5話 「道具」
──それは溜まり続けた澱の果て。歪みきった因果の結晶。
生まれ落ちたのは古びた祠の中。傍には誰もいなかった。体を起こして握りしめていた手の中に、黒瑪瑙の勾玉があった。
──僕の声、聴こえる?
──うん。聴こえてる。あなたは、誰?
──黒瑪瑙。きみは?
──名前はわからない。今生まれたけど、周りには誰もいないから。
──じゃあ僕が名前をあげよう。きみの名前は、銀朱。
「っ……」
あの雨はどこかおかしかった。術の気配を感じたけれど、急に降り出したから、防ぐ術もなかった。
雨に濡れた指先が酷く冷たい。反対に背中がひどく熱い。
鵺の翼を埋め込まれた場所が疼く。
<銀朱!聴こえる⁉︎>
黒瑪瑙の声がひどく遠い。生まれた時からずっと傍にいてくれたたったひとりなのに、声が途切れて、ぼやける。
いや、輪郭を失いつつあるのは私の方か。布が裂ける音がした。ああ、鵺の翼が形を取る。深い闇が私を塗りつぶす。
「いやだ……」
毎晩行われる「儀式」から逃れるため、鵺を倒して運命を変える力を得るためにここに来た。なのに、また絡めとられようとしている。
「……っ!」
衝動的に寮の窓を飛び出す。無意識に鵺が封じられた場所へ向かって飛んでいく。
ああ、もう体の制御が効きそうにない。
「……雷鳴にて……目覚めよ……」
激しい雷が、古都の空を切り裂いた。
──
「イマノハ……」
薄暗い洞窟の隅で、金緑石は海松に寄り沿っていた。
海松はぐったりとした様子で顔色が悪く、包帯の隙間からさらさらと砂がこぼれ続けている。右腕は紫土が儀式に使うためと抵抗を封じるために切り落とした。もっとも鉱物の核と土でできた体を持つ彼に痛覚はない。
「……どうかしたかい?金緑石」
「姉サマ!鵺ノ翼ガ目覚メタノ!翼ヲトリモドセバ姉サマヲ助ケラレル!」
金緑石は興奮した様子で海松の体を揺さぶる。
「そうか……それは良かったね。でもごめんね、僕は今動けない……」
「姉サマ!ソノ傷ハ……」
解けた包帯の下から覗くのは青白い肌と、深い傷がついた鋼色の結晶。
「……うん、わりと致命傷だ。紫土は僕の持つ「冥府」の力を欲している。耐性のない人間は僕の素肌や体液に触れればゆっくりと朽ちていくというのに……恐れもせずに僕を穢して……行為の最後に核石を散々傷つけられた……石の傷だけは痛みとして伝わる。苦痛で身をよじり、叫ぶ僕を満足そうに見つめていたよ……金緑石、君は恐れられた鵺の姿と力を持つ石妖ではあるけれど……僕は彼の方がよほど恐ろしい……あいつは……自分以外はただの【道具】としか思ってない……」
海松は小さく咳き込む。その度に砂が、彼の体がぼろぼろと崩れ落ちていく。
「姉サマ……死ナナイデ!」
「……僕はそもそも一度死んでいるよ。大丈夫、優しい金緑石。ボクの大切な石妖……君を紫土には渡さない……そして……紺も兄さんも……これ以上大切な人たちに手出しなんか……」
「……思いあがるなよ、土人形風情が」
「姉サマ!」
「あ……」
海松の体を背後から貫いたのは儀式刀の刃。ひびの入った核石が砕け散った。
ずるりと刃が引き抜かれるが、血は出ない。海松の全ては土と鉱物でしか出来ていない。
「お前は失敗だったな。鵺を制御し、封印を解いたことと容姿と声の美しさは評価に値するが……」
「月輪……紫土……っ」
ぼろり、と左腕が落ちた。もうあまり体を保てない。
「……おいで……金緑石」
泣きじゃくる金緑石を近くに寄せて、海松は何かを囁いた。
「……あとは頼むよ……ボクはここまでだ……」
「……ワカッタヨ姉サマ……」
「……いい子だ」
金緑石の掌に残ったのは傷だらけの鉱物だけだった。
「月輪紫土。歴史とともに積み重なった澱と歪みの結晶【闇吸い】の長。雨に仕込んだ呪術でゆら達を暴走させているようだけど、いつまでもお前達の思い通りになどさせない。思いあがるなよ、人間風情が………!」
洞窟の中で閃光が弾ける。次の瞬間、金緑石の姿はどこにもなかった。
──
「わたしの……私の本体……鵺の本体はどこ?」
激しい雷を落としながら銀朱は虚な瞳で空をいく。
激しい落雷で停電が起こり、古都の都市機能は一時的に麻痺した。
「この雷……なんか嫌な感じがする」
パソコンの電源を落として青磁が呟く。
<そうだろうね。これは鵺の雷だから>
「鵺……?じゃあこれは海松の仕業……なのか?」
そう思ったあとでおかしいと思い直す。今は祝日の昼間。海松は特性上、昼間に動くことはできず、金緑石の姿が変わるのも夜だったはず。
「いや、あいつらじゃない。でもだとしたら誰だ?鵺の力を──禁忌の力を持ってそうな一族は……」
頭の中にノイズ混じりの映像が流れる。
鵺を失った悪徳陰陽師──この時代のもうひとつの陰陽師の一族、芦屋家では、ある呪法の研究が行われていた。
その術とは、「鵺の羽を結晶化」して、素体に埋め込み、鵺の強大な闇の力を操れる人間を生み出すこと。
そしてもうひとつは──
「くひひ。これがあの来訪者の血か」
鵺との戦いは熾烈を極め、紫苑も傷を負っていた。共同戦線として参加した折に傷の治療に際して、血を頂いたのだ。傷は綺麗に治るのだから問題はないだろう。
「おお、なんと綺麗な色の結晶よ。雲母か玻璃か……これは大事に使わねばな…」
(鵺……だって?)
映像が切り替わる。
洞窟の奥深く。燭台の明かり。床に血で描かれた魔法陣の上に寝かされているのは黒髪の子ども。整った顔立ちにあどけなさを残し、眠っている姿だけでは性別はよくわからない。
──だけど、オレは知っている。だってこいつは──
「ああ、ようやく成功した。一族の中でもっとも適性が高い者を素体に異界からの来訪者紫苑の竜葬の血、鵺の翼に宿る鵺の力を持つ者が生まれた!【闇吸い】の最高傑作にして至高の「道具」──美しき刺持つ華──薊」
──オレの前世だ。
それもハゼに愛される前の、「道具」として生きていた頃の……夢でまだ見たことのないアザミだ。
「……呼んでる」
オレの中にもきっと少し鵺のかけらがあるのだろう。
もしかしたらあの黒い翼は烏天狗の石妖である天河石のものだけではなくて──
鈍く痛む頭を無視して、窓枠を蹴る。
雷鳴が切り裂く空に黒い翼が舞い上がる。
「ああ、オレの予想通りならこの雷を落としているのは──」
京都の鵺の塚。世界的な観光地清水寺の西側にひっそり存在したと言われる場所。
「……なんだ……これ?」
そこには巨大な金緑石が現れ、黒い煙がたなびいていた。一種の結界術式。この先は鵺に呼ばれた者のみが立ち入れる鵺の世界だ。
「やあ。君も鵺のカケラを持っているからここに呼ばれると思っていたよ、青磁」
「金緑石……?にしちゃ話し方が海松そっくりだけど」
「……相変わらず鋭いね君は。そう、ボクは海松。体を壊されてしまったので金緑石に乗り移った。今消えるわけにはいかないからね」
真剣な表情で金緑石の姿をした海松は言った。
「なるほど。オレにあんたの力が効かなかったのは同じ力だったからってことか。それはそうと、もうひとりの【鵺】は誰?【闇吸い】はこの時代にいて、まだ【あんなこと】してるっていうの?」
金緑石は目を細める。
「……月輪紫土。あいつが今の【闇吸い】の長だ。……あの雨でゆらを暴走させたのもあいつだよ。ボクの【冥府】の力も抜き取った上でね」
「……月輪……⁉︎まさか……真赭さんの、」
「ああ。月輪紫土。少なくともこの世界ではあいつが全ての元凶だ。ボクはあいつによって作られたから体がある状態では逆らうのは難しかった……黒橡やエクリプスが全ての元凶かと思っていたけど黒橡が執着しているのは紺だけだし、エクリプスとはただのバカップルだし」
「ば、バカップルなんだ……って悠長に話してる場合じゃない!もうひとりの【鵺】を止めないとね……」
歩き出す青磁の少し後ろを歩きながら、海松が訊く。
「誰かわかったんだ?」
「まあね。……だから初めて会った時から気になってたんだって納得がいったよ」
黒煙の中心。雷のヴェールを纏い、背中に鵺の翼を持つ異形と化した少女の名は。
「──現代の【闇吸い】。五辻銀朱」




