165.兄との再会5
「そういえばお前を待っている間にケヴィンに会った。ルイがいつも突拍子もない指示を出すと嘆いていたぞ」
突然すぎる話題転換についていけない。
突拍子もないのはお兄様のほうでは……。
「最善策をとろうとすると多少無理をしなければならないこともある。実現不可能な指示を出したことは一度もない」
けれどルイス殿下は何事もなく会話を続ける。
混乱しないんだ。すごいな。
それにしてもヨハンお兄様はどうして突然知らない人の名前を出したのだろう。
今は私とルイス殿下の関係について話していたはずだ。何か関係のある人なのだろうか。
しかし私はそのケヴィンという人とは会ったことがない。
マリアの知り合いかどうかも判別がつかない。表情を変えないよう気をつけながら必死に記憶を辿る。
…………わからない。少なくともここ三年は会っていない人だ。
ここで会うということは帝都の人間だ。話の流れ的にルイス殿下の部下なのだからマリアと関わりがなくても不思議では無い。
うん、大丈夫だ。
「そういえばマリアはまだケヴィンに会っていないな。ケヴィンは俺の部下でアデルハイトやアレクシスの従兄だ」
ということは北部の出身か。
二週間後のことを考えると近いうちに挨拶しなければならないだろう。
「最近辺境伯が体調を崩していて心配しているんだと。忙しいのはわかるが、少しくらい休みをくれてやったらどうだ?」
「……考えておく」
ルイス殿下は少しだけ眉間に皺を寄せた。
もしかしたら辺境伯に残された時間は少ないのかもしれない。
だとしたら失敗は許されない。私とルイス殿下の関係を疑ったまま最期を迎えられることだけは避けなければ。
「二週間後に辺境伯に会いに行くんだろう? 毎年の事だが今回は珍しく同行者がいるらしいな」
「ああ、そのことか。実はマリアにも着いてきてもらうことになっている。向こうにはマリアの友人もいるし、二人でどこかに出掛けられる機会なんてそうないからな」
この話の流れにハラハラしてきた。
レオナルドお兄様とクリスの方をこっそり横目で伺う。うん、別に怪訝そうな顔はしていない。
ルイス殿下はお父様の許可を得たと言っていたし殿下にも話してあると言っていた。
だから大丈夫だとは思うけど、後ろめたいことがあるからどうしても胃が痛くなる。
「なるほど。マリアはまだフランツとの婚約を解消して日が浅い。いくら円満な解消だったとしても帝都内で二人きりで出掛けることは許されないからな。その点シュヴァルツ辺境伯に会いに行くという名目でなら大きな問題はない。向こうはこちらと文化が違うから悪い印象を持たれることはない。それにマリアも公爵家の人間として立ち回れる年齢になった。俺や父上の名代も務まるだろう」
お兄様はうんうんと大袈裟に頷いている。
「そこまで深い意味はない。ただ、マリアに向こうの景色を見せたいだけだ」
「以前言っていたヘンリクセンの丘か?」
「ああ」
「マリアと出会ってからまだそんなに経っていないのにもう話すのか?」
「共に過ごした時間の長さは関係ない。一生を共に過ごす相手に隠し事をするなと言ったのはお前だろう」
「いやまあそれはそうだが……」
ヨハンお兄様は動揺したように言い淀んだ。
二人の会話の内容がよくわからないけれど、気の置けない友人同士にしかわからない何かがあるのだろう。
ヨハンお兄様が大きくため息をついた。
「以前から辺境伯はお前に結婚を強く勧めていたようだから、結婚したくないと思っているマリアを紹介して有耶無耶にしようとしてるのではないかと思っていたがそうではないのだな」
再び周囲の空気が凍りついた。
ヨハンお兄様は笑顔だけれど目が笑っていない……ように見える。
どうしよう。いやいや、ここで私が慌てたら白状しているのと同じことだ。
落ち着いて。ヨハンお兄様の言葉に反応してはいけない。
きっとルイス殿下がうまく誤魔化してくれるから大丈夫。
「相変わらず想像力が豊かだな。辺境伯へ紹介するためにマリアと婚約したいわけではない。マリアのことを愛しているから辺境伯に会わせたいんだ」
「ああ、そういうことにしておこう。ここでこれ以上話しても意味が無いしな」
いやいや、ヨハンお兄様はそれを聞きに来たんでしょ?
ルイス殿下の話をちゃんと聞こうよ。なんでそんなどうでもいいみたいな雰囲気出してるの?
というかさっきの発言のせいで部屋の空気めちゃくちゃ悪くなってますけど。
怖くて殿下やレオナルドお兄様の方を向けない。これどうしたらいいんだろう。
よくよく考えたらここで誤魔化せても屋敷に戻ったら私一人で対処しなければいけないのだ。
詰んでない?? これもう終わりだ。
そんな私の絶望とは裏腹にヨハンお兄様は満面の笑みでこう宣った。
「せっかく集まったのだから楽しい話をしよう」
この状況で楽しい話ができると本当に思っているのだろうか。
「お前は本当に自分勝手だな。少しは周りを見ろ」
「周り? 俺の大切な友人と愛する弟妹達がいるな」
「そうじゃない。今お前の望むような楽しい話ができると思うか?」
「できるさ。マリアは俺の愛する妹だし、ルイは大切な友人だ。何があってもその事実だけは決して揺らがない。それにこんなふうにみんなで集まることができるとは思ってなかったんだ。少しくらい楽しんだっていいだろう」
皇子二人の仲は悪く、エリックは平民でマリアは身体が弱かった。そしてヨハンお兄様は次期公爵としてお父様から領地を任されている。
公務や社交抜きにこうやって集まる機会は確かに少ないかもしれない。
だとしても人間はそんな簡単に切り替えられない。和やかな雰囲気にはどうやったってならないだろう。
「……それもそうだな」
ルイス殿下は困ったような顔をして同意してしまった。
なんで?
さっきからずっとヨハンお兄様に甘いけどなんでそうなるの?? ダメなことはちゃんとダメって言わないと。
エリックの方を見ると苦笑している。もしかしてこの二人っていつもこんな感じなんだろうか。
「そういえばレオとクリスには恋人はいないのか?」
よりによってそんな話題出すの?!
こんな地獄のような空気の中でよくそれ聞こうと思ったな。
いや私も気になるけどさ。レオナルドお兄様はちゃんとリリーの名前を出してくれるだろうか。
それにクリスだって優秀だし顔もいいから恋人の一人や二人いてもおかしくない。いや二人いたらダメだけど。
話をふられた二人に目を向けると困惑したような表情になっていた。
「恋人はいません」
先に答えたのはレオナルドお兄様だった。
リリーの名前を出してくれなかったことがとても不満だ。
いや、まだ正式な彼女じゃないからこの場で名前を出すのは不適切だと考えたのかもしれない。
次の機会に期待しよう。
「俺は…………」
一方のクリスは言い淀んだ後に小さくいる、と答えた。
「彼女いるの!? だ、誰? 私の知ってる子??」
予想外の答えに思わず食い気味に質問してしまった。
いてもおかしくないとは思っていたけど本当にいるとは思わなかった。
あれ、なんでクリスってうちに居るんだろう。
まずくない? 彼女いるのに同い年の異性の護衛とか最低じゃん。
私が望んだわけじゃないけど、相手の気持ちを考えたらいたたまれなくなる。公爵家相手に文句なんて言えないから不満は溜め込むしかないし。
「………………バーナー子爵家のエルゼ」
「エルゼ様って……」
えっと……そう、ランゲ伯爵家の令嬢とよく一緒にいる子だ。私と同じく薬学の授業を選択しているけれど夏休み直前まで顔が認識できなかったからなるべく関わらないようにしてきた。
明るめの茶髪でふわふわした印象の女の子……だったはず。いつの間にクリスとそんな関係になったんだ。
「明日エーベルト家のお茶会に呼ばれてるだろ。エルゼも招待されてるようだからそこで会える」
「あ、そういえば……」
お茶会、明日だったっけ。
色んなことがありすぎてうっかり忘れていた。
参加することだけ決めて全てをサラに丸投げしてしまっていたから……あれ、私なかなか酷いことしてない?
スケジュールの管理も手土産の手配も参加者の関係や事情の確認も全てサラにお願いしてしまっている。
これは頼りすぎだ。この先サラが居ないと生きて行けなくなってしまいそう。
「忘れてたのか……」
「わ、忘れてないわ。そういえばそうだったなって思っただけ」
慌てて誤魔化す。
いや、誤魔化せてはないんだけど、素直に忘れていたと認めるのが恥ずかしかっただけだ。
「クリスにも彼女ができたのか。いい事だな。少し前まであんなに小さかったのにな……」
ヨハンお兄様はなぜかしんみりしている。
私達は確かに少し年齢差があるけれどそんなことを言うほどの差は無い。
「確か五月末からだったよね。まさかクリスに恋人ができるなんて思わなかったからびっくりしたよ」
五月末。
まだ認識できない人が多かった時期だ。ずっと一緒にいてくれたエリックの顔すらわからなかったから、きっとクリスも認識できなかっただろう。
恋人ができたからって紹介されなくてよかった。
殿下やお兄様には話してたみたいだけど。別に嫉妬なんてしてないし悲しくなんてない。
「俺の話はもういいだろ。別に話すことなんて何にもない」
クリスは恥ずかしそうに顔を逸らして話を切り上げた。
私としてはもっと聞きたいんだけどな。
どちらから告白したかとか、ちゃんとデートしてるのかとか、二人でどんな話するのかとか……。
ここだと話してくれなさそうだし屋敷に帰ったら聞いてみようかな。
けれど話をふったヨハンお兄様は満足しなかったようで、クリスの言葉を無視して話を続けた。
「で、どちらから告白したんだ?」
ヨハンお兄様はとても楽しそうだ。




