160.相談2
「別に悲しくも辛くもないのであまり気にしないでください」
「また無茶なことを……。まずは泣き止みなさい」
「でも涙が止まらなくて……。あ、魔法でどうにかできないかな。涙腺を塞いだら涙出なくなるかも……」
「やめろ。そんなことをして怪我をしたらどうするんだ」
怪我したらそれこそ魔法で治せばいいと思うんだけどな。
ルイス殿下がハンカチで涙を拭ってくれているけれど、涙が止まらないのでキリがない。
これ化粧崩れちゃってそう。目も赤くなるからヨハンお兄様に会う前にどうにかしないと。
「楽しい話してたらそのうち止まると思うから大丈夫。ね、ルイももう大丈夫だから……」
目元を拭いてくれているのはいいけど近い。
近いっていうかもはや身体がくっついている。下心ないのはわかるし単に心配してくれているだけなんだけど、それを陛下の目の前でやられるのは居心地が悪すぎる。
涙が出ているだけなのでそんな深刻な顔しなくていいのに。
いやでも本当に綺麗な顔だな。
この顔見てると涙も引っ込みそう。
「あ、そういえば、以前作った車の玩具って今どこにありますか? ルイス殿下に見せたくて……」
「あれはルカが持っているよ。今呼んで持ってきてもらうのは無理だからまた次の機会でいいかい?」
今ルカはヨハンお兄様の護衛をしてるんだっけ。
玩具を見せられないのは残念だが仕方ない。
「えっと……一応私からの話は終わったんですけど……」
涙は一応止まってくれた。
ルイス殿下が隣で甲斐甲斐しく涙を拭ってくれたおかげかもしれない。
泣いてたらぼやけて顔がよく見えないからね。うん、今日も最高の顔だ。
「いつまでもここにいるのは仕事の邪魔になるからそろそろ」
「その顔で外を出歩くつもりか? 部屋の外にはエリックがいるんだぞ。それにもし先生やフランツに見られたら面倒だ。もう少しここに居ろ」
私の言葉はルイス殿下に遮られた。
「そうだね。カールに知られてもめん……心配させるだろうし落ち着くまでここにいなさい」
あ、今面倒って言おうとしたな。
お父様と陛下の関係はお兄様と殿下の関係によく似ている。きっとお父様も口煩いんだろうな。
「話と言えば、シュヴァルツ領へ行く件について今朝公爵から許可を得た。八月十六日の十時にここを発つ。準備をしておけ」
「わかったわ」
また唐突だ。
というかお父様に話して許可をとるところまでやってくれたなんて、私本当に何にも協力してないな。
顔がいいと仕事の手際もよくなるんだろうか。すごいな。
感心している私とは反対に、陛下は慌てたように声をあげた。
「ちょっと待ちなさい。今年はシュヴァルツ領へ行くのは駄目だよ」
「何故ですか? 公務に支障はありません」
「今は危険だ。それこそ何があるかわからない」
「マリアを連れていきます。人間や魔獣相手なら俺や騎士たちで対処できますし、もしそれ以上の脅威があらわれた場合は先生の力を借りればいいでしょう。このことはフランツにも話してあります」
なるほど。
私が必要な理由は辺境伯の最期のお願いのため以外にもルイス殿下を守るためでもあるのか。
確かに私がルイス殿下と一緒にいれば万が一のときにルカを呼べる。
…………こんな便利道具みたいな扱いしてしまってていいんだろうか。
それにフランツ殿下もシュヴァルツ領へ行くことを知ってるんだな。ならこの件に関しては変に隠し事したり誤魔化したりするのはよくない。
というかそれらの事実を陛下とルイス殿下の会話で知るのはどうなんだろう。後から教えてくれるつもりだったのだろうか。
「フランツに? 君たちはいつの間にそんなに……いや、そうじゃなくて、シュヴァルツ領は遠すぎる。移動距離が長ければ長いほどルカの魔力の消費も大きくなる。それに公爵家にいるエルフの件はどうするつもりだい? 君の言う通りマリアについてまわっているのであればシュヴァルツ領についてくる可能性もある」
「もしそうなればエルフの目的が公爵家ではなくマリアにあるということがはっきりしますね」
「そんな呑気なことを言っている場合ではないだろう」
「目的がわかれば交渉することも可能です。場合によっては今の問題を全て解消できるかもしれません」
「それはそうかもしれないが……。しかし危険すぎる」
「危険を避け続ける選択は未来を失うことに繋がります。これは皇子としての責任を全うするためにも必要なことです」
「……僕は父親として君が心配なんだよ」
「そのような気遣いは無用です。俺はやるべき事をやるためにここにいるのですから」
ルイス殿下は冷たい言葉で陛下を突き放した。
私はこの国の人間ではない。彼らの血縁者でもない。
だから二人の話に口を出す権利など持ち合わせていない。
でも突然家族に会えなくなってしまった私としては二人の関係を悲しいと思う。
「マリア、先程も言ったように俺が必ずお前を守る。何も心配しなくていい」
「ありがとう。……あ、そうだ、この後ヨハンお兄様と会う時に助けてほしいことがあるの」
「俺にできることなら何でもしよう」
「え、ちょっと待って、ヨハンと会うのかい? この後?? まさかこっちに来るの?」
「ええ、昨日の夕方にヨハンから手紙が届きました。愛する妹の相手として相応しいかどうかを見定めに来るんだそうですよ」
「そんなこと書いてたの? お兄様ってそんな人だったかしら?」
「あいつは少し……いや、かなり変わっているな。お前と少し似ている」
「私と??」
「そんなことよりカールはその事を知っているのかい?」
「知らないようです。今朝話した時にも何もいってませんでしたから」
「それはカールに言ってあげた方が…….もう今更か」
陛下は頭を抱えている。
さっきからルイス殿下に振り回されてばかりですね。
皇子とはいえ皇帝相手にそんな態度でいいんだろうか。
いいんだろうな。
ここに臣下はいない。そして陛下は息子二人のことを本当に大切に思っている。
「ヨハンがわざわざ公爵に秘密でやって来るのに俺が伝えたらあいつを裏切ることになるでしょう。マリアとの仲を認めてもらうためにもヨハンには恩を売っておきたかったので」
「ならここでこうやって話をしていたら意味がないじゃないか」
「話を切り出したのはマリアです。俺からは何も言っていません」
「いやいや、ヨハンから手紙が届いたと言っていたじゃないか」
「皇帝に嘘をつくわけにはいかないでしょう」
「本当にそう思っているならもう少し僕の話を聞いてくれないかな」
「聞いてはいますよ。ところでマリア、助けてほしいこととはなんだ?」
「さっきの相談に関係してくるんだけど……」
私は他人の顔が認識できなかったこととマリアの感情に振り回されてしまって行動に一貫性がなくなること、そしてマリアらしく振る舞えるかどうかが不安なことを話した。
「ヨハンお兄様に会えると思ったらすごく嬉しくて早く会いたいと思うんだけど、でもマリアじゃないと思われるんじゃないかって不安もあって怖いの」
「嬉しいけど怖い、か……。まあヨハンのことに関しては心配しなくていいだろう。それどころじゃなくなるだろうしな」
「そうなの? あ、ルイと話すからってこと?」
「ああ。それに騒がしくて心配している余裕はなくなるだろう」
「ねぇ、本当にヨハンお兄様の話してる? お兄様は落ち着いてて優しい方よ。騒がしいだとか変わってるだとかの言葉はお兄様らしくないわ」
「お前の前ではそうだったんだな。まあ会えばわかるだろう。マリアの振りをする必要性がないことも、公爵に疑われなかった理由もな」
その言葉に首を傾げる。
彼の言葉が真実ならばヨハンお兄様は特別な力があるのだろうか。ルカやエルフのように魂が見えるのだろうか。
いや、さすがにそれはないか。
向こうに居た時に少し話した程度だが、ヨハンお兄様から疑われていると感じたことは一度もなかった。
私の存在に気付いていたのなら真っ先に声をかけてくれていたはずだ。なんせ初日から顔を合わせているのだし彼はマリアを溺愛しているのだ。シスコンが理由で結婚ができないほどに。
私になってからもヨハンお兄様は優しかった。当時は顔が認識できなかったから全部が全部お兄様じゃなかったかもしれないけど。
………………何にしても今ここで悩んでても仕方ないな。ルイス殿下を信じてどんと構えていよう。
時計を見ると短針は十一の数字を指し示そうとしていた。
執務室に入って三十分。そろそろエリックも疲れちゃってるんじゃないだろうか。
「ねぇ、もう外に出てもいい? 涙は止まったし目の赤みが完全に消えるのを待ってるとお昼すぎちゃうわ。エリックに何か言われたら適当に誤魔化せばいいでしょう?」
「どう誤魔化すつもりだ?」
「目にゴミが入って涙が出ちゃったって言うわ」
「それは……誤魔化せないだろうな」
「なら笑いすぎて涙が出ちゃったって言うのは?」
「公爵令嬢が皇帝の前で涙が出るほど笑うのか?」
「うーん、じゃあ…………泣きたくなって泣いちゃったって言うわ」
「もう誤魔化すのを放棄しているな」
正直ちょっとめんどくさい。
多少目元が赤くてもたぶんエリックは何にも言わないしそもそも気付かないかもしれない。
だってエリックはマリアに関心がないから。
いつだって彼はマリアと距離を置きたがっていた。
「大丈夫よ。エリックは何も言わないわ」
「お前のその自信はどこから出てくるんだ」
「エリックとはずっと一緒にいるもの。だいたいわかるわ」
「それは…………いや、いい。お前の言葉を信じよう」
ルイス殿下は呆れたような表情で小さくため息をついた。
「もしお父様に会っても適当に誤魔化しておくので安心してくださいね」
「今の会話のどこにも安心出来る要素はなかったんだけど……。カールに会わないことを祈っておくよ」
陛下は諦めたように小さく笑った。
執務室から出るとエリックが扉の隣に立っていた。
部屋に入る時と同じ場所で同じ姿勢だったからもしかしてずっと微動だにせず立っていたのだろうか。
「待たせたな。話は終わった」
「この後はどうされますか?」
「昼食を用意させている。離宮に向かおう。それと、今日は俺の友人としてお前を呼んだんだ。堅苦しい言葉は使うな」
今日エリックは私の護衛としてここに立っている。
もちろんルイス殿下に要請されたからだけれど、公爵家の騎士として皇子に馴れ馴れしく接するのは無理だろう。
エリックはそういうのを重視する人だから。
「…………わかった。ルイがそれを望むのならそうしよう」
予想外の言葉にぎょっとして思わず変な声が出るところだった。




