3話 春待ち日和の猫語り
それはぽかぽかとした2月も終わりに近づいたある日の出来事。
「だいぶ、春っぽくなってきたね」
俺――九条 紺はあんまんを片手に道を歩いていた。
「……みゃー……」
「ん?」
そんな時、かぼそい鳴き声に気づいて足を止めると、草むらの中に怪我をした猫がうずくまっていた。
多分種類は、茶トラ、とかいうのだと思う。
「……怪我してるんだね。どうしよう、でも俺は猫の扱いは――」
「……」
そう呟いた時、後ろから腕が伸び、優しくその猫を抱きかかえた。
「……姿が見えないと思っていたら怪我をしていたのか。探したぞ、ハル」
「みゃあ……」
ハルと呼ばれた猫は安心したように鳴いた。
「……九条 紺。お前がハルを見つけてくれたのか。礼をしたいのでついて来てくれ」
「……(あれ、なんで名前知って?)はい」
少し不思議に思ったけれど、助けた猫のことも気になった俺は、黒髪の青年についていくことにした。
――
「……みゃあ」「みゃー」「にゃあ」
その人の家に着くと、出迎えてくれたのはたくさんの猫だった。
「わかった、餌はすぐやるから。九条、そこの棚にある【特選!猫フィーバーゴールド】をそこのエサ入れに入れてくれないか」
「はい」
言われたとおりに取りだした餌をエサ入れにいれると、隠れていた猫たちも一斉に現れた。
一体、この家には何匹の猫がいるのか。まるで猫屋敷だ。すごい勢いで餌がなくなっていく。食べ終わった猫はどこかに消えていったり、その場で丸まって眠りはじめた。
「有難う。ハルの治療も終わった。手を洗ってきて菓子を食べるか」
「え、えーと。貴方は……」
「ああ、ジャージ姿ではわかりづらいか。御蔭朽葉 。お前たち桜導 のことはよく知っている」
御蔭朽葉。何だろう、どこかで聞いたような。
「……菓子を食べながら少し話そう。一度お前とは話してみたかった」
朽葉はそういうと洗面所へと俺を手招きする。その様子を見ながら目を覚ましたハルがひと声鳴いた。
――
ぽかぽかと暖かい縁側で、眠るハルを横目に朽葉は話し始めた。目の前には3種類の味の「ねこちょこ」(限定品)が置かれている。
……この人、本当に猫が好きなようだ。
「まずは、海松 の血縁者としてお前に謝罪しよう。すまなかった」
そう言うと朽葉は俺に向かって頭を下げる。
「いえ、いいんです。朽葉さんは俺に危害を加えたわけでもないですし……」
色々思い出すと何もされていない、と言う事もできないけれど、海松もきっと何かがふっきれたはずだ。
「……僕は、本当に弱いな。海松とも向き合えず、真赭とも向き合えない……」
ねこちょこをひとつ口に放りこんで、朽葉は深いため息をついた。
「……朽葉さんは、真赭さんと知り合いなんですか?」
「…ああ。少し昔話を聞いてくれるか?」
小さく頷く。
「……これは【世界から存在を消されたはずの男の話】だ」
――
炎が燃えさかっていた。紅い景色だけが今も焼きついて、離れない。
そんな中、黒い服の女が傷だらけの僕を見下ろしていた。
「……あら、貴方の右の瞳、もう使い物にならないのね?」
女の指が、右の瞳に触れる。
「……こんなに綺麗なのに勿体ない。その真っ赤な瞳、エクリプス様に絶対に似合うから…頂戴?大丈夫、痛くしないわ。そして代わりの瞳もあげる。ちゃんと視える瞳を、ね」
「っ!」
女の言うとおりに痛みは一瞬でおさまり、昏かったはずの右目に視界が戻る。
「……その瞳でしっかり見ておきなさい。貴方たちの【太陽】が地に堕ちる様を」
「……やめろ……アヤト…さん!」
目を閉じてぐったりしている彼は、片方の目の色が変わった瞳を開いて悲しそうに笑った。
「……朽葉、そして真赭。君たちは生きて。俺の分まで、ね。……そしていつか――」
最後の言葉は、聞き取れなかった。
そして意識もそこで途絶えた。次に目を覚ました時はある神社の境内の中に真赭とふたりで倒れていたという。
――
「……意識を取り戻してから、この、不気味な模様の刻まれた金色の瞳と、誰も 彩堵さんのことを覚えていないことに気づいた」
朽葉はそう言うと右目を一瞬だけ見せた。魔封じはしてあるが、長く見ていると危ないそうだ。
「覚えていない?」
彼は小さく頷く。
「ああ。初めから存在自体がなかったことにされている。彼の妹――彩花というんだが、彼女も何も覚えていなかった」
ねこちょこのふたつめを俺は口に放りこむ。
「……しかし、僕が何よりも許せなかったのは……真赭が、誰よりも彩堵に憧れ、慕っていたあいつが……彩堵のことを完全に忘れていたことだ」
「……思いが強すぎて、逆に抜け落ちてしまったんですね?」
「ああ。頭ではそうわかっている。しかし、心がどうしても納得できず、家の事情もあって……親友だった僕らは……疎遠になった。僕は耐えられずに華茶花学園を退学して、鏡華郷で陰陽道を学んだ。その後は御蔭家の当主になり、この屋敷を与えられて猫と共に暮らしている」
ハルが少し悲しそうに、鳴いた。
「……猫はいい。気まぐれで自由で、それでいて心を許した者を裏切らない。本当に……落ち着くんだ」
「朽葉さん……」
「……話はこれで終わりだ。……わかっている。いずれ僕は真赭と向き合わなければいけない。戦うことになるだろう。これはまだ調査段階だが、お前だけに教えておこう……実は――」
朽葉はそう言うと耳元であることを囁く。その言葉は衝撃的で、そして同時に新たな戦いを予感させるものだった。
「彩堵さんを実質的に殺した、あの女は生きていて、暗躍をはじめている。 櫟、という名前で、な」




