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石妖契約奇譚  作者: 上月琴葉
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6話 Point Of No return

 ――

 透明な水槽の中に、ひとりの子どもが浮いていた。真っ白な髪がゆらゆらと揺れている。服は身に着けておらず、その体はとても華奢に見えた。

 僕はただ、それを見ている。

 正確には僕の精神体が。何故ならば、僕の体は――水槽の前に広がる緋い海。その中に沈んでいたのだから。

 最後に腕を伸ばしたのか、その指先は水槽へかろうじて届いていた。

<間に合わなかったようね>

 薄暗がりに見知った声が響く。

 お前は、僕の、僕の――

<ああ、本当に滑稽で愚かなマスター。貴方が本当に助けたかったのは彼でしょう?>

 子どもの瞳がうっすらと開く。鬼灯色の瞳。ああ、お前は――

「……ごめんね……アヤトさん…朽葉……ぼくの……ぼくのせいで……」

 ああ、最高のバッドエンド。この状態ではもう、名前を呼ぶことすらできない。

 そうだ。あの時僕もそしてアヤトさんも。すべてをかけて守ろうとした。いや、守ったはずだったのに。

「僕がすべてを背負う。だから君は僕を――して」


「……っ……」

 あまりにも最悪な白昼夢だった。

「みゃあ?」

 縁側で猫たちと戯れているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。ハルが心配そうに彼の手を舐めた。

「……ああ、大丈夫だ。ハル」

 ハルの体を抱きしめる。暖かさで少しずつ体に体温が戻ってきた。

「今日は……卒業式だったのか……あいつは」

 思えば最後に会ったのは去年。その時には特にやつれている様子などはなかったが……

「……」

 胸騒ぎが、おさまらない。ただの夢だとは思えない。何故ならばあの声は……

「にゃーっ!!」「にゃああああ!」

「おいこらひっかいてくるな!なんなんだよ……鯖缶でもあげればいいのか?」

 入り口で猫が騒いでいる。聞こえた声にも聞き覚えはない。

「……」

 朽葉は溜息をついて立ち上がると、玄関のドアを開けた。

「誰だ」

「……狂花酔月の御蔭朽葉っていうのはあんたか?」

「……御蔭朽葉なら僕だが。お前は誰だ。何の用だ」

 警戒心を解くことなく、彼はフードを被った人物を見る。赤と蒼のオッドアイ。

「……俺は蒼。あんたと少し話がしたくて探していた。ああ、別に戦おうとかそういうことは全く考えてない。そしてこっちもあんたに有益な情報を持ってきた。どうだ?」

「みゃ」

 奥から現れたハルが、蒼と名乗った人物の足元にすり寄っていく。

(ハルは警戒心の強い猫だ……ハルを信じるか)

「……わかった。入れ」

「そうこなくっちゃ。お邪魔します。ついでにあんたが好きらしいねこちょこも買ってきたぜ」

「…では食べながら話そうか」


 ――

 縁側ではなく家の一番奥の和室。その上厳重な結界を張った上で朽葉は口を開いた。

「……僕に聞きたいこととはなんだ?」

「……単刀直入に言う。【月輪真赭】についてだ」

「……なぜ、それを僕に?」

 体が震え出すのを必死に抑えて問い返す。あんな夢を見た後だ。悪い予感が消えない。

「……数時間前の話だ。華茶花に疑似石妖が出た。その時に会ったんだけど、どうも何かが気になって」

「……気になった?あいつは僕が言ってもなんだがかなりの美形だ。それにあの真っ白な髪、嫌でも印象に残るだろう」

 彼の答えに蒼はねこちょこを口に放り込みながら首を横に振る。

「いや、見た目じゃない。ただ異質さを感じる桜導の中で際立って異質な気がした。だから、どういう人なのか聞いてみたんだけど臙脂、青磁、銀朱――みんな桜導の長で元生徒会長でそれ以外は詳しく知らないっていうから逆に気になってさ」

 蒼は不自然に思ったのだ。いくらプライバシーがあるとはいえ家族構成や家の職業ぐらいは風の噂で流れてきてもおかしくない。月輪真赭という人物はあまりにも生活感がなさすぎる。まるで目の前にいるのに存在していないかのようだと。

「……そう、だろうな。あいつは絶対に家のことを話そうとはしない。それこそ陰陽術を使ってでも隠そうとするだろう。ところで、何故僕の名前と住所がわかった?」

 朽葉は納得したように頷いた後で問う。

「ああ、それは紺から聞いた。あとは臙脂の【友達】にも協力してもらって探し当てた。……朽葉、よかったら月輪真赭について知っていることを話してほしい。変な話なんだけどなんだか嫌な予感がするんだよ。大丈夫、桜導の方には言わない。そこは信頼してほしい」

「……わかった。知っている範囲になるが――」

 朽葉は重い口を開いた。


 ――

 月輪(つきのわ)家。京都でもっとも有名な陰陽師安倍晴明の流れを組む陰陽師の名門。伝説によればその始祖はあやかしと契ったのだという。

 現当主は一応月輪真赭ということになっているが、実権を握っているのは彼の父親月輪紫土(つきのわしど)

 彼については陰陽師内できな臭い噂が絶えない。

「僕の記憶が確かなら、ある時期まで真赭の髪の毛の色は金色だった。そして彼は父親をひどく恐れていた」

 怪我をしてくることもあったが、「陰陽術の練習で失敗した」ということを当時の朽葉は信じた。

 実際自分も陰陽術の訓練で怪我をすることは多かったからだ。

「……それが間違いだと知ったのは最近だ」

 朽葉はアヤトの件で黒橡についてずっと独自に調査をしていた。そしてその中で、黒橡と月輪紫土が会っていたことを突き止めた。

「……蒼と言ったな。お前は嘘をついてはいない。本当にリア・クロスの一員なんだろう。これを、託す」

 そう言って朽葉はUSBメモリを蒼に渡した。

「いいのか?」

「ああ。その中には黒橡と月輪紫土についてのデータと、【エクリプス計画】についてがある。リア・クロスならそう簡単にデータを奪われることもないだろう。実際、お前は僕よりずっと強い能力者のはずだ」

「じゃあ、ありがたく。雨龍。誰の手にも届かない場所へしまっといてくれ」

<承知いたしました>

 USBメモリが異空間に吸い込まれて、消える。

「……先ほど夢を見た。僕が殺される夢だった。やけにリアルだったから、きっと現実になるだろう。……真赭は【エクリプス計画】の本来の適合者。そのためだけに生まれて、育てられてきたんだ。だけど、僕の知っている彼は、ただの真赭で――陰陽術に真面目に取り組む、優しくて強くて、でもとても脆いただの青年だ」

 夢を見た今ならわかる。真赭はきっとあの事件の後にそのことをあの父親から聞いて、巻き込まないように離れたのだ。

「頼む。僕の代わりにあいつを守ってくれ。今日は満月だ……数時間後には僕は、もうこの世界にいないかもしれない」

 朽葉の悲痛な訴えに蒼はただ静かに頷くしかできなかった。


 玄関を出た蒼は考え込む。

「って言ってもな……実質ここで朽葉に死なれたら色々まずい……」

<対策は取れないのか?>

「……んー……あの言い方だと朽葉は犯人を夢ではっきり見てるから、彼自身が対策を取るんじゃないかとは思うけど……」

「みゃあ」

「お?ハルって呼ばれてた猫?」

 蒼はいつの間にか足元にいたハルと呼ばれていた猫を抱き上げる。そのしっぽは分かれていた。

<……雫。この猫は……>

「……そういうことか。じゃあ……」

 雫はそう言うと泉 神社のお守りを首輪につける。

「みゃあ」

 ハルは一声鳴くと家の中へと戻っていった。



 ――

「お待たせ」

「時間どおりやな」

「俺まで来ても良かったんですか?」

 閉館後の水族館の前の広場に和希、蒼、臙脂が集合した。陽はすでに沈み、月が昇ろうとしている。

「じゃあ、行くか。和希、案内頼む。よろしくな晴龍。研究所跡へ」

<しっかりつかまっておけ。飛ばすぞ!>

 月を背に3人を乗せた龍は京都の北へ飛び去った。


 木々が鬱蒼と茂る森の中に、その場所へと続く苔むした階段があった。

「なるほど、地上からでは何もわからないですね」

 階段を下りながら臙脂が言った。

「侵入者に対する罠とかは……なさそうだな」

「ええ、明らかに廃棄されてるんで。なんで廃棄されたか考えるとそれはそれで不気味な気もするんやけど」

 重い扉を開けて研究所内に足を踏み入れる。床に転がるのはなんらかの薬品の瓶だが、中身はすでに使われた後なのか空だった。

「ここが墨染 綴――「本」と呼ばれてたホムンクルスがおった部屋や。ガラスが飛び散っとるから気をつけてな」

 7つ目の部屋には空になった水槽と、飛び散ったガラス以外には何もなかった。綴を助けだした当時のままだ。

「ここには何もないか。じゃあ、その黒い結晶があった部屋っていうのに案内してくれ」


 突き当りの部屋の扉の奥にそれはあった。

 鎖でぐるぐる巻きにされた黒く変色した結晶のようなもの。そして巨大な石のはまっていない歯車。もしかしたらまだ、作りかけなのかもしれない。

「少し近づいてみるか……臙脂、何か【視える】か?

「えっと……っとと!」

 鎖を踏んづけてよろけた臙脂の指がそれに触れた瞬間――

<あなたは私の声が、遺した想いが聴こえますか?>

 結晶が淡い光を放ち、集った光が人間の女性のような形をとった。人間と異なるのは二本まっすぐに生えた鉱石と樹木の角。

「……あなたは?」

<わたくしは白夜――ハクヤと言います。鏡界からこちらに呼ばれ、白澤の姿をとった者です>

「ハクヤ、さんですね。俺は臙脂です。聞こえています。貴方の声」

 蒼と和希は少し下がってふたりの会話を見守ることにした。

「臙脂ですか。色の名前。私の子どもと同じですね」

 ハクヤはそう言うと微笑む。

「そうなんですか。お子さんのお名前は何て言うんですか?」

 彼女の口から明かされた言葉に、全員が言葉を失った。

「まそお。わたくしの子は真赭という名前なんですよ」


 ――

 ちょうどその頃、朽葉の家。

「……ああ、やはりお前だったか……砂漠薔薇……」

「ええ。残念ですがあなたは少し知りすぎてしまったので始末しろと櫟様が。もっと色々辱めて、色々な声を聞いてみたかったのですけど、ね。櫟様は急げと言われたので。研究所に入り込んだ鼠の掃討令が出ていますの」

 砂漠薔薇は淡々とそう言って、朽葉の腹部に突き刺した複数の薔薇の蔦を引き抜いた。ぐらりと傾き、そのまま朽葉は床へ倒れ、紅い海へ沈んだ。

「ふふ、見なさい。海松。これが黒橡様に楯突いたものの末路なのですよ」

「う……嘘でしょ……なんで……お前は!お前は兄さんの石妖だったんじゃないのか!」

 目に涙を溜めて、海松は砂漠薔薇を睨みつける。

「金緑石も理解できない……石妖は契約者のもうひとり。だから契約者を殺したら自分も消える!それ以前に、そんな感情はないの!ないはずなの……姉サマのこと、大好きだから」

 金緑石は海松を庇うように砂漠薔薇の前に立った。

「ええ、本来は。本来はそうなのですけれど。【疑似石妖】でなければ。海松、せいぜい兄さまとの最期の時間を楽しみなさい?顔は綺麗なままにしてあげたから」

 砂漠薔薇はそう言い残すとふっと姿を消す。

「いやだ……嫌だよ兄さん!逝かないで……逝かないでよおおおっ!」

 海松は自分の服が汚れるのも構わず、朽葉の体を抱き上げる。冷たい。頬に一滴涙が落ちた。

「……大丈夫、死なせない」

「……誰?ね、猫が喋った?」

 開いたカーテンの隙間から指しこむ月の光の下で、しっぽが二股に分かれた一匹の猫が姿を変えていく。

「……初めまして海松くん。俺は……彼の朽葉の本来の石妖【透輝石】。玄紅はるとって名付けられてハルって呼ばれてた猫だよ」

 金色の長い髪が月光に透ける。緑色の瞳は優しく、温かい。

「ハル……さん?お願い……朽葉兄さんを助けて……!」

「大丈夫だよ。必ず助けるから。海松、うん、やっぱり君は作り物なんかじゃない。ちゃんと泣ける、優しい子だ」

 ハルはそっと海松の頭を撫でる。

「ダメだよ、包帯以外に触れたら、ハルさんの体が……」

 ハルは首を横に振る。

「……死に関する術は俺には効かないよ。【火車】だからね。おっと、話してる場合じゃない。朽葉の体をこっちに」

「はい」

「……ごめんね、朽葉。多分君の初めてだろうけど、生きるためだから許して」

 ハルはそう言って朽葉の体を抱えあげると、そのまま口づけた。

(君の生も死も俺が貰う。これが契約だ))

 朽葉の胸のあたりに淡い光とともに透輝石の欠片が生成され、吸い込まれる。同時に傷口が塞がり、頬に赤みが戻っていく。

(死を操る【火車】……これがその……力……)

 海松はその光景をただじっと見つめていた。自分には何もできない無力さを感じながら。

「これで、もう大丈夫。ところで海松くんに提案があるんだ」

 ハルはそう言って、いたずらっぽく言った。

「砂漠薔薇、潰しに行かない?研究所に、一緒に」

 その目に静かなる怒りの焔を燃やしながら。

「……そうだね。兄さんをこんなにしておいて、さすがに許せない」

「じゃ、俺はしばらく猫型でいるから一緒に行こう。この家には強力な結界を張っておくから朽葉は大丈夫」

 こうして海松とハルも砂漠薔薇を追って研究所跡へと向かったのだった。

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