10話 朽ちゆく世界に逆らいて
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「命は平等だ」と誰かが言った。だけど、実際今のこの世界でそれは真実なんだろうか。
ボクは知っている。だからこそ疑問にしか思わない。
命が平等だというのなら、どうしてボクは――
「生まれることさえ、許してもらえなかったんだ……」
何が大人の事情だ。ボクは絶対に認めない。そしてお前たちを絶対に許さない。
この世界で、現世でかたちを、人という器を得ることができなくても、それでも受け継がれた力はボクを無には還さなかった。陰陽師の血統と力は、魂だけを黄泉、冥府、あるいは星の闇――人がそう呼ぶ世界に留めた。
暗闇の中でボクの魂はただ、待っていた。そしてただ、祈っていた。
夏の日、夜の庭で月明かりの下で刹那垣間見たボクの「兄」。彼に会いたい。いや、会うだけじゃ物足りない。色々なことが……したい。そして守りたい。もう、ボクみたいな……御蔭家の犠牲になるような存在を……生んではならない。
「ミル姉サマ。明日ハ素敵ナ一日ニナリソウ。オ腹イッパイ。オヤスミ!」
「金緑石。ボクは生物学上は男、だから【兄さま】なんだけどね?まあ、性別なんてどうでもいいことか。おやすみ」
世界は冬へ、眠りに近づいていく。木々は刹那に色づき、すぐに乾いて朽ちていく。
「……朽ちゆく世界に逆らって、朽ちゆくこともできないままに目覚めるなんてね……」
海松はそう呟き、自らの腕を見た。はめられた手袋、体中を覆う包帯。夜にしか動き回れない身体。
「召喚者の技術が未熟か、それとも器がまずかったのか、それとも現実での時間が経ちすぎていたのか……」
けれど、考えていても仕方がない。かたちを得て、今ボクはここに立っている。手袋ごしに、夜だけでも愛しい兄に触れることができる。そして召喚者に従い、鵺の封印を解き、石妖金緑石として従えた。
「……そうだね、もう後戻りはできないし、する気もない。ボクらはこの世界に……復讐しよう」
ポケットからメモを取り出す。
そこに書き連ねられているのは断罪すべき人々の名前。
「……行動開始だ」
――
「……う……ん……」
「良かった。気が付いたんだな、ナノカ」
時は少しだけ遡る。
華茶花学園の医務室で、ナノカはそっと瞳を開いた。
「エンジ……さん……?」
臙脂が頷き、ナノカの細い手をそっと握った。
「よかった……あ、まだ動くなよ?全身傷だらけだったから今、ナノカは――」
「……あ……だめ……」
「ナノカ!?」
ナノカはとろんとした目をしたままで、臙脂の方へ体を寄せる。
「……血を……マナを……薬……飲んでなかったから……ください……」
「いいけど、いくらでもやるけど!布団落ちてるから……せめて胸だけでも隠し――」
次の瞬間臙脂の腕に牙が突き立つ。不思議と痛みは感じなかった。
相手がナノカだからなのか、それとも他の状況が色々問題過ぎたからなのかはよくわからない。
ただ、その姿をとても綺麗だと思った。金色の髪も、オッドアイの瞳も、少し赤みを帯びた白い肌も。
ナノカはやがて満足したように唇を離すと、急に我にかえった。
「や、やだわたし……な、何して?え?裸?そ、そんなことよりエンジさんの腕から血が出てるってことは…………!」
ナノカは臙脂の腕を掴むと、そのままぽろぽろと涙を零した。
「……ごめんなさい……わたし…………人間じゃないんです……月の子ども……人のマナを……血を喰らって生きてる……化け物なんです……」
「……化け物なんていうなよ。たまたま薬が切れて、体内のマナも枯れてたんだ。仕方ないよ。ナノカは悪くない」
臙脂はそう言って、ナノカの細い体を抱きしめる。
見ただけでも華奢な彼女だが、こうして抱きしめてみて彼は改めて実感する。この細い体で、小さな肩で、一体どれだけの重荷を背負ってきたのかを。
「……わたしは……化け物です……気持ち悪いかもしれません。だけど、やっぱりこれだけは言わせて欲しい……」
ナノカはそう言うと臙脂の頬にキスをし、そして耳元で囁く。
「ずっと……あの日からずっと……貴方のことが大好きでした。エンジさん……」
ナノカはそう言うとぱっと体を離し、医務室のドアに手をかけた。
「待て!色々な意味で待て!」
臙脂は迷わず、今度は強い力でナノカを自分の方へ抱き寄せる。
「お願い……離して!」
「嫌だ。離さない。とりあえず、落ち着け。もうすぐ瑠花と浅黄が着替えを持ってきてくれるから。せめてそれまでは」
「……あ、そういえば私……」
ナノカは自分が一糸まとわぬ姿であることに気づくと、素早くベッドの中に潜り込んだ。
「うう……もうなんか色々恥ずかしすぎます……悪いのはわたし……なんですけど」
「ナノカは色々考えすぎだと思うぜ?もう少し肩の力、抜けよな……」
臙脂は耳まで赤くなっている彼女の頭に、ぽんと手を置く。
「俺さ、正直ナノカが月のこどもっていうのはさ、出会ったときにピンときたんだよ」
「え、ええええ?じゃ……じゃあなんであの時助けて……」
「んー俺さ、小さい頃から色々と【視える】から人外の知り合いも多くてさ。困った時は助けたり助けられたりしてきたんだ」
「だから、困った時はお互いさまだと思ったんだよ。人でもそれ以外でも関係なく、な」
「じ、じゃあ私は……貴方を好きでいても……いいんですか……?」
臙脂はとびきりの笑顔で答える。
「もちろん」
「で、でもでも薬がない時にもしかしたらまたさっきみたいに血を……」
「構わないぜ。だから言っただろ?困った時はお互いさまだって」
ナノカの目から大粒の涙が落ちた。
「あり……がとう……でも……エンジさん……優し……すぎます……」
「それはナノカもだよ。ナノカも……優しすぎるよ。けど、もう自分を犠牲にはするなよ?ナノカがいなくなったら、悲しい」
「……はい……」
ナノカはそう言うと、安心したようにまた瞳を閉じる。やがて小さな寝息が聞こえ始めた。
「……おやすみ、プリンセス・ローズ……」
――
「……はあ」
夕暮れの屋上で銀朱は独り、ため息をついた。
「……やっぱり……できなかったか……」
実家からの命令だった。この街に現れた吸血鬼を「狩れ」と。そんな風に言うぐらいだから凶悪な存在だと思い込んでいたのに。
「……まあ、あんないい子じゃ……難しい……仕方ないと……」
目の前に現れた「吸血鬼」は折れてしまいそうに儚くて、両親のために自らを犠牲にするような子で。
「……へえ、五辻さんはその方言だと福岡辺り?」
「……何しに来たの?烏丸……私を笑いにでも?」
思わず声の主、烏丸 青磁を見つめる瞳に力がこもる。
「……まさか。やっぱりなーって思っただけ」
「やっぱりって……!」
笑いに来るよりもっとタチが悪い、その言葉はほぼ私への侮辱じゃないか。
「……根は優しいけど色々抱えてて無理してる、どう当たってる?」
「……え」
彼はそう言ってへらっと笑う。
「臙脂が凄い五辻さんのこと心配してたからね。臙脂は超絶お人好しだけど、人を見る目はちゃんとある。だから、臙脂が心配してるんなら、多分悪い奴じゃないんだろうなって。ナノカも心配してたし」
「……なんで心配できるのよ。わけわかんない……私はナノカを……殺そうとしたのよ。自分自身の勝手な理由で」
「あー……あのふたり最高のお人好しバカップルになりそうな気しかしないから仕方ない気もするけどさ……事実として五辻さんはナノカのこと傷つけてないわけだから。で、オレも――」
見た目のわりに強い力で腕を引っ張られて、彼に耳元でこう囁かれた。
「……心配してたんだよ?」
「……なんだか嘘くさいけれど。烏丸君……底が知れない気がする」
「……ま、嘘かホントかは五辻さんの判断に任せるよ。あ、これ」
彼はそう言うと私のてのひらにポン、とチョコレートを乗せた。いわゆる、一口サイズの。
「疲れた時には甘いものってね。じゃ」
彼が去っていくのを見送ってから、口の中に一口チョコレートを放り込んだ。
「……美味しい。全然……甘くはないけど」
一方その頃青磁は――
「……はあ。他人の心配なんてホントオレらしくないや。ずっと一緒にいたから臙脂のがうつったのかな……」
階段を下りながら、誰にも聞こえないように彼は独り呟く。
「……他人となんて、深く関わりすぎないほうがいいのにさ。オレのためにも……相手のためにもね」




