び出してきたパンダの着ぐるみが、私とカイの前に立ち塞がる。
パンダは頭部分を吹っ飛ばし、素顔を見せて大笑いした。
ーー忘れもしない。義妹だ!
「ルジーナ!!」
「お姉様、覚悟ッ!!! お嫁にいけなくなっちゃえ!!」
パンダ義妹は私に向かって、毒々しいポーションの瓶を投げる。液体が散る。
思わず顔を覆って身構えたけれど、私はちっとも痛くない。
ハッとすると、カイが私の代わりに薬を浴びていた。
顔にはかかっていないものの、制服のスカートがドロドロに溶けていく。
「ふ、服を溶かす薬……!?」
カイの服が溶けていく。肌が露出し、スカートの布がばさりと落ちる。
カイが青ざめたのが見えた。
「カイ……!」
私ができることは当然一つ。
私はすぐに自分のスカートを破り、カイの腰に巻きつけた!
「ちょ、ちょっとあなた!」
「大丈夫! ズロース履いてるから! セーフ! ブルマみたいなもんだから!」
「セーフじゃないですわ……!!!」
と言いながら、カイはおとなしく私のスカートを巻かれてくれた。
私たちが露出問題にあたふたしている間に、義妹は警備員にお縄になっていた。
そして特に卒業パーティは中断されることもなく、何事もなく再開される。
「この国の危機意識はどうなっていますの……」
「そうだよね、カイが恥ずかしい思いさせられたのにね、もっとみんなタオルとか持ってくればいいのに」
「そういう問題じゃありませんわ」
流石にズロース丸出しとスカートボロボロの令嬢二人で遊びを再開できないので、私たちはそのまま寮へと戻った。
夕暮れどき、喧騒が遠くなっていくと、急に世界が私とカイだけになったような気がした。
カイは廊下の先を行った。
きっと私のズロース丸出しを見ないようにしてくれているんだろう。
黙ってついていっていると、背中を向けたままカイが尋ねてきた。
「……見たのでしょう?」
声に絶望が滲んでいる。私は首を横に振った。
「見てないよ。何も」
「…………いいのよ。見られた方は、わかるから」
私たちは部屋の前で立ち止まる。カイの部屋の前に、見知らぬ黒服の男たちが集まっていた。
彼らはカイを見て、深く頭を下げる。
ーー隣国の迎えが来たのだと、私は悟った。
カイは振り返った。
いつだってつけていた黒いチョーカーが、今はない。
「……フェリシア」
声が、低い。
その表情ももう、カイ・コーデリック公爵令嬢ではなかった。
服装も、見た目もそのままなのに、なぜだろうーーもう二度とカイ・コーデリックには会えないのだと、私ははっきりと悟った。
カイだった人は、カイとは違う声で、カイと同じ仕草で笑う。
「最後くらいかっこつけたかったのに、無理だったな」
「……ううん。かっこよかったよ。カイ」
「スカートめちゃくちゃにされて、君に守られて情けない姿だったのに?」
「今日だけじゃなくて、ずっと。カイは……ずっとカッコよくて大好きな人だよ」
カイが皮肉っぽく片目を細くする。
「過去形にしなくていいの?」
「当たり前だよ……今も、大好きだよ」
「……そっか」
銀髪を夕日に染め、カイが私に近づく。
私の左手を取ると、手の甲に静かにキスをした。
「……必ず会いに行く。それまで、待っていてくれる?」
「もちろんだよ。……だって、」
大親友だから。
そう言おうとしてーー私は言葉を変える。
「傍にいるって約束してたじゃない。カイがどんな人だったとしても、許されるのなら……傍にいたいよ」
声が涙声になりそうだ。私は咳払いし、目元を拭い、精一杯の笑顔をカイにむけた。
「だから……また会えるのを待ってるよ」
翌日。
隣の部屋はカイがいたことが嘘のように空になっていた。
残り香ひとつ残らない部屋に、たった一つ、私への手紙が残されていた。
親愛なる フェリシア・ヴィルデイジー男爵令嬢
一年後、あなたの18歳の誕生日、あなたの傍に必ず戻る。
今度は、永遠に傍にいるために。
愛を込めて
ーーカイ・ルイズ・レシュノルティア
◇◇◇
ーー学園の卒業後、私は外交局の公務員として働くようになっていた。
どうやら私を外交局にぜひにと推薦してくれた人がいるらしく、身分不相応ながらも貴族令嬢令息たちに囲まれて、毎日てんやわんやの下っ端働きを繰り広げている。
学生時代はいじめられたりもしたけれど、社会人になってみると驚くほどみんな大人になった。
いじめられてた側としては「何『あれは『若気の至りだった』みたいな顔してんのよ!」と言いたくもなるのだけれど、この場所でそんなことは言えない。
まあーー上司がいうには。
社会人になってしまうと、社会的地位が決まってしまったり、婚約者が決まったり、結婚しちゃったりして、無限大になんでもできるような根拠のない自信というものが潰えてしまう。だからいじめていた相手がどんな存在かようやく分かるようになる、と。
うーん。わからない。
でもなんか、私をいじめていた過去を隠さなきゃいけないような事情が、彼らに出来たのだろう。
貴族だから、生まれ持っていろいろ持ってるから、幸せってわけではないのも難しい話だ。
それはそうと実家について。
手伝ってあげなきゃとハラハラしていた実家は、父が案外頑張って建て直そうとしているらしい。
義母と離婚したことで身の丈に合わない生活から目を覚まし、地道に努力するようになったとか。
よかった! お父様、えらい!
そして妹は通称お嬢様刑務所、正式名称反省修道院で反省させられている。
犯行動機は嫉妬。離婚後の生活苦で心を病んだ妹は、私が煌びやかな生活をしているように見えて腹が立つから、同じ立場になって欲しかった! らしい。
義母の話は聞かないから、多分元気にやっているんだと思う。多分。
迂闊に気にしてしまったら、なんだか「お金貸したりした方がいいのかな」とか思ってしまうので、心を鬼にして考えないようにしている。
隣国レシュノルティア王国はクーデターが沈静化し、新国王が即位した。
死んだと思われていた王太子殿下が実は生きていて、第二王子と協力してクーデターの首謀者を処したのだ。
私が忙しいのも、実はその影響が大いにある。
隣国の公式行事に対する仕事がものすごーく多くて、私のような底辺新人でも手足が100本くらい生えたい!!と思うほどとにかく仕事がおおいのだ。
私は会議書類をババババと準備すると、書類の束を胸にだき、おっとりした顔で私の数千倍の速度で書類を片付ける上長にピシと背筋を伸ばす。
「第五会議室の準備に行ってきます!」
「うん、気をつけてね〜」
ピカピカに磨いたパンプスに、誰に対しても失礼にならないオフィスドレス、そしてメイクにヘアスタイル。立ち振る舞いと語学。廊下に設られた鏡を見て、私は微笑む。
学園で教えてもらった全ては、今の私の礎になっている。
どれも、カイが私に叩き込んでくれたことーーカイのおかげで、今の人生がある。
私は切なくなって、胸ポケットにしまった手紙にそっと触れる。それだけで、勇気が湧いてくる。
「うん、頑張ろう。会議室にお集まりの席次をもう一度確認しておこうっと……」
考えごとをしながら廊下を曲がる。
そこにはもうすでに、黒いスーツを纏った一団の背中があった。
こんなに早く来ているなんて! 私は深呼吸をして、背筋を伸ばして声をかける。
「お待たせして申し訳ございません。係のものがすぐーー」
黒服の中から、真っ白な礼装の男性が現れる。
銀髪の美しい、とても綺麗な人。
「……あ……」
私は。
いっぱしの社会人ぶっていた私は、胸に抱いた書類を取り落としてしまう。
その人は、私に近づくと困ったふうにクスッと笑った。
ーーそして、私にだけ聞こえる距離で、こう小さく呟いた。
「何やってるの。相変わらずね、フェリシア」
髪の長さも違う。服装だって、トラウザーズを履いた足捌きだって、まるで別人だ。
けれど背の高さも表情も、私の見慣れた、数年間ずっと一緒にいた、確かに大親友のあの子の面影があって。
私が辞儀をする前に。
第二王子殿下は私に微笑んだ。
「迎えにきたよ。私の大切な大親友……そして……僕の愛しいフェリシア」
ーーそれから私は速やかにコーデリック公爵家の養女となることが決まり、フェリシア・コーデリック公爵令嬢として隣国第二王子殿下の婚約者となった。
外交局で何度も隣国高官と顔を合わせていたので、彼らは私を第二王子妃に足る存在だと支持してくれたらしい。
「……もしかして、私が外交局に就職できたのって」
「当然だろ。だってフェリシア、ずっと傍にいてくれるって言ってくれたじゃないか」
もちろん実力がなかったら計画も上手くいかなかったからね。と元大親友はしれっとした笑顔で付け足した。
大親友は婚約者になっても、相変わらず頭が切れてかっこいい。
きっとそれは、旦那様になっても変わらないのだろう。
「傍にいてね、フェリシア」
「もちろんだよ。カイがどんな人だとしても、私は一緒にいるよ」
大親友の公爵令嬢は男だった。世界で一番大好きな大親友は、世界で一番大好きな旦那様になる。
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