7話 黒羽の絆
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それは、遠い日の夕暮れ。
京都の鞍馬山。天狗伝説が残るその場所で、幼いオレは迷子になった。男には見えないであろう長い青磁色の髪は木の枝にひっかけたり、転んだりしてほつれて土にまみれていた。
カー、カー…………嘲笑うような烏の鳴き声。濃さを増していく闇の中をただ、やみくもに突き進む。
「ここ……は?」
やがて、朽ちかけた鳥居を抜けて、小さな神社に迷い込んだ。
「……あ、迷子?」
不意に声がして、顔を上げると目の前には漆黒の羽を持つ、少女にも少年にも見える存在が立っていた。
「……て……天狗……鴉……天狗……!」
天狗にさらわれるという話は昔話に多く登場する。そして、女ではなく、少年を攫うのだという話をオレは少し前に読んだばかりだった。足がすくむ。怖くて、動けない。
「大丈夫だよ。取って食べたりはしないよ……というかキミは、うん……そもそも無理」
鴉天狗はそう言って、オレをそっと抱きしめた。
「……こうすれば、落ち着くってドラマで見た気がするけど」
(……あ……)
先ほどまでの不安と恐怖が嘘のように、オレは落ち着きを取り戻していた。
「どう?落ち着いたかな?」
鴉天狗はそう言って笑う。
「あ、うん……」
「良かった。じゃあ家まで送っていくよ。でも、その前にキミにはこれを」
「……羽根?」
鴉天狗はそう言って一枚の漆黒の羽を取り出し、オレに渡した。
「キミは前世に色々あって……まあ狙われやすいんだよね。だから、ボクの相方であるキミのためのお守り」
「相方?」
「そのお話はまた会った時にね。さあ、暗くならないうちにお帰り」
「待って……!名前を――」
そう言って振り向いたときには彼の姿はなく、オレは家の前に立っていた。
<キミにだけ教えるよ……ボクの名前は【天河石】……キミが生を望むのなら、ボクを呼んで。
その羽根が教えてくれるキミの居場所に、どこだっていつだって……必ず助けにいくから――>
――
「夢……か……」
青磁はそう呟いて、ベッドから体を起こした。今日は桜導のメンバーで鞍馬山にハイキングに行く日だ。支度は昨日のうちにすませてある。
「……鞍馬山……天河石と……会った場所……か」
あれ以来、青磁はその場所に行くことも、天河石に会うこともなかった。そしてこのことは誰にも言っていない、青磁だけの秘密だ。
「……何だろ。何だか……」
青磁は胸がざわつくのを感じていた。
――
「よーし、みんな揃ったな!」
「なんでそんな張り切ってるの……臙脂……」
臙脂を先頭に、電車で移動する。全員が制服ではなく、動きやすいジャージ姿だ。臙脂と紺は加えて大きめのリュックサックを背負っている。浅黄、瑠花、銀朱の3人はスマホで地図を見ながら、何やら楽しそうに会話していた。青磁は、興味のない様子で手に持った本に目を落とす。みんなからは見えないように、ジャージの下にあの羽を加工してもらったブレスレットをしていた。
「―というわけなんだけど、いい?青磁」
「……あ、ごめん聞いてなかった、何?」
「お前な……まあ、いつものことだけど」
臙脂はあまり気にする様子もなく、彼に一枚の紙を差し出した。
「ん、何これ」
「最近、この山で迷子になる人が多いらしいんだよ。地元では天狗の神隠し、って言われてるけど」
「確かに、鞍馬山というと鴉天狗のイメージだよね」
青磁はそう答えてその紙に目を通す。内容は真赭からの指令だった。
桜導男性陣へ
最近、鞍馬山山中で男性の【神隠し】が相次いでいる。
マヨイゴが関係しているのかどうかはわからないけれど、被害者が言うには「虹色に光る蝶」に誘われて迷い込んだということだ。
その場にいた女性には何も起こらなかったようだから、どうやら男性限定らしい。
そこでだ、付近には観光スポットや美味しいスイーツもあるから、女性陣をさりげなくそこで待機させて
実際の調査や「還し」は男性陣だけで行ってもらいたい。
浅黄さんも石妖と契約したと聞いた。
君たち桜導のメンバーはもしかすると全員が石妖と契約する何らかの資質を持っているのかもしれないね。
今夜はちょうど満月にあたる。
どうか、気を付けて。
―真赭
P.S
鞍馬山は天狗にゆかりのある地だから、もしかすると【鴉天狗】の石妖が姿を見せるかもしれないね
(……鴉天狗……!?)
青磁だけはその文を読んで、背筋に冷たいものを感じた。
(誰にも言っていない……知るはずがない……ただの……偶然……?)
「……青磁?顔色悪いよ?」」
心配そうにのぞき込む紺に、青磁ははっと我にかえる。
「うん、大丈夫。電車で本を読むと酔うね。内容は了解」
彼はそう言うと、折りたたんだ紙を紺に返した。
「え、大丈夫?もう少しで着くから、降りたら少し休む?」
「ううん。歩いたら治るよ。スイーツ……か……」
「そういやお前甘いもの大好きだったな。まあ、女性陣に怪しまれてもあれだし、とりあえず楽しもうぜ」
「賛成!」
こうして桜導メンバーは鞍馬山に着いたのだった。
――
その後、予定通りにハイキングを行い、昼食を食べたところで男性陣は女性陣と別れて再び山を登っていた。理由は「山の中にある神社を見に行く」ということになっている。
(昔、確かに神社に迷い込んだんだから嘘じゃないよね)
適当な口実が欲しかった紺と臙脂も異論を挟むことはなかった。
「けど、こんな山の中に本当に神社なんてあったのか?」
「別に、信じないなら信じなくてもいいけど……あ、そうだ聞きたかったんだけど」
「聞きたい事?」
「オレ達の誰かがはぐれたら、どうするの?」
「それは――」
紺がその問いに答えようとした刹那、虹色の蝶が青磁の視界を埋め尽くした――
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それは、遠い日の夕暮れ。
京都の鞍馬山。天狗伝説が残るその場所で、幼いオレは迷子になった。男には見えないであろう長い青磁色の髪は木の枝にひっかけたり、転んだりしてほつれて土にまみれていた。
カー、カー……嘲笑うような烏の鳴き声。濃さを増していく闇の中をただ、やみくもに突き進む。
「……呆れた。あの時と状況が全く同じ」
見覚えのある景色の中を彷徨いながら、青磁は独り呟いた。違うのは髪型と、彼の年齢ぐらいか。
(ってことは、あの時とこの現象を起こしてる奴は【同じ】、か)
青磁は腕に付けたお守りにそっと触れる。
あの後、漆黒の羽は美しい緑色の石に姿を変えた。おそらくはあの日の鴉天狗の名前と同じ石に。
「……あの頃とは違うんだ……今のオレには力がある……もうただのか弱い迷子じゃない」
そして虹色の蝶に導かれ、辿りついたあの日と同じ神社で青磁は虹色の蝶へ向けて、投げナイフを放つ。風の力を纏ったそのナイフは蝶の羽を散らし、灰に変えた。
「さて、オレめんどくさいの嫌いなんだよね。だからさっさと正体見せてよ、【夜雀】さん」
青磁がそう呟くと同時に景色がひび割れ、砕け散る。
そして灰になったはずの蝶が再び集い、膨れ上がって黒い羽を持つ異形の鳥のマヨイゴの姿を取った。
「ふうん、読み通りか。蝶の姿を取るって地域もあるって聞いてたし、あの世界でずっと鳥が鳴いてたからね」
青磁は再び3本の投げナイフを構え、マヨイゴに向けて放つ。正確な狙いはマヨイゴの羽を裂き、そのままそれは地面に落ちて動かなくなった。
「……あれ、これで終わり?あっけなかったな……まあいいや。さっさと在るべきとこに還って――」
青磁はそう言いかけて息を飲んだ。
禍々しい赤い月が昇り、そしてその光の中で異形の鳥がその姿を変えていく。柔らかかったはずの羽が、体が鋼へと変化し、鋼の鳥は再び空へと舞い上がった。
「――っ!?」
そして飛ばされた刃のような羽が青磁の頬をかすめる。
「……このっ!」
とっさに飛び上がり、風の力を纏わせた投げナイフをマヨイゴへ放つ。しかし、ナイフは傷一つつけられずに跳ね返り、地面へむなしく刺さった。
「げ……全く効いてない!」
マヨイゴは敵意を露わにし、複数の羽を青磁に向かって放つ!
「まず……っ!」
青磁はとっさに飛び上がり、致命傷は免れたものの、避けきれなかった羽が足を裂き、服と肌を薄く裂いた。
(……よりによって足をやられた……機動力がオレの持ち味だから……これはさすがに無理……)
勝ち誇ったように鳥が鳴く。
青磁は祈るようにお守りに触れ、そして月へ叫ぶ。
「……お願い……力を貸して……!天河石っ!」
――
刹那放たれた鋼の羽を、舞い降りた黒翼の壁が跳ね返す。黒い翼は青磁を守るように、彼の前で鴉天狗の姿をとった。
<助けに来たよ、相方さん>
(この……声)
あの時と同じ優しい声で、変わらぬ姿で、禍々しい赤い月を背にして天河石はそこにいた。
「天河石……」
<久しぶりだね……大きくなったなあ。人の成長は早いね>
「子ども扱いしないでよ……もう」
<間に合って良かったけど、酷い怪我だね……怪我のあともいっぱい>
天河石は悲しそうな目をして、青磁の足に触れた。
「最近は戦うことが多いから仕方ないよ、と言いたいけど……正直この足の怪我であいつの相手をするのはキツイね。元々、空を飛ぶ相手に地上戦っていうのは不利だし」
青磁はそう言って俯く。今は黒翼の壁が攻撃を全て跳ね返してくれているが、いつまでも持つわけではない。そして攻撃を受けてしまえば、もう勝ち目はないだろう。
<大丈夫、だからボクが来たんだよ。ね、青磁、ボクと契約してくれる?>
青磁は不安そうな天河石に微笑む。
「断るわけないでしょ。2回も助けられたキミの頼みを、さ」
そう言って彼が頷くと、お守りの天河石が澄んだ青緑色の光を放った。そしてその光は青磁の背中に集い、漆黒の鴉の羽に姿を変えた。
「なるほどね……空中戦なら……勝てる!」
彼は傷を負っていない方の足で地を蹴った。そして鋼の鳥よりも高く舞い上がり、手に持った葉の扇に風の力を集める。
「地面に堕ちて……砕けろ!」
解放された凄まじい突風が、鋼の鳥を地面に叩きつけた。鋼の鳥は叩きつけられると同時に灰になって消える。
「やっ……た……」
空中で意識を失った青磁を、鴉天狗の姿に戻った天河石が受け止める。
<お疲れさま……相方さん>
――
その頃、ハイキングに同行しなかった鴇は、ひとりパソコンの画面に向かっていた。
画面に映し出されているのは、京都の地図と今までのマヨイゴの出現情報。
そして彼の手元には指令書があった。
「……会長は石妖について僕たちよりも確実に何かを掴んでいる――」
(そして青磁のメモにだけあったという追伸の内容……)
「まるで、次にどこに石妖が現れるかわかっているような印象だな……」
鴇はそう呟いて、パソコンの電源を落とした。机に置いてあったスマホが振動し、着信を告げる。
「もしもし」
「あ、鴇?青磁が石妖と契約したみたいだ。今は気を失って眠ってる。天河石って石妖が運んでくれたみたいで、怪我がひどかったからとりあえず浅黄に回復してもらったところだよ」
「そうか。じゃあ『予想通りにしかも『鴉天狗』の石妖が出た』と」
「そういうことになるね……今のところ契約者は浅黄、瑠花、青磁、そして君の4人。銀朱は前からみたいだから」
「……気を付けておいた方がいい、ということか」
「……うん、今のところ俺たちと敵対するような様子はないけど……もし何か、俺たちと石妖を契約させる理由があるとしたなら……」
「……残りは臙脂と紺、ふたりか……臙脂はすぐ契約しそうだから、頼りになりそうなのはお前か」
「そうだね。だけど、俺は……瑠花やみんなを守るためならきっと……迷わないよ。もし踊らされているのだとしても……現実的には俺たちはもっと強くならなきゃいけない」
「違いないな。ではとりあえずは現状維持か……気を付けて帰ってこいよ」
紺との通話を終えた鴇は、窓の外に浮かぶ月を見上げた。
「……石妖……か……」
どのみちまだ、判断するには情報が足りなさすぎる。
そして、おそらく大量の情報を持っている会長と繋がっておくのは悪くはない。
「……考えても仕方がないな。どうせ、明らかになる時は来る……知りたくなくても知らされるものだ……だから、それまでは」