〇噂の真相
アデルハイト視点
夏休み前日
「結局、例のヴォルフ侯爵とはどういう関係なんですか?」
アレクが脈絡もなく問いかけた内容に思考が追い付かず固まってしまった。
今日は一学期最後の日だ。一緒に領地へと戻るため、アレクシスがクラウス邸まで迎えに来てくれていた。
せっかくだからとマリアが薔薇園のガゼボでお茶とお菓子を用意してくれていたのだが。
アレクの質問によって先程までの和やかな空気は一瞬にして消え去った。
幸いにも侍女は離れたところで待機しているから今の言葉は聞かれていないだろう。
だとしても、それはデリケートな問題だ。こんな気軽に尋ねていいものではない。
しかし聞かれたマリアは苦笑しつつも答えてくれた。
「相談相手よ」
「相談相手? 何を相談するというのです? 殿下との関係ですか?」
「まさか。……魔法のことについて相談していたの」
その答えに少しだけ驚いた。
皇族の血を引く公爵家の人間が魔法の相談なんて、何があったのだろうか。
「他の魔法学の教員ではだめだったのですか?」
「そもそも、最初に相談した方からの紹介で彼を訪ねたの。天才と呼ばれている人だから、きっと悩み事を解決してくれるだろうと……」
「その悩みは解決しましたか?」
「いえ……どうにもならないと言われたわ」
マリアは悲しげに答えた。
「その悩みの内容を聞いても?」
「ええ、もちろん。私は……殆どの魔法を使うことができないのよ」
「それは……でも私と最初に会った時に魔法を使っていたじゃない」
「うん、全部使えないわけじゃないの。自分の身体にかけるような魔法は使えるわ。でも風を操ったり火や水を出したりは出来なくて……こうなっちゃうの」
マリアは右手の人差し指に魔力を集中させた。
一点に過剰なほど集められた魔力は、しかし、小さな火花を散らしてすぐに霧散した。
「自分の身体にかけるような魔法も、使用した魔力の割りに効果は低いんだって」
マリアは変わらず笑っている。
「そんなことって……。でも相談してたってことはどうにかできる方法がわかったんでしょう?」
「自力でどうにかするには難しいそうよ」
「レオナルド様はこのことを知ってるの?」
「ええ、あの噂を聞いたその日の夜に全て話したわ。もちろん彼との関係も。普通に過ごすぶんには魔法が使えなくても支障は出ないだろうから心配しなくていいって……」
女性が魔法を使う機会なんてそうあるものではない。
魔道具の起動さえできれば日常生活は送れるし、男性であっても騎士でなければ日常的に魔法を使うことはないのだから。
他の令嬢たちだって魔法を使うことは出来ても使いこなせる人はほとんどいないだろう。
だが、魔法を使えることは貴族の血をひくことの証明でもある。貴族はその力によって民を守り、そして地位と権力を得る。
今となってはただの建前ではあるが、それでも、帝国の皇后がまともに魔法を使えないなんてことは許されない。
「このことは秘密よ。絶対に誰にも話さないでね」
「もちろんよ。話すわけないわ」
建前と言えども魔法は貴族の象徴だ。
この事実が広まればクラウス公爵家にとって大きな痛手になるだろう。
マリアがクラウス公爵の血の繋がった娘であることはその髪色から明白で、だからこそ、その血筋に問題があってはならないのだ。
「もしかしてマリアが魔法学の授業を選ばなかったのって……」
「ええ、魔法が使えないからよ。このことが広まったら大変なことになるもの」
確かマリアが選んでいたのは薬草学だった。
魔法の使える生徒は魔法学を選択することが多い。座学が少なく簡単な実技で評価されるため、試験の科目が一つ少なくなるようなものだからだ。
マリアが薬草学を選んだのは単純な知識欲からだと思っていた。
まさかそんな理由があるなんて……。
「……待って。マリアは学園の検査はどうしたの? 入学前に魔法の適性を見られるじゃない」
「ああ、そのときは普通に使えてたのよ。私がこんな状態になったのは2月からなの」
2月。それはクラウス公爵家に脅迫状が届きはじめた頃だ。
そしてその頃にマリアは何度か死にかけたという。
そのことが何か関係しているのだろうか。
「だからこの問題は私だけの問題よ。お兄様達もお父様もお母様も何も関係ないの」
「今後また使えるようにはならないのですか?」
「ならないわ。私が私である限り、このままなのよ」
アレクシスの問いかけに、マリアははっきりと答えた。
マリアはいつものように笑っている。
気にしていないのだろうか。そんなことないはずだ。
だって、できて当たり前のことができなくなったのだ。辛くないわけがない。
「でもね、色々試してたら面白いことに気付いたの」
楽しげにそう言ったマリアは、ガゼボから三歩ほど離れて地面に手を着いた。
その直後、マリアの周囲をぐるっと囲むように50センチ程度の氷の柱の柵があらわれた。
「私の魔力は空気中では拡散して使えないんだけど、空気に触れなければ魔法を使うことができるみたいなの」
マリアは誇らしげな顔をしている。
基本的に魔力は空気中を伝播させる方が効率がいい。魔力を遮るものが少ないからだ。
だからマリアがしたように地面を伝って魔力を放出するのは、些か……いやかなり効率が悪い。
こんなことができるのはマリアの魔力量が人より多いからだ。
「……ドヤ顔してますけど、それゴリ押ししてるだけですよ」
アレクシスはまたもや言い難いことをなんの躊躇いもなく言う。
「それでいいのよ。どうせまともに使われない魔力なんて無駄なんだから。出来ないことばかり考えてても仕方ないでしょ。私はこうやって魔法が使えるってわかったのだからそれで十分よ」
マリアは笑った。
彼女は思っていたよりずっと前向きだ。
マリアが氷の柵を触るとそれは一瞬で溶けた。
先程もそうだが、あれだけの大きさの物に魔力を一瞬で通せるのは流石というべきか。
魔法を使えなくなってはいても操作する能力まで失ってしまったわけではないようだ。
どうしてマリアは魔法を使えなくなってしまったのだろう。
「このことを相談しただけで侯爵とあんなに仲良くなったんですか?」
「アレク!」
それは私達が聞いてはならないことだ。
マリアとその侯爵との間で何があったのかはわからないけれど、少なくともただの知り合いという関係ではないことくらいはわかる。
マリアの反応からして浮気とまではいかなくとも、それに近しいことはしていたのだろう。
どうしてあんなにもフランツ殿下のことを好きなマリアが浮気なんてしてしまったのか。
殿下の気を引くためと言ってはいたが、そんな必要がないほどマリアは愛されていたのに。
だが、それは護衛である私達が気にするようなことではないのだ。
私達はマリアの友人である前に彼女の護衛なのだから。
アレクとマリアの仲がよくないことはなんとなく気付いていた。
アレクは必要以上に愛想良くマリアに接するし、マリアはアレクが来ると私に寄ってくる。
ぎこちない二人の仲を取り持とうなどとは思ってはいなかったけれど、だからといってこれ以上悪化するのは避けたい。
「アデル、大丈夫よ。彼には色々と助けてもらったから恩人でもあるの」
マリアは再び椅子に腰掛けた。
幸い気分を害した様子はない。……表情に出していないだけかもしれないけれど。
マリアは表情がころころと変わる女の子だ。
ただそれは親しい人の前だけで、学園の生徒が多くいるような場所では穏やかに微笑むのみで口数も少なくなる。
何があっても決して動じないし、普段とは違って落ち着いている。
だから今もそんなふうに仮面を被っているのかもしれない。
「恩人だからといってあの行為を許すのですか?」
「まあ、あの人はああいう人だから……」
マリアは困ったように笑っている。
「それに侯爵とはどうやって会っていたのです? 学園にいる間は俺たちが常にそばに居ました。誰も侯爵とマリア様が会っているのを見てはいません」
ヴォルフ侯爵はフランツ殿下の協力者だ。マリアを守るために尽力しているらしい。
けれども、彼に会ったのはレオナルド様だけ。それも一言挨拶を交わしたきりだという。
アレクは図書館で二人が会っているのを見たというが、私にとってその侯爵はただの噂の人で実在する人物だという実感はない。
だって私はマリアとずっと一緒にいるのにその侯爵を一度も見たことがないのだ。
「それは……二度ほど図書館で会って、その後は皇宮で会ってたの」
「皇宮で……?」
「ええ、彼は陛下の友人だもの。少しめんど……気難しい人だから陛下が気を使ってくださったのよ。基本的には三人で会っているわ」
「最近よく皇宮に行かれていますが、もしかして今も侯爵と会っているのですか?」
「そうよ。最近はどちらかと言うと陛下に呼ばれて行ってるんだけどね……」
マリアはため息をついた。
「皇宮で何をしているのですか?」
「何も。世間話をして、暇つぶししてるだけよ。私がいるとお父様が小言を言うことなく早く帰るんだって」
……一瞬レオナルド様とフランツ殿下のやり取りが頭に浮かんでしまった。
さすがに皇帝と宰相という帝国の中で最も権力を持つ二人がそのような子供じみたやり取りをするとは思わないけれど。
親子だから仕方ないのだが、彼らはよく似ているのだ。組み合わせが同じなのだから身近な人に重ねてしまうのも仕方ない。
とはいえやっぱり不敬だと思わなくもないので無理やりそのイメージをかき消す。
「これで彼に対する疑念は晴れたかしら?」
「…………まあ、少しは」
「私の言葉が信じられないようならフランツ殿下にも聞くといいわ」
流石にフランツ殿下に噂の真相を聞くのは無理だろう。だって彼は噂では浮気された側なのだから。
「必要ありません。どうせ同じことを聞かされるのでしょう? であれば時間の無駄にしかなりませんから」
「そうね。きっとそうなるわ。……それより、お茶のおかわりはいかが?」
マリアは穏やかに微笑んで少しだけ首を傾げた。
 




