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石妖契約奇譚  作者: 上月琴葉
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2話 その糸が紡いだもの

 暗くなる視界を、柔らかな光が満たす。そしてはっきりと声が聞こえた。

「あんたが悪い妖怪だろうと関係ねえ。オレにとってあんたは――」

(ああ、ほんまにお馬鹿さんやね……でも、ほんまに優しい子……こんな、恐ろしい土蜘蛛と契約しようだなんて……)

「ただの裁縫好きなお姉さんでしかない。だから――」

(ええよ。あなたの力になってあげる。裏切りだとしても、光をくれはったから)


 ――

 時計の針は巻き戻る。


 四条河原町とはいえ、大通りから一本入っただけで驚く程人通りは少ない。

 煉瓦造りのその店は、隠れるようにひっそりとあった。

 ショーウィンドウに飾られているのは繊細な手編みのレース。

「……すげえ」

 思わず声が出た。

「あら、お客様かしら?」

 とても手が届かないような値段だったから見て帰るだけのつもりだったのに、呼び止められては走って逃げるのも失礼だ。

「あ、その、すごく綺麗なレースだと思って……手編みっすか……?あ、いやその、手編みですか?」

「ふうん、レースに興味持ってはるみたいやけど、なんでです?」

 店主の女性は不思議そうにオレを見ている。

 無理もない。オレンジのメッシュが茶色の髪に入った、童顔ながらも目つきは悪い方の高校生。ひとかけらもレースとは結びつきそうにない。

「その、今度姉ちゃんが結婚するんです。だから、その……なんかプレゼントしたくて。オレ、普通じゃなくて、いろいろいじめられてて、よく姉ちゃんに助けてもらってたから」

「ふうん。普通じゃない……?そんなふうには見えへんけど……」

「……普通の人に見えないはずのものが見えるって言ったら……信じます?」

「なんや、そんなこと?この京都っていう街は、どこ歩いても普通にあやかしもマヨイゴも、半妖もあやかしぺんぎんもいはるし、気にもならんかったけど。人間はそんなことで差別するんやねえ」

「するんすよ」

 オレは小さくため息をついた。

「弱いから、はずれ者には厳しいんやろうか。あやかしなんて個性の集まりやし

 基本単独行動だからそういうのはないけど……ああ、確かにちょっと混ざってるんやね」

「ひゃ?」

 急に睫毛が触れるほど目を覗き込まれて、鼓動が早くなる。

(近い近い!その上――)

 改めて見るとめちゃくちゃ美人だ。

「……なるほど。あんた、気づいとらんみたいだけど……本気出せばいじめっこなんてぺしゃんこにできたと思うわ。……巨人やし」

「巨人?まっさかー。巨人だったら今頃身長180㎝越えの超イケメンに育ってたと思うっす……しかし現実は169㎝……チビとか……どいつもこいつも……」

「んー……意図的に封じとるんかもしれんけど。それより、レース作ってお姉さんにプレゼントしたいんやったね?」

「あ、はい……作る?」

 店主は目を細めて妖艶に微笑む。

「だってあれ、ディスプレイ用の非売品なんやもの。それにせっかく、プレゼントしはるなら手作りの方が思いを込められてええと思うよ?」

「で、出来ますかね。オレ裁縫とか全く……不器用だし」

「大丈夫。手取り足取り教えてあげるから……」

「よし。男に二言はないっす!」

 姉ちゃんに感謝を伝えたい。その想いに嘘はないから。

「決まりやね。明日、また来てくれへん?準備しておくから」

「はい。あ、オレは橙空(とあ)です。よろしくお願いします」

「はい。わたしは雲璃(くもり)。また明日」


 カラン、とベルが鳴って扉が閉まった。


 ――

「ふふ」

 作業部屋でコーヒーを飲みながら、雲璃は笑みを浮かべた。

「石妖ターコイズ。土蜘蛛と世界の蜘蛛の性質を併せ持った石妖――そんな私が、ゆらの男の子にレース編みを教えることになるなんてねえ。でも、間違いなく楽しみやわ」

 雲璃は確かに黒橡の配下ではあるが、その割に人間を憎んではいなかった。

 雲璃として小さなレース屋を営んでいるときは、アラクネの影響が強くなる。


 アラクネ。ギリシャ神話において女神に挑み、醜い蜘蛛に変えられたもの。

 変えられてなお糸を紡ぐ彼女のように、雲璃も無心で糸を紡ぐ。

 レース編みは奥が深く、そして自分の手で美しい作品を生み出すことには達成感と満足がある。

 しかし店を構えてはいるものの、それはあくまで街に溶け込む拠点としてであって、客の入りにも売り上げにも彼女は期待していなかった。

 それなのに、降ってわいたのは素敵な出会い。

橙空(とあ)くんか」

 美しい、とレースに興味を持ち、姉への贈り物としてレースを編みたいという純粋な青年。

「……ああいう子はいつもなら正直汚したくもなるんやけど……」

 蜘蛛は獲物を巣におびき寄せて絡めとり、最後には食らうもの。

「なんでやろ……あの子は……あのままでいて欲しいって思うわ……だから私も……桜導と戦うことになっても……なんとかレースだけは完成させてあげたいわ」



 ――

「……うん、これで明日には完成やね」

「す、すごい……これ、本当にオレが編んだんすかね……?」

 それから2週間。放課後毎日雲璃さんの店に通い詰めて、来週にはレース編みのヴェールが完成するところまできた。

 彼女は間違いなくスパルタではあったけど、本当にレース編みが好きなことも

 何より、オレが満足いくものが作れるようにと頑張ってくれていることが伝わってきたから、必死で食らいついてものにした。

「本当ようがんばりはったわ。花で満たされた素敵なレース。あとはちょっとだけラインストーンつけてキラキラさせよか。明日、待っとるね」

「はい。ありがとうございました!」

 いつものようにベルを鳴らして店を後にする。

 だけど、なんとなく胸騒ぎがしたオレは、家に帰らずに物陰に隠れた。



 ――


「ここで間違いない?臙脂」

「ああ。ここが石妖ターコイズのアジトだ」


 桜導は密かにターコイズのアジトを追っていた。

 踏切での戦いに加え、臙脂が関わった影蜘蛛事件。

 この二件から石妖ターコイズは桜導にとって潰すべき相手と認識されたのだ。

 鴇や青磁、秘密裏にではあるが蒼やリア・クロスも協力した結果、彼らはターコイズが四条河原町の路地裏にレース編みの店を構えていることを突き止めたのだ。

 そして、紺と燕脂が突入する手筈となった。

「……出てこい!石妖ターコイズ!」

「結界を張りました。貴方はもう逃げられない!」

「あらあら〜騒がしいですねえ〜ただ、今だけは私も負けるわけにはいきませんのでーー」

 雲璃の姿が黒い和服へと変化し、石の力が実体化した蜘蛛が大量に袖から零れ落ちる。

「お相手します!」



 ――

 あやかしだったのか。

 そう自然に声が漏れた。戦いの場から少し離れた物陰で、オレは全てを見ていた。

 金色の髪の青年の繰り出す、様々な武器を使った連撃。

 すり抜けた数匹の蜘蛛が青年の肌に噛み傷を作るが、彼は気にも止めずに

 無限に湧く群れをまさに蜘蛛の子を散らすように切り裂く。

 その隙を見て、赤い髪の青年が炎を纏った拳で石妖ターコイズへ襲いかかる。

 研ぎ澄まされたコンビネーションはあまりに鮮やかで、ひとりのターコイズは押されていき、そしてついに膝をついた。

「……だめ……今……今だけは……レースが……あのレースだけは……!」

「……レース……?」

 その言葉が耳に届き、隙ができた瞬間に気づくとオレは駆け出していた。

「男2人でよってたかって……女をいじめてんじゃねえよッ!」

「うわっ⁉︎」

 オレは雲璃さんを庇うように体を滑り込ませて、そのまま蹴りを放つ。

「紺!」

 金色の髪の青年の体が吹っ飛んだ。向かいの壁に叩きつけられる寸前、赤い髪の男がその体を受け止めていた。

橙空(とあ)くん……どうして」

 雲璃さんは困惑した様子でオレを見つめた。

「おい、そこのチビ!こいつは石妖ターコイズで、恐ろしい土蜘蛛の妖だ。邪魔してんじゃねえ!」

「あ?テメエ、今オレの地雷踏んだな?」

 怒りが拳に集う。こいつ、もう絶対許さねえ。

「恐ろしい土蜘蛛?テメエらにはそうでも、オレにとってはただの優しいレース編みが好きなお姉さんなんだよ。姉ちゃんに感謝を伝えたいって言ったら懇切丁寧に作り方教えてくれたんだよ。だから……とっとと引っ込みやがれッ!」

 破壊音。地面に叩きつけた拳を中心に地面が崩落し、大穴が開いた。

 結界の中なら暴れまくっても平気だろう。

「……こいつ……ゆら、か?そもそも結界の中に入れたってことは」

(兄さま。この人は……)

「白金が言ってる。あやかしの中でも神とも言われる存在……そして馬鹿力……!」

「……ダイダラボッチ。人を助け、地形を自在に変えた原初の巨人……そのゆらがあんたなんよ。橙空(とあ)くん」

「いや……オレ、チビなんですけど。巨人要素ひとかけらもないっす」

 まだ、頭の中はごちゃごちゃしているけど、とりあえずこの戦いを辞めさせる。

「……とりあえず戦うのはやめろ。雲璃さん――石妖ターコイズ。あんたは何がなんでもこのふたりを倒したいか?そして紺とオレのことチビチビ言いやがった赤髪男。あんたらにも同じ質問をする。答えろ」

「……私は正直戦うのは嫌やわ。勝てんし、レース編みの完成見んと死にきれんし。約束破るんも好きやない」

「……こいつがしたことは許せないけど、誰かを殺したわけでもない。レース編みの完成なんて、そんな、誰かのための理由で生き延びたい相手を一方的に踏みにじるのも性に合わない」

「よし」

 双方が武器を収めるのを見て、小さく息を吐く。

「じゃあ、橙空(とあ)くんに提案なんだけど。石妖ターコイズと契約したらどうかな」

「……そうやね。それならもう桜導と戦わんでよくなる。元々私は黒橡の人形というか道具みたいなもんやったけど……特に人間に恨みもないんやわ。橙空(とあ)くんさえ良ければ」

 答えなんて、ひとつだけだ。

「オレと契約しろ、ターコイズ」

「ええよ。じゃあこの石を……」


 手の中に生まれたスパイダーウェブの契約石は赤に染まった。

「……裏切りは厳罰よ。そこのダイダラボッチと赤髪はどうでもいいわ。ねえ、貴方が紺よね?ああ、やっと会えた――初めまして、黒橡よ」

 赤く染まった指をぺろりと舐めて、黒橡は言った。

「雲璃!」

「ごめ……レース……最後まで……」

 幸い、黒橡は紺にしか関心がないらしい。だったら――

「いや、付き合ってもらうっす」

「え……」

 冷たくなっていく雲璃を引き寄せて、深く口付ける。


 ダイダラボッチは自然を操る巨人。時に人を助けた、自然の生命力の化身。

 その血が、流れているというのなら。

(お願いだ……大地の……芽吹きの命の力を……)



 ――

 土蜘蛛と現代では呼ばれる場合、二種類の意味がある。

 ひとつは文字通り、蜘蛛の妖。そしてもうひとつはまつろわぬ者。


 迫害、暴力、虐殺。

 人間の暖かさなど知らない者。

 それだけならばきっと私は、破壊のかぎりを尽くす妖になっただろう。

 だけど。


 ターコイズを核石にしたことで、蜘蛛の神の知恵を得た。

 そして何より、橙空くんがいたから。


 可笑しいでしょう?

 恐ろしいはずの土蜘蛛のあやかしが、戦いの時に明日完成するレース編みを気にしているなんて。


 暗くなっていくはずの視界が、鮮やかな花で満たされる。


「約束破ったら、承知しないっすよ」


 ああ、本当になんて――



 ――

「いよいよなのでドキドキするっす……」

 数日後。無事レース編みのヴェールを完成させたオレは、姉の結婚式に出席していた。

 あの後、気づくと結界は消え、黒橡もあのふたりも姿がなかった。

(大丈夫。ふたりで頑張って作ったんやから)

 壮麗な入場曲とともに、白いドレスとヴェールを纏った姉が現れる。

 式は終始穏やかに進み、姉は幸せそうに笑って、オレの家から巣立っていった。


(綺麗やったねえ。すごく喜んでくれはってたし、作った甲斐があったわ)

「ああ、本当に」

 ひとりぼっちになった部屋で、オレは呟く。

 でも厳密にはもうひとりではない。オレの左手薬指にはターコイズ――スパイダーウェブの契約石の指輪がしっかりと嵌っている。

(ふふ。恐ろしい土蜘蛛の心を奪った責任、とってもらうから、覚悟しはってね?)

「改めてよろしくっす。雲璃(くもり)さん」


 ――

「っ…………!」

 同じ頃、紺は何かを感じて、衝動的にアパートの部屋を飛び出した。

(なんだこれ……頭が……自分が自分でなくなるような……っ……)

 頭の中で声が響く。

(殺せ)

(殺すのだ……まずは燕脂を……そして瑠花を)

「……ああああ!」

(殺せ殺せ殺せ殺せコロセコロセコロセ――)

「……誰がっ……従うか……」

 持っていたナイフを腕に突き刺して正気を保つ。割れるような頭の痛みは治まらず

 彼は地面に蹲る。

「毒が効いてきたようね。ええ、一匹だけあの子の蜘蛛に紛れて貴方にだけ効く毒蜘蛛を――ああ、苦しい?苦しいわよね」

「……っああああああああ!」

 もがき苦しむ紺を冷たい瞳で見下ろして、黒橡はナイフを差し出す。

「ねえ、このままだと貴方、間違いなく臙脂と瑠花を殺すわ。でも嫌でしょう?

 だから情けをあげる。このナイフで心臓を貫いて、ここで死になさい」

「……そうだね……あのふたりを殺すぐらいなら。どのみち俺はもう……壊れかけだってわかってた。大丈夫……少し早まるだけ――ごめん……瑠花……」

 紺は迷わずに自らの心臓をナイフで貫き、そのまま意識を手放す。

 本来なら疑っただろう。彼は誰よりもそのやり口を知っていたから。

 だが痛覚が鈍い紺にすら苦痛を与えるほどの毒は、正常な判断力を奪い去っていた。

「ふふ……あはははははは!!」

 黒橡は満足そうにその体を抱え上げる。

 ――心臓に傷はない。なぜならば。

「そのナイフでは死ねないわ。だってそれは心を喰らうのだもの。まあ、目覚めた時には何も覚えていないでしょうから、ある意味では死んだのね」

 黒橡はそっと唇に口づけを落とす。

「ああ、わたしは、竜胆は――ずっとずっと貴方を探していたの。戻ってくるのを待っていたの。我が愛しき「鬼」――「銀杏」……」


 時さえ越える異常なほどの執着で、ついに竜胆はその手に銀杏を取り戻す。

 そして最終決戦へ向けて、すべては動き出すのだった――

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