55.告白2
最近はなるべく殿下の近くにいるようにしていた。
噂の件もあったが、男性と二人きりになる状況を極力避けたかった。
もちろん、殿下の隣には当然のごとくお兄様がいらっしゃるので二人きりにはならない。
仮に二人きりになったところで婚約者という関係上なんの問題もないし、後ろめたさも感じないからいいのだけど。
リリーの提案してくれた作戦は実行する気になれなかったので丁重にお断りした。
できるだけ殿下にくっついていれば、そのうち変な噂もなくなるだろう。
「マリア様、さきほど殿下はリゼ様とお話しておりましたわ」
「あとハンナ様とも話されていたそうですよ。しかもお二人で!」
その結果、何故か周囲の令嬢たちが殿下の行動を事細かに教えてくれるようになった。
殿下がいつ誰と会話したか、どこに行ったか、どんな様子なのか。
報告してくれる令嬢の中には今まで話したことのない方やそもそも学年が違う方もいる。
彼女たちは私の恋を応援するという名目で遊んでいるのだ。
まぁ別にそれはいい。
友人の恋ほど面白いものはない。他人事だから応援できるし適当なことも言える。
しかし、殿下の行動をこんなに把握してしまうと自分がストーカーになったようで申し訳ない気持ちが芽生える。
私がお願いした訳では無いのに。
授業が終わってすぐに殿下の元へ急いだ。
教室にはいなかったのだけど、そこは令嬢方のおかげですぐに居場所はわかった。
中央棟最上階である五階の資料室の前に殿下はいた。
「マリア、こんなところに来るなんて珍しいね」
「フランツ様を探しに来たんです」
正直に告げると殿下は嬉しそうに笑った。
つられて私も笑顔になる。
「そんなに僕に会いたかったの?」
少し揶揄う様な、そんな声色だった。
ここ数日は姿を見れば駆け寄り、少しでも時間があれば殿下を探し、とにかく全力で殿下にくっついていた。
いつもは殿下からグイグイ来るからこの状況が楽しいのかもしれない。
「ええ、ですから急いで来ました」
素直に頷いて殿下の左腕に自分の腕を絡める。
誰に見られてもラブラブの恋人同士に見えるように。
この階には今私と殿下の二人しかいないからあまり意味無いかもしれないが。
「……レオが資料室に用事があって、少しだけ時間がかかりそうなんだ」
殿下は資料室の隣の空き教室に入った。もちろん私も一緒にくっついて入る。
教室の中はガランとしていて疎らに机が散らばっていた。黒板の前には教壇に教卓。
ここだけ見ると本当に日本の学校だ。
使われていない割には埃っぽさはなく、もしかしたら最近誰かが使っていたのかもしれない。
殿下が教室の扉をしめた。
「これでようやく二人きりになれたね」
「先程からずっと二人きりでしたよ」
彼の言いたいこともやりたいこともわかってはいたけれど、はぐらかすように笑って身体を離した。
「人が来るかもしれない場所はだめなんだろう?」
「ここだって人が来るかもしれない場所ですよ。窓だってありますし」
「余程のことがないかぎり誰も通らないよ。ましてや使われていない暗い教室を覗こうとする人なんていない」
腕を掴まれ引き寄せられる。そのまま抱き締められるのかと思ったが、そうではなく、幼子にするように脇の下に手を入れられて持ち上げられた。
「きゃっ!?」
そのまま教卓の上に座らされた。
いつもよりも殿下の顔が近い。
先日のリリーの話が頭をよぎる。だめだ、他のことを考えなければ。
「マリアの顔がこんなに近くにあるのは新鮮だ」
「それでもまだ少しだけフランツ様の方が高いですね」
別に見下ろしたいわけではないが、定期的に上目遣いの殿下を見たい。たぶん5秒、いや、3秒なら耐えられるから。
「マリアは小さいから」
彼は小さく笑って私の髪をひと房掬って口付けた。
おでこ、瞼、頬と唇が触れる。
そろそろだろう。そう思って僅かに顔を上にあげた。
が、期待したことは起こらず、殿下は顔を少しだけ離した。
その美しいエメラルド色の目を細め、私の反応を楽しんでいるかのように笑みを浮かべている。
彼の右手が私の頬にかかる髪を耳にかけた。
そのまま耳たぶに触れ、首筋をなぞる。
擽ったさはなく、背中がゾクゾクする感覚。
思わず声が漏れそうになるのをなんとか堪えた。
焦らされている。
最近私が積極的だから、キスされるのを待っているのだろう。
このまま相手の思惑に乗るのは癪だ。かと言ってここまでされて何もせずに終わることもできなかった。
煽り過ぎずに誘いたい。……そんな器用なことできる気がしないけど。
悩んだ末、肩に置かれていた殿下の手をとって掌に口付けた。何度かそうしたあと、ちらりと殿下の方を見ると……楽しそうに笑っている。なんだか悔しい。
でも何をやってもこの余裕の表情を崩せる気がしない。
諦めてしまおう。別に勝負してるわけではないのだから。
腕を彼の首に回して顔を引き寄せ触れるだけのキスをした。
それでも彼は動かない。
何度かキスを繰り返した後に舌で唇をなぞり、口を開けるよう催促する。しかしその唇は固く結ばれたままだ。
「口、あけて……」
焦れったくなって一度唇を離して言葉で強請る。それが予想外の行動だったのか、殿下ははっと息を呑んだ。
僅かに唇が開いた。
再び彼の唇を自分の唇で塞ぐ。そして彼の口腔内に舌を差し込み歯列をなぞった。
逃げ惑う舌を追いかけ唾液を啜る。
「んっ……」
殿下のくぐもった声に気持ちが昂る。
もっと聞きたくて何度も角度を変えて貪るようにキスをした。
いつも翻弄されてばかりだから、主導権を握っていると思うと嬉しくてつい夢中になってしまったのだ。
しばらく楽しんだ後に唇を離した。
殿下は……首から上を真っ赤にして目を潤ませている。
それはもう色っぽくて可愛くて、ここにベッドがあったら押し倒していたかもしれない。
体格差があるけど足払いでもすれば押し倒せるかな。
いやいや、そうじゃなくて。
調子に乗りすぎてしまった気がする。
殿下は何も言わず私の肩に額を乗せ、背中に手を回した。
どうしよう。また気まずくなってしまうんじゃないだろうか。
でもキスしただけだ。変に意識せずに普通の顔をしておけばいい。前に殿下が私にやった事を、今回は私が殿下にしただけだ。
なんの問題もないはずだ。うん。
「……本当は君に可愛くおねだりして欲しかっただけなんだけど」
「えっ、その…………申し訳ありません」
求められてたのはおねだりだったんだ……!
うわー、勘違いしてた。
恥ずかしいってレベルじゃない。
穴があったら入りたいし、今すぐここから逃げ出したい。
殿下が顔を上げた。まだ赤いが先程よりはずいぶん落ち着いている。
「ねぇ、マリア。……君は僕のことをどう思ってるの?」
心臓が大きく跳ねた。
今までの行動で察しはつくだろうに。
というかわかったうえで聞いてるのか……。
「私は…………」
殿下の顔を見ることが出来ずに俯いた。
答えは決まっている。悩むまでもない。
殿下はマリアのことが好きなようだ。
ここで私も彼を好きだと言ったなら、この先婚約破棄なんてことにはならないんじゃないだろうか。
この身体の未来は二つ。
私が無事に帰れて本来のマリアがこの身体に戻ることができた未来と私が帰れずにこの身体に留まる未来。
マリアが戻れるのなら殿下と結ばれる方がいい。
私が残ることになった場合は……結婚はしたくない。
だからってこの場で好きではないですなんて言えない。
好きでもない相手にくっつき回ってキスしたなんてただのビッチだ。
否定できないところが悲しい。
とにかく答えなければ。
「…………好きでもない相手にあんなことしません」
ストレートに好きだと言うのは思った以上に恥ずかしくて言えなかった。
甥や姪に大好きだと言うのとはまったく違う。
異性に好意を伝える言葉というのは、どうしてこんなに恥ずかしいのか。
顔が熱い。この空間から一刻も早く抜け出したかった。
「そんな言葉じゃ駄目だよ。ちゃんと言って?」
まさかそんなことを言われると思わなくて驚いた。
顔を上げると真剣な表情の殿下と目が合う。
私は後ろめたさに目を逸らした。
「フランツ様も私に言ってくれたことないじゃないですか……」
「……最近はそうだね。言ってなかったかもしれない」
まるで子どものようなことを言ってしまったと自分でも思う。
それでも彼は笑うことなく、私の耳元で囁いた。
「マリア、好きだよ。初めて会った時からずっと好きだった」
罪悪感が、鉛のように胸の底に溜まっていくのを感じる。
わかってはいたことだ。
今更善人ぶったところでどうしようもない。
「私も……私もフランツ様のことが好きです」
 




