71.添い寝
あの塔に行ってから五日が経っていた。
私は案外元気に過ごしている。
毎晩悪夢を見るようになって眠れなくなってしまったけど、あれを思い出して過呼吸を起こしたり倒れたりすることもないし比較的冷静に受け止められている、……と思っている。
困っていることといえば、事情を知っている周囲が私に対してやたらと気を使ってくることくらいか。
こればかりは仕方ないと思うから気長に落ち着くのを待つしかない。
あの日から私は殿下に会っていない。
殿下のお休みと休日が重なったからではあるのだが、早く会いたい気持ちと、会ったときにルカのことを聞かれる不安がまざってよくわからなくなっていた。
次に会う時にどういう顔をすればいいのだろう。
そこまで考えて目の前にいるルカを見上げる。
あの日から彼はまた勝手に私の部屋にやってくるようになっていた。
それは私を心配してのことだと思うから文句を言う気にはならないのだけど、部屋にいる間ずっと離れてくれないのは地味に困っている。
とにかく動きにくいし話しにくい。
目が合う度にキスしようとしてきたり手を繋ぎたがったり、膝に座らされたり。
付き合いたての恋人のような行動――いや、恋人でもここまで酷くはないかもしれない――を要求されて正直ぐったりしている。
いやもう恋人って言うか抱き枕かな。
それに付き合う義務はないけれど一応お願いを聞いてもらった恩はあるし、と思ってそこそこ相手はしていたが、一向に落ち着く気配がない。
そろそろ限界だ。
「あのね、少し離れてほしいんだけど……」
「何故だ?」
「だって私達はこんな恋人みたいな関係じゃ無いじゃない」
「なら恋人になればいい」
私の言葉に当たり前のように返してくる彼の頬を抓りたい。
やらないけど。
「何馬鹿なこと言ってるのよ。婚約者がいるんだからなれるわけないでしょ」
うんざりしながら首を振った私にルカは不満げな顔で問いかけてきた。
「お前はあいつのことを好きなのに何故結婚したくないんだ?」
「いきなり何なの……。貴方には隠す必要もないから言っておくけど、私は別に殿下のこと好きじゃないわよ」
私の好きは、恋愛感情の好きではない。
“推し”である彼を好きなのであって、それは恋人に対して抱くような感情では決してないのだ。
「……いや、それはないだろ」
「なんで貴方が否定するのよ。本当に好きじゃないの。マリアの婚約者だから好きなふりをしていただけ。そもそも子ども相手に本気になんてならないわ」
「…………お前がそれでいいなら構わないが……」
「何よ、それ」
「いや、いい。それより、大人がいいなら俺でいいだろ」
「貴方は大人だけど人間じゃないわ」
ルカは小さくため息をついた。
そして私を抱きしめる腕に力を込める。
「お前のことを受け入れられるのは俺だけだ。俺はお前を愛してる。マリアではなくて、お前をだ」
「…………私の一番触れてほしくないところに踏み込んでくるのね」
思わず苦笑する。
私はマリアではないけれど、ここにいる以上マリアとして生きなければならない。
どれだけ仲良くなったとしても、どれだけ好意を寄せられたとしても、その感情の先にいるのはどこまでいってもマリアだ。
殿下もお兄様もアデルもアレクもリオンも、みんなマリアを見ている。
そこに私はいない。
でもルカだけは違う。
彼だけはマリアではなく私を見てくれている。
だからこの先ここで生きていくことになったとしても、ルカがいればなんとか頑張れるのではないだろうか。
この世界で私の居場所があるとするのなら、それはきっと彼の隣なのだろう。
もう完全に絆されてしまっている。
ただ、それと恋愛感情の有無は別だ。
やっぱり私は彼を恋人や配偶者として見ることはできない。
それが何故なのかは私にもわからないけれど。
……最初の私に対する態度が悪すぎたせいだろうか。
「そういえば、陛下に私を守るように言われたって言ってたけど…………誘惑するよう指示されてた?」
「…………そこまでは言われてない。が、そうなることを期待されてはいただろうな 」
「じゃあこうやって私に会いに来るのは、そのため?」
「いや、それは俺がお前に会いたいからだ。俺を疑うな。俺はどんなことがあってもお前の味方だ」
ルカは私の額にキスをする。
「じゃあ他に私に言ってないことない?」
「………………本当は護衛ではなくて監視だったんだ。もちろんお前を守れとも言われていた。だが、不穏な動きを見つけたら……お前を殺せと言われていた」
「そ、そうだったんだ……」
やばい、聞かなきゃ良かった。
そんな情報欲しくない。
いや、監視は何となくそうかなとは思ってたけど、まさかそんなことまで命令されてるとは思わなかった。
「え、もしかして私が何か変なことやったら殺されちゃうの……?」
「いや、それはない。俺は何があってもお前を殺さない」
「それは、私のことが好きだから……?」
「そうだ。だが、今はお前の疑いも晴れている。ルディもお前を殺せとは言わないだろう」
私は何にもできないからね。
誰かを陥れるような謀略とか巡らせられないし魔法も使えないし暗殺できるような身体能力もない。
役立たずの中の役立たずだ。切ない。
おかげで殺されることもなく平和に過ごせているのだけど。
役立たずが役に立つこともあるのね。
「他には……やっぱりいいや。何か秘密があったとしても、秘密のままにしておいて」
聞かない方がいいこともある。
敵視されてはいないようだからもうそれで十分だ。
話題を変えよう。
未だにルカは私を抱きしめたままだ。私を離すつもりは一切ないようだった。
「……今日はいつまでここにいるつもりなの?」
最近、というかあの日以降は忙しいようで、部屋に来てもしばらくすると呼ばれてどこかに行ってしまう。
今日もそうだろうと思っていたのになかなか呼ばれない。
「お前が寝るまでいるつもりだ」
それは困る。
悪夢を見るようになって眠れないのだ。
今日だって限界まで起きているつもりだった。
私が寝るまでここにいるということは、まだまだずっとここに居るということだ。
そんなの無理。
「…………最近寝つきが悪くて……。だから寝るまでいるなんて言われると困るわ」
「……眠れないのか?」
「うん、ちょっと……嫌な夢を見るの」
悪夢の内容を話せば彼は罪悪感に苛まれるのだろうか。
言うつもりはないけれど、ふと気になった。
「もし私が寝なかったら朝までいるの?」
「いや、寝ないなら無理やり寝かせるだけだ」
ルカは私をベッドの中央に寝かせ、布団をかけた。そして彼は私の隣で横になる。
「まさか……添い寝するつもり?」
「ああ」
「私は子どもじゃないのよ」
「子どもだろう?」
「大人よ」
だが身体は15歳だから確かに子どもだと言えなくもない。
でも流石に添い寝で寝かしつけはないんじゃない??
ルカは私の肩のあたりをトントンと一定のリズムで優しく叩く。
これは赤ちゃんの寝かしつけのときにするやつ……。
文句のひとつでも言ってやろうと思ったけど彼があまりにも優しく見つめてくるものだから何も言えなくなってしまった。
とにかく目を瞑ろう。
一応寝る努力くらいはしてもバチは当たらない。暫くしてやめてもらえばいいだけだ。
薄らと目を開けるとルカの胸元が目の前にあった。
一瞬わけがわからずに混乱したが、寝る前のことを思い出して頭を抱えたくなった。
あのまま寝てしまったのか。
顔を少し動かして状況を確かめる。
今は……朝だ。カーテンの隙間から光が差し込んできていた。
悪夢を見ることなく朝まで眠っていたなんて信じられない……。
彼の右腕が私の頭の下に、左腕が腰を抱き寄せるようにまわされている。
こんな状態で私は寝ていたのか。
心臓の音と寝息が聞こえる。
私はルカを起こさないようにそっと彼の腕から抜け出した。
身体を上の方に移動させる。
ルカの寝顔は美しかった。
長い睫毛にすっと通った鼻梁、透き通った肌、そして薄い唇。
まるで作り物のような完璧な美しさだ。
男性にこの表現はなかなかしないと思うのだけれど。
もう暫く見つめていたいが、人が来る前に起きて帰ってもらわなければならない。
「ルカ、起きて」
軽く肩を揺すると彼はゆっくりと目を開けた。
「おはよう。貴方のおかげで眠れたわ。ありがとう」
しかしルカは呆然とした顔で固まっている。
「ルカ……?」
名前を呼ぶと彼は数回瞬きをした後に気まずそうな顔をして目を逸らした。
すごい、こんな顔するんだ。
初めて見るその表情に嬉しくなって彼に触れようと手を伸ばす。
しかし、その手が届く前にルカはいなくなってしまった。
…………せめて挨拶くらい返してほしかったな。




