13話 梅花こぼれど
夢を見た。
貴方が、真っ白な貴方が黒く染まっていく夢を見た。
陽光を透かして揺れていた白い髪は夜の色に染まり、閉じられた金の瞳も緋色へと変わっていく。
崩れていく。壊れていく。貴方という魂が器が穢されていく。
(させない)
夢の中で貴方に手を伸ばす。
だけど体はもう動かない。熱くて、気が狂いそうに苦しくて。
そして思い出す。私の本体はもうすぐ焼け落ちて、私というこの器ももうすぐ消え失せるだろう。
だけど、それでも。全てを賭けて私は、貴方に希望を遺す。
記憶は偽りで、嘘で、つくりもの。
私のこのからだもつくりもの。
だけど芽生えたこの想いは、心だけは本物だ。
「――」
貴方の名前を呼ぶ。消えかけた腕で貴方の心と体を抱きしめて
くちづけて、最期の力を、祈りを捧ぐ。
「東風吹かば……におひをこせよ……梅の花」
大丈夫。貴方がすべてを、貴方が誰であるのかすら忘れているなら
私の記憶をあげるから。
本当は私のことなど、忘れてしまった方がいいのだろうけど、ごめんなさい。
貴方を守ってきたお礼にこのわがままな願いだけは叶えてもらう。
覚えていて。私の名前を。花の名前を
閉ざされた瞳がゆっくり開いて、貴方の口からその名前が零れ落ちて。
その言葉を抱きしめて、私は静かに瞳を閉じた。
――
夢から醒めて、拳を握りしめる。
確信があった。これは夢ではないのだと。
実際、アパートの部屋の前で、ボロボロになった辰砂が倒れていたのだから。
(白花、これは罠だよ!行ったらもう二度と帰ってこれない!桜導に声をかけて!)
頭の中で響いた天青石の声に首を横に振る。
「いや、それでは間に合わないのだろう?辰砂」
少し気を送り込んで、辰砂の傷を癒す。
「白花……この小さな体ではここにくるのがやっとじゃ……月輪紫土は……真赭を……解体するつもりじゃ……あの子の母親と同じように……そして母親の骸を混ぜて……異形の化け物にする……エクリプスとして別の男が目覚めた今、もう真赭に利用価値はない……本来の力は辰砂として切り離されておるが……元々白澤の血が濃いゆらの子。知識も力も常人より上じゃ。それを放っておくわけがない……」
「だろうな。辰砂、私は何をすればいい?……安心してくれ。私は冷静だ。……自らの正体についても思い出したところだよ」
「白花……」
辰砂は方法を告げ、契約石となって白花の肌に結晶化した。
本来は毒性を持つ辰砂は人の肌に結晶化などしない。
だが、白花にとっては問題はなかった。そしてそのことが彼女が人でないことを、ゆらですらないことを突きつける。
「……本体はもう土を離れているな。どのみちもう私の運命は変わらない。ならば、この命は、彼のために使うよ。案内してくれ、辰砂」
「……すまぬ。どうかあの子を」
泣き出しそうな辰砂を少し感覚がなくなりかけた指でなぞる。
「私もずっと、まそおを見てきた。いつも寂しそうな彼の姿を見るたびに苦しかった。しかし、樹では動くことも出来なかった……この体と名前はあの男から与えられたもので、あの男の手で消されるのは癪ではあるが、これも運命だろうな」
――
「……やはり来ると思ったよ、梅小路白花。もっともこの名前も私が名付けたものだが」
「ああ……そうだな。だからお前に逆らえる道理などない」
「従順な女は嫌いではないな」
月輪紫土の骨ばった指が伸び、ブラウスのリボンが床に落ちる。
「ああ、せっかくだ。続きはまそおの前でやろう。君の本体は真赭の前に置いてある。今朝切り出したばかりだ。そこで美しい梅の花のあやかしである君を消し去ろうではないか。君も会いたいだろう?その想いがこうして今の君を生み出したのだから」
「ああ、そうだったな……」
水晶に囲まれた洞窟の中で、封印されるようにまそおは目を閉じていた。
夢で見たのと同じように、美しい白の髪は漆黒に染まり、身体中に細かい傷が刻まれ、その身を縛る鎖から、どこかに生命力が流れていくのが見えた。
「これが今の真赭だ。抜け殻だよ。記憶もすべて抜き取ってやったからきっともう仲間のことなど覚えてはいないだろうな。助けは来ないぞ、白花」
「助かるなど私は思っていないさ。本体を切られた今、私の運命は変わらない」
紫土の指がボタンを外し、衣服が地面に落ちる。
「安心しろ。一緒に燃やしてやる」
「っ!」
下着の中に手を入れて肌をなぞりながら紫土が耳許で囁く。
「もう用済みなのだよ。まそおは。エクリプスの器にするつもりだったがエクリプスはもう目覚めていてね。アヤト、が器になった。
目覚めた今スペアは要らず、そしてもう君が彼を守る必要もなく君も用済みというわけだ」
「んっ!」
無理矢理唇を奪われる。気持ち悪くて吐きそうになる。
(ああ、相手が真赭ならよかったのに)
「しかし君は美しいね。私が作り出しただけはあるのか。真赭もよく美形とか言われていたからお似合いだろう。安心したまえ。流石に自分が作り出した人形と交わる趣味はないものでね。ほら、君の本体は樹、だろう?」
「……あ」
本体が不気味に光って、たくさんの枝と蔓が私の体を縛り付ける。
「今から数時間後に、この樹は自然発火する。それまで綺麗に鳴きながら愛しい人との時間を楽しめばいい……」
「……くっ……あ!」
本体であるはずなのに制御が出来ず、無数の蔓が体を這いずり回っていく――
――
春の日だった。
まだ少し肌寒い朝。樹であった私は初めてその子を見た。
真っ白な雪のような髪の男の子。金色の瞳が寂しそうに揺れていた。
「かあさま……」
その子の手には小さなかけらがあり、私はその時にすべてを理解した。
この子は母親を喪ったのだ。それも永遠に。
「びょうき……」
人の世界ではよくあることだ。
白梅のあやかしとして、移り変わる世界を見てきた。この家の庭に植えられたのは数年前だったか。移植のやり方がひどく、祟ってやろうかとも考えたが強力な結界のせいでままならず、傷を癒しながらただ庭に在った。
そんなよくあること。よくあることなのに。
毎日私の下で悲しそうに泣くものだから願ってしまった。
そばにいてやりたいと、願ってしまった。
そんな私を月輪紫土は利用した。
捕らえられて気がつくと、人間の器の中に入っていた。
梅と同じ、真っ白な髪の女。
「成功したか。お前に名を与えよう。梅小路白花。それがお前の名だ。屋敷も与える。お前の使命はただひとつ。月輪真赭を大学生になるまで守り抜け」
「私は……白花……」
「そうだ。お前は真赭と共に行動してもらう。すぐ、来る。そのまま待っておけ」
まもなく襖が開いて、雪色の髪の青年が入ってきた。
「あなたが白花だね。早速だけど桜導について話がしたいんだ。ここじゃなんだから、場所を変えよう」
「はい……」
差し出された手はとても温かくて。
貴方の手に触れられることが嬉しくて。
それからふたりでたくさん練習して、訓練も受けて。
貴方の隣にいられるように、貴方を失わないように必死で、それだけだった。
貴方のそばにいられるだけで幸せだったから私は――
気づけなかった。気づかなかった。
紫土の悪意に、計画に。
貴方が苦しみ続けていたことに。
だから目の前の貴方はぼろぼろで抜け殻のようになって。
だからこれは、私への罰だ。
大切な人ひとり、護れなかった私への。
――
「う……はあっ……はあっ……」
傷だらけになった体を、本体が地面に叩きつける。
身に付けていた服も、ぼろ切れのようになり、跡形もない。
満足したように、本体が燃え上がる。
「っ……あああああ!」
熱い。熱くて熱くて苦しい。それでもボロボロの体を引きずるように前へ。
体はもう透け始めて、時間はあまりない。
それでも頭のどこかは冷たく冴えていた。
やるべきことを、遺すべきものを、愛しい貴方に。
鎖が鳴る音で貴方の場所にたどり着いたことがわかった。
もう、目がよく見えない。温度もよくわからない。
それでもまだ貴方が生きているのだと感じた。
「真赭」
貴方の名前を呼ぶ。消えかけた腕で貴方の心と体を抱きしめて最期の力を、祈りを捧ぐ。
「東風吹かば……におひをこせよ……梅の花」
歌を模した呪文。ある意味では精霊歌。
結晶化していた辰砂が、真っ白な石に変わり肌から外れる。
口で咥えてそのまま口づけて、口移しで飲み込ませた。
大丈夫。貴方がすべてを、貴方が誰であるのかすら忘れているなら私の記憶をあげるから。
本当は私のことなど、忘れてしまった方がいいのだろうけど、ごめんなさい。
貴方を守ってきたお礼にこのわがままな願いだけは叶えてもらう。
「覚えていて。私の名前を。花の名前を」
淡い光が生まれて、髪の色が白く戻って。彼の頭には長さの違う二本の角が現れる。
(成功したようじゃ……白花)
(ああ……)
閉ざされた金のと瞳がゆっくり開いて、貴方の口から私の名前が零れ落ちる。
「……しら……はな……」
「ああ、よかった。私はここで消えるけれど……貴方は生きて。生きていつか……春の日差しの中で……笑うんだ……」
「……ぼ……くは……僕はっ……!」
言わないでと、かわりに優しいキスを落とす。
ああ、そろそろ灰になる。
「自分を責めるのはもうやめろ。アヤトのことも朽葉のことも……真赭のせいじゃない。そして、いいんだよ」
「何が……」
「……生きることを望んで、生きたいと願っていいんだよ」
その言葉を遺して、梅の花は燃え尽きた。
「……辰砂……僕は……やっと気づいた」
仄暗い洞窟の中で真赭は涙を拭ってひとり呟く。
「すべてを思い出した。そして……決めた」
「月輪紫土……お前がすべてを奪うというなら。僕はこの手で貴方を……討つ」




