13話 訣別
暗い、暗い洞窟の奥深くでそれは蠢く。
「……うん、時間だね。じゃあ解き放とうか。しかし【七歩蛇】が12センチとはね。かっこがつかないからいくつか【混ぜて】見たら今度は12メートルになったわけだけど、決戦の相手としてはちょうどかな?」
少年は迷わず大蛇の枷を外す。毒気を放ちながら出口へ向かう蛇の背に、彼は馬にでも乗るような気軽さで飛び乗った。
「……まあ、ここはあの里の跡地だからねえ。大暴れしても毒で苦しむのは桜導のヤツらだけだし」
蛇が進む後には毒で枯れ腐った植物の残骸が残るのみ。
「この場所、は君にとっても少しだけ因縁だろう?ある意味で紫苑の絶望から君が生まれたのだから。ねえ、月輪紫土。……意思を持つ妖刀の分体」
ーー
「……ここに戻ってくることになるとはな……」
臙脂は、変わり果てた隠れ里の様子を見て小さくこぼした。
〈臙脂様〉
「……紺も大丈夫か?ここは……前世でお前が……」
紺は小さく首を横に振ると、「大丈夫」と頷いた。
「……あの時の【銀杏】の記憶はもうあんまりないんだ。瑠花の……人魚の血を飲んで……あと、その……結ばれた後から、記憶がどんどん薄れていってるみたいで」
「紺は元々、前世の記憶が強すぎたから多分ちょうどいいんだよ。オレはハゼの力を臙脂に還した今でも、前世の記憶は残ってる。多分……消えないんだろうけどね」
青磁はそう言って睫毛を伏せる。
「青磁、」
「まあ、オレは別に気にしてないよ。……銀朱っていうおんなじ【闇吸い】がいたからね。それにまあ、臙脂や紺と会えたのは前世の縁のおかげでしょ。それにハゼには感謝してる」
生まれつき病弱だった青磁が桜導の一員として戦えたのはハゼが前世でアザミを愛し、その体に生命の炎を灯していたから。そして、「約束」でその炎を燃え上がらせてくれた長春がいたからだ。
「青磁、体は大丈夫?その、石の拒絶反応とかは……」
「紺の方こそ大丈夫?実質もう元の体じゃないみたいだし……ここ、海からも遠いから」
今の紺の脚には何枚か鱗が現れている。それは彼が【人魚】となった証。
「今のところは大丈夫。角石も生えたままだし……まだ人魚としては中途半端なんだと思う。この鱗、瑠花が俺を選んでくれた証だから……好きだよ」
「あ、惚気てる」
3人はたわいもない話を続けているが、これは毒使いの契約者から渡された【紫水晶糖】のおかげだ。
実際、今の隠れ里は瘴気に覆われ、草木は朽ち、あちこちに毒の沼が出来ている。
美しかった頃の里の面影はもうどこにもない。
ーー
その人物は作戦会議の途中に突然現れた。
「会議中失礼するよ。昨日の夜に神託ーー予知夢を見たのでハルアキさんと当事者に伝えなければと思ってね。そして、敵に対抗する方法も渡しに来たんだよ」
一条紫麗とその人物は名乗り、一連の予知夢を伝えた上で紺、青磁、臙脂と別動隊にこの【紫水晶糖】を置いて行った。
なんでも、【源毒樹】の樹液に【源命樹】の樹液をブレンドした特別な琥珀糖で、1日だけこの世の中のすべての毒に対抗する力を得るのだという。
青磁はなんとなく信用できずに、その人物が立ち去った後にハルアキに尋ねた。
「……今の人、知り合いですか?」
ハルアキははっきりと頷く。
「なるほど、今の彼はああいう姿が好みなのか。いや、彼なのか彼女なのかは私も知らないのだけど、嘘はつかない人なのは確かだよ。そして特別な薬の作り手なんだけど、滅多に姿は見せない。今みたいに本体が来るということはそれだけの相手だということだ」
「……じゃあ、オレはハルアキさんの言葉を信じます。海松のことちゃんと助けてくれましたし」
「うん。……こうしてまさか本当に人の体でこの世界に生まれられるなんて思わなかったんだ…ボクは……生まれなかった子どもだから」
ふたりの頭をふわりとハルアキの手のひらが撫でる。
「……青磁くんも海松くんも元を辿れば私の業の被害者だ。自己満足の贖罪ではあるけれどね」
「……それは違うよ」
海松は首を横に振る。
「あなたは本当に金緑石を、あの子を愛してくれた。あの子がボクのことをいつだって姉サマって呼ぶのが納得いかなかったけど……あの子にとって兄さまはあなただけだったんだ。少しだけ、兄さまの話を聞いたことがあったけど、あの子は本当に幸せそうに笑っていた。……悪いのは道満だよ。きっかけはあなたのミスかもしれないし金緑石のミスかもしれない。だけどあんな歪んだ研究を今の時代まで続けたのは道満とーー御蔭家の罪だ」
頷いて青磁も続ける。
「確かにさ、オレの前世は道満の研究の果てに生まれた歪み切った生命だったけど、生まれてなかったらハゼには出会えなかったし、多分ここにもいない。そしてきっと銀朱に寄り添うこともできなかった。それにオレがハゼの炎を臙脂に還した後に、長春のところまで運んでくれたんでしょ?」
「だからオレはあなたに感謝してる。海松もね」
「今回ばかりは同意だ。じゃあ、ボクはこの作戦を兄さんに。青磁たちもしっかりやってね」
「わかってるよ。じゃあ、ハルアキさん、また後で」
青磁と海松のふたりは部屋を後にする。
「若い子は強いな……さて、私も大人として頑張らなければ」
ーー
変わり果てた里をかつてこの隠れ里で暮らした3人が行く。
時の流れの中で石垣は崩れ、木は朽ち果てて屋敷の土台だけが残っている。
ハゼの屋敷の跡地にそれは蠢いていた。
「……七歩蛇……」
七歩蛇。かつて京都の東山に現れた七歩歩くと死ぬほどの猛毒を持った毒蛇。記述では12センチぐらいとあったがーー
「でかいな」
「大きい方が的にしやすくていいと思うけどね。あとなんかこれ【混ざってる】。首がやたら多いし……ヒュドラあたりかな」
臙脂は拳に装着したナックルを、青磁は無数に呼び出した投げナイフを構える。
「……紺はお前にしか使えない刀を探せ。前世で紺が殺されたのはここだ。だからもし刀があるなら、この近辺のはずだ!」
「わかった!」
七歩蛇が蛇の背後へ向かおうとする紺に鎌首をもたげた瞬間、
「お前の相手は僕だ‼︎」
凛とした声とともに矢の一閃が首のひとつを射抜いた。
ぐるり、と残り8つの首が後ろを向く。
「……ああ、やっと僕を見てくれましたね。父さん」
襲いかかる首に降り注ぐは矢の雨。
真っ白な髪をなびかせ、頭上には大きさの違う二本の角。
「……月輪真赭。月輪家の次期当主としてーー貴方を断罪します」
ボコボコと奇怪な音を立てて再生する首に再び矢の雨が降り注ぐ。
「……御蔭海松。御蔭家の犠牲はここで止める!ギベオン!」
続いて地面から現れたギベオン隕石の石人形たちが首を押さえつける。
「知っているか?ギリシア神話のヒュドラの再生を防いだ方法……業火に焼かれろ………!ハル!帳!」
「御意」
ハルは人型から火を纏った巨大な猫の石妖である【火車】に姿を変え、
「暁!」
「おう。キッツイお灸を据えてやらなきゃなあ!」
暁は炎を纏った鶏のぬいぐるみから炎の翼を持つ美しい黒髪の女性へと姿を変える。
「欠片も残さず灼け落ちろ!浄焔!」「ここに鳳凰が罪の裁定を下す!焦魂炎(ホウオウパージ!)」
蒼と紅の二つの炎が七歩蛇となった月輪紫土を焼き尽くす。
だが、焔で首の再生を防いでも決定打にはならない。
「……だったらテメエの命の炎、いただくぜ?」
青磁の風の加護で加速した臙脂が炎の中へ飛び込み、そのまま七歩蛇に拳を叩き込む。しかし固い鱗を突き抜けることはない。
「……ああ、いいんだよこれで。あんまり使いたくなかったけど、元々ハゼは……人を害してきた闇の真竜の【半身】ーーハルプ。だから本当はこういうこともできる」
七歩蛇の心臓に黒い焔が現れ、鎖のように全身に広がるにつれて蛇の攻撃が止んだ。
「……真赭」
「……ああ。これがあなたの罪の報いです。歪みきったあなたは輪廻の輪からも外れ……二度と生まれ変わることもない」
取り出したのは白澤のーー母親の角で作られた一度きりの鎮めの刃。
「……さようなら」
ずぶり。
あまりにも脆く、すぐ折れそうな細い角の刃は決意とともに確実に心臓を穿ち。
七歩蛇とともに灰になって消えた。
「……最期まであなたは、僕の名前を呼ぶことはなかったですね。安心してください。僕は月輪家の当主として、もうあなたのような存在を生み出すような真似はしない。あなたはどこまでも独りだった。だけど僕にはもう過ちを正してくれる仲間とーー心の中に生き続ける大切な人たちがいますから」
「……泣いてもいいんだぞ真赭」
朽葉の言葉に彼は首を振る。
「今はまだ、ね。僕が泣くのは全てが終わった後。まだ戦いは終わっていない。取り戻さないといけないからね。ーーアヤトさんを」
ーー
屋敷の裏で蒼い蝶が舞っていた。
「待っていたよ、紺」
「あなたが……銀杏さんですね」
蒼い蝶は男性の姿へと変わる。鏡写しのように紺に似ていた。
「これは生前、俺が仕掛けたもうひとつの術式。確実にこの刀を君に渡すためにね」
蒼い蝶が集って刀へと変わっていく。
「銘刀蒼華蝶。紫苑が生み出した君のための刀。妖刀黒竜胆に対する唯一の対抗策」
黄金の光を纏い、鍔の部分は蝶の羽、柄に刻まれている装飾は蝶と銀杏。
紺はそっとその刀を手にする。蒼光が蝶のように舞った。
「紺。君は瑠花と結ばれたんだね。俺は……俺たちは牡丹も紅葉姫もハゼも紫苑もアザミも……誰ひとり夜峰竜胆には敵わなかった。だけど、牡丹がこう言ったんだ。『今回が無理なら、生まれ変わった来世で勝てばいい』って。だから俺はあえてあの時に大人しく心臓を刺された。それによって魂と刀を結びつけるために」
銀杏の姿が蝶の光になって解けていく。
「紺。君はどうか、しあわせに」
言い残して光は消え、紺の手の甲には蒼く輝く蝶の刻印が宿る。
「ええ。幸せになります。俺たちは今から鏡界へ行って、鏡界を苦しめるマレモノの元凶をーー妖刀黒竜胆をーー討ちます」
決意を呟いて紺たちは隠れ里を後にする。
瘴気の消えた里の焼け焦げた桜には、人知れず小さな新芽がのぞいていた。




