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石妖契約奇譚  作者: 上月琴葉
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3話 こころ、ゆらゆら

 ――それは、ある夏の夕暮れのことだった。薄汚れた段ボールの中で夕立に打たれて震える真っ黒な子犬。

「おや」

 その前でひとりの男性が足を止めた。優しそうな顔立ちをして、大きな鞄を持っている。どこにでもいそうな、普通の30代男性。ただ、さしている傘や小物が少し変わっていた。漆黒の傘には星座や惑星が描かれていて、改めて鞄を見ると星座を象ったキーホルダーや惑星のストラップがつけられている。ネクタイピンも、星のかたち。

「黒い体に蒼白の瞳。さながら漆黒の宇宙に輝くシリウスのようだね!」

 彼はそう言うと迷いなく、その子犬を抱き上げた。

「シリウス、おいで」

 くうん、と子犬は小さく鳴いた。そして夕立が去り、夏の大三角が彩る夜に、その犬は雲ヶ畑家の一員となったのだった。


 ――これは朧に残る、優しいはじまりの記憶。



 ――

「遊園地、ですか?」

「たまたま知り合いの人からチケットを貰ってね。もちろん、遊ぶ以外の目的もあるのだけど」

 夏休みが始まってすぐに、桜導のメンバーは真赭から新たな任務を告げられた。

「遊園地と言うと、最近オープンした【ことぱーく】?」

 青磁の言葉に真赭は頷く。

「そう。そしてそこの目玉アトラクションが【巨大万華鏡】なんだけどね、最近ある噂があって」

「……あ、知ってる。ネットで見たけど、【巨大万華鏡】の中に異界への通路があって、そこに踏み込むと鏡の中に閉じ込められてしまうって」

「さすがは青磁君」

「更に言えばその通路が現れるのには条件があって、満月の日の黄昏時、だったかな」

「さすが青磁は物知りだな。忍の子孫だからか」

 臙脂の言葉に、

「うーん。わかんないけど少しぐらいは関係あるのかもね。状況分析とか情報収集とか得意だよ、オレ」

 青磁は頷く。

「それを私たちに話したということは、真赭先輩はそれに【マヨイゴ】が絡んでいると?」

「そうだね。実際に【巨大万華鏡】で行方不明になったという話も表沙汰にはなっていないけど聞いている。そして【心模様の間】で不思議な人影を見たという話もあってね」

「不思議な……人影……」

(どうして?なんだかとても……気になる)

 浅黄は奇妙に胸がざわつくのを感じていた。何かに、誰かに呼ばれているような――

「いいじゃん。明日から夏休みだし、行ってみようぜ。俺、興味あるんだよな【巨大万華鏡】」

「臙脂は巨大とか好きだよね。ま、オレもちょっとは興味あるし」

「瑠花が行くなら、俺は行くよ」

「どのみち、任務だからな。行かないわけにもいかない」

「わたしも……上手く言えないけれど……行かないといけないような気がして」

「どうやら満場一致だね。時間になるまでは思いっきり楽しんでおいで。遊園地なのに楽しまないのは勿体ないからね」

(任務とはいえ、遊園地か……行ったことがないから楽しみだな)

 こうして「桜導」のメンバーは「ことぱーく」へ向かうことになった。


 ―― 

 一方その頃、

「やったー!ことぱーく入場券当選!」

 黒髪に緑の瞳を持つ青年が封筒を片手に部屋でガッツポーズをしていた。

「俺、この夏はツイてる予感がする。えっと日付指定は明日、にしてたんだよな」

 丁寧に封を切ると紫色のことぱーく日付指定入場券が姿を現した。

「楽しみだなー!最近は調子もいいし、遊んで来よう!あ、父さんや母さんにもお土産買ってくるか!さて、着る服決めて―あ、忘れないようにチケット、財布の中に入れとこう」

 青年は制服も着替えないままに手早く準備を済ますと、ごろん、とベッドに寝転がった。

「こうやって今があるのもきっと、シリウスのおかげなんだな。ありがとう……」

 そして切なそうにそう呟いて、そのまま寝入ってしまった。


 ――

 青年の暮らす雲ケ畑家には昔、小さな黒い子犬がいた。天文学者である父親が拾ってきて、「シリウス」と名付けた。

 青年は生まれつき、体が弱かった。そのため初めの夏を生きることさえ、できないと両親は医師に告げられていた。それを振り払うように、また宇宙好きの父の希望もあって、青年は「夏向」(かなた)と名付けられた。

 ある、凍てついた冬の日に夏向は酷い熱を出し、生死の境を彷徨うこととなった。両親は必死に祈った。そしてこの時祈ったのは実はふたりだけではない。


 「シリウス」は、これはまだ雲ケ畑家の誰一人知らないことだが――ただの犬ではなかった。彼は今でいう【マヨイゴ】だったのだ。偶然に【界渡り】をしてしまい、魔力も体力も尽きかけ、犬の姿になっていた。「シリウス」は自分を愛してくれる雲ケ畑家が好きだった。だからこそ、夏向を救いたいと願った。そしてその願いを叶えたシリウスは、冬の夜に外へ駆け出し、永久に雲ケ畑家から姿を消した――


 そして引き換えに夏向は奇跡的に回復し、すくすくと成長していった。

 あるひとつの後遺症「心狂い」を除いては。



 ――

「よし、みんな揃ったな」

 翌日、ことぱーくの入場門前で瑠花、紺、臙脂、青磁、浅黄の5人は落ち合った。瑠花は白いパフスリーブのトップスに瑠璃色のスカートを合わせ、黒のレギンスに茶の靴。紺は水色ベースのチェックシャツに紺のGパン、臙脂は黒のタンクトップに黄色パーカーを羽織り、カーキー色のズボン。青磁は左右でオレンジドットと黄緑ストライプに分かれたアシンメトリーなデザインのシャツに足首上までのベージュのズボンといった出で立ちだった。

「それじゃ、入ろうか」

 5人はチケットを渡し、ことぱーくへ足を踏み入れた。


 それから少しして、同じように夏向もことぱーくの入場門をくぐった。

「楽しみだなあ。これだけ人がいたら、知ってる顔にも会ったりして」

 抜けるような青空、湧き上がる入道雲。照り付ける陽射しの暑さをものともしないような歓声があちこちで上がっている。

「とりあえずジェットコースターから行きますか」



 ――

「……みんな元気ですね……」

 浅黄はひとり、日陰に座って抹茶ソフトを食べていた。他のメンバーはみな、ジェットコースター2周目を楽しんでいる。彼女は絶叫マシンの類は苦手だった。不幸なことに、彼女以外の4人はみな得意だったので浅黄はことぱーくの中のカフェでこうしてみんなを待っている。

「あれ、下鴨サン?」

「あ、雲ケ畑先輩」

 不意に苗字を呼ばれて驚いて顔を上げると、天の川ソフトを手にした知り合いの姿が目に入った。

「先輩なんて呼ばなくていいよ。俺、先輩ってガラでもないしね?どうしたの?女の子ひとりで」

 浅黄は雲ケ畑に事情を伝える。浅黄と雲ケ畑 夏向は学年が異なるものの、人気があるし、紺や臙脂と仲がいいので面識がある。そして、浅黄自身も彼に嫌な印象は持たなかった。

「そっか。ね、よかったら隣いいかな。早く食べないと天の川ソフト溶けちゃいそうでさ」

「いいですよ、どうぞ」

「じゃ、遠慮なく。いただきます!」

 彼はそう言うと、満面の笑みを浮かべながら天の川ソフトを口にする。天の川ソフトとはことぱーくの名物で、黒ごまを混ぜ込んだ黒いソフトクリームの上に、天の川に見立てた金粉と黒蜜がかかっているものだ。

「雲ケ畑さんはソフトクリームが好きなんですか?」

「俺、あまり嫌いなものはないからね。でも、天の川ソフトは名前と見た目で気になっちゃって」

「名前と見た目、ですか?」

 浅黄は不思議に思って聞き返す。

「うん。俺、【天文系男子】だから。星とか宇宙とかそれだけでときめいちゃうんだよ。ほら、鞄のキーホルダー、土星なんだ。こっちは宇宙塗りレジン。この星座はおおいぬ座ね」

「わあ……綺麗」

 宇宙塗り、と言われるだけあって透明感がありそれでいて深い青と紫のグラデーション。真ん中には金銀のラメで天の川が描かれている。

「行きつけの星楽堂っていう宇宙や星座専門の雑貨屋さんで買ったんだけど、これ手作りらしいよ。すごいよねー俺は不器用だから絶対無理。下鴨サンは得意そうだよね、こういうの」

 不意に名前を呼ばれて、浅黄は驚いたように彼を見つめた。

「え、あの」

「この間、賞取ってたでしょ?絵画コンクールで」

「た、たまたまです……は、恥ずかしいです……なんだか」

「どうして恥ずかしいの?あの絵、繊細で透き通ってて綺麗で、なんだかすごく下鴨サンらしい感じがしたんだ。好きだよ、あの絵」

(……っ!)

 自分ではなく、絵のことなのに鼓動が早くなっていくのを浅黄は感じた。室内にいるのに顔がひどく熱い。

「 あ、ごめんね。俺、素敵だなって思うとすぐ言葉にしちゃう癖があって」

 彼はそう言うと頭をかいて、少し困ったように笑った。

「あ、あの……すごく……嬉しかったです。褒められられていなくて……そのすみません」

「下鴨サンはもっと自信持っていいと思うよ。じゃ、俺はこの辺で、またね」

 彼はそう言うと食べ終わったトレーを持ってカフェを後にした。

 遠くに、こちらに歩いてくる瑠花たちの姿が見える。

(あ、気を使ってくれたんだ……)


「好きだよ」の言葉と彼の笑顔が焼き付いて離れない。

(絵のことだってわかってるのに……)

 速くなった鼓動は簡単に収まりそうにはない。

「すみません、ウーロン茶を追加でお願いします」

 とりあえず、何か飲み物でも飲んで、落ち着こう。


 ――

 その後コーヒーカップ、メリーゴーラウンドなどを楽しみ、最後に瑠花たちはふたりずつずつ観覧車の上にいた。陽はだいぶ西に傾きはじめ、オレンジ色に染められた世界は、ゆっくりと黄昏の赤に変わりゆく。

「楽しかったな、紺」

 瑠花の言葉に紺も頷く。

「うん、本当に。ほら、受験生だしこんなふうに思いっきり遊んだのは久しぶりだよね」

「受験とは言っても華茶花学園はほぼエスカレーターだがな」

「とは言っても、華茶花大学に入るには一応試験は受けなくちゃ駄目だからね」

 そう言った紺に瑠花は苦笑する。

「違いないな。しかし綺麗な夕日だ……」

 瑠花はそう言って椅子から立ち上がり、窓から夕日と暮れていく京都の街を眺めた。

「だが、私たちはこれからが本番だ、紺」

(そして、金紅石――力を貸してくれ。この美しい世界を守るための力を)

「そうだね、行こう」

 瑠花と紺は真剣な表情を浮かべ、観覧車から降りた。


 ――

「はい、中へどうぞ。1時間後に閉園となりますので、それまでにはお戻りくださいね」

 観覧車から降りた瑠花たちは黄昏の光に染まる【巨大万華鏡】へ足を踏み入れた。

「やっぱりこの時間だと誰もいないのか」

「ラッキーだぜ!連日超満員ってテレビでも言ってたし」

「万華鏡っていうだけあって綺麗だねーうん、来てよかった」

「…………」

 真剣な表情ながらもどこか浮かれている瑠花たちとは対照的に、夏向はひとり考え込んでいた。

「あの、どうかしたんですか?」

 先ほどまであんなにはしゃいで元気だった夏向の様子が気になり、浅黄が尋ねる。

「あ、うん……ここ、変な感じがして……」

「変な感じ、ですか?」

「……笑わないで聞いてね。【もうひとりの俺】がこれは【罠】だって、だから下鴨サンは俺から離れないで――」

 ぱきん

 夏向がそう言った瞬間、何かが割れるような音がした。

(この……感じ)

 浅黄は以前、聞いたことがある。【マヨイゴ】が現れるとき、世界の境界が割れるのだ、と。そして同時に、黒い影のようなものがふたりの目の前に現れた。

『「……マヨイゴ!」』

「……先輩はわたしの後ろに!」

 浅黄は夏向を庇うように立つと意識を集中する。

<ゆらめくみずよ まもりのたてへ>

 そして素早く結界を貼った。これで少しは持ちこたえられる。またこの結界には触れたものをカクリヨに還す効果もあった。しかし、最大の問題は浅黄には瑠花たちのような攻撃系ヴェール能力がないことだった。

(わたしは護ることができても……戦えない)

「……下鴨サン」

 そんな浅黄の様子を見て、何かを決意したかのように夏向が口を開いた。

「……俺は力になれないけれど、【もうひとりの俺】ならきっと……大丈夫。知ってるよね?【心狂い】のこと」

「……はい」

 浅黄はうつむいたまま頷いた。


 ――

 界軸大災ののち、日本で、特に界軸の存在するとされる都市で顕著にみられるようになった【心狂い】。【心狂い】とは簡単にいえば【二重人格を持つ能力者】のことだ。【心狂い】を持つ者は【オモテ】である普段の人格の時には目立たずとも、【ウラ】の人格に心と体を明け渡すと破格の力を持つと言われている。しかし、故に【オモテ】と【ウラ】を行き来するときに記憶を失くしてしまうため、かなり危険視された存在でもある。

 雲ケ畑 夏向が【心狂い】であることは華茶花学園ではわりと知られていたし、実際【心狂い】の生徒は何人もいた。浅黄自身は彼らに偏見はない。しかし、それでもやはり怖かった。目の前にいる見知った彼が豹変してしまうことが。

 そんな浅黄の心を察したように、夏向はそっと浅黄の手を握った。

「……下鴨サンは俺のこと守ろうとしてくれた。だから俺も守りたい。大丈夫。絶対にキミのこと、傷つけたりはしない。ムシがいいけど、信じて」

「……はい」

 今日偶然ことぱーくで出会って、話して。浅黄にはわかっていた。彼はきっと嘘はつけない人だろうと。そして何よりも浅黄自身が彼を信じたいと思ったから。

「……ありがとう。じゃあ、頼むよ【黒呂】!」

 夏向は前髪に止められたヘアピンを外した。



「……貴方が下鴨さんですね」

「は、はい」

 夏向の姿をした別の人格は下ろされていた髪を後ろで束ね、丁寧に浅黄にお辞儀をしてから告げた。


「この度は初めまして。僕の名前は【黒呂】と言います。さあ、共闘と参りましょうか」

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