12話 視える者、見えない者
――
生まれた時から、私は目が見えなかった。
世界が変わっても、生まれ持ったものまで変わるわけではない。
私の家系にはほんの、ほんの少しだけあやかしの血が混ざっていると聞いた。
覚。心を「視る」あやかし。目が見えない代わりに、触れたものの心を色を見ることができる力があるのはそのせい。
ああ、だけど触れられないものは視ることができなくて。
だから青空や星空や、遠くて触れられないものの色をその光の色を私は知らない。
「……けほっ……」
そしてきっとこのまま消えていくのだとわかっていた。
覚がなのか、それとも私の家系がそうなのかはわからないが、あまり長く生きることが出来ない星の巡りに生まれたらしい。
だから、願ってしまった。
消える前に、ただ一度でいい、満天の星空が見たいと。
――
生まれた時から、普通の人には見えないはずのものが視えていた。
それは人の纏うオーラだったり、あやかしだったり、ペンギン型の妖精みたいな何かだったりしたけれど。
あたしはいつも苦しさを抱えていた。
視えないはずのものが視えるから、本当に人間なのか疑ってしまう。
視えないものが視えるから、目に映るものを見えていると伝えていいのかわからない。
「はあ……」
何でも、過ぎるのは毒なのだ。
だから願った。
1日でいい、普通の人と同じ瞳で、同じ世界を見てみたいと。
「だったら、1日でいい。明日だけ、その過ぎた視力を分けてくれ。必ず返す。使うのはささやかな願いのため。誰かを傷つけるような願いではない」
そう声がして、風が吹いて。
瞳を開けた時、いつも目の前にいたあやかしやペンギン型の妖精は全く見えなくなっていた。
「これが……普通の人の見る、世界」
特に困ることはなかった。
今までが視え過ぎていただけなのだから、世界は色を失うわけでもなく。
「……帰ろっと」
いつものように帰路に着いた。
視えないから、彼女は気づかなかった。
その影の中に、入り込んだ何かがいたことに。
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いつもと同じ真っ暗な朝が来るのだと思っていた。
だけど、目を開くと、眩いほどの光が目に飛び込んできた。
「見える……どうし、て?」
これは、どんな奇跡なのだろう。
「……っ……けほっ……」
「あ……」
咳き込むたびに塞いだ手にどろりとした感触があって、何だろうと思っていた。
視えたのは、鮮烈な赤色。見えたのは黒くくすんだ赤色。
「……そっか、体が治ったわけじゃないのね。時計の針は巻き戻らない。でも、心から感謝します。私の生きていた世界を、最期にこの目で見られることに」
手を拭いて、消毒して病室のカーテンを開ける。
「わあ……」
窓は小さく、見える青色はわずかで。
それでも私は初めて青空を見た。涙が出るほど、綺麗だと思った。
病室を訪れる者はいない。だからずっと私は、初めて見る青と、流れていく白を飽きもせずに見つめていた。
――
「う、なんかすごく気持ち悪い……食べ過ぎたかなあ……」
京都に、華茶花学園に入学してきてからずっと行こうと決めていた喫茶店を後にしたあたしは謎の体調の悪さに襲われていた。
喫茶店のメニューは間違いなくどれもとても美味しく、断じてそのせいでお腹を壊したというわけではない。
「うう……とりあえず帰って寝て――」
ふらつきながら駅に向かっていたので、前から来た男の人にぶつかってしまった。
「きゃっ!ご、ごめんなさい………!」
「気にすんなよ……それよりあんた……ものすごく顔色が悪いな。近くで休める場所を知ってるから、着いてきてくれ」
「そ、それはナンパや誘拐ですか?そ、それともあ、あたしを路地裏に連れ込んであんなことやこんなことを……?」
言いかけて、ふらついてしまい、体を赤い髪の青年に支えられた。
「俺、彼女いるし、そんなことしねーよ。……ちょっと事情があるので路地裏には来てもらうけど。……よっと」
「って、え、な、何を」
こ、これはお姫様抱っこというやつではないのか。
「俺は錦 臙脂。急がないとお前、ちょっとやばそうだ。あとでぶん殴ってもいいから、今は俺に従え」
「……は、はい」
どのみちこの体勢では逃げられないし、だんだん息苦しくなってきて。
あたしは錦 臙脂に抱えられて路地裏に運ばれていった。
――
「はあっ……」
「大丈夫、もうちょっと我慢してくれ。単刀直入に言うぞ。お前の影にマヨイゴが憑いてる。今からそいつを祓う!」
「なんで……そんなもの……が」
ゆらりと影が蠢いて、影の中から飛び出してきたのは影の蜘蛛。
「蜘蛛……上等だ!焼き払ってやる!石榴石、ちょっと力を貸してくれ!」
(はい、兄様)
「うおりゃあ!石榴炎拳‼︎」
掛け声と共に炎を纏わせた拳を実体化した影蜘蛛に叩き込む。
拳と炎は影をすり抜けることもなく、影蜘蛛を吹っ飛ばし、ひっくり返った影蜘蛛はそのまま燃えて灰になった。
「あらあら〜またうちの可愛い子蜘蛛、やられてしまいましたわ〜」
「この影蜘蛛、マヨイゴではなく、お前の眷族か……何故この女を狙った?」
黒髪に白い着物の女は少し考えて答えた。
「そうですね〜わたくし黒橡さまの石妖ターコイズと言うのですけれど、以前踏切で、桜導の青磁さん、黒呂さんと戦っていまして〜桜導の他の方々の実力を見てみたかったのです〜あなたや黒呂さんとは相性最悪だとわかりましたので、失礼します〜」
石妖ターコイズはその場から消え、路地裏には臙脂と寝息を立てる少女だけが残された。臙脂はそっとその体を抱き上げる。
「こんなとこに寝かせとくわけにはいかねえし、ナノカは事情を話せばわかってくれるだろう。俺のアパートに連れていく」
――
「あ、気がつきましたか?臙脂さんも私もあなたのこと心配だったのでホッとしました。とりあえず、ローズティーをどうぞ」
次に目を覚ましたのは小さなアパートの一室だった。息苦しさは消え、服に乱れもない。
「ありがとうございます。あたしは瓶覗リサと言います。名乗るのが遅れてごめんなさい」
ローズティーを一口。ほのかな甘味と薔薇の香りが口に広がった。
「いいって。けどリサ、お前『視える』はずだよな。でも今のお前全く『視えて』ない。なんでだ?」
「……あなたも、視える人なの?だったら、視える人の辛さもわかるよね?」
リサの言葉に臙脂は首を傾げる。
「辛い?いや、トラブルに巻き込まれたりはするけど辛いって思うことはなかった。気がついたらいつも俺の周りにはあやかしやぺんぎんぽい何かや花ぺんぎんがいたから。けど、多分それは俺がひとりだったからだとも思うんだ」
「ひとり……?」
「ああ、俺天涯孤独ってやつなんだよ。正直両親の顔もわからないし一部記憶が欠けてもいる。だからあやかしや普通の人には視えない何かに守って、育ててもらったようなもんなんだ。紺も変わったやつだったし、華茶花も能力者の学園だし、視えることを疎む奴らに出会ってきてないんだ。けど、やっぱり力のない一般人からしたら俺らは怖いんだろうし、視える奴も視えない奴には怖いんだろうなってことはなんとなくわかる」
臙脂はそう言うと、テーブルのローズティーを一口飲んだ。
「あたし、初めて今視える人に、臙脂さんに会った。やっぱりそうなんだってちょっと安心した。……あたしはこの視え過ぎる瞳が疎ましかったの。だから、昨日、普通の人と同じ世界を見てみたいってお願いしたら、『視える力』を持っていかれたみたい」
「持っていかれた?誰に?」
「わからない。だけどその何かは1日だけ視力を分けて欲しいって言ってた。ささやかで、誰かを傷つけるような願いではないって。優しくて、でもとても寂しそうな声。人間じゃないみたいだったけど」
「……きっとまそおさんや銀朱なら甘いこと言わずにさっさとそいつを祓えって言うんだろうけど、俺はその、あやかしを信じたい。だから明日まで手は出さない」
臙脂の言葉にあたしは安心したように笑う。
「ただ、ガードがいないのも問題だな。寮まで送っていく」
「はい、それがいいです。今夜は臙脂の好きなものたっぷり食べさせてあげますね」
――
「綺麗な夕焼けだな。今夜は星も綺麗に見えそうだ」
「そうね。とても綺麗そう」
ふたりで寮への道をのんびり歩く。カラスの鳴き声、夕飯の匂い。
どこにでもある夕暮れは、一陣の風にかき消された。
「大変なのだ……どうかあの子を……道で倒れてしまって……ああ、見えるようになったから病室を抜け出して星を見に――」
「お前がリサの視え過ぎる瞳を1日だけ借りたあやかしか。早く、その子のところに案内しろ!俺なら多分、手助けができる」
あやかしに案内された先ではひとりの女性が倒れていた。
息は荒く、咳き込む度に血を吐いている。
「もう大丈夫だ。親切なあやかしが導いてくれた。そしてあなたの願いは星を見ること。力を貸します」
臙脂が女性の手を握ると、ぼっと小さな炎が灯った。
「この力は……そして真紅の髪……あなたはまさかハゼ……様……?」
女性は立ち上がれるまでに回復し、震える唇でそう呟いた。
「……あなたはあやかしの血を引いているのですね。ほんのわずかだけど覚の血を。では、目の前にいるあやかしも見えますか?」
「……ええ。でも何故……」
あやかしは静かに答えた。
「僕はのぶすまというあやかし。今は人の姿だが本来の姿はムササビ。そして昔、あなたに助けてもらったのだ。だからどうしてもあなたの最期の願いを叶えたかった。リサ、悪かった」
「ううん。あたしも普通の世界を見てみたかったから。あたしの願いもこの人の願いも叶ったんだからいいじゃない。願いが同時に叶うなんて奇跡よ」
「……ええ、本当に」
「あなたの命の火を少しだけ強くしました。せっかくだし、もっと近くで星を眺めましょう。ほら、全員地面を蹴って!」
「わ」
不思議な力で体がふわりと浮き上がり、空中で静止する。
「綺麗……星の中にいるみたい!」
それはとても優しくて美しい夢だった。いくつかの流れ星が落ちては消えていく。
その光は美しくもひどく儚くて。
「リサちゃん。あなたもきっとあなたをわかってくれる人に出会えるわ。視えることも含めて受け入れてくれる人に。ああ、私はいつもベッドで一人きりで寂しく死んでいくのだと思っていたけれど、のぶすま、リサちゃん、臙脂くん……優しい夢をありがとう」
夢が終わり、女性は静かに瞳を閉じて。
「……命は廻る。また、どこかで」
命の炎は、燃え尽きた。
――
翌朝、目が覚めると世界は元に戻っていた。
心配するようにぺんぎん型の妖精がちょこんとベッドの上に座ってぱたぱたしている。
「あ、うん。もう大丈夫よ。いつもみたいにみんな見えるから」
ぺんぎん型の妖精を優しく撫でてやると嬉しそうにぱたぱたした。
家にまで入り込んだ猫のあやかしが人型をとって飛びついてくる。
寮から学園に向かうまでの道でもさまざまなあやかしに声をかけられた。
わずらわしいはずの風景が今朝は不思議と愛おしい。
「あ、かっぱぺんぎんが干からびそう……きゅうりぺんぎんが困ってる……」
そんな呟きを聞いて、持っていた飲み物を手渡す。
「良かったらこれ」
「君も視えるんだ。ほら、飲んで」
華茶花の制服を着た青年は手に飲み物を注いで、かっぱぺんぎんに飲ませる。
しばらくするとかっぱぺんぎんは元気になって近くの川に飛び込み、きゅうりぺんぎんはお礼に彼にきゅうりを手渡しで去っていった。
「あなたも視えるのね。これも何かの縁、仲良くしましょ?あたし、瓶覗リサっていうの、あなたは?」
ふわりと優しい風が吹く。
「僕の名前は――」




