3.フランツ・フォン・エルザス
帝都に来て今日で一週間。
“推し”は何故か毎日私に会いに来ていた。
ある時はプレゼントを持って、ある時は近くを通りかかったからと言って、ある時は顔が見たいからと言って。
もともとマリアの下の兄と殿下は仲が良く屋敷にも頻繁に遊びに来ていたようで、皇族が毎日やってきているというのに使用人たちはさして気にすることもなく対応していた。
もちろん殿下も、それが当たり前であるかのように振る舞う。
私だけが慣れずに一人でテンパっていた。
そうやって毎日来るものだから、会いに来る理由を考えるのも説明するのも面倒になってきたのか、昨日は特に理由もなくやってきた。
と言っても、最初から理由はあってないようなものだったけど。
兄妹同然の間柄とはいっても一応婚約者なのだからそれなりの体裁は整えてほしいところだ。
毎日“推し”に会えるのは嬉しい。
それでも困ることもあった。
ゲームのイベントは学園外でも起こる。
だから事前にその場所を下見したかったのだが彼がいるとそれができない。
攻略対象を連れて下見に行くのはイベント発生時に影響を及ぼしてしまう恐れがあるからだ。
きっと出かけると言えば過保護な“推し”は私に付き添うと言ってくれるだろう。
だから彼には何も言わず、朝一に街にやって来たのだ。
彼が屋敷に来る前に、そして街まで探しに来る前に用事を終わらせたかった。
事前に侍女にお店までの道のりを確認してもらい、迷うことのないよう、確実に最短でたどり着けるよう準備したというのに。
馬車から降りたその場所に、まさか“推し”が立っているなんて思わないじゃないか。
しかも侍従と護衛を4人も引き連れて。
明らかに皇子だとわかる彼を周囲の人は遠巻きに眺めていた。
控えめではあるが、金の刺繍の入った紺のコートを着ている。おまけに従えているのは黒い軍服を着た近衛騎士。
治安のいい帝都とはいえ、どうしてここまで皇族アピールをしているのか理解に苦しむ。
いやまあ、庶民の服を着ていたとしても”推し”は美しすぎて庶民に見えないだろうけど。
それにしても、その皇子の格好で私の横に並ぶ気か。
今日の私はシンプルなワンピースを着ている。
生地自体はそれなりにいいものを使っているけど、いつものレースやフリルのついたいかにも貴族、といった格好ではない。
ここには貴族として訪れたわけではないのだ。
マリアの珍しい銀髪も、外にいる間は魔法で茶髪に見えるようにしていた。
馬車だって一番シンプルで乗り心地の良くないものを選んでいる。
護衛もついてきていない。一緒にいるのは侍女のサラ一人だけだ。
なぜなら、今私は庶民としてここに立っているから。
だから今殿下と並ぶと格差がひどい。
できることなら話しかけずにそのままどこかへ行ってほしい。
そんな私の願いは“推し”の爽やかな笑顔であっさりと潰えた。
「マリア、おはよう。今日はいい天気だね」
「……おはようございます、殿下。こんな朝早くからどうしてここに?」
まだ9時前だ。
いつも彼が屋敷にやって来るのは10時過ぎ。たまにお昼前のこともある。
だからこんな早くに殿下が現れるとは思わなかった。完全に油断していた。
「レオに聞いたんだ。マリアが今日買い物に出掛けるって。せっかくだから一緒にみて回ろうかと思って」
彼が名前を出したレオなる人物は、レオナルド・フォン・クラウス。
マリアの下の兄で攻略キャラの一人だ。
彼とは一応同じ屋敷に住んでいるはずなのにほとんど会えていない。
お父様の手伝いで忙しく、なかなか屋敷に帰ってこられないのだと聞いたのになぜ買い物のことを知っているのだろうか。
というか学生が手伝える仕事ってなんだ。本当に手伝いなのか疑問だ。
それに、二人の仲がいいのは知っていたが妹の情報をペラペラと喋るのは如何なものか……。
「ただ買い物に付き合うには護衛の方が多すぎるのでは……?」
殿下はそれに答えることなくにっこりと笑った。
あ、これは何かある。そういえばいくら婚約者が帝都に来たからといって毎日会いにくるのも……。
「マリア、最近なんだかよそよそしいよね。何かあった?」
ああああああ!! ちょっとまって、近い! 近いい!!
マリアを覗き込むように顔を近付けてきた殿下で視界がいっぱいになる。
「っいえ、な、なな、何も……!」
「本当に? 最近名前だって呼んでくれなくなったし……もしかして私のことが嫌いになったのかい?」
「っ……!!!!!」
しょんぼり、という言葉がこれほどぴったりな表情もない。
そんな“推し”もまた素敵。
ああ、可愛すぎる。
好きが極まると可愛いという言葉しか出てこない。語彙力のないオタクだ。
しかしいつも以上に近いその距離に心臓が止まってしまいそうだ。
さすがに10㎝の距離は自殺行為、いや、向こうから寄ってきているのだから殺人未遂だ。
顔を逸らしながら三歩後ろに下がる。
「っ……私が殿下のことを嫌いになるなんてあり得ませんわ」
「『殿下』?」
「……フランツ様…」
満足げに笑う“推し”はまさに天使。まぶしすぎる。
「では行こうか」
私は恐る恐る差し出された“推し”の手をとった。
周囲からの、皇族と庶民の娘がどうして並んで歩いているのかという疑問の視線が突き刺さる。
殿下は気にならないのだろうか。
気にならないんだろうな。こうやって見られることには慣れているだろうし。
ちらりと”推し”の顔を見ると、目が合ってその眩しい笑顔が向けられる。
あまりの美しさに後光がさして見えた。
ゲームでは婚約者以外の女性を愛してしまった罪悪感で、殿下の表情は常に憂いを帯びていた。
その儚くも美しい微笑みに私は毎度悶えていたのだ。
美少年の苦悩は美味しい!
幸せにしてあげたいけどそれよりも絶望のドン底に落としたい。
どのルートに進むとしても、ヒロインが最初に出会うのは殿下。
その出会いで心を奪われることとなる彼はずっとヒロインを想い続けることとなる。
もちろん、ヒロインが殿下を選ばなくてもずっと、だ。
つまり他ルートの当て馬キャラとなる。
一番身分が高いはずの皇子様なのに不憫だ。可愛い。
殿下は純粋で優しい理想の王子様。
たとえヒロインが殿下を好きにならなくても、婚約者以外の女性に好意を抱いてしまったというその点だけでマリアに罪悪感を持ってしまう。
妹のように大切にしているマリアを裏切る行為だと思っているのだろう。
幸いなことに私はマリアの記憶を引き継いでいるが感情や好悪は引き継いでいない。
なので殿下には思う存分ヒロインを好きになっていただいて、思う存分私に負い目を感じてほしい。
そうして私にあの曇った顔を見せてほしい。
きっとその”推し”の顔は最高なんだろうな。
もう見なくてもわかる。だって何百回も見てきたから。
ああ、早く見たい。
「どうしてわざわざ街に出て買い物に? 欲しいものがあれば持ってこさせればいいだろう?」
「……しばらく帝都で暮らすことになるのですから、ここがどんなところか自分の目で見てみたかったのです」
殿下の言葉で思考が現実に戻ってくる。
いけない、いけない。
マリアとして振る舞うのは気を遣うのだ。
うっかり変なことを言ってしまうとひかれてしまうし、私がマリアではないとバレてしまうかもしれない。
「そう……。次から出掛けるときには事前に知らせてね。マリアだけだと心配だから」
いや、さすがに私でも一人で街を歩くつもりはない。
貴族の令嬢なんて世間知らずの箱入り娘が一人で庶民の中に飛び込んでいけば周囲から浮くのはわかりきっているからだ。
中に入っているのは令嬢でもなんでもないけど。
こっちの知識がないので浮いてしまう事実は変わらない。
「私が出掛けるときはサラもいますよ?」
「うん、それでも、ね」
このイケメンは何がなんでもついてくるつもりらしい。さすがに過保護過ぎないか……?
帝都はこの国のどこよりも治安がいいのに、何を心配することがあるのだろう。
不思議に思いつつも“推し”にNOとは言えないオタクは大人しく首を縦にふるしかないのだ。