11話 雨は上がり、決戦前夜
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「あーあ。雨、止んじゃったみたいだね?」
或る洞窟の奥深く。巨大な鉄隕石の上に少年がひとり座っていた。
「ここまで簡単に精神干渉の術を破られるなど。申し訳ありません」
その前で跪く月輪紫土を一瞥して、少年は小さくため息を漏らす。
「術式もアイディアも悪くなかったんだけどね。まあ、仕方ないと思うんだ。何しろ、キミはもう【リア・クロス】にも、ボクの対存在であるミオソティスにも、鏡界の【世界防衛機構シルーディア】にも目をつけられている。【桜導】はそもそも【リア・クロス】と協力関係だし、大魔導師すらお目覚めになった」
「ですが、まだあなたの存在は知られていないはずです」
「ふうん?まだ自分にも何かできることがあると思ってるんだ。まあ確かに――」
少年はにやり、と笑うと紫土の首筋に噛みついた。
「ぐっ……」
「キミのハクタクから奪った知識も陰陽師の術式も十分利用価値がある。だから頂戴?」
ぺろぺろと少年は血を舐める。紫土の知識がマナリンクされたことによって少年の中へと流れ込んでいく。
「……ありがとう。これで数年後に【塔】はこの世界に現れる。キミはもう正直用がないからボクが殺してあげてもいいんだけど……ちょっと正直キミはやりすぎだね。ボクは血腥いのもえっちなのもあんまり好まないから……大人しく異形になって、報いを受ければいいと思うよ!」
「な………!」
少年は血のついた唇のままで嗤う。
「じゃあねーさよならー。ああ、うんキミにふさわしい姿だ。二股に割れた嘘つきの舌。犯した罪が変じた毒の瘴気。骸で形作られた骨蛇の体。偽物の愚者の金の鱗。ああ、醜くおぞましい。本当に気持ち悪いなあ!七歩蛇!」
心から愉快といったように彼は笑う。その姿と血塗れの指と服がひどく不釣り合いに見えた。
「気持ち悪いけど一日待ってあげようか。……どうやら鏡界と現世でいよいよ妖刀討伐と、この蛇の討伐に動くみたいだから……」
ーー
柔らかな日差しが円窓から入り込んでいる。小さくくしゃみをして瑠花は目を覚ました。
「あ……」
着衣が乱れ、大きく胸元がはだけているのをみて、慌ててボタンを止め直す。
「そうだ、私は紺と……」
あの後。瑠花と紺は心のままに溶け合った。人気の無い滅んだ里の廃屋の中で、誰にも邪魔されないように。
だが、今目を覚ましたのは見知った屋敷の一室だった。
「紺が連れて帰ってきてくれたのか?いや、ふたりとも眠ってしまったはずだが」
腑には落ちないが、とりあえず体を清めてところどころが裂けた服も変えなければいけない。下着を履き直して部屋を出た。
「……おはよう、瑠花。体はどこか痛かったりとか……ない?」
風呂から戻ると珍しく台所に立った紺が卵焼きを作っていた。あんまり巻き方は上手では無いけれど、その気持ちが瑠花には嬉しい。
「……紺こそ大丈夫なのか……?だって……一度、死んだんだろう」
「……うん。それは間違い無いよ」
紺は静かに目を伏せる。今ここに立つ自分はもう、以前の自分とは別の存在だ。瑠花のーー人魚の血を分け与えられ、体は再生した時に作り替えられている。古傷すら残ってもいないし、足には赤色の鱗が現れていた。角石や痛覚の鈍さがどうなったのかはまだわからないけれど。
「瑠花、俺を選んでくれてありがとう」
「……紺、私を選んでくれて、ありがとう」
触れるだけのキスをして、瑠花は食卓につく。
紺の卵焼きはちょっとしょっぱい味がした。
ーー
「エンジさん!」
「ナノカ……」
目が覚めた臙脂は、そっと菜花の頭を撫でた。
目の下にはクマがあり、ずっと泣いていたのか、瞳は赤色に染まっている。
「わたし……わたしっ!」
「……生きて……るのか、なんで……」
間違いなくあの攻撃は致命傷だった筈だ。体が、心臓が貫かれた痛みを臙脂は覚えていた。傷の治療のために脱がされたであろう上半身を見て、気付く。
「……護りの証が……ない」
ーーあの日の朝。臙脂の心臓には赤い護りの証があった。前日にナノカが助けになればと刻んでくれたものだ。そして月の子どもである彼女の血も臙脂は彼女から口移しで飲まされていた。
「……月の子どもの力は、忌み嫌うものでした。わたしの牙は、生きるために人を傷つけてしまう。マナタブレットが切れてしまえば途端にその衝動が抑えられない自分が……惨めで、恐ろしかったんです。だけど、はじめてそれでもいいと思いました。……あなたを。大切な臙脂を……助けることができましたから」
ナノカはそう言って優しく微笑む。
「わたしの血と力が……あなたをここに繋ぎ止めたんですよ。スープ、作ってきますね。まだ無理はしなくて大丈夫ですから」
ぱたん、とドアが閉められて朧げになる意識の中で感じた。
ーーああ、紺……お前も無事だったんだな……
ーー
「体は大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫。石の拒絶反応をちょっと心配していたけれど前世であそこまで歪められた魂。ちょっとやそっとじゃ何されてももう大丈夫になっちゃったみたい」
長春の部屋で、青磁は朝食を摂っていた。シンプルなトーストにたっぷりの苺のジャムが乗せられている。飲み物はミルクティー。
「はいはーいプレーンオムレツも追加ですよ。青磁さんはまだちょっと不安定なのは間違いないんですからまずは体力を戻さないとですね。甘いもの好きってことなので、食後にはプリンもあります!」
「美味しい。モリオンは料理が上手いね」
青磁は口元を綻ばせながらとろふわのプレーンオムレツとさっくり焼けたトーストを口に運んでいく。数十分でお皿は空になった。
「ごちそうさまでした」
「青磁さんって意外と大食いだったりします?」
食器を運びながら青磁は答える。
「自分じゃあんまり意識したことないかも。病弱だった頃はろくに食べられなかったから反動なような気がするけどね」
リビングに戻ると、ソファに長春が腰掛けてテレビを見ていた。射し込む陽の光に白銀に変わった髪がきらきらと輝く。
「……んー違和感だなあ」
「なんだよ青磁」
「オレのためだってわかってるからさ、昔出会った頃とかけ離れた色と長さになってる長春見てると、落ち着かない」
青磁は人と深く関わらないように生きてきたが、別に人の痛みに無頓着なわけではない。だからこそ、罪悪感を感じていた。
「……かわいいな、お前」
「わっ」
長春はくるりと振り返って彼を抱きしめると、頭を優しく撫でた。
「髪の色なんてどうだっていいさ。それに俺が決めたことだから気にすんな。
……優しいな、青磁は」
「……今の髪の毛、とても綺麗だけどさ……」
「似合わないか?」
青磁は首を横に振る。
「ううん、すごく似合ってる。ポニテとかにしたら?長いのはなんかこう……」
モリオンがさりげなくゴムを差し出す。小さな桜の花飾り付きのものだ。
「……じっとしてて」
青磁は器用に長春の髪をひとつに束ねていく。吹き込んだ風に花飾りがふわりと揺れた。
口に出さずに呟く。
ーー優しいのは、長春の方だと。遠い昔のくだらない約束のために。それだけのために全てを捧げたどうしようもなく馬鹿で素敵な人だね、と。
「お、いい感じかも。新生白長春はポニテでいこう」
長春は鏡を見ると、そう言って笑った。
ーー束の間の穏やかな時が流れる一方で、ひとつの事件が起こっていた。
京都、糺の森近くにひっそりと建つ、幸石堂。
その地下深くには、ひとつの棺がサンストーンとアクアマリンに守られて置かれていた。
白い肌に漆黒の髪。細身の長身。整った顔立ちは眠っているとより人形のように見えた。
「……見つけた」
黒い影は棺の中から青年の体を取り出すと、代わりにカードを置いた。
「……鎮めを行い、世界を書き換えた奴らを、俺は許せない。お前たちがいなければきっと、瑠璃は……鏡界で楔姫として眠り続けることにならなかった……」
どろりと空間が溶ける。鏡界の転移装置だ。
「……ソウ。いや、空野 雫。生身ではないとしても愛しいひとと、畑野 陽と話せるお前が憎らしい。満月の日だけでも恋人に触れられるお前が憎らしい。だからーー鏡界でこの本体と、鏡界の畑野 陽をーー殺す」
異変を感じて幸石堂に向かった雫は、空の棺を見て愕然とし、カードの内容を読んで怒りのまま破り捨てた。彼の肩にいた存在は今はもういない。
「……上等じゃねえか。……俺は前世から陽だけを思い続けて、30年以上、陽を救う方法を探し続けたんだ。ここまできて邪魔させねえよ。幸い、今日の作戦会議で鏡界には行けることになった。全てを賭けてでもーー陽を救う!」
それが前世からずっと彼を傷つけ続けてきた雫の精一杯の恩返し。
「……もうガキじゃねえんだ。力も知恵もある。陽が色々教えてくれたからな。……俺にとっても最終決戦だ。本気でいかせてもらう……」
空の棺に踵を向ける前に、サンストーンを数個拾い上げる。
(陽)
それは彼の守護石。同じ名前を持つ橙色の石。
「……待ってろ」
胸元でぎゅっと握りしめてから、雫は幸石堂を後にした。
――明日、すべての最終戦の幕が開く。
戦うものたちは皆、それぞれの思いを胸に夜空を見上げていた。




