14話 妄念の果て
男は、理解できなかった。
男は、受け入れられなかった。
自らの結末も、自らを終わらせた相手のことも。
だから、ただ憎んだ。ただ、怒った。ただ恨んだ。ただ、憤った。ただ、感嘆した。ただ、嫉妬した。
──あの「鬼」は。
里人を守るためにただ弄ばれて、穢され尽くして、無残に殺された【銀杏】は。
男の傀儡として、理をねじ曲げて無理矢理に蘇らせられて、決して逆らわないように、心に体に刻み込んでも。記憶を一度喪っても。
それでも、男に──夜峰竜胆に立ち向かった。
自らの命と引き換えに、愛しい者の仇を討って散った。
それだけでは飽き足らず──
「素体」を作り上げて、無理矢理にその中に閉じ込めて組織──ロストエデンの秘密研究所で道具のように扱い、玩具のように弄び
心も体もボロボロにしたというのに、最後は。
やはり自らの命と引き換えに愛しい者を守って、【銀杏】をついに終わらせて散った。
翅がボロボロでも、飛び続けるどこまでも愚かで気高き蝶。
ああ、何度でも、何度でもその翅を引きちぎって。
綺麗な声で泣かせて、身も心も穢し尽くして……今度こそ逆らえぬように……何度でも何度でも……
「分体として動かしていた月輪紫土は落ちた。彼の息子が彼の母親の角でとどめを刺したよ。そして紺は刀を手にした」
黒い世界に、不釣り合いな白が生まれる。
少年は薄く笑う。
「そして、君の生まれ変わりである黒橡は、もう新たな恋に落ちている。もう、君の思念には耳をかさないだろうね。───妖刀黒竜胆。いや、【夜峰竜胆】」
そもそも、お前は誰だ。何故私の名前を知っている。
そもそもここは絶海の孤島。
鏡界の海はこの妖刀黒竜胆から溢れ出す瘴気で赤く結晶化している上にマレモノに溢れているはずだが。
「ああ、あの弱い海産物たちなら倒してしまった。見境も無く襲いかかってくるし、ちょっと味見してみても美味しくなかったからね」
少年はくすくすと笑う。
馬鹿な。マレモノならいざ知らずここの式神たちは私の最高傑作たちだ。生への妄念と生者たちへの憎しみから生まれたマレモノに喰い殺された者たちの魂の変質した形だ。
「ああ、うん。君は本当に馬鹿だね。【銀杏】への執着が強すぎて何も見えていない。力がかなり弱まっていることにも気づかない?瑠璃姫は藤真と双子界軸になることで【鎮め】の力を増し……それに、君には見えないかな?あの優しくて強い光。誰よりも愚かで誰よりも気高い【蝶】の光が」
どうして。どうして。ああ、嬉しい。憎らしい。腹立たしい、恨めしい。
ああ、蝶が。愛しき憎らしき美しき蝶。絡めとって穢して今度こそ今度こそ今度こそ───
「……ああ、もう誰の声も聞こえてないみたい。まあ、いいか。どのみち君の妄念で【集まった】。【塔】を形作るにはたくさんの人間の強い欲望が必要だ。……いくつかの世界を渡った。豊かな世界の狂った欲望。恐怖に満ちた世界の切実な欲望。【檻】は欲望の【実】で満ちた。じゃあ、しばらくこの世界とはお別れだ。……いずれ会おうね。ミオソティス。そして、金の瞳の果て──モザイクオパール」
白い少年はそう言い残して、世界を去った。
───
時は少し遡る。
「ここが……鏡界……」
着いてすぐ別行動をとった蒼、現世で七歩蛇と戦ったメンバー以外の桜導はハルアキの案内でひと足先に界を超えた。
「……なんというか、思ったより近代的というか……文化水準は変わらないかもっと上のようだな」
鴇の言葉にハルアキが頷く。
「そうだね。どうしてもあやかしがやってくる異界って聞くと御伽噺やRPGの舞台を想像すると思うけれど、異形化は界渡りの時に出るだけで、特殊能力はあってもここではみんなただの人間なんだ。君たちの方がここでは異形化してしまう」
「そのようだ。しかし西洋の騎士鎧か……僕には色々と重いな」
眼下に広がる夜景を見つめて、鴇が呟く。
「……今は妖刀黒竜胆になっているが、前世の僕が───紫苑の最初の鎮めの刀。そして最初に売れた刀があの【竜胆】だ。長雨のあと、朝日に照らされた庭の竜胆が美しくて、そう名付けた」
刀を受け取ったのはひとりの女性だった。今思い出すと髪の色が変わっていたからただの人間ではなかったのかもしれない。
「……手を離れた刀はどうしようもないさ。鴇。見えていたとしても……どうしようもないなかったんだろう?」
「……夜峰竜胆は。あの男は彼女に恋をしていた。あの頃の彼は……彼女の隣で笑っていた。冷酷でも残忍でもないただの陰陽師だった。ふたりはやがて結ばれたが子どもは……生まれなかった。その時に……彼女も共に喪った。やがてそれは敵対していたあやかしのせいだとわかり──【竜胆】は【黒竜胆】に堕ちた。あの時に夜峰竜胆は壊れた。あそこまで【銀杏】に執着したのは彼が自分と同じ【鬼】であり、彼女と子どもを奪ったあやかしと似ていた上に、彼女にも似ていたからだ」
だから、夜峰竜胆は行き場を失ったすべての感情を関わりのない美しい【鬼】へ全てぶつけた。かつての戦いで心を折られた【鬼】は、争うことを恐れた。それ故に、全てを受け入れる道しか選べなかった。
「もちろんあいつが銀杏や紺にしたことは絶対に許せない。だが、同じぐらいに異界にいた時から魔鎮めの力を持ちながら、妖刀を生み出した紫苑も許せない」
鴇の握り締めた拳から、ぽとりと赤い雫が落ちる。
「……鴇。必要以上に自分を傷つけなくていい。何より、許せないからこそ君はここに来たんだろう?なら、それでいいじゃないか。明日みんなで妖刀黒竜胆を倒してハッピーエンド。それでいいんだよ」
「ハルアキさん」
「そもそもあの妖刀は、ある流星群の翌日に海宙からいきなり降ってきたんだ。この世界は海の中にあってね、そもそも空というものは存在しない。人工太陽と人工月だけが昼夜の移り変わりを告げている。海宙には小さな綻びがあってね。そこから入り込んだ海水が長い時間をかけて鏡界の海になったらしい。まあつまりは。普通の人じゃなくシルーディアさえそのぐらいしかわからないんだ。私だけは……紫苑の恋人みたいなものだったからなんとなく分かったんだけどね」
「……」
「私は口が堅いよ。だから黒竜胆を前世の君が打ったのはふたりだけの秘密にしよう。どのみちこの部屋は完全防音だし、ふたりきりだ」
「……あなたは……ハルアキさんは紫苑さんの最期を……?」
ハルアキは寂しそうに睫毛を伏せた。
「……私は間に合わなかったんだ。長く生きていた同士で、あんなにそばにいたのに……家についた時にはもう冷たくなっていた。丁重に弔って、私は界を超えたんだ。超えたというか元の世界に戻っただけだけどね。それから色々あってこうしてシルーディアの長をやっている」
ハルアキの手が鴇の頭をくしゃりと撫でた。
「大丈夫。君を死なせはしない。それにきっと紺くんは君の刀を手にするさ」
「……はい」
───
翌日、早朝。
「みんな集まったね」
鏡界には決戦に挑むメンバーが集結していた。
桜導のほぼ全員、シルーディアの現四天王、リア・クロスから雫と陽。
「とりあえず桜導の指揮は瑠花さんに任せる。四天王……といっても今は揃っていないけれどきらら達の指揮と全体指揮は私と鴇が。雫くんたちは遊撃隊だ。自由に動いてくれ。作戦は昨日話した通りだ。では、きらら、出航準備を!」
「はーい!ではシルーディア決戦艦、通称移動型海上要塞PNGN出航します!」
ガタン、と部屋が揺れて、そのまま海上へ向かって動き出す。
妖刀墜落地点の座標は入力済みとのことで、自動操縦になったPNGNは迷わず蒼い海を進んでいく。
しばらく進むと海の様子が一変した。ところどころに不気味な赤い光を放つ瘴石晶が見られるようになり、その光で海は赤く染まっている。
やがて、鈍い音を立てて、PNGNは航行を停止した。
「目標地点に到達です!この周辺は結晶化していますので普通に歩けます!ただマレモノが襲いかかってくるので気をつけてくださいー!では作戦開始!腹部ハッチ開きまーす!」
ぱかり、とペンギンを模した腹部が開き、決戦に挑む者たちは結晶化した鏡界の海に降り立った。
「桜導は紺を補助して、とどめを」
「じゃ、俺と陽が第一の守りを壊す」
「シルーディア……と言っても空くんと僕だけだけどね。フォーマルハウトは第二の守りを砕くとしよう」
3つの部隊はそれぞれの相手へと向かう。
───
決戦に挑む前のこと。
鴇の見た記憶とハルアキの記憶、シルーディアの妖刀調査記録をつなぎ合わせた結果、ふたりは「夜峰竜胆」──妖刀思念の弱体化についてある核心を得た。
それはつまり「夜峰竜胆」が何のあやかしとの半妖であるかの答え。
シルーディアの調査記録には妖刀に鬼の属性があることは既に書かれていた。
そのため、ハルアキもシルーディアも現世の京都に本体があり、日本で最も有名な大江山の鬼、酒呑童子ではないかと思っていた。
ただ、鴇はそれをきっぱりと否定した。
「酒呑童子は伝承によると酒を好むが、夜峰竜胆はそのようなそぶりがない。その上、特に刀に関する伝承はないはずだ」
そして、もうひとりの現世の京都に本体を持つ鬼をあげた。
「……日本三大妖怪の鬼でもうひとり。術の心得を持つ鬼がいる…そしてその鬼には、刀の伝承が残っている。かつて鈴鹿御前に恋し、坂上田村麻呂という英雄に首を落とされた──大嶽丸だ。もっとも完全にそうかはわからないが……妖刀本体を含めて3本の剣。性質としてはかなり酷似している。……橙空というだいだらぼっちの半妖がいるぐらいだからな……」
鴇の言葉にハルアキは頷く。
「なぜかわからないが……半妖は基本的には元となったあやかしと似た運命や弱点を持つことが多い。伝説の最後は?」
「……あえて伏せておきますよ。でも、やはり紺の刀が決定打になりそうです」
──
「……こうやって背中預けて戦えるのが、俺は本当嬉しいよ陽」
「……ああ。じゃあ見せてやろう」
第一の守りダイツウレン。
雫と陽の前に立ちはだかるのは刀を持った巨大な鬼。
「……悪いけどさくっといくぜ!陽!」
「ああ!」
陽が操るのは日長石が嵌められた太陽の剣。意識を集中して、炎を放つ!
解き放たれた炎は檻となって敵の動きを封じるが、鬼は刀に纏わせた水でその炎を鎮める。だが、それは計算済みのこと。
続いて陽は敵の瞳に向けて強力な閃光を放つ。もちろん一瞬の目眩しでしかないが──
「……がら空きだ」
石妖アジュールマラカイト。美しい竜の背から飛び降りた雫は水を纏わせた剣を頭部に叩きつけ、衝撃に合わせて自らも吹き飛ぶほどの高水圧を放つ。
敵は衝撃で刀を取り落とした。
「陽!やっちまえ!」
「……この熱は想いの炎……燃え盛れ希望の太陽よ!パージオブプロミネンス!」
陽のスペルが生み出した擬似太陽の前に、刀は溶けて消え──
「よーし、これで今回の俺らの仕事は終わりっと」
アジュールマラカイトの背からふわりと着地した雫の前で、巨大な鬼は灰になった。
「……ハルアキさん。こちら陽です。第一の守り、討伐完了しました」
──
「さて、いよいよこちらも戦うわけやけど、準備はええ?空、昴」
「ああ。アンタの作戦通りに」
「じゃあ、まずはシルーディア四天王の最高位の幻術をお見せしよう。……真珠」
「はい、兄さま……」
真珠と呼ばれた幼い少女は、小さく呪文を唱えて瞳を閉じる。
「世界は夢 それは虚ろにうつろいて 迷い惑わす 箱庭となる」
ぐにゃりと景色が歪み、結界が張られた。
第二の守りショウツウレン。無数の鬼に対抗するように幻惑の霧が世界を満たす。
「……さて、うつろん、影分身の時間だ。……君は忍者……それぐらいお手の物だよね?」
対して昴が使うのは暗示型の幻術。正確には術者の夢を対象に具現化する能力だ。
「……鬼ども。その身に刻め……!」
空に具現化された忍者の夢が元々身体能力の高い空の戦闘力を更に高める。その上、空の契約石妖エメラルドの能力は──未来を視るものだ。
(うつろん、ええ動きや。鬼どもが翻弄されとる。じゃ、まずは一発いっとこう!)
空の周囲の空間がぐにゃりと歪む。
「……くらえ!ディメンションレイン!」
結界の上空から様々な武器を模した形の高密度の退魔術が降り注ぎ、雑魚を一掃する。しかし、雑魚を倒しても無限に沸いてくるだけ。本体はあくまで刀。
刀を持った鬼を探さなければ──
「……ちっ……本当の姿を拝めること、有り難く思えよ!」
ばさりと空の背に黒い翼が生える。彼の本来の姿はクロツグミの石妖だ。
「昴!俺に鷹の夢を見せろ!」
「はーい!」
鷹の夢で一時的に視力を上げ、空は刀を持つ鬼を見つけ出す。あとはまとめて仕留めるのみ。
「暁渦響冥ッ!」
彼の放った投げナイフが刺さった地点に時空の渦が発生し、雑魚鬼を飲み込む。
「チェックメイト」
一体だけ残った残った刀を持つ鬼に素早く接近、全力の蹴りを放つ。
鈍い音を立てて刀は砕け、守りは解かれた。
──
「守りは解かれた。いよいよだな、紺」
妖刀の本体へと歩を進めながら瑠花は紺に言った。
「そうだね。でも、怖くはない。瑠花たちがいるから、大丈夫」
瘴石晶に覆われた赤い世界の中心にそれはいた。
生前の夜峰竜胆の姿をして、手に妖刀を握った妖刀思念。
ある男の妄念の最果て。
「ああ、銀杏……銀杏……今度こそ壊して……穢して……ヒザマヅカセテ……アア銀杏銀杏イチョウ憎イ愛シイイイイイイイ!」
「……俺は【紺】だよ。それ以外の……何者でもないっ!」
ふわり、蒼い光の蝶が紺を守るように舞う。
「あなたは、ここで止める!」
「こsysくなああああああ!」
声にもならない絶叫。そのまま妖刀思念は斬撃を放つ。
「……はらいたまえ……きよらなみずよ……まもりたまえ!」
浅黄の結界術式が発動し、瘴気ごと斬撃を打ち消す。
「うるせえ!お前には前世からつもりにつもりまくった恨みがあんだよっ!」
「グア!」
臙脂のアッパーが妖刀思念を吹っ飛ばす。そこに──
「そうだねー。もういい加減往生際が悪いんだよッ!」
青磁が風を纏った無数の投げナイフを放つ。
「全く、その通り」
ナイフを避雷針にして、銀朱の雷が直撃する。
「……これ以上私たちの未来を邪魔するな!」
瑠花が妖刀思念の手から本体の刀をはたき落とし、完全に隙ができた。
「紺!」
「舞え!蒼華蝶!」
蒼い光の蝶が刀に纏わり付き、瘴気を鎮めていく。同時に刀身に亀裂が入った。
「何故……何故エ?蝶ガ……クラウ……」
「蝶とは魂。この刀は、魂のかたち。未来を願い倒れた者たちの願いの結晶」
鏡界の海には、マレモノとの戦いで敗れた者たちの想いが、遺されている。
そして蒼華蝶は魂の残滓と想いを吸い上げて、力とする刀。
「大人しく眠れ!夜峰竜胆!ここがお前の妄念の終着点だ!」
「っ………!」
刀身が砕ける。そのカケラすら蒼華蝶は喰らい尽くす。
モルフォ蝶は毒を持ち、死を喰らう蝶。故に瘴気も死も力でしかない。
本来は妖刀ともいえるその刀は、銀杏と紺の強い魂、そして瑠花の血によって変質した。
ぱきん。ぱきん。ぱきん。
結晶化していた海が蒼を取り戻していく。
「蒼華蝶。いいよ。俺から離れて鏡界の瘴気と死を喰らい尽くして!」
ふわりと舞った蝶は紺の手を離れて鏡界の海宙へ浮かぶと──巨大な姿に変わり、無数の光の蝶を放つ。
無事PNGNに帰還した者たちは美しく舞う光の蝶と、蒼を取り戻していく海を静かに見つめていた──
「これで、鏡界は少しずつ元に戻っていくだろう。シルーディアの長として──いや、鏡界の観測者として心からお礼を言うよ。ありがとう」




